第33話 アジャーラの冒険2
高速道に乗ってパトカーは走っているが、目立たないように警告灯は点けずサイレンは鳴らしていない。すでに11月の今、あたりは真っ暗である。相手の車の位置は判っているので、一番早く追いつけるインターで降りるつもりで、安田が運転手に指示している。
やがて、インターで高速道を降りて、一般道を進み始めた時、アジャーラのスマホに着信があった。スマホを見ると、知らない番号だ。アジャーラは一気に緊張しながらも、「知らない番号から着信出ます」そう、車内に告げて応答する。
「もしもし、アジャーラです」
「おい。ここにはお前の母親がいるんだぞ。俺たちの車の前の道路をパトカーが塞いでいる。すぐに退かせるように言え。さもなくばお前の母親を殺すぞ!」
どうやら、警察が道路を塞いで相手の車を止めたようだ。アジャーラは泣き声を出す。
「ええーー、待って、待って。私家にいるのに、どうやっていいかわかりません。待ってよ。ええーん、えええ」
アジャーラは鳴きまねをすると、相手は怒鳴る。
「うるさい、とにかく早く警察に連絡してパトカーを退けさせろ!」
「ええ、うえーん。わ、解ったから。警察に連絡を取るから、待って、待ってよ。電話切るよ」
アジャータは一方的にしゃべってスマホを切る。
「ええと、相手の車はパトカーで塞がれて止まっているようです。あと追いつくまで時間はどのくらいですか?」
鳴きまねをする彼女を、呆れて見ていた安田が聞かれてハッとして腕時計を見て答える。
「あと10分というところだな」
それから何度も、彼女のスマホに着信があるが彼女は無視した。緊張に強張った彼女の顔を見て栗田警部補は感心していた。彼女の行動は正解だ。もはや誘拐犯は詰んでいる。人質を殺しでもすれば罪は数段重くなり、しかも何も得られない。だから、すでに捕捉された今、人質を傷つけることはあり得ない。
電話に出れば、何とかしようと脅してくるだろうし、場合によっては興奮して人質を傷つける可能性もある。だから応答しないのが正解である。ただ、彼女の母をどうやって解放させるか、まだ方針が立っていない。しかし、逃がさないようにして時間をかけて説得するしかないだろうと思う。
やがて、警官が交通規制している現場についた時、すでに家がぽつりぽつりとある田舎の道路をパトカーが塞ぎ、そのライトに照らされた中に黒いランクルが止まっている。
警官が10人以上集まり、野次馬も暗い中を30人以上だ。母が囚われた車が見えるところまで乗っているパトカーが進んだ時、アジャーラは中の様子をはっきり感知した。
そのランクルには確かに母が居る。中には運転手を入れて男が4人で、後部座席に母を挟んで男が2人だが、一人が母に短刀を突き付けているものの、刃先は体から離れているので、本気で傷つける気はないようだ。また後部座席のもう一人と助手席の一人は、拳銃を持って外を見ている。
アジャーラは、まず車を降りて相手のランクルを睨んでいる広田館長にスマホを掛ける。そして、応答する彼に口早に言う。
「広田館長、ヌルヌルをかけて拳銃や短刀を握れなくしますので、制圧よろしくお願いします」
「ええ!ヌルヌル?あ、いや、解った。制圧は任せてくれ」
次に、車の外に出て、ランクルの中を感知しながら、スマホで何度も掛かってきた番号を呼び出す。
「アジャーラです」
平静に言った彼女にに狼狽えた声が返って来る。
「な、なんだ。アジャーラか。遅いぞ、この野郎。警官を退かせろ!」
「野郎ではありません!すぐに母を解放して出てきなさい。いいですか、私はこういうことができます!」
アジャーラは目を閉じて、検知した男たちの手元に集中する。
そこで、拳銃と短刀の握りの表面をヌルヌルにすることを念じる。これは、WP能力に目覚めて以来いろいろやっているうちに、道場で戦っている相手の足と床の摩擦を無くす方法を考え出してできるようになったのだ。
なぜそんなことが出来るのか、多分故郷の草を折るとそのようにヌルヌルしていた液が出るのを思ってのことだと思う。いずれにせよ出来るようになって、道場で使うと相手は立っていられなくなるので、彼女の大きな強みになった。それを彼女はヌルヌルと呼んでいたので、広田館長は判ってくれたの。
なお、それは道場の高段者はできるようになっているが、オサムもむろんできる。しかし、この場面では足と地面では意味がないので、男たちが持っている武器を握れないようにしようと思って、心の中でリハーサルをして出来ると確信した。
果たして、拳銃を持った2人の男と、短刀を持った一人は、いきなりしっかり握っていた自分の得物がヌルっと手から飛び出すのを感じ慌てて握力を強めるが、それらは手から逃げていく。
彼らは夢中になって、それを反対の手も使って掴もうとする。男たちの動きを感知したアジャーラは広田達に向かって叫ぶ。
「館長!今です。彼らは拳銃やナイフを掴めません!」
「おお、よし。皆、行くぞ!」
「「「おお!」」」
広田の声に合わせて、道場生3人が雄たけびを上げ駆けだした館長に続いて、紺の胴着を着た彼らはランクルまでの20mほどを駆け寄る。数秒でランクルにとりついた4人の彼らは、分厚い胴着を着た肘でサイドウンドのガラス窓をたたき割る。
さらに、流石に気が付いて身構えようとする男たちに向かい、ぼぼ一斉に彼らの頭部を突く。すでにヌルヌルの拳銃や短刀は彼らの手を離れており、彼らは手を挙げて防ごうとする。
だが、身体強化をした格闘技のエキスパートの鋭い突きを防げるわけもなく、あっけなくそれを食らって全員がぐったりと無力化される。さらに、相手を無力化した意心館の者達は落ち着いて車のロックを解いて、4人を引きずりだして地面に放り投げる。
その時はすでに車の横に来ていたアジャーラは、母の横の男が放り出された後に後部座席に飛び込み、泣きながら母に抱き着く。怯えて縮こまっていたベジータは、ライトに照らされる中で娘の顔に気付いて泣きながら抱き返す。
「〇×〇×―――――」
抱き合ってお互いウスベキ語で泣きながらの会話であるが、その間に栗田が木倉警察の警官と協力して、4人の男に手錠をかけている。その後、栗田は木倉警察から出張ってきた篠山警部に状況を説明している。
「栗田さんねえ。あの連中は何なの?一般人がでしゃばるのは困るんだよね」
意心館の者達の活躍にそう言う篠山に言い訳をしながら、栗田はあれはやむを得ないと思う。自分たち警官では、意心館の連中ほども鮮やかに相手を無力化できないし、なによりアジャーラに対する信頼感が違う。
相手が拳銃を持っていた以上、警官隊がアジャーラの言葉を信じて突っ込むには長い時間がかかる。意心館の連中はアジャーラと稽古をしているので、彼女にそんな能力があるのを知っているのだろう。あるいは、拳銃を撃たれたところで、避ける自信があるのかも知れない。
多分我々警察官が指揮を執ったなら、解決には場合にはよって1日以上もかかったかも知れない。それに、その場合にベジータさんが無傷であったかどうかも分からない。救出劇に警察の活躍の場はなかったが、犯人の車の封じ込めには成功している。だが、それもアジャーラのWPの応力があってのことだ。
栗田はランクルの床に落ちている拳銃を取ろうして、ヌルヌルするそれを取りこぼしている警官に近づいて頼んで触らせてもらった。その拳銃の握りには見たところ異常がないのに、確かにウナギなんかよりヌルヌルするという感じで掴めない。
木倉警察の篠山警部も加わってワイワイやっていると、母と一緒に車から降りたアジャーラがそれを見て声をかける。
「ああ、すみません。ヌルヌルを取りましょうか?」
「え、取れるの?じゃあこっちだけお願い」
栗田はアジャーラに頼み、木倉警察はヌルヌルを取った拳銃1丁と、そのままの拳銃と短刀を持って帰って分析にかけるそうだ。
その日は、パトカーにアジャーラとベジータを乗せて、家まで送り届けることになった。また、その日は、万が一のことを考えて、彼らのマンションの前にはパトカーが張り付いて警備している。
なお、栗田と安田は犯人を連れて、木倉警察に同行したが、検察庁から来た中村警視の命令で村山警察署に移送した。従って取り調べは村山警察で行うことになる。
僕は当然、京都から慌てて帰ったよ。ベジータさんが無事に解放されたことは新幹線の中で聞いた。そして、何度か連絡を取って彼女らがすでに家に落ち着いたのを確認して一安心した。家に着いたのは21時頃だったので会うのは翌日ということにしたのだ。
栗田警部補とは面識があったので、犯人の尋問の様子を聞いた。しかし、犯人は完全に黙秘をしており、背景は全く分からないという。この点は拷問などの手段を取れない日本の警察では、口の固い組織犯罪者から自白を得ることは難しい。
しかし、運転手のみが持っていた免許証と、前科のある彼らの顔写真と指紋から彼ら自身のことは判っている。4人のうち2人がいわゆる韓国籍の在日であり、免許証を持つ一人を除いてその2人を含む3人が前科持ちで、組織暴力団にも属していた経歴を持つ。
現在のところ所属している組織はない模様だ。さらに車はレンタカーで持ち主は追えない。営利誘拐で銃刀法違反であるが、傷害等の罪は犯していないので、前科もちであっても精々懲役5年といったところだろう。
そういう話を聞いた訳だが、栗田の推定として、彼らは取りあえずベジータさんを攫って隠すことを優先したのだろうと言っている。そして、確保したベジータを種に、アジャーラ、または僕を狙うか、あるいはWPCの何かの提供を迫るつもりだったのだろうと言う。
「まあ、彼らとその背後の者たちの誤算は、アジャーラに探知の能力があったことだね。実際あれが無かったら、我々も取り逃がした可能性が高い。だから、彼らも何であっさり捕捉されたか不思議だろうな。
だから、今度のことは彼らなど同じことを企む連中への警告になったから、同じことが起こるとは考えにくい。
今度のことは、マスコミに発表するよ。ただ、どうやって追えたかは公表せずに『我々にはそういう手段、いやWPCがある』と発表するよ。そうすれば、歯止めになる。
なにせ、無事に攫わないと意味がないわけだから、我々警察が攫った人を検知できるとなると、………。ちなみにオサム君、そんなWPC、できない?」
電話でそう言う栗田氏に、僕は苦笑した。実は新幹線の中でその件を考えていたのだ。
「できますよ。特に攫われた人がWPを発現していれば相当な距離でも検知できます。ただその人の登録が必要ですけどね」
「え、ええ!それ作ってよ。今度の件は、運良くアジャーラが追えたからよかったけど、出来なかったら追うのは難しい。それがあれば、今後も行方不明者の操作に大いに有効だ」
村山警察署は、その夜在留外国人のAさんの誘拐を公表した。日本においては成人の誘拐事件というのは誠に珍しく、さらには拳銃を2丁も持った犯人という点も大いに注目を集めた。だから、夜間にも関わらず記者会見が開かれたが、外国籍の女性が誰で、何で攫われたかが聞かれたポイントであった。
「ええ、Aさんは、先ほど申しあげたように半年前に入国した訳ですが、お嬢さんと一緒に村山市に住んでおられます。そのお嬢さんのWPC活性化能力の関係で狙われたものと我々は判断しています。そういうことですので、この件には触れないで頂きたいということです」
集まった4人の記者は微妙な顔である。彼らも村山市を中心に動いているマスコミの者として、ある程度の事実を知っていてさらに噂には聞いている。医療用WPCの活性化能力を持つ3人が全て村山市に関係しており、突如現れた中央アジアからの美少女留学生もその一人であることである。
そもそも、アジャーラは村山市では最初から目立った。タタール族などアジアと欧州の血が混じった人々には、もともと美人が多くそれも北欧系の美人に近い。日本人は、足が長く顔が小さく鼻が高くて目が大きい白人種を美人・美男子に思うように条件付けられてきた。
平安時代の美人を思えば、その時代の人が今の日本人の美的感覚を思えばどう思うであろうか。多分、彼らは今の日本でもてはやされる美人を全く美人とは思わないだろうし、逆に今の日本の男が小野小町を見ても美人とは思わないだろう。
アジャーラの身長は今154㎝で48㎏、まさにスタイルは現在ほぼ世界共通の理想形であり、その容貌で鼻は日本人好みの理想的な高さである。また、緑の大きな目は少したれ気味で、口は小さくきっぱり結ばれている。
色は少し浅黒くて褐色に近いが、整っているが同時に可愛いタイプの彼女は誰もが一度見れば惹きつけられる。
だから、東村山高校の生徒は多かれ少なかれ彼女を意識しており、男子生徒の半分は彼女を見かけると視線で追わざるを得ない。すでに彼女に告白して撃沈された男子生徒は30人を超えている。その意味で女性徒にとっては忌々しい存在ではあるが、高校生活を楽しんで親しく接してくる彼女を突き放すことができない。
ちなみに、医療用WPCが各国の争奪戦になっていることは有名であり、一方でWPC製造㈱は各WPCについて活性化を出来る能力者については公表していない。しかし各WPCの供給数は公表しているので、医療用については浅香修以外のタレントが出現したことは事情通にとっては公知の事実であった。
そして、地元記者であれば、そのタレントが地元で有名になったアジャーラあることは察していた。しかし、僕の事例からWPC活性化ができる個人名の公表は、その多大な所得を公表することを意味するので、国からも公表しないようにとの要請もあってタブーの一つになっている。
だから、記者たちはその点のそれ以上の追及をあきらめて、警察が的確にホシを追えた面に質問を集中した。
「でも、なんでそんなにホシを的確に追えたんですか?誘拐されたAさんが、攫われて、パトカーですぐに追ったんでしょう。ということは、警察はホシの位置を掴んでいたということですか?
まさか、ホシが被害者のスマホを持って逃げたということですか?でも、そんな馬鹿なホシはいないでしょう?」
「ええ。犯人たちは攫われた女性の娘さんに電話をして、すぐにスマホを壊して逃げました。しかし、我々にはそれを追う方法があったのです。それは、WPCの一つでGPSみたいなものであり、その人が何も持っていなくても特定の個人を追えます。
だから、今後人の誘拐というのは間違いなく追跡され捕まる犯罪になります」
誘拐の記事はそのWPCのことが主たる話題になった。
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