怖いお兄さんから逃げられない
@SS_aho_
第1話「ごめんなさいで済んだら警察は要らない」
あ、どうも。白鷺花音(しらさぎかのん)、20歳。本日世間は七夕を楽しんでいるであろう7月7日に誕生日を迎え、お酒を飲めるようになりました、なんて喜ばしいことは無く。今私は両腕両足を縛られて暗闇のなかです。
ことの発端は、遡るなら幼稚園。
もう少しで卒園するというタイミングで両親が交通事故で亡くなった私は、親戚の家をたらいまわしにされるという良くある状況に陥った。まだ幼かった私はそこまでのショックを受けることは無かったと思う。正直10年以上も昔の記憶なんてあいまいだ。
そのまま小学生になり、3年目に初めて好きな男の子ができた。子供の頃の恋愛といえば、話していて楽しいだとか、お菓子をくれたとかそんなことで好きになるようなものだったが、当時はちゃんと恋していた、と思っていた。
そんなある日、私はどうしようもなくトイレに行きたくなった。授業中、しかも自分の発表中に、である。
今なら「先生、トイレに行きたいです」くらい言い残していく勇気はあるのだが、どうも幼いころの忠誠心はすさまじかった。先生のいうことを聞かなければならない、授業中にトイレに行ってはいけない、そんな真面目過ぎる思考の持ち主だった私はひたすら耐え続けた。
その結果。漏らした。クラス全員の前で。
やってしまったことは仕方ないが、当時の私は死ぬほど恥ずかしかった。漏らした当人はわんわんと大声で泣き散らかし、あの時のクラスのどよめきはしっかり覚えている。
こういうものこそさっさと忘れたいものなのに。そしてその翌日から私は不登校になった。
不登校に至るまでにとどめを刺したのは、当時私が好きだった男の子だ。私が漏らした瞬間に「汚い」とはっきり言った。その4文字が私には耐えられなかったのだ。
そんな不幸に見舞われて、中学は遠くの学校に決めた。地元から離れ、新しいクラスに馴染むためである。案の定見知らぬ顔だらけで安心した。それなりに上手く関係を築き上げることができたと思う。
しかし、あることに気付いた。
私は勉強が出来ない、と。
帰宅部に所属していた私は、当時習っていた合気道以外に趣味が無かった。そのため、習い事のない日(週6日)は家で8時間勉強する、という受験生のような生活をする羽目になっていた。
さぞテストの点数が良いものだろうと高を括っていたが、中学2年目にして、自分は赤点スレスレの点数しかとったことが無いことに気付いてしまった。
順位は下から数えたほうが断然早い。
努力した分のリターンが無いというのは、思春期の複雑な時期にはメンタルを削るものだった。自分は馬鹿なのだ、というショックで2日寝込んだ。
名前が書ければ入れる、というような高校に入学し、今度こそ楽しい青春を、と意気込んでいた矢先である。当時お世話になっていた親戚のアパートが燃えた。学校から帰ったら燃えていたのである。
どうやら隣の部屋の住人が火の不始末で燃え移ったらしい。私自身燃えて困るような貴重品は無かったのだが、親戚にとっては大問題。
私の面倒をみる余裕がなくなった為に家を追い出され、私は高校を中退した。中退して真っ先にバイトを探しバイトの収入で食いつなぐ生活を送ることになった。
満身創痍、と思われたそんな生活も意外と悪くなかったのだ。
バイト先の先輩に好意を持たれ、私は18歳に初めて大人の「恋」を経験した。愛想のよい彼の家に住まわせて貰えることになり、順風満帆に生活していた。
そして2年が経とうとしていた7月7日、七夕兼私の誕生日。彼の家に帰ると、見知らぬ靴があった。嫌な予感……を全力で無視して真っ先に寝室に向かうと裸の男女とご対面。
でしょうね、としか言えない状況に頭は冷静だった。すべてがスローモーションのようにゆっくり時が流れたような気もするし、一瞬だった気もする。私はそのまま家を飛び出してしまった。
「はー、バカみたい」
呟いた言葉は弱弱しく、ここまで私は不運に見舞われるのか、と笑えて来た。
今日は誕生日ですよ?私、誕生日祝ってもらえると思って朝からメイクも頑張ってバイトを全力でこなして…。その結果浮気を目撃してしまいました、なんて最悪だ。
今までの不幸に前向きに生きてきたが、すべてが嫌になってきた。何で私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないのよ。家族もいない、彼氏ももういない、貴重品も置いてきてしまったからお金もない。この先あの家に戻ることも考えたくないし、野宿してバイトに行くモチベもない。下手したら野垂れ死ぬのかな、なんて思ったり思わなかったり。
やるせない気持ちがどんどん私の心を侵食していく。
ただ平和に、普通の生活をしたかっただけなの。
だれに言い訳しているのか、私は街を徘徊する中で金目の物に目が行くようになっていた。気付けば日は落ちて辺りは暗くなっている。脳死で徘徊して行きついたここは夜の街らしく、派手な格好をした男女がちらほら見受けられた。
「姉さん、大丈夫~?昼間から酔いすぎだよ」
「んへっ…ちょっとねぇ」
すれ違う人の中で、ひときわ目立つのは若い男女だった。露出の高い女の肩に手をまわし、支えるようにして男が足を進めている。
カップル…?くそ、リア充爆発しろ。
こちとら振られたばかりの傷心ちゃんなんだ、私の視界に入ってくるな。と心の中で悪態をついた。
千鳥足で歩く男女を見ていると段々腹が立ってきて、私は思わず振り返りにらみつけていた。ただ、ムカついた。それ以外に意味はない。
女はキラキラと光る財布をむき出しに手に持っていた。あの中には一体いくら入っているのだろうか。それに対し私の所持金はゼロ。もし、あの財布が手に入れば…。
男は女を支えることに夢中だし、女は泥酔状態。絶好のチャンスなのでは?
理性を失っていたのは果たして女だったか、私だったか。気付いたときには財布に手を伸ばしていた。掴んだ瞬間に財布に厚みを感じる。これは期待大だ。
足を止めることなく財布を内ポケットにしまいながら二人の横を足早に通り過ぎる。5.6メートル先に見える曲がり角に身を隠して、そのまま立ち去ってしまおう。瞬時に考えながら、自慢の足の速さで地面を蹴った。
そういえば、私ってば、運動が得意だったのを忘れていたわ。
何しても褒められなかった私が唯一褒められたのは、かけっこの速さとその運動神経だったなぁなんて思っていたら、転びそうになった。後ろに。
私の足は前に進もうとしているのに上半身がいうことを聞かない。否、腕をガッツリ掴まれている。何に?
考えたくもない最悪の想像が瞬時に脳を駆け巡り、背中に冷汗が噴き出る。
うん。間違いない。右腕を掴まれている。
恐る恐る振り返ると、自分の身長よりも二回り以上大きな男が立っていた。私の右腕を握りつぶさんというくらいに力を込めて。
「何してんのかな、お嬢さん」
男は冷静なほどに静かに口を開いた。夜の街の賑わいがとても遠くに感じ、ここの空間だけ切り抜かれたように静かだった。
あ、この人さっきの男のひとじゃん。終わった。
「あ、あははは…」
笑うことしかできない私は、どうにか言い訳を、と思い咄嗟に「落としましたよ…」と胸ポケットから財布を取り出してみるも、何馬鹿なことを言っているんだ、と自分で突っ込んでしまった。
ない、ないない。落とし物を一旦自分の服の中に隠すやつなんて居ない。
「ちょっと、お話、しようね?」
「はい……」
白鷺花音、本日20歳の誕生日。人生最大の不幸(自業自得ともいう)。そして、冒頭に戻る。
暗い。
あのスリ発覚事件から、そのまま真っ黒な車に乗せられ、逃げようという勇気すら起こす暇もなく手足を拘束され、気づいたらこの鉄筋コンクリートの上に寝転がっている。
うーん、寝心地は最悪。
ずっと右肩を下にしているせいか、腕が痺れてきてしまった。拘束されてこの部屋に閉じ込められてから1時間は経っているような気がしている。
時計も無ければ家具1つない部屋は薄暗く、天井近くに30センチ×15センチ程度の小さい通気口があるが、外の光を差し込むには小さすぎる。
閉所恐怖症、暗所恐怖症じゃなくてよかった。なんてのんきなことを考えるだけの余裕は生まれてきたらしい。
その余裕が生まれてくると、だんだんお腹の下あたりに違和感を覚えてきた。
この違和感の正体を知っている。
尿意だ。
安心する要素は今のところ全くないはずなのに、どうやら副交感神経が活発になり始めているらしい。この馬鹿!
このまま日をまたぐまで解放されなければ、確実に幼稚園の二の舞になる。それだけはごめんだ。大人として、成人として、粗相をするわけにはいかない。
「いやだー!!こんなところで粗相なんかしたくないってー!!」
あの時の羞恥が鮮明に蘇ってきて、手足をバタバタさせる。笑えない。いくら相手が見知らぬ人とはいえ、精神が耐えられる気がしない。
「どうせ、どうせなら焼くなり煮るなりして…うん、煮てくれれば最悪漏らしてもバレないからそっちがいいかな。いや、死ぬまでが辛そうだし、漏らす前にサクッと殺してほしい!!」
「おい、ブツブツ何喋ってんだ」
「わー!!!!!」
急に暗闇の中に男の声が響いた。と同時に叫んだ。
ビックリした、…危うく漏らすところだった。
「お、脅かさないでよ!!」
「は?」
あ、いや。脅されてるのか。
というか、トイレのことしか頭になかったが、今私は拘束されていて絶体絶命。立場的にこんなことを言っていいものではない。
「あ…すみません…お許しください…いや、その前にトイレ…」
私がぼそぼそと言葉をこぼすと、急に目の前が明るくなった。
どうやらこの部屋には電気が通っていたらしい。一気に男の顔が鮮明になる。
「あの…貴方、どちら様で?」
私を捕まえた男とは全くことなる、寡黙そうなイケメンが私を見下ろしていた。
泣き黒子、サラサラの黒い髪、白い肌に切れ長の目。
うん、これは囚われの姫を助けに来た救世主・無口な王子様ってとこかしら。
「よければこの紐を解いてくれませ、ブッ⁉」
「あ、ゴミかと思って踏んじゃった~ははは」
脇腹に一点集中型の重みを感じ、息が詰まった。目線をそちらに向けると、部屋に入ってきたらしい男がヘラヘラと笑っている。
「あ!あなた!!」
彼こそが、クソカップルの片割れである。よく見ると、顔のパーツ1つ1つ綺麗に配置され、セミロング程の長さのある髪は後ろで一つに結ばれている。
「そうそう、君を捕まえたのは俺だよ~お嬢さんまだ若そうなのに、何をしちゃったのか覚えてるかな~?」
目の前にしゃがみこんだ彼は私の頬をつまらなさそうにつついている。
「んぇ、えっと…女性の財布を…」
「そう、盗んだんだよね。良くないよね?」
「ふぁい…しゅみません…」
「俺だってさ、女の子にこんな酷いことしたくないんだけどさ、悪いことしたら償うのがこのお国のルールでしょ?」
「ふぁい…?」
「だから」
男は立ち上がると、んーっと背伸びをして私を見下ろした。
「明日から君、囮になってもらうから」
囮、オトリ、おとり…
「……はい?」
「自己紹介が遅れてごめんね、俺が佐久間でこいつが石田。俺たちのお仕事に少しだけ付き合ってもらうからよろしくね」
「いや、あの、えーっと佐久間さん…でしたっけ、言ってる意味が分からな」
「うるさい」
「っ」
佐久間と名乗る男が私の顎に、靴の先をあてる。真っ黒く、光沢のある革靴の尖った先端が私の顎の下をなぞるように喉へとゆっくり滑ってくる。
「このまま君を殺してもいいんだよ」
少しだけ喉に体重をかけられ、恐怖と圧迫から声が出せなくなる。
「なーんて、怖がらせちゃったかな?詳しいことは明日の朝に教えるから安心してね~じゃあ後はよろしくね、石田」
一瞬にしてパッと明るい表情を作ると、その革靴を鳴らしながら部屋の外へ出て行ってしまった。
「……はぁはぁ…こ、こっわ…」
気付かぬうちに息を止めていたらしい私は、餌を求める鯉のように口を開いて空気を吸い込んだ。
「あー…とりあえず拘束取るけど、簡単に逃げられるとか思わないことだな」
それだけ言って石田という男が手の拘束から解いていく。
横顔も美しい。が。
「ミスター無口王子も敵ってことね…」
「なんか言ったか」
「いえ、何も」
不運慣れしているせいなのか、こんな状況でも割と頭は冷静で、パニックになっていない自分に逆に安心してしまう。
しかし、確かなことは、とてつもない状況に置かれているということで。
私はどうやらとんでもないことに首を突っ込んでしまったらしい。
あぁ、神様。私どうなっちゃうんですか…?
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