鋼月戦記《IRONMOON:WAR》

Ri.Coil

第一章 道歩む日常編

第1話 星見下ろしソラ駆ける日々(前編)


「……これら様々な人々の奮戦と犠牲によって、人類はここ月面へ逃げ延びられたのであります」


 教壇に立つ教師。発される言葉をなんともなしに聴き流す生徒。窓から外を見上げればスクリーンの映し出す青空が、その先にあるであろう漆黒に包まれた冷たい星の海を覆い隠している。

 

 なんだ。またこの夢か。


「戦局は未だ劣勢ですが希望は残されています。未来を担う君達は再び地球を取り戻すため、人類の総意を背負い戦わねばならないのです」


 いつも思い出すのはあの日、あの時間、あの場面。先生がモニターに写し出した写真の中の1枚に酷く惹かれた。

 浮かび上がるのはひとつの疑問。


「ソフィア、どうしました?──よし、発言を許可します」


 私が、夢を形として初めて直視し、口に出した瞬間。その時、私の進むべき道は決まっていたのかもしれない。

 一瞬、表情の見えない周りのクラスメイトが困惑し。やがて笑いに変わっていく。


「うーむ…面白い考えではあるが…」


 眉間に皺を寄せ複雑そうに苦笑する顔も思い出せない先生。


「奴らは…“エネミアン”は悪魔だ。元凶たる奴等は滅ぼさねばならない」


 あぁ、やっぱり同じ。私達は戦わないといけない。大人たちは皆私たちに同じ期待を背負わせる。


「さて、他にないか?なければ本日はここまで。次回からメモリーNo.2000台の戦時記録を君達だけで調査、考察し──」


 嘲笑。恥ずかしさと皆から全否定される憤り。それ以降誰と話したのか、何を行ったのか。私の幼少期の記憶を、私の脳は何一つ覚えていない。


「それでは解散。人類に未来を、我らの新たな道を開け」


 夢から私が覚めていくのがわかる。淡くボヤけていく景色。真っ白な記憶の中で、唯一目立つシミの様に私は此処を繰り返している。


 この時、私は決意したはずなんだ。





 私は、必ず、あの星に降り立つと。

 私は、必ず、彼らに…



 彼らを……。そう、確かに胸に刻んだ。






 そのはず、だったろう……?












 2097年 1月1日 6:00

  人類統一軍 L4宇宙要塞『ヴェルダン』


 

 今日も壁のコンソールが目覚めの時刻だと機械的に告げる。夢の中とは違う、殺風景で薄暗く手狭な自室の天井。この要塞に着任して早1年半、飽きたと一言で表すには足りぬと感じる程に見飽きた光景だ。

 アズサから“早起きはなんとかの徳”とかいう言い回しを聞いたのはいつだったか…いつどの地方の出典かすらよく聞いていなかったが、うっすらと意味は覚えている。規則正しい生活が人生を豊かにしていくのはいつの時代、どんな場所であろうとそう変わらないのだろう。


「………ねむ」


 だがこの私、ソフィア・ビコは違う。体に染み付いてしまった目覚めの習慣を捻じ曲げ、毛布を頭まで被りアラームを耳に入れないよう身を丸める。ただでさえ“あの夢”を見てしまい目覚めが悪いのだ。鳴り響く目覚ましを無視し惰眠を貪る時こそが、この過酷な生活の数少ない至福だと私は信じている。久しぶりの非番でもあるわけだし、この安らかなひとときを時計の鳴き声如きに邪魔されるわけにはいかない。



 …マス……お…ござ…ます…



 そう。まさか新年早々、睡魔に負けた女を叩き起こしに来る非道な人間はいるまい。睡魔に身を任せ微睡む。


「マスター 二度寝はいけません 起きてください。おはようございます」

 

 引き剥がされる毛布。光量を増し瞳孔に突き刺さる室内灯。

 …そう、そんな酷い人間は存在しなかった。私の意識を一気に現実に引き戻したのは、決して戦友でも、血の繋がった家族でも、恋人でもない。未だ鉛の様に重い瞼を僅かに持ち上げれば、そこには眠気で視界がボヤけていてもわかるほど丸いシルエットの“彼女”が浮いていた。


「意識の覚醒を確認しました。起床時刻を5分超過しています」


 少しずつボヤけたピントが合い彼女がハッキリと目に映る。その白い球体状のボディーがふよふよと眼前に陣取り、引き剥がした毛布を2本の細い腕で器用に手早く折り畳んでいる。こうなってはもう寝かせてはくれないだろう。非番とはいえ起床予定時刻より遅れていることは事実なのだし。

 誰しも正論をぶつけられては脆いのだ。


「うー…わかった起きるから…おはよう、ミレイヤ…」

「おはようございますマスター。朝食の用意はまもなく終わりますので 洗顔と口内洗浄を先にお済ませください。新たな歯磨剤は開封し戸棚に片付けてあります」

「はいはい、ありがとうね」


 頭頂部に伸びる2つの角──正確には重力制御コーンだったか──から鈍く浮遊音を響かせる彼女が淡々と抑揚なく続ける他愛のない報告を聞き流す。

 ミレイヤ。正しい個体識別コードはM-0-ya3、パイロット達に支給される軍用補助AIだ。各パイロットに割り当てられるこの直径30cmたらずのMタイプドローン達は、個体差を付与された思考や外観を持つ。個人の健康管理から戦闘監視AIシステム“アリスALICE”による戦闘補佐、さらには常日頃の学習に至るまでの全てをサポートしてくれている。この子らのおかげで私達パイロットは健康的かつ快適な生活を送れていた。

 眠気を覚ましに少ない冷水で濡らした手を顔に当て、口内を洗い、邪魔にならないよう髪を短く揃える。未だ以前の降下作戦の傷こそ癒えきっていないが、輸送船の中身がスカスカだった頃より全然マシになった。少なくとも眠気覚ましに水を少しだけ無駄遣い出来るし、幾ばくかの生活用品は回ってくる。特に今日は特別な日だ、足りない物資を気持ちふんだんに使い、自慢の赤い髪を念入りに手入れしていく。

 そんな中、ふと鏡越しに左顎についた古い傷痕が視界に入ってきた。途端ノイズ走る幼年期の記憶。どうやってついたか、あの頃の事をどうしても思い出せない。

 先の夢は、悪夢だ。私の願いは叶えられない。それは配属先が決まってから嫌というほどわからせられた現実。別に今の生活に不満はない。むしろ満足している。だが、それでもあの頃の想いを諦めきれない私も確かにいる。何度も何度も、繰り返される夢。


「…うるさい」


 何か、誤魔化すように再び濡れた手で頬を叩く。


“まだ未熟だ”


 そんな囁きが聞こえた、ような気がしたから。







「マスター パイロットスーツをお忘れです」

「非番、しかも新年最初の休みなんだしさ。たまにはよくない?…ダメかな?」

「いけません 規則はお守りください」


 眠気をすっかりと覚ました上でテーブルに戻ると、ミレイヤがパイロットスーツをぶら下げ待機していた。私達にはたとえ非番の日であろうと、この息苦しさのあるパイロットスーツを着用する義務が存在する。正直休みの時間くらい縛られずに過ごしたいがそうも言っていられない。せめて寝る時くらいは身軽な恰好ができるのであればまた違ったのだろうが…今着ている配給品の固くゴワゴワする就寝服を見るたびため息が漏れそうになる。


「じゃ食事後に、それならいいよね?どうせすぐ食べ終わっちゃうし」

「わかりました。それでは側に置いておきます。後ほど必ず着用してください」


 単眼のアイカメラから若干の呆れにも似た圧を感じる。彼女は細かな気配りこそ出来るが、ややコミュニケーションがお堅いのが難点だろう。新年最初の朝くらい、息が詰まるようなルールの山を無視したいのが人間だ。


「まったく…ミレイヤもさ、もう少しユトリというか、自由を学ぶべきだよ」

「自由と無法は異なります 規則は守られて然るべきです。現在マスターには規則変更権も特例適応もなされておらず──」

「はいはい、わかったから。悪いけどタブレット持ってきて」


 長くなりそうな彼女の話を遮るように“命令”を出しながら朝食へと手を伸ばす。皿の上に無駄なほど綺麗に積まれた青く色付く栄養ブロックを口に放り込み、舌や喉が乾きを訴える前に限界まで押し固められたそれを思いっきり噛み砕く。


「年越ししたんだし多少は食べ易くなると思ってたんだけどな」

「改善は進んでいます。少なくとも以前より評価は約2%向上しました」

「だといいけど。タブレットありがとう」


 誰にというわけでもなく零した愚痴にまでミレイヤは丁寧な回答をお出ししてくる。そんな真面目な彼女が手渡したタブレットには今後の予定がびっしりと書き込まれていた。報告書の作成に新たな戦術の勉強、自身の乗る戦闘機の調整と確認。それに“チョコレート”の定期デトックス…非番といえどあくまで出撃待機命令がないと言うだけ、用事は山積みだ。これら全て、今の私があの星に1番近い場所で働くには必須の仕事なのだけれども。


「…けどまぁ、まだ後でも大丈夫か」


 羅列される大半は通常業務の一環だ。そんな雑務とは一線を画す大事な用事が今日は待っている。


「ミレイヤ。午後の時間、もう少し空けれる?」

「可能でありますが よろしいのですか?過密スケジュールは好ましくありません」


 …まさかこれだけ仕事を積んでおきながら、まだ過密ではないとでも?冗談の上手い奴め、あとは人間基準で組むことさえ覚えてくれれば完璧だ。

 テーブルに飾られた女性が2人映る写真立てを手に取る。ディスプレイに映る1人は私。そして、もう1人は私の恋人。今日は私の1番大切な人であるアズサの属する補給艦隊がこの要塞に寄港するのだ。前回の寄港から3ヶ月、そして次回の寄港予定も3ヶ月。限界まで予定を詰め2人の時間を作りだしたいと思うのは人の性というものだろう。


「そこは何とかするよ。お願い」

「了解しました。お任せください」


 欲に忠実すぎるだろうか。明日以降の私が負うであろう負担を思うと少しだけ後悔が残る。でも仕方ないのだ。

 これは私のためではない、大好きなアズサのためなのだから。



 ………

 ……

 …



「…ひとつ思ったんだけどさ、スーツインナーの新型が出回るの、いつ?」

「昨年の説明映像をもう一度映しますか?」

「いやいいって。するする言いながら引き伸ばす本土の悪癖のせいだし。来年また同じ内容で愚痴らせてもらうよ」


 食事という退屈な行為を手短に済ませた私は、ミレイヤに零れる不満をぶつけながらも出撃待機用スーツに着替える。全身をスーツで覆い、上から胸部ベルトを締める。簡易エアバッグとパイロット保護用自爆コアをそれぞれ首元と胸の中心に来るようベルトに固定。鏡も使って細かく服装の乱れを整えていく。最後にミレイヤに背中からスーツ丸ごとロックを掛けてもらい胸のコアを起動して待機状態にすれば完璧だ。

 時刻を見れば7時過ぎ。輸送船の接舷まであと1時間もない。


「マスター 予め迎えの準備をされてはいかがでしょうか」

「わかった。アズサに港まで迎え行くって連絡しといて」

「了解しました。船は7番ポートに接舷予定です。入浴準備は御到着30分後に完了します」

「アズサは来たら必ずお風呂入るもんねぇ。お風呂用ジェル分の水の確保が楽になって良かった」


 部屋を後にした私はミレイヤと雑談を交わしながら上層の港区画へと向かう。まだ時間に余裕はあれど、目が覚めてしまった以上落ち着いて部屋で待つのは性に合わない。


「おはようソフィア少尉」

「おはようございます!」

「お早いですね、船団の接舷はまだですよ」


 私が16歳でこの全長約1kmを誇る宇宙要塞『ヴェルダン』に配属されてから早1年と4ヶ月、もう内部の勝手は分かりきっていた。下層の居住区の末端から、小綺麗なれど人とすれ違うには少々手狭な通路を挨拶混じりにすり抜けていく。やがて人工重力発生装置による重力Gの値は徐々に弱くなり、要塞を縦に繋ぐ広々とした主幹路へと出る頃には完全に0G状態となる。ミレイヤの手に掴まりながら床を蹴れば人とドローンの往来の列にふわりと混ざり、身軽な体がミレイヤという推進力を得て上へと進む。要塞外部に通る移動用カーゴを使えば人工重力強度は変わらないので実際楽ではあるのだが、如何せんダイヤに縛られてしまう。この人工重力の無い主幹通路ならば、移動にコツこそあれど慣れてしまえば身軽に動けるし所要時間もさほど変わらない。誰にも縛られないこの身軽さが、この自由が、私は大好きだ。


「輸送艦隊の入港まで、あとどのくらい?」

「接舷予定時刻まで残り28分です」


 やはり少し早すぎただろうか…無意識だが毎回早めに待ち構えている気がする。もう何度も同じシチュエーションには置かれたはずなのに、また同じ胸の鼓動が耳にまで聞こえてきそうだ。この彩りのない要塞で唯一私に色彩を与えてくれる人。

 ああ…早く会いたい。会って、お話をして、一緒に寝て、そして…


「マスター 司令部より通達です」

「…え?」


 ぼんやりと思いを馳せていた私を現実に引き戻したのは私の手を引いていた相棒ドローンであった。


「現時刻を持って非番は取り消し。直ちに出撃待機状態に移れ。との事です」



「…はぁー!?」


 思わず手を放すと慣性が乗った私の体は往来の真ん中に放り出された。あわや他のドローンとぶつかる所を、咄嗟に身を捩り空中から壁際まで泳いで回避する。危うく衝突するところだったがそんなことはどうでもいい、私はすぐさまミレイヤを問い詰める。何しろ隊長の許可はしっかりと得ていたはずだ。潰される筋合いはない。

 だが、声を荒げ抗議の意を示す私を尻目にミレイヤは冷静かつ淡々と回答を行った。


「403飛行隊の格納庫で重大な問題が発生。出撃不可能となった為 急遽404飛行隊が出撃待機状態に移行しました」

「それでも人は足りてたはず。そもそも私の機体、今日オーバーホールする予定なんだけど」

「司令部は404飛行隊全員に対して待機を発令。そのため当機体も現時刻をもって整備を中断 只今組み立て及び再武装作業中です」


 またか。司令部のこういった頭の硬さというか、詳細を現場にも開示しない秘匿体質には嫌気がさす。また整備班には謝っておかねばならない。


「こういった不測の事態に対応するためのスーツです。ご理解いただけましたか」

「あぁもうわかってるさっ、心底ね」


 胸の奥底から湧き出る深い溜息を吐き、今一度気持ちを整える。ミレイヤに八つ当たりしても意味がない。私は軍人、しかも自立した大人だ。自分の役割は果たさねばならない。


「仕方ない。アイツらの定期便、予測ではあと1週間は先だしね。このまま待機室まで上がっちゃ──」




 ソフィアの鼓膜をけたたましい警報がつんざいたのは、まさにその瞬間であった。




 ≪エネミアンの侵攻を検知!総員第1種戦闘配置!繰り返す、第1種戦闘配置!≫




「なっ…!?」

 ≪401、402、404飛行隊全機、コクピットスタンバイ。入港中の巡洋戦隊は直ちに出撃、迎撃行動に移られたし!≫


 コクピットスタンバイ。つまりは出撃要請であり、私とアズサの再会を邪魔するという通告。これほど間の悪い襲撃が過去あっただろうか。せっかく髪も整えて出迎えの準備は万端だったのに、これではだれを出迎えようとしていたのか分かったものじゃない。

 せっかく持ち直した気持ちが瞬く間に萎縮していく私とは対照的に、辺りはにわかに殺気立ち空気が張り詰めていた。ゆっくりと行き交っていた貨物や各種ドローン達はすぐさま道を開け、代わりに兵士や軍用ドローンが飛び交っていく。


「マスター 出撃要請です。機体は現在整備庫に遷移中。そちらまでお願いします」


 ミレイヤの機械的な口調に内心ソフィアは隠しきれない苛立ちを覚える。AIならばもう少し気の利いた促し方をするだろうに、とてもそうとは思えないほどのぶっきらぼう具合。帰ったらアズサに載せ替えの相談でもしてやろうか。



 ズキン



「…っ」


 鈍い頭痛が深い所で僅かに、だが鋭く刺さった。軍人になって以来何度も私を襲うこの頭の痛みがヒートアップしかけた思考を冷静にさせる。ミレイヤに八つ当たりしても意味がない。

 ならば、この苛立ちは何処にぶつければ良いのか?答えは分かりきっている。壁や大気が震える。要塞の狙撃砲がけん制射撃を始めたのだろう。そうだ。狙うべき相手はではないか。


「…アズサに謝りの連絡送っといて。空気の読めないアホ共を蹴り飛ばしてくるってさ」


 全てはアイツら…新年早々殴り込んでくる不届き者エネミアンを撃退してからだ。

 了承を示すミレイヤに掴まりソフィアは再び宙を舞うと、慌ただしさを増していく往来の列に紛れ加速していく。その軌道には側から見ても怒りの感情が漏れ出していただろう。他の兵士やドローンを背後から勢いよく抜き去っていく。


 そして、その勢いをみた誰もが感じたことだろう。


 アレはきっと、盛大に事故るだろうな…と。

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