第8話:家督

1624年2月9日:柳生左門家江戸屋敷:柳生左門友矩11歳


「昨日は随分と激しかったようだな」


「兄上にお聞きしたい事があります」


「そんなに改まって何事だ?

 それに俺の質問は無視か?」


「はい、つまらない質問は無視させていただきます。

 代々続く家を継ぐという事は重いのですか?」


「ああ、重いぞ、はだしで逃げたくなるくらい重い」


「上様もその重圧に苦しまれておられるんでしょうか?」


「ああ、間違いなく苦しまれている。

 たかだか剣術の流派と三千石を継ぐだけでも苦しいのだ。

 日本六十余州を治め、三百諸侯を束ねる重圧とは比較にならない。

 上様の苦しみを考えれば、厳しい事が言い難くなる」


「駿河大納言様に譲られたらよかったのではありませんか?」


「嫡男が廃嫡されて生き残るのはとても厳しい。

 大御所様の兄君、越前宰相とその子孫の扱いを見ればわかるであろう。

 あのような危険を繰り返すくらいなら、密かに殺してしまった方が楽だ。

 それでなくても大御所様達は上様に対して冷淡なのだぞ。

 春日局が必死になったのも、将軍に成るか殺されるかの二択だったからだ」


「上様に忠義を尽くすと言っておきながら、全く気がつきませんでした」


「左門が悪いわけではない。

 誰もこのような醜聞を大きな声で言えなかったのだ。

 年若い者が知らなくても恥ではない」


「いえ、兄上にお聞きするべきでした。

 他の者と違って、実の兄が先に仕えているのです。

 本気で仕える気なら、注意すべき点を兄上に聞くのが常識でした」


「そんなに自分を責める必要はない。

 本当に必要だと思っていたら、俺から左門に話していた。

 過去の事は、上様にとってとても重い事なのだ。

 何も知らない者が身近に仕えてくれることが、上様の重荷を軽くしてくれる。

 そう思ったから左門には何も言わなかったのだ」


「……では、私が知らない方がよかったのではありませんか?」


「これまでは知らない方がよかったが、これからは知った方が良い。

 左門は堀田だけではなく父上からも狙われる可能性がある。

 両者の襲撃を防ぎ討ち払うには、上様の力を借りた方が良い。

 上様の上手く利用して強い立場と安全を確保するのだ」


「上様を私利私欲で利用するのは忠義に反します。

 それでは堀田の事を奸臣と非難できなくなります!

 そう言いたいところですが、言っていられないのですね?」


「ああ、上様と我らの秘密は厳守しなければならない。

 表に出てしまったら、大御所様達が上様を亡き者にしようとされる。

 特に大御台所様が本気で殺しにかかって来られるぞ」


「実の母親が息子を殺そうとされるのですか、哀し過ぎます」


「それが動かし難い哀しい現実だ。

 我らが備えなければいけないのは大御所様達だけではないぞ。

 将軍職を欲しておられる駿河大納言様も動かれる。

 三者が動かれれば、親父殿も動くぞ。

 柳生家を残すために、大御所様達に味方する可能性もあるのだ。

 左門の事だから、一度忠誠を誓った上様に味方し続けるのであろう?」


「当然です、兄上もそうなのではありませんか?」


「さあな、その時になってみなければ分からない。

 忠臣は二君に仕えず、という気持ちになるのか。

 武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ、という気持ちになるのか」


「兄上ならどちらを口にされても似合われます。

 しかし私には忠臣は二君に仕えずしか似合いません。

 この命に代えても上様を御守りします」


「そう言い切るのなら、上様を利用するくらいの覚悟が必要だ。

 左門にそれだけの覚悟と実行力があるのか?」


「はい、兄上の話をお聞きしてようやく覚悟が決まりました」

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