第4話 それはそれとして現実を見よう
携帯電話のアラームが鳴っていた。
「いつまで寝てるんじゃっ。バカ者っ!!」
アラームに設定したばーちゃんの言霊が、繰り返されている。いざというときのお守りにしておいてよかった。私は、乱れた呼吸のまま、アラームを止めた。せっかくお風呂に入ったのに、汗だくだった。
危なかった……。
「ありがと、ばーちゃん」
夢のことは色々気になるが、助けてくれたばーちゃんのためにも、じーちゃんをちゃんと送らなくてはならない。私は、時間節約のためにシャワーを浴びに浴室へ向かった。
浴室から出ると、手早く髪を乾かし、少しだけ高めの位置にポニーテールにしてから、くるくるとお団子状に巻く。綺麗なまとめ髪にしている時間はもうない。
用意しておいた服を身につけ、小さなカバンに必要なものが入っているのを確認して家を出た。
少し落ち着くために、歩いて実家に向かう。住宅街の道しか通らないため、車通りも少なく、犬の散歩をしている数少ない老人達とすれ違っただけだった。
鉄の門はすでに開放されていて、忌中札が掛けてあった。中に入り、じいちゃんの車が置いてある横を通り抜けると、家の入り口についた。引き戸も開放されている。「ただいま」と、奥に声をかけた。
靴を脱ぐと、右脇の靴棚にしまい、普段あまり履かない、革のパンプスを取り出して、母の靴の隣に並べる。
見たことのない革靴が四人分か五人分、少しだけ雑に置かれていた。どうやら業者がもう来ているらしい。きちんと並べられている靴も何足かあった。じいちゃんの訃報を聞いて駆けつけてきた親戚だろう。
玄関を上がり、居間にいく。じいちゃんはもう棺桶に入り、簡単な祭壇が作られている最中だった。
「おかえりなさい。ごめんね、あなたが帰ってくるまで待とうと思ったんだけど……」
母が、すまなさそうに顔を出した。
「おじさんとかおばさんの顔を立てたんでしょ。わかってるって」
こそっと母に耳打ちした。母とおじさん達で納棺したに違いない。夜に通夜をするならやるべきことはたくさんある。
「おじさん達は私が相手してくるから大丈夫。おばさんは台所?」
「ええ」
父の姉、美加おばさんは、昔からよく台所に立つ女の人だった。旦那さんの大介おじさんは、昔ながらの亭主関白のようなおじさんだったので、おばさんが好きでやっているのかどうか、私にはわからなかった。それでも、おばさんの料理はとてもおいしくて、大好きだった。
台所に行くと案の定、美加おばさんが喪服の上から割烹着を着て忙しそうに立ち回っていた。
「あらあら、加奈ちゃん。久しぶり」
「ご無沙汰しています」
屈託のない笑顔に、私も素直な笑顔を返した。
「男衆がもう宴会を始めてるからさ、それ持って行ってくれない?」
おばさんが、台所の一角にあるテーブルの上に置かれた煮物の大皿を指さした。
「わかりました」
「あ、そうそう、捕まったら戻ってこなくても大丈夫だからね」
おばさんはウインクしてみせた。こういう動作が様になる、とてもチャーミングなおばさんだと思う。おじさんが、家ではおばさんに頭が上がらないという噂があったが、きっとその通りなんだろうなと思う。
大皿をもって、じいちゃんの祭壇を作っている居間のすぐ隣の客間にむかう。その間に親戚の顔と名前を思い出して一致させる。
父のすぐ下の弟の要おじさん。その奥さんの千雪おばさん。その娘、はーちゃんと、なーちゃん。それから、父よりだいぶ年下の二人目の弟、浩之おじさん。まだ独身。
靴の数からして、要おじさんのところはまだかな?
客間に入ると、大きなテーブルで、大介おじさんがもうできあがっていた。隣で浩之おじさんが酌をしている。こちらの顔もほんのりと赤い。
「おお、加奈。ずいぶん綺麗になったな!」
大介おじさんが下品な大声を上げた。
「加奈ちゃん、こんにちは」
浩之おじさんは丁寧に挨拶をしてくる。
「お久しぶりです。これ、美加おばさんからです」
大皿を二人の前に、どん、と置いた。
「おまえもやるか?」
大介おじさんがビールの瓶を軽く持ち上げる。
「いえ、私はまだ未成年ですので」
「あれ? そうだっけ?」
こちらは浩之おじさん。
うそ。こないだ二十歳になったばかりだった。まあ、多分細かい年齢なんて覚えてないだろう。
「じゃあ加奈ちゃんはこっちで」
浩之おじさんが、オレンジジュースの瓶を持ち上げた。わかっていて気を使ってくれたんだろうと思う。そんな気がした。
「ありがとうございます」
私は、二人から一人分距離をおいて座る。浩之おじさんは気にせず、瓶の王冠を開け、小さなコップにジュースを注いでくれた。
「大変だったね。おつかれさま」
「ありがとうございます」
私は、コップを受け取ると一気にジュースを飲み干した。思っていた以上に喉が渇いていたようだ。冷たい液体が体に染み渡る。
「それにしても、健一はどうした? まだ来んのか?」
不機嫌そうに父の名前を出すと、大介おじさんが私の方を見た。
「今駆けつけている最中です……」
私は、申し訳なさそうな声を出した。
「全く、梢さんにばかりやらせて。長男という自覚がないのか」
母の名前が出たことに、少しだけ怒りがわいたが、ここで私が怒っては台無しだった。無言で困ったような顔を浮かべていると、
「お義兄さん、ここは僕の顔に免じて許してやってください」
と、浩之がなだめる。
「あなた、早くから飲み過ぎですよ」
美加おばさんが、料理の皿と、カラフェに入った水を持って入ってきた。
「それに……、要達が来ましたよ」
玄関の方が何やら騒がしかった。ちびっ子達がなだれ込んでくる予感がする。
「あなた、千雪さんを手伝ってあげてね」
おばさんは笑いながら、子守を手伝うように、おじさんに言い含める。
「加奈ちゃんは、こっちを手伝って」
おばさんが手招きをしたので、私は立ち上がってそちらへ行く。
「おじさーん、おばさーん、こんにちはー」
かしましい女の子二人の声が、飛び込んできた。
「私はまだお姉さんのつもりなんだけどなぁ」
「お姉ちゃんもこんにちはー」
二人の声がそろう。葉月となつきは年子のはずだった。見た感じ小学校低学年だろうか。
「騒がしくしてごめんなさいね」
千雪おばさんがすまなさそうに、顔を出す。要おじさんは、全員分の荷物を軽々と抱えながらすまし顔で入ってきた。黙って立っていればかなりスマートでかっこいい。だが……。
「大介お義兄さん、浩之、少しくらい待っていてくれてもいいじゃないか」
と、すぐに相好を崩して、男二人の間に割って入った。
「パパ達ばっかりずるーい」
はーちゃんとなーちゃんはすぐに、父親にまとわりつく。
「ほらほら。まずはおじいちゃんにご挨拶よ。……あなたも」
千雪おばさんが三人に声をかけた。「はーい」三人の声がそろう。
「それじゃ、おじいちゃんとこいこうか」
要おじさんは娘二人を連れて居間の方へ行く。
「……おじいちゃん、もう起きないの?」
「死んじゃってるの?」
子供ならではの容赦のない質問が聞こえてきた。要おじさんは、うってかわって真面目な声で、死の概念を娘達に説いていた。千雪おばさんもそっと寄り添っている。
トン、軽く肩をたたかれた。今のうちに、というように、美加おばさんが私を台所へと連れて行った。
「梢さん、そろそろ疲れてると思うから、これ皆さんにって、持っていってあげてくれるかしら」
お盆の上に、湯飲みと茶菓子が並べられていた。どこまで気が利く人なんだろう。
「ありがとうございます」
心からの感謝を込めてお礼を言うと、居間へと向かう。すでに要おじさん一家は客間の方に戻ったようで、母と葬儀屋さんと思われる人物二人が話をしていた。祭壇はもうできあがっていて、棺桶はその前に置かれていた。
「お母さん」
そっと呼びかける。
「あら、気が利くわね、ありがとう」
母は、お盆ごと受け取ると、葬儀屋さんに座るように促し、自らも座ると、茶を振る舞った。私も、母の横にそっと正座する。
一通り雑談が終わると、「では、明日また」
といい、葬儀屋さんは帰っていった。
「お疲れさま」
母に声をかける。
「ありがと。次はご挨拶ね」
母は、居間に向かおうとする。
「少し休んだら?」
「そういうわけに行かないわよ。お母さん、お父さんの代わりなんだもの」
母は、薄く笑った。そんなのあとでもいいのに。喉まで出かかったのをなんとか止めた。母は、父に恥をかかせたくないのだ。その気持ちを娘である私は、一番に理解してあげたい。
「あなたは、ここでおじいちゃんの番をしていて。まだ、ちゃんとご挨拶してないでしょ」
そういえばそうだった。
「ありがとう」
母は笑顔を崩さず、台所ヘ向かった。
私は、こわごわとじいちゃんの棺桶に向かった。真っ白な木材。お線香の匂いと、木の匂いが入り交じって、すごく落ち着く空間になっていた。棺桶の横に座ると、じいちゃんの顔が見えるように顔のところの戸を開けた。生きていた頃のように優しく微笑んだじいちゃんがいた。目を二度と開けないと言うことを除けば。
「じいちゃん……」
呼びかける。
「さっき、ばあちゃんに助けてもらったよ。あっちでお礼言っておいてね」
それだけ言うと、涙があふれそうになってきて、じいちゃんの顔を隠す。少ししたら、近所の人たちが来るはずだ。そうしたらもう、葬式までじいちゃんと話す暇はないかもしれない。「少しだけならいいよね」私は、じいちゃんの棺桶ににすがりついて、泣いた。
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