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 壱の世界がおかしいと一通の連絡が来たのは、長津間に案内された旅館へ着いてからすぐだった。


 とりあえず現地に着いたわけだし、六幻に連絡を入れておこうと思った花奏は旅館の公衆電話の前にいた。携帯電話を使いたいところだが、残念なことに此処は特定の電波しか通らない。旅館に備え付けられている固定電話と、住民の持っている携帯電話とでしか連絡を取ることはできないのである。

 六幻の番号を打ち込んで二、三コールでガチャと音がした。


「あ、六幻さん。花奏です。今日集落へ到着しました。取り柄えず今日は町長の長津間さんに案内された旅館に泊まって、明日現地へ行って調査する予定です」


『そうか。どうか、気をつけろよ。優一郎とは少しは会話できた?』


 仲良くしてる?と聞くのではなく、会話してる?と聞いてくるところが六幻さんらしい。やっぱり僕たちの間柄をよくわかってくれている。

 花奏はあははと乾いた声を漏らした。


「ぜんっぜん。というかそばにいればいるほど嫌われてる気がします……」

『まぁ………頑張って』

「はい………」


 暫く、沈黙が続く。

 いけない、六幻さんに気を遣わせては……何か話題を…。と花奏が思案したとき六幻は言った。「壱の世界がおかしい」と。


「……は? 今なんて……」


『ああ、ごめん。独り言のつもりだったんだけど、聞こえちゃったかな』

「壱の世界がおかしいって……そっちで何かあったんですか?」

『いやいや、そうじゃなくて……いや、まぁそうなんだけどね。実は、最近こっちの町でも昼間に頻繁に妖怪が目撃されているんだ。どこから湧いてるかわからないんだけどね……』

「妖怪達の身に何か起きていると言うことでしょうか……?」

『うーん、それがよくわからなくて……』


「?」


『どの妖怪も、こっちの世界のものでようで、違うような感じなんだよね。そもそも妖怪って人間がいるからこそ生まれるもので、どこの世界から来てるかわからないから、今僕が言っていることは矛盾に値するんだけど……』


 花奏は頭を捻る。この世界のもののようで、違うような感じ……―――。


「まさか、弐の世界から来てるって言うんですか…?」

『………あってもおかしくはないよねって話』


 そんなことは……絶対にありえない筈だ。

 壱の世界、つまり僕たちのいる世界と、もう一つの世界、弐の世界はいわばパラレルワールド。こっちでは妖怪の存在が認められず、あっちの世界では妖怪が共存して生きている。人間と同じように生活を得ている。こんなに価値観の違う世界が関わるなんて、それこそ世の調和を崩す。世の条理を変えてしまうことと同じだ。


「でも、そんなこと……」

『わかってる。あり得ないんだよ。こっちとあっちの世界をつなぐ入り口はそう簡単に作れないし、そもそも作ること自体神に背いているようなものだ。……ただ可能性としての話をするのならば、近々起こるのかもしれない』

「はい?」


chimeof startだ』


 その言葉を聞いて、僕はスッと息を吸った。冷たい空気が喉を乾燥させた。


「始の鐘って…、だって…」

『念を押すけど可能性の話だ。だから、君の今この話を聞かなかったことにしておいてくれ。こちらできちんと調査してから君たちにも伝えよう』

「はい………でも、どうか無茶はしないでくださいね。東先生がこっちにいない以上、貴方は東家の当主なんですから」

『グッドグッド。僕はあの父親みたいに自分の命を棒に触れるほどバカじゃないからね。おまけにまだ二十三年しか生きてない。これからが人生の始まりだって時に息だえるなんてごめんだね』


 さりげなく自分の父親はバカ呼ばわりしたところはあえて突っ込まずに、花奏は受話器から耳を遠ざける。


『あ、でもちょっと待って』


「はい?」


『万が一のことも考えて、君たちの調査に行った集落の妖怪もこっちの世界の妖怪じゃない可能性を考えておくんだよ。弐の世界の妖怪は人間と共存して職も得ている。学校で習ったからわかると思うけれど、僕が言いたいことはわかるよね?』


 花奏はゴクンと唾を飲み込む。

 “弐の世界の妖怪は人間と共存して職も得ている”

 つまり、彼らは壱の世界にいる妖怪よりも格段と強いというわけだ。正式に食事をして、食をして、生活をしているということは、僕らと変わらない。

 つまり、力も正常に持ち合わせている。人間の微弱な感情や魂を食ってなんとか命を繋いでいるこっちの世界の妖怪とは格が違う。


「……わかってます」

 そして花奏はハッと気がついた。

「ッ……もしかして……。だから僕とあいつを一緒に調査へ向かわせたんですかッ……!」

『ご名答。頑張ってね』


 六幻はそう短く告げると、プツッと切った。花奏は切れた受話器をそっと置く。手のひらでおでこの汗を拭った。

 全く、東先生といい、六幻さんといい、どんだけ計算深いんだよ………―――。

 でも、六幻さんは“始の鐘”が起こるかもしれないと言った。


 そんなことあり得るのだろうか?

 それほど今この世界は歪んでいるのだろうか?


 花奏は旅館の廊下を歩いて自室へ戻った。




 次の日はかなり天候が荒れた。

 視界を遮るほどの霧雨と、強風。

 体が吹飛ばされたり、工事用のコーンが倒れたりするほどの風の強さではないのだが、霧雨が風によって随分と横殴りの雨になって、傘をさしていても片側のズボンや服はびしょびしょに濡れてしまうというどうしようもない状況だ。

 もはや、傘は自分の役割を果たしてくれない。

 旅館の玄関でどうしようかと右往左往していた花奏を、優一郎は一喝した。


「そんなの結界でも張りながら調査すればいい」

 と簡単に言ってくれるが、そんなことに札を無駄遣いしたくない花奏は、結果的に役立たずの傘を指すことにした。


 目の前を、優一郎が早々と歩く。彼は結界の札を使っていて傘はさしていない。花奏は今自分が持っている札のストックを確認した。通常、札は服の内ポケットにしまってある。


(七枚…………か……。六幻さんに気をつけるよう言われていたからいつもよりも多めに持ってきていたけれど、出来ればこの札は使いたくないし……実質、使える札は四枚ってところかな)


 種類ごとに札を分けることができるほど内ポケットには数がないのだが、特に使いたくない札は右側の内ポケットにしまう。そしてズボンのポケットには念のために持ってきておいた陰陽師帳が入っている。

「着いたよ」

 会話がなかったからか、随分と長く歩いたように感じて目的地に到着した。昨日泊まった旅館から歩いて三十分。それだけでもだいぶ人気のないところへ着く。集落とはいえ、家が密集しているところはそれなりに賑わいを見せていたが、人の気配が全くなくなると、まるで世界に自分が取り残されたような気分になる。


「ここで、あってるよね?」

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