第7話 掠れた産声
自身の想定以上に疲労していたらしい体をもってしても、眠り続けることなど出来ないらしい。瞼の裏に差す光。体に張り付くスーツ。自身の呼吸音がヘルメット内で反響し、意識せずとも吐息が鼓膜を刺激する。関節部が少し重い、残骸に寄り掛かる形で眠ったのは流石に不味かったか。だがそのような事は些末な事柄、例の悪夢すら見られないほどに熟睡していた私にとって今日の目覚めはむしろ良い分類だった。瞼越しの光の明滅に負けた私は──
「おはようございますマスター」
「──うわぁ!?」
──バイザー正面2cm点にふわふわと浮かびこちらをのぞき込む青い単眼に心底仰天した。寝起きの頭を包むヘルメットを背後の残骸に強打し、アラーム代わりと言わんばかりにヘルメット内で打音が派手に鳴り響く。
「ッ…びっくりした…そんなところで何してるの…」
「マスターの起床を促すべく待機していました。これ以上の睡眠は出立の遅れを招き状況が悪化する可能性があります 直ちに起床をお願いします」
「…それはわかってるよ。でも他に何か言うことあると思うんだけど?」
「マスターが就寝中周囲に新たな異常は認められず 件の解析不能な電波に関しても報告すべき事柄はありません。ただし待機中に一部機能の復旧に成功しました」
スっと普段と同じくらいの距離間にまで下がると普段通り淡々と状況を報告してくる。珍しい行動には驚いたがそれ以外は異常無し、相変わらず不愛想なと愚痴りたくなるミレイヤそのもの。
「そう。まぁわかった。ここでずっといても意味ないしね」
まぁその不愛想さを責める気など毛頭ないのだが。今は普段と変わりないミレイヤがここにいることが大事なのだ。彼女がいるからこそ私はこうして冷静でいられているわけだし。それに…
「目的地までの経路算出よろしく。現状の状況整理は歩きながらしようか」
「了解しました」
なんだかんだと頼りになる相棒なのだ。一周回ってこれくらい融通利かない方が可愛いではないか。
………
……
…
「──じゃあどう足掻いてもアリスシステムは復旧できなかったと」
「はい。優先的に修復を試みましたが代替の利かないパーツが複数個所破損しており断念 各プログラムにも深刻なエラーが発生中。戦闘補佐演算能力は93% その他能力は平均40%の機能不全をそれぞれ確認しています」
「…もとより戦闘は避ける方針だけど…どうにかなるかなぁ…」
歩き続けて早十数分。急斜面かつ視界の悪いモリの中、坂を下る私は改めて聞く報告内容に肩を落とす。多少なりとも昨日より改善されている分ショックは薄いものの、私達パイロットにとってMドローンは生命線に等しい存在。平時は兎も角戦闘ではあてにできない以上接敵した日が私の最後か。基地までたどりついたらまずはミレイヤの修理を優先した方が良いかもしれない。
「逆に今は何が残っているんだっけ」
体力の温存優先で下山を続けながら、ミレイヤに更なる質問を投げかける。
「各種スキャナー 飛行機能 保存データは通常通り稼働中。また
「スタンガン?そんな機能あった?」
「Mドローンの内蔵火器として標準装備されています。初回設定時に把握されているはずですが」
「…そうだっけ?」
記憶を掘り返す。…そういえば昔、そんな機能があるとアズサが言っていたような気もしてきた。あまりカスタマイズに興味がなかった事も相まり調整をほぼアズサに任せていたツケが、ここにきて私に回ってくるとは。感情がないとは思えぬほどに、ミレイヤの視線が冷ややかに突き刺さる。思い返せば私はミレイヤの機能を深く理解しているわけではない。その高性能さに甘んじていた私は、彼女の圧に負け見渡す限りのモリに視線を逸らし──
「マスター」
「いやアズサからはちゃんと聞いた、聞いてたはずだよ!少し忘れてただけで」
「違います。正面に人工物を視認 舗装路です」
「ちゃんと覚えようと努力は…え?」
──即振り返り正面に目を凝らす。確かに植物群の向こう、影に隠れた位置に周囲の光景とは一線を画す何かが見え隠れしている。本当に都市が、人類の遺した遺産がこの先にある!俄然下山の勢いが増す。体力の浪費を抑えていたことなど忘れ、ゴミの上を滑走するように突き進む。
モリを抜けるとぐわりと視界が開けた。ボコボコに歪みながらも先へと続く道。植物のエダに隠れていた青い空がのびのびと広がり、少し先の坂下には建物と思わしきシルエットが点在している。
「人工物だ!ミレイヤ、あれがトウキョウだね!?」
「先ほどからトウキョウ管区内です。マップと照合 旧奥多摩市街地と合致。あちらの街から目的地の統一軍ヨコタ基地へ向かうのが最短経路です」
「すごい…!もっと近くにいこう!早く!」
ミレイヤの説明も話半分に体は動いていた。自由にあの都市を、私の望んだ景色を散策できる期待感に背を押され、全力で歪んだ坂道を駆け降りる。後先の事なんてどうでもいい。硬い舗装路を踏みしめるたび体は跳ね、軽やかに心は弾む。
この身軽さの先に何が待っているかを考える頭など、今の私は持ち合わせていなかったのだ。
広い空の下、小さな影のようだった建造物達は間近で見ると存外巨大に見えた。ミレイヤが分析するには民間人が暮らしていた住居である確率が非常に高いとか。囲いごと植物に呑まれているうえに、上層階が吹き飛んでいる建物も多く原型を留めている家は少ないが、構造解析の結果を見るに元は2階から3階建てと思われる。壁に開いた穴から覗くと、完全に荒れ果ててはいるものの一部の生活用品らしき物体はそのままだった。これだけの生活用品が必要だったとは、この大きさに一体何人の家族が同時に暮らしていたのだろうか。いつ頃ここを捨てる羽目になったのだろうか。人類の抜け殻と言っても過言ではないこれらに対する興奮は醒めず、私は目的を忘れ散策に熱中する。
細い道を進んでいると大通りに出た。そこかしこに弾痕や砲撃跡と思わしきクレーターが散見され、少し歩けば鉄屑がいくつも路肩に転がっている。履帯を使用した脚回りを持つ戦闘車らしきそれは完全に損壊し、使い物にならなくなっているようだった。車体中央のひと際巨大な被弾痕に軽く指を這わせるだけで容易に金属板が崩れていく。戦場でよく見た特徴的な弾痕。ほぼ間違いなくエネミアンの兵装で撃たれて出来たものだと判断できる。
「車体中央をエネミアンの
「あぁ、この頃の大砲は全部火薬式だっけ。にしてはボロボロすぎるけど」
「スキャン完了。戦闘時期は約70年前 その後放置され長期間雨風に晒されたため侵食が悪化した模様。車体全体が非常に脆くなっています 中に入るのは危険です」
内部を観察しようと穴の中に乗り出す。攻撃で貫かれたか死体は一つもなかったが、計器や砲弾の類が散乱する中身は明らかに戦闘途中だったと物語る。襲来時の戦闘の激しさなどは学業中何度も教えられたが、実際残骸を目の当たりにすると当時抱いた尊敬の念や過去への好奇心とはまた別の感情が胸の奥で灯る。
70年前といえばエネミアン襲来直後。つまりこの戦車はエネミアンの事をまだ何も知らない頃の残滓。そして、奴らの侵攻に抗った人がいたと示す何よりの証。彼らが最初に人類の道を開いた者達なのだ。私達は彼らがいたからこそ今も抵抗を続けられている。
そうだ。今の私に探索に精を出すほどの余裕はない。何しろ戦争は70年経った今でも終わっていないのだ。袋の中にしまった眼鏡を取り出し、当初の目的を再度確認する。私の一番愛している人。私が一番逢いたい人。いくら私が忘れっぽい人間だとしても、これを忘れるなど許されない。
「ありがとう、私は先に進むよ」
姿なきエイユウに礼を述べ、基地への道を模索し始める。あくまで最終目標はアズサとの再会。大人の軍人ならば目的を見失うわけにはいかない。その目標は今や地球にあこがれていた頃よりも強く、はっきりと私を導いてくれるだろう。たとえそれまでの道のりがどれほど過酷であろうとも。
私は私の道を開いて見せる。
………
……
…
「報告。11時の方向150m先に動体反応を検知。時速5kmで此方に向かい移動中」
残骸と戦闘痕に埋め尽くされた大通りは避け、鉄道跡らしきレールを歩き続けること2時間。そろそろ休憩でも取ろうかという矢先、突然ミレイヤが静止した。
「数は?エネミアンの歩兵部隊?迂回経路は取れそう?」
すぐさまセンサーをフル稼働させるミレイヤに詳細な情報を要求し、拳銃を構え弾倉が満充電されているかを確認。近くの瓦礫に身を隠し私も臨戦態勢に入る。とはいえ小さい瓦礫の山だ、本当にこちらへ向かってきているのなら即見つかるだろう。
奴らの歩兵を実際に見たことはないが、奴らの携行兵器である衝撃波光銃くらいなら訓練で確認済みだ。機械的な機構をタンパク質装甲で覆うあの不気味なデザインの兵器を喰らえば私1人、この瓦礫ごと容易に消し飛ぶ。張り詰めた空気が喉につまる。早まる心拍が、上がる息が、ヘルメット内部で静かに騒ぎ立てる。音が聞こえない以上歩兵かそれに準ずる何かだとは思うが、それでも真正面から戦って勝てるかは怪しい。チョコレートをいつでも摂取出来るよう袋に手を伸ばす。
「いえ エネミアンの兵器ではないと推測。その数5」
だがしかし、ミレイヤの報告は私の想定とはまるで違うものだった。
「違う?じゃあ一体何?」
思わぬ肩透かしに面食らうも、多少鼓動が落ち着く。緊迫感を保つよう周囲の警戒を続けながらミレイヤの更なる報告を待つ。
「生命反応無し 発信電波解析 一部が人類統一軍の接続稼働コードと一致」
「接続稼働コードって──」
ミレイヤのようなドローン兵器が相互にリンクしながら行動する際に使われる信号だ。意外な正体ではあったが、少なくともエネミアンでないことに一旦は安堵する。
しかし、疑問だ。なぜ敵地のど真ん中に友軍の兵器があるのだろうか?宇宙から無人兵器を降下させた話など聞いたことがない。
「対象物 間もなく視認可能位置」
瓦礫の山からそっと首だけを覗かせ様子を伺うと、正面の踏切に人間サイズの何かが現れた。報告通り数は5体。身長は、大体2mに届かない程度だろうか。まるで何かを探すかのようにうろつく“それら”の動向を注視する。
小柄な胴部から伸びる細く華奢な腕。足は1本しかないが先端の車輪で器用に移動し、頭部のミレイヤのような単眼カメラが青い輝きを放ちながら周囲をスキャンして回っている。細身かつ曲線で構成された体は全身錆びつき元の柄の判別がつきにくいが、その背には見覚えのある紋章が大きく刻印されていた。地球と月を表す2つの円とその守護を表す複数のライン。
「やっぱりあれ
「発信されるコードにノイズが多く完全な解析は不可能ですが 警備用ロボットのようです。地球撤退以前に使用されていた古いコードが織り交ぜられています」
古いコード…劣化した外装…なるほど、少し見えてきた。
あれはいわば「残党」だ。ミレイヤ達自立稼働ドローンの強みのひとつに自己補給と自己メンテナンスを繰り返す完結性がある。たとえ監督たる人間がいなくとも任務を遂行し続けるその特性は警備や防衛には正に最適といえよう。きっと“彼ら”も、人類が脱出した後も基地の物資などを使いこの地を数十年もの守り続けてきたのだ。付近にエネミアンが見当たらないのも、基地から謎電波を発信し続けられているのも彼らの働きあってのことだろうと想像がつく。
しかし、そのおかげで状況を多少好転出来るかもしれない。彼らの存在は友軍基地の健在ぶりを示す何よりの証拠。彼らが無事に動ける程度に物資が温存されているのであれば、この閉塞的な状況を打開する目途が立つ。
「なら好都合。基地まであと7kmくらいだし、彼らに頼んで案内してもらおうか」
彼らに声をかけるため瓦礫の影から抜け出すと、音に反応するかのように彼らが全機振り向く。こちらを値踏みするように睨む無感情なカメラ。恐怖、とは少し違う冷たい汗に私は凍りつく。
そう。あまりにも迂闊だったのだ。ここは地球であり、月ではない。私の常識が通用するはずがなかったのだ。
「ミ、ミレイヤ。私のコードを送信してみて」
傍らに浮かぶ相棒にそう伝えた瞬間──
『隴ヲ蜻翫??謨オ蟇セ逕溷多菴薙ヮ豢サ蜍輔Υ隍?焚讀懃衍縲?莉倩ソ代ヮ隴ヲ蛯咎嚏繝句?蜍輔Υ隕∬ォ九??騾溘Ζ繧ォ繝区賜髯、陦悟虚繝イ髢句ァ九そ繝ィ』
──基地からの通信と同じ耳障りなノイズが耳をつんざき。
彼らの目が真っ赤に…見覚えのある輝きに染まるや否や、5体一斉に私達に向けて突進してきたのだ。
次回 シュバシコウの運ぶイジ
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