第50話:徳川上総介忠輝

1627年9月30日:江戸城中奥:柳生左門友矩14歳


「叔父上、絶対に逃がさないように大御所を幽閉する事はできますか?」


 上様が呼び出した松平忠輝公に聞かれた。

 酒井讃岐守殿が命懸けの諫言をされたので、拙者も命を賭けたのだ。

 今の上様に逆らうのは危険だと本能が訴えるのを抑えての献策だった。


「ほう、恨み重なる大御所を俺に預けてくれるのか?」


 だが心配していた拙者の献策は意外なほど上様に喜ばれた。

 少しでも早く大御所様を殺したがっていた上様が、異様なほど拙者の提案を喜ばれていた。


 最初は理由が分からなかった。

 だが今なら分かる。

 恨み重なる大御所を死ぬよりも惨めな状態にしたいのだ。


「はい、叔父上の才に嫉妬して幽閉した大御所が、今度は叔父上に幽閉されて死ぬまで屈辱を味わうのです。

 中奥に用意した座敷牢に一生閉じ込める事も考えていましたが、左門が叔父上に預けた方が良いと言ってくれたのです」


 いや、そんな心算で忠輝公に預けろと言ったわけではない。

 ほとんどの者が手出しできないから選んだのだ。

 駿河大納言様が先に手を出してくれるかもしれないと思ったのだ。


「ほう、それなら俺も上野介に感謝しなければいけないな。

 恨み重なる大御所を見下し嘲笑う機会を与えてくれたのだからな」


「いえ、忠輝公の事を考えて提案させて頂いたわけではありません。

 上様の評判を落とすことなく大御所の逃亡や駿河大納言様の奪還を防ぐには、忠輝公に頼るしかないと考えただけでございます」


「くっくっくっくっ、そのように遠慮しなくてもよい。

 上野介が俺の事を憐れんで上様に色々と献策してくれた事は知っている」


 伊達家が忠輝公の耳目となっているのだろう、たいがいの情報は知られている。

 大御所様と大御台所様は排除できたし、駿河大納言様も怖くはない。

 だが忠輝公が叛意を持ったら途轍もなく危険だ。


「そう警戒する事はない。

 俺は恩知らずではない。

 上様の治世を邪魔するような事はせん」


 いかんな、簡単に心を読まれてしまっている。

 上様は勿論、兄上や父上にだって心を読まれた事はない。

 忠輝公には兄上や父上を上回る洞察力がある。


「忠輝公がここまで言ってくださっているのです。

 上様も忠輝公の働きしだいでもっと名誉を回復すべきでございます」


 ここは確実に味方の取り込むべきだ。


「ほう、もっと名誉を回復すべきとはどういう事だ?」


「上様、東照神君に警戒された才能ある御子息達は排除されてしまわれました。

 それが忠輝公であり秀康公です」


「ふむ、それは余も知っておる」


「秀康公は既に亡くなられていますが、秀康公の嫡流である越前守殿を畏れた大御所は、無実の罪を着せて越前守殿を処罰しようとされました。

 幸い越前守殿が自重されたので流罪に止められましたが、越前家の嫡流を貶めようとした大御所様は、減知した上で越前守殿の長弟に跡を継がさせました。

 秀康公の嫡孫である仙千代様は、越後高田二十六万石に押し込められてしまわれました。

 忠輝公については以前お話しした通りでございます」


「大御所の性根が腐っている事は余もよく知っておる。

 それで、余にどうしろと申すのだ?」


「忠輝公と越前家の嫡流が徳川を名乗れないのはおかしいです。

 弟で大した武功もない者が徳川を名乗り、越前家の嫡流と忠輝公が徳川を名乗れないのは不公平すぎます」


「余もそう思うが、東照神君が決められた事を覆すことは難しい。

 大御所が決めた事ならば幾らでも覆せるが、東照神君が決められた事は、正統な後継者を公言している余が覆すのは難しい」


「東照神君が決められた事を覆せるほどの大功を得る機会を与えられるのです。

 大御所様を忠輝公にお預けになる事で、駿河大納言様を誘いだすのです。

 尾張大納言様や紀伊大納言様が大御所に味方して奪還を企てるようなら、忠輝公と越前家に討伐していただくのです。

 そうすれば忠輝公と越前家に徳川を名乗っていただけます」


「くっくっくっ、上野介は面白いな。

 尾張家と紀伊家を俺に叩き潰させるか?

 越前の兄上を立てるという事は、今の将軍家を貶める事になるのだぞ?

 最悪の場合には、将軍の座を巡って越前家と争う事になる。

 その時俺が漁夫の利を手に入れようとしたらどうする?」


「忠輝公がそのような方ではない事は、一目見て分かります。

 上様を助けて将軍家を支えてくださると信じております」


「くっくっくっ、上様は良き家臣をお持ちになられましたな」


「叔父上の申される通り、左門は余にはもったいないくらいの忠臣です。

 常に余の事を考えて命懸けで仕えてくれています」


「そのような忠臣に信じてもらえたのなら、俺も甥のために働くしかないな。

 卑怯で憶病で無能な秀忠に仕える気にはなれなかったが、有能で恩のある甥っ子に仕えるのは嫌ではない。

 問題は越前家の仙千代だ。

 いや、流罪となった忠直もそうだ。

 俺が口にするのはおこがましいが、秀康兄上の子供や孫は粗暴な者が多い。

 下手に官職や領地を与えると、上様に牙を向きかねないぞ?」


「忠輝公、それは尾張様と紀伊様も同じでございます。

 両大納言様が密かに将軍位を狙っている事は、父の調べて分かっております。

 どうせ将軍職を狙われるのなら、東照神君に恐れられるほどの方に狙われた方がましだと考えております。

 上様はどう思われますか?」


「余は先ほど言った考えのままだ。

 東照神君の定めされた事を覆すほどの大功をあげれば徳川の名を与える。

 余にはまだ子がいないから、このままでは尾張から後継者が選ばれる。

 叔父上の子供が選ばれるには、尾張家を超えるような大功をあげるしかない。

 もしくは尾張家が謀叛を企んでいる証拠を掴むかだ。

 無理に余を殺さなくても、後継者の地位は自然と転がってくる」

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