天の川の火曜日

ミドリ

カフェ『ミルキーウエイ』

 各駅停車しか停まらない寂れた駅にある、とある商店街。


 今日はお待ちかねの火曜日だ。俺ははやる心を抑え切れないまま、商店街のメイン通りを走っていた。


 開いてる店は半分程度。閉じたシャッターは皆古びた雰囲気を醸し出している。


 そんなちょっと残念な半分シャッター商店街のメイン通りから一歩入った路地に、そのカフェはあった。


 カフェ『ミルキーウェイ』。ありきたりといえばありきたりだが、新しいのに昭和感が漂うネーミングセンスのその店は、店が居抜きだからか内装も昭和感満載だ。


 普通なら商店街の入り口にある某有名チェーン店でなんとかフラペチーノを頼む方がお洒落なんだろうが、俺が求めているのはお洒落感じゃない。


 木製の格子の枠に磨りガラスがはまった、レトロな店のドアを開ける。カランカランと鳴るカウベルが、その呑気な音とは裏腹に湧き起こる俺の情欲に火を点けた。


「――いらっしゃい」


 ミルキーウェイのマスター、星野彦一が木製のカウンターの手前に立って俺を見ていた。


「……彦さんっ」


 俺は無我夢中でその暖かな腕の中に飛び込む。


「はは、どうしたの」

「すっごく会いたかった!」


 そう言いながら、彦さんの首に鼻面を突っ込みスーハーする。うーん、幸せ。


「さて、今日は何をしようか?」


 とりあえず珈琲をいれるから座ってと言われ、大人しくカウンター席に座る。彦さんが豆から挽くのを、心臓をドキドキ言わせながら待った。


 彦さんとの出会いは、先週。


 俺が働く美容院にフラッとやって来た彦さん。一見可もなく不可もない、中肉中背の三十路に入ったかなくらいの何の変哲もない中年男性だったけど、その涼やかで切れ長の瞳、すっとした鼻筋、柔らかく弧を描く薄い唇、そしてちょっと固そうな首の筋に案外しっかりとした細マッチョの体格に、俺は一瞬で心を奪われた。


 俺の運命の人だ。そう思って見惚れていると、彦さんは「彼に切ってもらいたい」と俺を指名してくれたのだ。


 彦さんの髪に触れながら過ごす時間は最高だった。俺は夢中になり過ぎて、彦さんのことを根掘り葉掘り聞き出してしまった。


 この町には来たばかりで、つい先日カフェ『ミルキーウェイ』をオープンしたばかりなこと。奥さんがいるけど、年に一度しか会わない関係なこと。友人もおらず、友人がほしいと思っていること。


 俺があまりにも露骨だったからだろうか。最後にシャンプー台で洗い流している時、彦さんは苦笑しながら言ったのだ。


「僕のこと、好きなの?」


 俺は即答した。「好きです」と。


 即座に連絡先を交換した俺は、仕事が休みの次の火曜日に彦さんのカフェに行く約束をした。


 その日の内に、付き合いたてで昨日までは好きだと思っていた彼女を振った。彼女は泣いて死ぬだのなんだの騒いでいたけど、俺は「どうぞご勝手に」と言って去った。なんであんなのがいいと思っていたのか、今となっては分からない。


 そして、今日がその約束の火曜日だ。初対面で告白して、今日で会うのが二回目。


「はい、どうぞ」


 香り高い湯気を立ち昇らせながら、彦さんが俺の為だけにいれてくれた珈琲を受け取る。


「彦さんありがとう!」


 元々俺はクールキャラを自認していたけど、彦さんの前では完全にわんこキャラだ。ひたすら彦さんに甘えたいし、駆け引きなんてしている時間が勿体ない。


丑嶋うしじまくんは可愛いね」


 穏やかな口調で褒められ、俺のテンションは爆上がりだ。


「カケルって呼んで、彦さん」

「そう? 丑嶋って名前好きなんだけどな。丑年の丑の月、丑の日の丑の刻生まれの僕の可愛い丑さんだよ」


 彦さんが、大人な微笑みを浮かべながら俺の隣に座る。俺は切ない気持ちに襲われ、彦さんをじっと見つめた。


「俺、彦さんに言われるまで十二月が丑の月なんて知らなかったよ。彦さん、丑が好き?」


 約束の日まで待てなくて、俺は毎晩彦さんに電話して、聞かれるがままに俺の話をしていた。


「好きだよ。大好き」


 俺は吸い込まれる様にして彦さんの唇に自分のそれを重ねる。俺を見下ろす彦さんの落ち着いた表情。堪らない。


「俺、彦さんに会って分かったんだ。この人が運命の人だって」


 細胞の全てが、彦さんを欲している。


 彦さんが、俺を胸に抱き寄せた。……ああ、幸せで溶けそう。


「うん、丑嶋くんは僕の運命の人だよ。だって君は僕に出会う為に生まれたんだから」

「へへ……嬉しい彦さん」


 彦さんに頭を撫でられていると、気持ちよくてぽわんとする。


 彦さんが囁く。


「今度の丑は男でよかったよ。前の丑は女だったから奥さんの嫉妬が酷くて、大変だった」

「前の丑?」


 彦さんが苦笑する。


「もう死んでしまったよ。今は君が僕の可愛い丑だよ」


 よく分からないけど、ならいいか。それにしても彦さんの手は気持ちいい。


「今度こそ、あいつから君を守るから」


 だから安心して。


「うん……?」


 よく分からないけど、彦さんが安心してというなら安心する。俺はもう一度彦さんに唇を寄せると、彦さんは笑顔で俺に与えてくれた。

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