第8話 お通夜の夜は長くて……
一階に降りると、台所ではお母さんと美加おばさんが忙しそうにしていた。気づかれないように、そっと隅っこのポーチを回収する。
そのまま玄関に行くと、予想通り受付がもうできあがっていて、千雪おばさんがパイプ椅子に座っていた。
「ごめんなさい、私がやらなくちゃいけないのに」
千雪おばさんがこっちを見る。優しそうに笑った。
「何言ってんのー。助かったわよ、二人の面倒を見ていてくれて。ありがとうね」
「いえ、そんな……」
複雑な気持ちになる。
「お母さん達忙しそうにしてたでしょ。私も手伝わなくちゃならないから、代わってもらえる?」
「もちろんです!」
慌てて長机の後ろに回ろうとして、角に足をぶつけてしまう。
「いたっ」
「大丈夫? 結構大きな音がしたけど」
「大丈夫です。すいません」
「そう、ならいいけど……」
心配そうに千雪おばさんは立ち上がって場所を空けてくれる。パイプ椅子の足下には小さなヒーターが置かれていた。
「寒いから気をつけてね」
使い捨てカイロを握らされる。じんわりとぬくもりが広がっていく。もうだいぶ冷え込んでいたようだ。色々ありすぎて気がつかなかった。
「ありがとうございます」
「お客さん来るまでは座ってていいからね」
机の上の芳名帳を見ると、まだ三行しか使われていなかった。
「わかりました!」
「いただいた御香典はここに入れてね」
机の下の棚から、大きめの革カバンを見せてくれた。
「それじゃ頼んだわよ。あとで浩之くんをよこすから」
そう言うと、千雪おばさんは「おねがいね」と言い残して、台所へと消えていった。
一人になったのでパイプ椅子に座る。千雪おばさんのぬくもりがまだ残っていた。お尻が冷えなくて助かる。
カイロを手でもみながら、つま先をヒーターに当てる。ほっと一息ついていると、千雪おばさんが戻ってきた。手に小さな盆を持っている。
「これ、おなかすいたらつまんで」
ラップに包まれたおにぎりと水筒だった。
「忙しくなる前に食べときなさいね。あと水筒には温かいお茶が入ってるから。あ、立ち上がらなくていいよ」
おばさんは、盆ごとパイプ椅子の後ろに隠すようにおいてくれた。
「ありがとうございます」
「それじゃ、頑張ってね」
忙しいのだろう。必要なことだけ言うと、そそくさと台所へと帰っていった。
そういえば喉が渇いた。ありがたくお茶をいただくために、後ろに手を伸ばして水筒だけ取り上げる。温かいお茶を飲むと、体が芯から温まる。
……やばい。気が抜けて体がすこし温まると、大変なことに気がついてしまった。
おしっこがしたい!
そういえばしばらくトイレに行ってなかった。意識すると余計にトイレに行きたくなってくる。さっきまで気にもしていなかった、開かれた玄関から入ってくる冷気も、今は足先から腰までをむしばんでくる敵として認識できる。
おじさんまだ来ないかな……。そわそわとつま先を動かして客間の方を見るが、ざわざわとした盛り上がりの声が聞こえてくるだけだった。 空けとくわけにはいかないし……。うう……、ここで漏らしてしまったらどうしよう……。
「こんばんは」
膀胱に気をとられていると、玄関から声がした。慌てて立ち上がる。
「こんばんは」
頭を下げながら、オウム返しに挨拶をしてしまう。……いらっしゃいませと言わなくてよかった。
「このたびは……」
から始まる定番のやりとりをして、芳名帳に名前を書いていただき、香典をいただく。
「あちらになります」
居間の方を手で指し示す。廊下には故人へ案内するための案内板がおかれていた。尋ねてきたご婦人はゆっくりとした足取りで、そちらへ向かった。香典の中身を確認したいが、一人だとそれもできない。浩之おじさん、早く来て……。仕方なくそのまま革カバンにつっこむ。
「こんばんは……」
先ほどの客を皮切りにしたように、それからはしばらくは戦場だった。二列に並んでもらい、挨拶、記帳、香典、案内を一人でこなす。案内の合間に、帰り客にお礼を言うのも忘れない。その裏では膀胱との戦いが、かなり盛り上がっていた。
そんな私の気持ちも知らず、じいちゃんとの思い出話を長々としていくご老人とも、にこやかに対応する。じいちゃんの話を聞くのはとても楽しかった。もっと落ち着いて聞きたかった。
「任せてしまって悪かったな」
「えっ」
びっくりして大声を上げそうになり、慌てて口を閉じる。いつの間にか、横に浩之おじさんが立っていた。忙しすぎて全然気がつかなかった……。だが、今だけは救いの神だ。
「ごめん、おじさん。私、ちょっとお手洗いに行ってくる」
返事も待たず、一瞬人の列が途切れた瞬間に受付を離れた。もう限界だったが、早足にならないようにゆっくりとトイレに向かう。
よかった。空いてた!!
勢いよくトイレに飛び込むと、便座がおりているのを確認しながら、ものすごいスピードでパンツを下ろした。途中でもう出かかってたかもしれないくらいの早業だった。
おしっこを済ますと、少し落ち着いて、手を洗い簡単にお化粧直しをする。思ったよりメイクが崩れていなくて助かった。
少し早足で受付に戻ると、浩之おじさんがいっぱいいっぱいになりながら、お客さんを裁いていた。すぐに横に立って受付を再開する。
「おじさん、後ろに行って会計係よろしく」
「わかった」
おじさんは香典の入ったカバンを持つと、私の陰になるように、後ろへ回った。香典をいただいた時の流れが、カバンへ、から後ろのおじさんに手渡しに代わる。ちらっと見ると、今までにいただいた香典も確認してくれているようだった。
つんつん。ふくらはぎがつつかれる。
「ひっ」
反射的に、かかとでおじさんを蹴り上げてしまった。
かなり痛かっただろうに、おじさんは少し顔をしかめただけで、やり過ごした。
「全部確認終わったよ。問題なし」
「ありがとうございます。でももう少しまともな方法で呼んでください」
ささやくようにやりとりすると、すぐに私は前に向き直った。
二、三時間くらいたっただろうか。来客はほとんどいなくなり、帰り客への挨拶がメインの仕事になってきていた。千雪おばさんが客間の方からこちらにやってきた。
「加奈ちゃん、お父さんがご挨拶するから、向こうへ行ってらっしゃい」
お父さん、いつの間にか来ていたのか。勝手口から入ったのかな?
「あ、ありがとうございます」
遅刻してきた喪主をフォローするために、私は客間に向かう。途中廊下の陰で身だしなみの確認をし、少しだけ化粧直しをする。
客間に入ると、振る舞いの席に残ったお客さん達が、料理とお酒を口にしながら、故人の思い出話に花を咲かせていた。ご老人が多かったが、若い人も何人かいた。じいちゃんがいろいろな人に慕われていたのが偲ばれて、泣きそうになってしまう。
台所の方から、父が母を伴って現れた。手招きをされたので、部屋の縁にへばりつくようにして誰かの目につかないように、父母の元へと移動する。
「任せてますなかったな」
父が私に頭を下げた。
「大丈夫だよ」
私は笑顔を見せた。
それから父は今の客の方へ向き直ると、
「皆様、本日はご多用の中、父・玄一郎の通夜式に参加していただきまして、心よりお礼申し上げます。故人もさぞかし喜んでいることと存じます」
と、挨拶を始めた。定型の挨拶が続く。
「また、喪主である
深々と頭を下げる。母と私も一緒に頭を下げた。
「引き続き、故人との思い出話などに花を咲かせていただければと存じます。本日は誠にありがとうございました」
再び頭を下げる。その後、父は手で母と私を台所にやると、客一人一人に挨拶をしに回っていった。
「お父さん、まだ、おじいちゃんに挨拶もしてないのよ」
台所に入るなり開口一番、母が言った。
「仕事じゃ仕方ないのにね」
私もあわせた。
「でも、こういう時は、何をおいても親の死に目を優先するって言うのもわかるんだけどね」
「都会でも案外変わらないよね、そういうところ」
「そんなことないわよ。これが田舎だったらこんなもんじゃすまないんだから。美加お義姉さんから、気をつけるコツを色々教えてもらっちゃった」
母は、少しだけ微笑んだ。長男の嫁というのは、私にはわからない苦労があるに違いなかった。
「あなたもあちらに混ざってきてもいいのよ?」
「今日はじいちゃんと一緒に過ごしたい」
「そっか、あなたはおじいちゃん子だったもんね。……ごめんね」
「私は幸せだよ、今までも、これからも」
父母のことを恨んだことは一度もなかった。共働きで、私を大学まで行かせてくれたことに感謝しかない。
「おじいちゃんの育て方がよかったのかしら」
母が楽しそうに笑った。今日初めて見た心からの笑顔かもしれない。
「千雪さんの持っていったおにぎり食べる暇なかったでしょ。まだまだあるから、持って行きなさい」
母は、手早くおにぎりを二つとおしぼりを盆にのせ、水筒に暖かいお茶を入れてくれた。
「ありがと。じいちゃんとこにいるね」
「まだ挨拶に来る人もいると思うから、それだけ気をつけてね」
「了解!」
私は盆と水筒を持って居間に行く。じいちゃんの棺の前には、たくさんのお供えや手紙なんかが置かれていた。一緒に持っていってもらう思い出なんだろう。
「じいちゃん、友達多すぎるだろ」
棺に話しかけた。誰が来るかわからないので、棺の横に正座して、なるべく上品におにぎりを食べながら毒づいていた。
「はーちゃんとなーちゃんのことなんて、聞いてないぞ。ちゃんと教えといてくれよ」
涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえる。お手拭きで目元を拭いてしまった。
すぐ隣なのに、客間の馬鹿騒ぎが遠くのことに感じる。しんみりとした気持ちで座っていると、たまに駆け込みで飛び込んできたご婦人が涙ながらに、じいちゃんに話しかけたりしていた。
これからどうしよ。漠然と考えるが、頭が働かない。色々とありすぎて疲れているようだった。一眠りしたいがそうもいかない。私は寝ずの番をするつもりだった。
「じいちゃん……」
聞きたいことがいっぱいあるのに、もう聞くこともできない。
「さっさと、葉月を元に戻さんと、要と千雪さんが驚くぞ」
「そんなこと言っても、どうしたらいいかわからないよ……」
「何でもっと早く寝んのか。時間がない時に限って」
「じいちゃんが死んだからだろ。寝ずの番をするんだから当然じゃん」
「ほー。さっきまでべそをかいていた小娘に見張られるほど、落ちぶれとらんぞ」
「うるさいっ」
振り向いて気がついた。ここは夢の世界だ。私が棺にすがりついて寝ているのが見えた。
「やっちゃった……」
「そう落ち込むことでもないわ。もう少しで宴会も終わって、みんなが集まってくるがの。それまでに全部決着をつけようや」
そして、夢である一番の証拠に、じいちゃんがそこに立っていた。死に装束のまま。
「やっと気がついたか、馬鹿孫娘が……」
じいちゃんのまなざしは優しかった。
「じいちゃん!」
ここならどんな大声を上げてもいい。思いっきり叫んでじいちゃんに飛びついて……、すり抜けた。
「なんだよ、これ」
「お前は世界の傍観者じゃろ。そしてここは、死者の世界の手前。49日間のみ存在が許される、この世とあの世の隙間の世界だよ」
「こんなところから、じいちゃんみんなのこと見てたのかよ。趣味悪いな」
「わしは悔いなく死ねたからな。行き先を求めて彷徨うつもりもないし、時間が余ってるわ」
カカカ、とじいちゃんは生前のように笑った。
「まあでも、お前の夢見の力と、わしにわずかに残った血の力が奇跡的にかみ合ったということだな。明日焼かれたあとだったら、血も残ってないし、こんなこともできんかったわ」
いつも通りのじいちゃんだった。ふざけたことばかり言って。いつも明るく笑って。なのにたまに核心を突いて、厳しくて。
「だから、加奈。時間がないぞ。お前を誰かが起こしても終わりだし、葉月の様子に誰かが気がついても終わりじゃ」
「うん」
「それから、もう一度寝たからと言ってこの世界を夢見ることができるとは思わん方がいい。これはお前の思いが起こした偶然の奇跡だ」
「うん」
笑っているじいちゃんではなく、師匠のじいちゃんがそこにいた。
「時間がもったいないから、移動しながら話すぞ。ついてこい」
じいちゃんは、玄関を挟んで、居間と客間ある方とは反対の方へ歩いて行く。玄関の左側はじいちゃんとばあちゃんの部屋だからと、小さい頃から行ってはいけない場所だった。
ふすまで区切られた居間の方と違い、廊下に木製の扉が並んでいた。純和風の造りから、洋風の作りに変わり、世界をまたいだような気分になる。
「どうせお前達が家を片付ける時に見つけると思っていたんだがの」
扉の一つを開けると、じいちゃんは中に入る。ついて行くと、なんだかとても懐かしい匂いのする、書斎だった。
「ここじいちゃんの部屋?」
「ああ。向かいがばあさんの部屋だ。手つかずのまま残してあるから、片付けは頼む」
「今そんなこと言うな」
少し笑ってしまった。
じいちゃんは真ん中にでんとある、立派な木製の机の表面を懐かしそうになでると、すぐに思い直したように、机の向こう側に回って、引き出しを引っ張り出す。
「ここは二重底じゃ」
引き出しの角をがんっと強めにたたくと、底板がわずかに浮かび上がった。指を差し入れて、思いっきり持ち上げる。中には、和綴じの本が一冊入っていた。古そうだが、かび臭くはなく、状態も良さそうだった。
「これがうちの血にまつわる伝説の書じゃ」
「伝説の書!?」
「伝説が書いてある本だぞ? 伝説の魔導書みたいなものではないぞ?」
じいさんが見透かすように笑った。くっそ。顔が赤くなっているのがわかる。
「いつまでも厨二病なのは悪いことではないぞ」
「うるさいっ。こんな厨二病みたいな能力よこしといて、言うな」
「違いないな」
じいさんは大口を開けて笑った。そして指をペロリと舐めると、本をめくり出す。……いいのか、そんな雑に扱って?
「これはわしが写したものだから、わしのじゃ。自分のが欲しかったら、ちゃんとあとで写本しろよ」
「はあ? ふざけてる?」
「書かないと覚えないだろ?」
「ぐっ」
その通りだが、なんだか納得がいかなかった。
「このあたりに『夢見の巫女』について書いてある」
「ゆめみのみこ?」
「なんだ、知らなかったのか。お主の能力のことじゃ」
「聞いてないしっ」
「そうだったか?」
イラッとしたが、こういうじいさんだった。
「できれば、何も知らずに幸せな人生を送って欲しかったんだよ」
不意に優しい声を出される。
「はーちゃんとなーちゃんには色々教えたのに?」
「仕方なかったんだ。うちで預かってる時に、二人の力が暴走してな。名前は体を表す。名前は言霊。それを知ることで二人は力の性質を知り、制御できる。本当のところを理解していなくても……」
じいさんは悔しそうな表情を浮かべた。
「力に早く気がついていれば、その前に封印することもできたんだ。そうすれば二人は、ただの子供として、生きていくことができたのに……」
「……ひょっとして、おばさんや父さんに力がないのは、じいちゃんが封印したからじゃ……」
「それはない。そもそも力が発現すること自体がまれ、だと、本に書いてある。だから、まさか一つの代で、三人も力を持った女の子が生まれるとは思わなかったんだ」
本当にたまたまなのだろうか。ふとそんな疑問が頭をよぎったが、今は後回しだった。
「それで、夢見の巫女の力ってなんなのさ」
じいさんが本を持って再び歩き出したので、ついて行きながら質問する。
「それはもうほとんど教えてある」
「なら、役に立たないじゃん」
「だから、普段の生活で生きていく
「護身術じゃん」
じいさんは決して攻撃する
「それを、夢の世界で意思を持って使えば、お前は世界に一方的に干渉することができる」
「は?」
干渉できるなんて話、初めて聞いた。
「夢の中で殺してしまえば、現実にも死んでしまうと言うことだ。逆に言うと、干渉時に殺されればもちろんお前も死ぬ」
じいちゃんの声は厳しかった。よくよく考えれば、世界を超える
「使いどころを間違えば危険な力だし、制御も難しい。だから、普通は言霊を使って制御する。最近で言うと呪文のようなものか?」
じいさんは言うと、開いたページを見せた。
「いざというときのために、頭にたたき込んでおけ。お前を信じてるぞ」
ページをじっと見つめた。必要な祝詞と、効果、注意書きがじいちゃんの文字で書いてあった。
「……読みづれえよ」
「勉強不足だの」
「字が汚ぇんだよ」
何か言い返してくるかと思ったが、じいさんの足が止まった。
「予定外だの」
厳しい声だった。
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