錆びたダンジョン(前編)
やあ、意外に早く来たものだね。
記者が人との約束の時間を守るのは当たり前のことだって?
いやいや、それがそうでもないのだよ。初めて私の館を訪れた人は、たいていが門から屋敷までの道の遠さを見誤って、時間に遅れるものなんだ。
うむ、そうだとも。この建物へ通じる道がひどく曲がりくねっているのは、警備のための仕掛けの一つなんだ。すでにご覧になったと思うが、このわたしの屋敷の中には、ボディガード・ギルドの連中から始めて、軍用犬のたぐいまでが警備している。それでも、安全とは言いがたいご時勢なのだから、ちょっとばかり生きるのが嫌になる。
いや、実を言えばひどく心配していたんだ。うかつにも、君からの取材の申し入れがあったときに、地雷のことを警告するのを忘れていたと後で気づいてね。
いや、本当に無事で良かった。それほどしばしばあることではないんだが、短気な人間が時間を節約しようとして、曲がりくねった道と道の間をまっすぐに突っ切ることがあるんだ。君はそんな真似をしなかったようだね。安心したよ。
なにぶん、こういった事故の後始末はものすごく大変なのだ。事故から何日も経過したあとで、拾い残した遺体の一部が庭のなかの全然別な場所で見つかることがよくある。そんなことにでもなれば、庭師が丹念に手入れした庭の折角の景観が台無しになってしまう。美しい薔薇の植えこみの下から、腐乱した人間の手首がのぞいているというのは、実に気分が悪いものだと言っておこう。
もちろん、遺族からの抗議もまた、頭の痛い問題となる。
ああ、うん、もちろんそうだ。これぐらいの用心は、金持ちならばどこでもやっていることだ。結局最後には、自分の身は自分で守るしかない。警察を信じて、まるっきりの無防備でいるなんてことをしたら、明日の朝には死体になって川を流れているという羽目になりかねない。
ボーグン社の前社長のケイブリッジ氏のことを覚えているだろう?
彼の館を訪れる者には誰でも、分けへだてなく晩餐を振る舞うことで有名な人だった。幅広い愛と深い同情心こそ、この暗い世の中を照らす唯一の光だと信じていた人だったな。とびっきりの理想主義者だったが、私に言わせれば彼はとびっきりの愚か者だ。いや、正確には愚か者だった、だな。
彼の死体はまだ見つかっていないそうだね。犯人についても皆目見当がついていない。警察の手に残ったのは、彼の屋敷の豪華な絨毯の上に残されていた大量の血液だけだったという話だ。遺伝子コード解析の手法を使うことで、警察が記録しておいたケイブリッジ氏のものであることだけは確認されたそうだが、いやはや、なんとも物騒な時代であるな。
おっと、今の話はオフレコにしてもらえるね?
裁判沙汰は慣れているが、何も無理してそれを増やすことはないから。勘違いはして欲しくないのだが、わたしは別に彼のことを侮蔑しているわけじゃない。これはそう、単なる価値観の相違というやつだ。
さてと、そろそろ本題に入ってもらおうかな。こちらの準備はと言えば、もちろん完了している。あの頃の記録も調べ直したし、自前の脳のなかの記憶も十分に漁った。喉はアルコールで十分に湿らせてあるし、発声練習も君が来る前に済ましておいたところだ。
記録機の用意はいいかな?
おや、それはマイナ洞窟製の永久完全記録機じゃないか。君の会社の備品かね。何、違う?
ということは、論理の当然の帰結として、それは君個人の持ち物ということになる。
すごい。たいしたものだ。本当に驚いた。それがどれほど高価なものかは知っているよ。わたしも一つ、同じものを持っているからね。
人生の二十年ぶんを担保に入れたのかね?
それとも君は記者のなかでも売れっ子の方なのかな?
まあ正直に言って安心したよ。君が人の話を勝手に改竄するような輩ではないと判って。もしそうなら、そんなに高価な記録機は持ち歩かないだろうから。
完全記録機を使う以上は、君はうろ覚えの記憶で文章を書くのをひどく嫌っているんだろう?
どうだね。図星だろう。
ああ、そうだ。帰り道には気をつけたまえ。わたしの屋敷の周りにはときどき怪しげな輩がうろつくことが多いんでね。そんなに高価な物を持っていることが知れたら、命を狙われかねない。なんならば、わたしのボディガードを一人貸してあげよう。彼らは見たとおりに顔は恐いし身体はごついが、それでさえも、持って生れた気性の激しさに比べれば何ほどのことはない連中だ。ボディガード・ギルドの絶対条件づけトレーニングを受けているから、主人の命令にはきわめて忠実だと思っていい。ギルドの行う血の報復を考えたら、いくら金のためとは言え、主人を裏切ることはまずしないからな。
さて、インタビューに入ってもらおうか。どうも、喉がムズムズするんだ。昔話を語り始めるべき時が来たんだろう。もちろん、わたしの話の途中で、君に疑問が生じたならば、どのようなことでも自由に尋ねて構わない。わたしの家のなかには、隠さねばならないような秘密はないのだから。わたしも、わたしの会社も、公明正大がモットーだ。ただし一言だけ付け加えておくが、ここで記録していいのは音声だけだ。会話を記録するのは許すが、映像は駄目だ。
どうしてかって?
家のなかを下手に写されると、設置されている警備装置について、知られたくない何がしかのことが外部に漏れてしまう恐れがあるからだ。自分の家を、やたらめったらに他人に向けて自慢したがる連中が、この世には少なからずいるものだが、少なくともこのわたしは違う。なにか善からぬことを考えている連中に、自分の命取りになるかも知れないような情報を渡したいとは、わたしは思わないんだ。
こう見えてもわたしは生まれながらの平和主義者なんだ。だからつまらぬ騒ぎに巻こまれて、本来は奪わなくても済んだはずの人命を奪うよりは、むしろ彼らにつけこまれないようにしたいんだ。どんな人間でも、わたしと友人になることは可能だ。しかしわたしをカモにすることは不可能だ。この単純な事実を、わたしは長い時間をかけて周囲に宣伝してきた。
それでは余りにも人間不信が過ぎないかって?
とんでもない。わたしは人間どうしの信頼こそ、社会を築き上げるための最大の礎だと信じている。だがそれでも、ほんのわずかだが、一杯の安酒のためなら何でもするという人間がいるのも確かだ。
実を言えば、昔のわたしはそういう人間だった。そうでなければ命知らずの冒険者など、誰がやるものかね。極めつけのロマンチストか、それとも極めつけの強欲者か。冒険者なんてものは、かならずこのどちらかに含まれるものなのだ。
うむ、こうしてあらためて口にだしてみると、この二つには良く似ているところがあるな。両者の共通点は、何もかも際限なく求め続けるところだ。強欲者はこの世に存在するあらゆるものを求める。その一方、ロマンチストというものはこの世に存在しないあらゆるものを、永遠に求め続けるのだ。
ふむ、何だか会話が変な方向に向かったな。歳をとるとこれだからいけない。この老いた頭のなかで、幾つもの思い出が先を争って、意識の上層に浮かび上がろうとする。そのどれもが自分の重要性を主張して止まないのだ。それも話してみれば、つまらない馬鹿話に過ぎないことに改めて気づく。ああ、若い頃の単純明快なわたしはいったいどこに行ってしまったのだろう?
ここにいるのが、過去の自分につながるそういう存在であるとは、ほんのときたまだが信じられなくなることがある。
フリンジ洞窟製のニューロン細胞活性剤も、こういった現象に対しては無力でしかない。問題は貯えられた経験の記憶が多すぎるということなんだ。例えて言うならば、脳の中の本棚はまだまだ空いているのだが、本自体が多すぎて収拾がつかない状態とでも言うべきかな。むろん記憶を消す手段は存在するが、さて改めて考えてみると、消すにはどれも惜しい思い出ばかりと来ている。まあ、仕方がないと言えば、仕方がない。
さあさあ、そこに気を楽にして腰掛けたまえ。君が聞きたいという話をじっくりと話してあげよう。
どうだね。そのソファは?
素晴らしく良い座り心地だろう。洞窟熊の毛皮というものは最高のクッションになる。熟練したハンターにとってさえも、洞窟熊は恐ろしく手強い相手だが、それに見合うだけの報酬はあるというものだ。もちろん、狩りが与えてくれるスリルも、その一つだがね。
それだけの苦労をして手に入れた最高の素材を、今度は一流の加工技術で丁寧に処理をする。おっと、それに加えて、洗練されたデザインという要素を忘れてはいけない。こういったことこそ、まさに奇跡を生み出す、黄金の組み合わせというものだ。
高慢だと受け取られても困るのだが、自分の会社の製品を過少評価するつもりは、わたしにはない。製品を作るにあたっては細心の注意を払っているし、より良い製品になるように、つねに努力を払っている。誇るに足るだけの仕事をして、人々の喜ぶような最高の製品を作り出す。まさに神の行った創造の御業を、我々は真似ているのだ。
そう、君も知っての通りに、我が社の製品はどれも他には類を見ないものだ。生命洞窟はつねに極端にまで規格化された製品を生み出す。その結果として、信頼できる製品は生み出すが、記録に残っていないような珍しいものにはお目にかかれない。ところが我が社の製品は違う。どれも我々が作り始めるまでは、この世のどこにも存在しなかった製品なのだ。それこそが、我が社の人気が高い理由だってことは、君にも十分に理解してもらえていると思う。独創性、これが市場にデビューするためのキーワードだ。
さて、本格的な話に入る前にワインでも一杯どうかな?
これは今年、うちの農園で取れた最高のぶどうを元に作りあげた品だ。熟成するにはまだほど遠いが、これには新鮮な・・、そう、自然の産み出した驚異とでも表現するべきものが含まれている。
まあ言ってみればそれも道理で、この屋敷の周辺はワインの産地としても有名なのだよ。特にあそこに見える山の、東の斜面から取れる葡萄は、ただもう見事の一言に尽きる。もちろんこれらの葡萄畑はわたしの私有地だ。道の周囲に地雷を埋めてあるのは、屋敷の警備のためだけではないってことだな。
念のために言っておくが、このワインでは商売はしていない。あくまでも、大切な友人たちと飲むために作っているものなんだ。人間というものは誰にでも、金では売れない、神聖侵さざるべきものが一つはある。わたしにとってはこれがそうだな。
ああっと、コルク抜きはどこだ?
ああ、あった、あった。
これかい?
見事なものだろう。そうとも。我が社が世界に誇る、実に素晴らしい製品さ。我が社が二番目に作り出した製品であり、最初の製品についで、またもや市場で大当たりを取った製品でもある。丈夫で長持ちし、しかも使いやすい。そのうえ、価格は適正と来たら、飛ぶように売れるのはむしろ当然というものだ。まさかそんなことは無いと思うが、君がまだこれを持っていなければ、帰りに新品を一つ進呈しよう。ワインも一本おまけにつけてな。
さて、わたしの昔話が聞きたいとのことだったね。近頃流行のサクセスストーリー物を書くそうだが。そう言えば、どこの出版社と言ったかね?
歳を取ると、何事も忘れやすくなっていけない。ああ、判った。あそこか。
まあ、わたし自身は、流行を追いかけるのが好きな方ではないが、この話に関しては喜んで話してあげよう。実を言えば好きなんだ。あの話をするのは。
その頃のわたしは、どこにでもいる平凡な冒険者だった。わたしはその他大勢の「洞窟侵入操作者」の一人だったんだ。
聞きなれない言葉だろう?
これはお役所が使っている名称で、冒険者の間では「盗賊」と言った方が通りが良いな。わたしも良くは知らないのだが、この冒険者が使う符丁は、グレート・ロードの時代に存在した、ある種のゲームの中から取られたものらしい。それは一種の洞窟探検のゲームで、暗い洞窟の中で怪物と戦い、宝物を入手するというものだったそうだ。
ところが今では、それはゲームではなく現実となっている。グレート・ロードの遺産である洞窟の中で、彼らが行っていたゲームと良く似たことが、そっくりそのまま現実の世界の出来事として行われている。歴史というのは奇妙なものだ。ほんのときたまだが、たちの悪い冗談を仕掛ける何か大きな存在が、歴史の道の上に居座っているかのように、わたしには感じられるんだ。
さて、ここで言う「盗賊」というのは、その名の通りに洞窟への侵入を専門に行う者だ。盗賊は生命洞窟、俗称で「ザ・ダンジョン」へと潜りこむ。そうして鍵のかかった扉を開けたり、仕掛けてある罠を警報を鳴らすことなく外すように訓練されている。盗賊がいなければ冒険者たちの洞窟侵入は成功しない。お宝のある場所にまで行き着くには絶対に盗賊が必要だ。
そうとも、わたしはそういった盗賊の役をつとめるうちの一人だったのだ。危険な洞窟のなかで他のメンバーを誘導するのが、わたしの仕事だった。
そう言えば、人はいまでもわたしのことを、盗賊と呼ぶことがあるな。親しい友人たちからは友情をこめてそう呼ばれるし、商売敵からは悪意をこめてそう噂される。もちろんわたしはそれらを、一種のほめ言葉として捉えているがね。
あの洞窟に行き当たったのは、わたしが冒険者を始めてから三年ほどたった、ある夏の暑い日のことだったな。すでに新人という時代は通り越していて、わたしはいっぱしの冒険者になったつもりだった。命賭けの洞窟探検にも慣れて、少しは余裕を持って生命洞窟に挑戦できるようになっていた。そんな時期だ。
しかし実を言えば、それは一番つらい時期でもあったんだ。そのとき、わたしと仲間たちは恐るべき運命の谷間に落ちこんでいたんだから。
どういうことかって?
不幸にも、その前に挑戦した生命洞窟が三つ続けて不漁だったということさ。お陰でわずかばかりの持ち金はとうの昔に底をついていたし、洞窟探検に必要な装備の大半さえ売り払ってしまっていた。おまけにズタボロの背負い袋の中には、固くなりかけたパンが一つだけという有り様だった。正直な話、次の洞窟探検も不漁だったら、どうやったって餓死は免れないところにまで来ていたんだ。
ああ?
そうだとも。太古の超技術の遺物である、命ある洞窟「ザ・ダンジョン」にも生産力の限界はある。その理由の一つはダンジョン自体の寿命だ。成長期を過ぎてから数百年の時代を経たようなダンジョンは、そもそもの自己再生機能にガタが来る。
洞窟型自律ロボット工場、生命ある洞窟、通称「ザ・ダンジョン」は、製品の円滑な供給にその注意力の大部分を向けている。洞窟が生き延びることよりも、いかに大量の製品を作りだすのかが、人工知性に取っての一番の問題なんだ。そのために生命洞窟は、手に入る金属資源が不足すると、自分自身を食い潰しながら掘削を続ける。地中深く潜りこんでいる洞窟の先端が、再び金属鉱脈にぶつかることを期待して、言わばこういった自分自身に対する借金を行うわけだ。運よくそれで新しい金属が手に入れば自分を修復する。
だがそれは完全じゃないんだ。
こうした「飢餓」によるダメージが蓄積した生命洞窟では、厳密な製品管理が必要な精密機械のたぐいは作り出せなくなるし、せっかく作りだした製品自体の品質も実にひどいものとなる。一番厄介なのは、生命洞窟を管理する人工知性までもが狂い始めるということだ。人工知性というものは人間に比べて非常に辛抱強いものだが、それでもあまりにも厳しい環境の下では、それに耐えかねて発狂することもあるのだ。
わたしの聞いたところでは、高分子材料の四角い板をただ延々と作り続けているような生命洞窟もあるそうだな。この板の硬度はダイヤモンド結晶に近いのだが、残念なことに建築材料には使えないんだ。ご丁寧にも、その板の表面には無摩擦処理がしてあって、そのお陰で壁に組み立てる方法がないんだ。釘は刺さらないし接着剤も効かない上に加工の方法がなければ、これはもうどうやっても使いみちがない。
太古の時代には、それを可能とする知識があったらしいが、残念ながら、その知識は失われた保護球の中に入っていたらしい。政府が持っている知識保護球の中には、無摩擦材料の加工方法は残っていないんだ。言ってみればまあ、いま、我々がいるこの世界はこんな例がほとんどだな。言うならば、空きだらけの超技術の欠片で細々と食いつないでいる状態だ。
だがまあ、たいていの生命洞窟はこうした発狂状態に陥るずっと前に、その寿命を終えて生産活動を停止する。今の時代では金属資源は貴重品であり、生命洞窟が「餓死」する前に再び豊かな金属鉱脈にぶつかることなど、まず有り得ないからだ。
どうして生命洞窟に金属が必要なのかって?
いいかい、基本的にどんな生産活動にも微量の金属は必要なんだ。
人工水耕システムで生成される木材を例に取ってみよう。木材は炭素と水素、それに酸素で構成されている。おっと窒素も含まれているな。セルロースを始め、基本的にはタンパク質にアミノ酸、その他もろもろがこれらの元素で構成されている。しかしそれだけでは十分じゃない。マグネシウムに鉄、そういった金属のたぐいが、微量だがかならず必要となる。生命活動の本質というものは微量金属に支配されているのだ。そしてそれは生産活動に応じて、必ず失われてゆく資源の一つでもある。金属は、砕かれ、運ばれ、混合され、そして撒き散らされる。
特にひどいのは戦争だ。高熱のプラズマ爆発なんか、巻き込まれたすべての金属は細かく砕かれ蒸発し、再結晶してまき散らされる。
何百年も前のグレートロード大戦は特にひどかった。あらゆる金属はかき集められ、戦闘機械に作り直され、そして蒸発してまき散らされた。文明が必要とする金属のほぼすべてがその戦いで失われた。
ひとたびミクロの段階にまで希釈されてしまった金属原子を集め直す手段は一つしかない。自然が根気良く雨水に溶かし、何らかのプロセスがそれらを再び濃縮することを待つということだ。そうだな、一万年も待てば十分だろう。いや、それとも一億年かな。
はは、びっくりしているな。そうとも、一万年だろうが一億年だろうが、どちらも人間の生きている時間の範囲からは逸脱している。そこまで気長に時を待つことができるのは、時そのものだけだろうな。
そういうわけで金属が尽きた生命洞窟では、食用スライム一匹さえろくに生産していない例もある。そこまでいかなくても、他の冒険者がめぼしいものをさらった後に行き当たれば、やはり同じ結果となる。そんなのに三つも続けて当たったんだ。そのときのわたしたちの窮状はもって知るべし、だな。
わたしと残り三人の冒険者たちは話し合った。そして出た結論は、近くの街に戻って日雇い仕事を探す替りに、次の生命洞窟に総てを賭けて見ようということだった。もしこの次も運が悪ければ、わたしたちは餓死することになるが、それでも自分たちが無謀な賭けをしているとは思わなかった。当時はギル戦争の後に続けて起きた経済大恐慌のために、ひどい不景気だったからだ。この時期にゴーストタウンになってしまった街も少なくはなかった。
信じられるかな?
快楽誘導亜音波を使うイムナマイ教団の熟練した托鉢師でさえ、餓死する地方もあったぐらいなんだ。いまではずいぶんな羽振りの良さを見せている連中だがね。人間というものは一週間に渡って何も食わなければ、脳基幹部に作用する亜音波のもたらす快感よりも、口に入れる一切れのパンの方を選ぶようになる。これは誓って本当のことだ。このわたし自身の身で経験したことだからね。
まあそういうわけで、当時の我々には次の生命洞窟に挑戦するのも、それほど悪い選択には思えなかったんだ。例え街に戻ったところで仕事が見つかる保証は何もなかったし。
盗み?
とんでもない。それができるぐらいなら、とっくの昔にやっていたさ。誰もが盗みには目を光らせている状態では、まずそれを行うことは不可能なのだよ。盗んだ者は生き延びる。盗まれた者は死ぬ。それならば誰もが盗人となる。盗人の街では盗みそのものは不可能となる。単純な真理だよ。
前に進んでも餓死、後ろに引いても餓死。となれば、前に進んだ方がいくぶんかは気が楽だ。
残りのメンバーかい?
今でも、全員元気でやっているよ。わたしの所属していた冒険者のパーティは、戦士に僧侶、それに魔術師、最後が盗賊役のわたしで構成されていた。この取り合わせは冒険者としてはごく普通の組み方だな。
ああ、済まない。「戦士」というのも、この職業での符丁だよ。正確には「対自律機械特殊護衛者」と言うんだ。
生命洞窟探検者には、冒険者ギルドによる厳しい資格審査があることは知っているだろう?
知らない?
雑誌社から依頼を受けてインタビューに来ただけだって?
いけないな。勉強不足だよ。それは。
いいさ。人に物を教えるのは好きだから構わんよ。幸いなことに今日は予定が立てこんでいないしな。
それでは長話に移る前に、ワインをもう一本どうだね?
さて、随分と昔のことになるが、洞窟の爆発に巻きこまれてアイシャン街がまるごと壊滅した話は、君も聞いたことがあるね?
ああそうだ。街の近くに新しく発見された生命洞窟の爆発のあおりを食らって、街一つがまるごと消滅したというあれだ。当然ながら山のように人が死んだ。
事があまりにも大きかったもので、政府はこの事故について綿密な調査をした。大量の調査員を送りこみ、わずかばかりの生存者に徹底的な尋問を行った。爆発のあった洞窟の跡を調査し、ガラスと化したクレーターを掘り返した。結果として大勢の作業員が死ぬことになった。
どうしてかって?
簡単だ。クレーターは放射能の塊だったからだ。今でも夜中には青白く光っているそうだよ。そのクレーターの内側は。
大学側はもっと論理的だったな。爆発の規模から見て、爆発の原因はただの一つしかない、と断言した。素粒子転換コアだ。少しばかり遅れて、政府もそれをしぶしぶと認めた。爆発の原因は、どこぞの馬鹿な冒険者が転換コアに金属片を突っこんだに違いないとね。
中規模の大きさにまで発育した洞窟は、自分自身のエネルギー源として素粒子転換コアを生み出す。最も経済的で、正しく使えば安全であり、さらに言うならば、生命洞窟が必要とする莫大なエネルギーを賄うことができるのはこれしかないからだ。
そうさ、転換コア。
聞いたことがないだろう。グレート・ロードの時代にはきわめて普遍的な動力源だったのだがね。いまではこれが存在するのは生命洞窟の中だけだ。我々の手持ちの技術では作りだすことができないし、その爆発の凄まじさを考えれば、生命洞窟から盗み出すわけにもいかない。おまけに、寿命の尽きた生命洞窟は転換コアが停止するときに、コア・フィールドの発生装置も同時に燃やし尽くしてしまう。再利用ができない実にたちの悪い作りだ。
ここで少しばかり、生命洞窟「ザ・ダンジョン」についておさらいしてみよう。
まず最初に、究極まで発達した巨大資本産業はグレート・ロードたちを産み出した。グレート・ロードたちは技術を支配し、生産を支配し、思想を支配した。彼らは巨大な経済機構の主であり、それに付随するあらゆる人間たちの主であった。そのグレート・ロードたちが、権力の基盤としたのが、この生命洞窟「ザ・ダンジョン」だ。生命洞窟の実体は、それ自体が自律性を持った自己増殖する工場だ。それはかって、人間のために働くロボットと呼ばれたものの、偉大でしかも歪曲された子孫たちであった。
君は生命洞窟の種を見たことがあるかね?
わたしは一度だけ、大学の展示室に飾ってあったのを見たことがある。もちろん、そいつは死んでいたがね。もし生きていたなら、欲深な大学の連中が放っておくわけもないな。なけなしの金属資源がまだ残っているできる限り有望そうな地層を見つけて、その生命洞窟の種を植えたことだろうな。必要な大きさに洞窟が育つのに、そうだな、優に五十年はかかる。成長した洞窟が岩盤に穴を開け、そこから手に入れた金属を元に、また自分の身体を再構成する。ゆっくりと着実に成長し、十分な大きさとなって必要なエネルギーが手に入るようになる。そこまでいってなお、岩盤に含まれる金属資源が尽きなければ、生命洞窟は宝の山へと変貌する。
ああ、金属、金属、金属。それこそが繁栄への鍵なのに。グレート・ロード大戦で、この惑星の地表に存在した金属資源はすべてが枯渇してしまった。掘り出せる範囲にある有望な岩盤はすべて使い尽くされており、もちろん海中も、海底も、同じ有様だ。わずかとは言え、我々には残された技術と知識があるのに、それを生かす手段がない。
なんという悲劇。
うむ、いかんな。どうも話が脇にそれてしまう。最近はつくづくと、自分が歳を取ったと感じることが多くなってしまった。君は辛抱強いね。雑誌社は良い記者を選んだものと見えるな。
さて、地上にばらまかれた生命洞窟の種は、生命周期の最初の時期にあたる期間は定着して成長する。この期間に使うエネルギー源は、太陽の光だ。二枚葉から四枚葉。太陽電池板が形成されていく様子は、まるで金属の植物が生えているかのように見えるそうだ。もっともその葉はシリコンを中心とした、ナノマシンによる構成体なのだがね。
こうして成長した生命洞窟は、生命周期の第二期に入る。地面に下ろしていた金属の根を巻き上げ、今度は金属の殻を持つ芋虫として地表を這いずりまわり、有望な金属鉱脈を探し始める。この時点での生命洞窟の大きさはだいたいが人間と同じぐらいだ。やはり太陽電池板を主なエネルギー源として使ってはいるが、燃やせるような植物があれば、それも燃料として使用する。動物も襲うことがあるがそれほどしばしばではない。生肉を燃料にするのは難しいから。
ぞっとするな。夜道でそんなのに出会うことを考えると。
そうしてようやく、真の生命洞窟として生きて行くのに必要な複合金属層が含まれた岩盤を見つけると、生命洞窟は定着期と呼ばれる第三期の形態へと変化する。鋭い圧縮硬化金属の歯を岩盤に食いこませ、地層の奥深くへと潜りこむ。尻尾の先端だけを地上に出し、不要な熱や廃棄物を排出する。
巨大な金属のミミズが大地へ潜りこんでいる姿を想像したまえ。冒険者たちは、このミミズの尻尾から入りこみ、ミミズの身体のなかを頭へと向けて降りてゆくのだ。
この段階で生命洞窟が使用するエネルギーは恐ろしい量となる。もちろんこうなるととても太陽電池なんかでまかなえるような量じゃない。生命洞窟が使う総てのエネルギーは、素粒子融合転換コアと呼ばれるものから作られる。この転換コアの内部は燃え上がる地獄が支配している。地獄の炎の中で、物質はその存在を終え、複雑な素粒子交換プロセスを通じて、代りに真空エネルギーの一部が解放される。それは真空エネルギーの総量のほんの一部を掠め取っているだけなのだが、それでも途方もない量のエネルギーなのだ。
さあ、ここまで長々と説明を続けてきたが、問題となるのはこの一点、つまり転換コアの外観なんだ。転換コアは、見た目には静かな青色に輝く多面体、つまるところ、よく磨かれた宝石そっくりに見えるんだ。もちろんその実体は宝石なんかではないし、物質でさえありえない。宝石の輝く切子面は幾重にも絡みこんだ素粒子反応場だし、そこから吐き出される青い光は、力場を通り抜けてきた放射線によるチェレンコフ発光の名残だ。転換コアの青き宝石の外観の中には、連続的な反応を起こしている核爆発にも等しい力が渦巻いている。見た目はとても奇麗だが、ベッドのそばにおいて置きたいとは誰も決して思わない代物だな。少なくとも、頭がまともな者ならば。
ところが驚いたことに、この転換コアを高価で貴重な宝石と勘違いして、保護ガラスを力ずくで割ろうとする馬鹿者が、初期の冒険者の中には存在したんだ。分厚い偏重場ガラスが間にあってさえも、転換コアから放射される素粒子群にさらされるのは危険なんだ。それなのに、こともあろうことか、転換コアを金属でできた剣で突っつくなど、想像しただけで恐ろしい。あれは投入された原子量に応じて、爆発的に反応速度が上がるんだ。もしそれが重金属ならば、山をも吹き飛ばす大爆発を起こす。これほど確実な自殺の方法はちょっと他には思いつかないな。
そういう事件が多発したために、政府は洞窟探検に厳しい資格審査を設けることにした。これが世に悪名高い、冒険者ギルドの登録制の理由というわけだ。決して一般に言われているような、冒険者ギルドによる財宝の独占が目的でないのは、十分に理解して貰えたかな?
冒険者がパーティを組むのは、不注意によるこうした事故を防ぐためでもあり、危険な洞窟探検から生きて帰って来るためでもあったんだ。
ふむ、それは良い質問だ。どうして生命洞窟の中へ、大勢が押し掛けないのか?
どうして冒険者だけに、洞窟探検が許されているのか?
ではその質問にわたしが答える前に、逆にわたしが質問しよう。
生命洞窟の本当の持ち主は誰か、知っているかね?
グレート・ロード。そうだ、それが正解だ。太古のグレート・ロード戦で結局は自滅することになった五大グレート・ロードたち。彼らこそが生命洞窟の真の主人たちだ。
では生命洞窟はどうやってグレート・ロードを識別する?
そう、その答えがマウイマウイ錠だ。グレート・ロードたちはそれぞれが独自の生体シンボルパターンを持っていた。これほど進んだ技術があっても、複製が不可能な唯一のもの。生命活動そのもののパターンだ。生命洞窟はこのパターンを認識するのだ。そのパターンをシンボルと化したものがマウイマウイ錠、そのものだ。
これらの生命洞窟は、その主人たるグレート・ロードの持つマウイマウイ錠にのみ仕える。例えば五大グレート・ロードの一つであったビーン家の生命洞窟は、グレート・ロード・ビーンにのみ開かれるという仕組みになっている。もちろん、グレート・ロードの一族のなかでも、真のグレート・ロードと見なされるのは、その頂点に立つたった一人の人間だけだ。
ははは。わかったみたいだな。この仕組みの不便さが。これでは生命洞窟から何か宝物を取り出そうとするたびに、グレート・ロードの立ち会いが必要となる。そんな不便を、世界の王であるグレート・ロードが受け入れるものかね。だからこそ、それぞれの生命洞窟はあるグレートロードを自分の主人と認めた時点で、自分自身への立ち入りを許可するコード鍵を引き渡す。こうすれば、グレート・ロード自身が生命洞窟を開けるために、わざわざ出かけなくてもいいわけだ。
今までに一度だけなのだが、遺跡から発掘されたコード鍵が、生存している生命洞窟の一つに一致した例がある。マーストリッチ洞窟のことは君も聞いたことがあるだろう。あれがそうだ。いまではあそこは、理想的とも言える洞窟と人間の共生が行われている。人間は他の都市からのゴミを集め、マーストリッチ洞窟へ供給する。マーストリッチ洞窟はそのゴミから、生産活動に必要な資源を集め、その代わりに製品を生み出している。まあこれも、マーストリッチ洞窟がコード鍵を持ったあそこの市長を、グレート・ロードの代理人と認めているからだとも言える。
それ以外のケースでは、生命洞窟は例外なく人間を敵と見なす。洞窟の思考はある意味で単純なのだ。グレート・ロードのみが主人なのだから、その他の人間はすべて侵入者にあたる。侵入者は敵だ。だから捕獲し、殺さなければならない。議論の余地はない。それをためらう理由もない。
さて、コード鍵を持たない人間が近づいてきた時点で、生命洞窟はその入り口をぴったりと閉じてしまう。それを開く方法は、知られている限りでは三つある。
一つめはグレート・ロード自身が洞窟に来ること。これはむろん不可能なことの一つだ。死者をあの世から呼び戻さない限りは。そして死者を呼び出す知識は、まだ我々は持っていない。
二つめは、コード鍵を手に入れること。太古からかろうじて生き延びている生命洞窟の場合には、もしかしたら足元の大地のどこかに、対応するコード鍵が埋まっているかも知れない。それを手に入れさえすれば間違いなく君は大金持ちになれるだろう。コード鍵は金でできた腕輪の形をしていて、基本的に破壊は不可能だ。これを専門に探すトレジャーハンターもいるぐらいだから、発掘できる可能性もないとは言えないだろう。
三つめの、そして最後に残された方法は、万能電子鍵を使うことだ。
そう。万能電子鍵。これもグレート・ロード時代の遺物だ。製作したのはハイテク・ゲリラと呼ばれるグループだ。
万能電子鍵の原理かい?
簡単だ。言うならば、これは生体融合演算機の一種なんだよ。装着者の生身の脳に接続し、それを演算装置の一部として使う。人間の脳というものは高度な判断を瞬時に行える、とても優れた並列演算装置なんだ。生体融合演算機は人間の意識と混ざりあうことで、純粋な人工知性を遥かに越える働きをすることができる。ひとたびそうして超人の頭脳へと変われば、生命洞窟の厳重なロック機構をくぐり抜け、扉を開くことなど造作もない。
もちろん、どのような物事にも悪い面はある。大学で使用されている生体融合演算機に比べて、この万能電子鍵は構造に相当な無理がある。携帯できるように、本来あるべき保護装置の部分が削られているんだ。万能電子鍵を使った者は、かならずその代償を払わなくてはならない。その結果は実に恐ろしいものとなる。
何が起るのかって?
それは一言で言えば部分的な記憶喪失なんだ。
どうも拍子抜けしたって顔だな。いやいや、君はまだ理解していない。万能電子鍵が引き起こす記憶喪失というのは、一般に知られている記憶喪失とはまったく性質の異なるものなんだ。不完全な生体融合によって、負荷がかかった脳の組織の一部が焼け切れるのだと思って欲しい。焼け落ちた部分に含まれていた記憶そのものは、文字通り綺麗さっぱりと消去されてしまう。後に残るのはこれ以上はないというほどの、完全な記憶の空白。そしてそれは決して思い出されることは無いのだ。
一つ、こんな例がある。生命洞窟の扉を開けたばかりのある「盗賊」が、何かとても大事なことを忘れているのに気がついた。それがとても大事なことだけは知っていたが、さてそれが何なのかとなると、どうしても思い出せなかった。周囲にいた他の冒険者たちにも尋ねてはみたが、彼らにも「盗賊」が何を忘れたのかはわからなかった。奇妙な不安を抱えたまま、冒険者たちは顔を見合わせた。
真っ青になった「盗賊」の顔を見て、そうしてやっと彼らは「盗賊」が何を忘れたのかに気づいた。だがそのときには、すべては終わっていたんだよ。
さて、ここで問題だ。「盗賊」はいったい何を忘れたのだろう?
わからないかい。そんなときは、さあ、深呼吸をして考えてみよう。ははは。君はいま、問題の答えを得たわけだ。肺の中一杯に。
その通り。呼吸だよ。呼吸。「盗賊」が忘れたのは、それだ。産まれ落ちて以来、ずっとやってきた呼吸のやり方を、その男は完全に忘れてしまっていたんだ。チアノーゼを起して青くなった「盗賊」のくちびるを見て、他の冒険者が気づいたときにはすでに遅かった。新しく呼吸のやり方を覚える前に、「盗賊」は死んだよ。窒息死だ。大量の空気に囲まれたままで。
だけど、残された者を責めてはいけない。いったい誰が、呼吸のやり方を他人に教えることができるだろう?
それを忘れる人間なんて、そもそもの始めから、どこにもいないというのに。
まあ、冒険者の最後なんてこんなものさ。大金持ちになれるのはほんのわずか。残りの冒険者は生命洞窟の中か、そのすぐそばで死ぬことになる。考えてみれば、生命洞窟とは皮肉な名前だ。その周囲には欲望と死が渦巻いているというのに。
それでも洞窟探検の挑戦者が絶えることがないのは、一度でも大当たりの味を覚えると、止められなくなるからだ。そう。病みつきになるのだよ、この仕事は。例え、死神が道の前に立ちはだかったとしても、何とかその脇をすり抜けられるのではないかと考えてしまう。これがギャンブルの恐さ。生命洞窟探検の恐さというものだ。
ここまでして、生命洞窟に潜りこむ冒険者たちとはいったい何か?
どのような権利があって彼らは、生命洞窟へ侵入するのか?
今度の答えも簡単だ。冒険者には、生命洞窟へ侵入する権利などありはしない。冒険者とはすなわち、違法なる侵入者なのだ。ここに生命洞窟をめぐる総ての軋轢が存在している。
つまるところ、生命洞窟への侵入は極めて危険なのだ。それは洞窟に取っては不法侵入であり、泥棒行為であるのだから。生命洞窟というものは、それを成り立たせている超技術に比べれば、非常に稚拙なものとは言え、無視できないほどには危険な防御手段を持っているのだ。
一方、侵入者の側、つまり冒険者たちも爆発物や火器のたぐいは持ちこめない。生命洞窟自身を徹底的に破壊しかねないこれらの武器を探知するが早いか、たいがいの生命洞窟は生産活動を中止する危険を冒してまでも、特殊な待避行動に出る。冒険者の侵入した区画を閉鎖し、洞窟の地上との結合部を切り離す。それから岩盤の奥深くへと、巨大な金属のミミズにも似たその身体を引っこめてしまうわけだ。こうなればコード鍵が無い限り、地下深くに潜りこんだ生命洞窟を地上に引き戻すのは不可能となる。いや、とにかく、グレート・ロードの時代ならいざ知らず、今の時代に堅い岩盤を超高圧に抵抗しながら掘りぬけるような機械は存在しないからな。岩盤掘削機の知識は持っていても、それを建設できるだけの金属が存在しない。
しかしまあ、こういった議論はそもそもの始めから机上の空論だ。この金属資源の枯渇した時代に、重金属をたっぷりと使った高価な重火器を個人的に所持できる冒険者など、まず存在しないからね。それでも、この洞窟の持つ待避特性こそが、洞窟探検が依然として個人的な商売であり会社形式に出来ない原因でもある。投入できる人数に制限があり、そこから上がる収益にも制限がある以上、会社形式にする利点は何も無いわけだ。冒険者というものはあくまでも個人でやるものであり、それ以上のものには成り得ないんだ。
さて、余談が長くなったな。話を戻そう。
あの時の探検で戦士役を担当していたのが、ダリュアという男だ。戦士というのは力を揮うのが得意な者につけられた通称でな、洞窟の中で通せんぼをする怪物のたぐいを倒すのがその役目だ。もっとも、単に力が強いだけじゃ怪物には勝てない。それなりの技を持っていないとな。
怪物?
もちろん出るとも。
さっき言ったように、生命洞窟にはそれなりの防御機構がある。それが怪物と呼ばれるものだ。怪物の正体は、パワービルダーと呼ばれる洞窟補修を専門に行うロボットだ。生命洞窟の中には無数のロボットが住んでおり、それぞれが荷物の運搬や、壊れた機械の修理なんかをやっている。これらは自律型ロボット工場である生命洞窟の一部であり、同時に独立した機械生命とでも言えるものだ。
ああ、君が頭の中で何を思い描いているのか、わたしにはよくわかるとも。道路工事なんかに使われている自動掘削ロボットを思い浮かべているんだろ?
動きは鈍く、人間に指図された地面を掘り起こすしか能がない、木材と電子部品の醜悪な組み合わせ。識別能力は皆無に近く、岩も人間の頭も区別がつかないような、そんなやつを思い浮かべているんだろ?
パワービルダーはそれとはちょっと違うな。こいつはそもそもが、今の我々の技術を遥かに越える、グレート・ロード時代の産物なんだから。パワービルダーの中には、人間より素早く動くやつも居れば、恐ろしく強力で頑丈な、まるで歩く破砕機械と言った奴もいる。ひ弱な人間が真正面からまともに戦っていたのでは、かすり傷一つつけられる代物ではないんだ。
思い出して欲しいな。生命洞窟の中には火器のたぐいが持ちこめないことを。飛び道具はせいぜいが原始的な石弓か投石器ぐらいまでしか持ちこめない。まったく皮肉なものだよ。科学技術の粋を尽くした洞窟機械の腹の中で、博物館に納められていてもおかしくない骨董品を得意げに振り回しているんだから。
もちろん、そんな原始的な武器でパワービルダーを破壊できるなんて思うのは間違いだ。パワービルダーを形作るナノ変異された鋼材は、人間の力で破壊できるような代物じゃないんだから。
ではどうするかと言うと、パワービルダーに特有のちょっとした弱点を利用するんだ。全てのパワービルダーの体には、緊急停止ボタンが埋めこまれている。まだグレート・ロードがこの世に存在していた時代に、彼等の使っていた技術奴隷たちがパワービルダーに襲われないようにと設置されたものだ。いわば緊急時のための安全機構というわけだな。もちろん、パワービルダーの種類によって、その位置は異なる。ある作業機械は、胸の中央の赤いボタンが緊急停止ボタンだ。破砕作業型のパワービルダーは腕の内側中央に描かれている十字線がそれだ。天井運搬用の蜘蛛型機械ならば、頭部についている複眼の中央だな。長い間に我々は生命洞窟が産み出すパワービルダーたちを分析し、そいつらの急所を解明したってわけだ。
パワービルダーに取り付けられている緊急停止ボタンをいかに素早く押しこむか。冒険者の運命のすべてはそこに賭けられている。冒険者がボタンの早押し競争に負ければ、次はパワービルダーの番だ。そうなれば冒険者は、自分の頭蓋骨についた二つのボタン、すなわち自分の両目を潰されることになる。
むごいって?
しかし、それがグレート・ロードが盗賊を扱うやり方なんだ。グレート・ロードの辞書には不可能の文字はなかったが、同時に慈悲という文字もなかったんだ。彼らが大事にしたのは自分たちの一族のみ。自分たちに仕えている技術奴隷ならば働く限りは生かしておく。生命洞窟に忍びこむような盗賊たちは、そもそもの始めから生きる価値に値しないと、彼らは本気で考えていたのだよ。
グレート・ロードの時代には眼球の再生は比較的に簡単な技術だったのだろうが、今の時代ではとうてい無理だ。再生のための医学知識自体は残されているんだが、それを行うことのできる機械も薬剤も存在しないんだ。神経系の誘導再生に必要な変成有機チタニウムなんて、今ではどこにも残っていないし、それを生産できるだけの十分な年齢を経た生命洞窟は、未だに見つかっていないからな。
どのみち、パワービルダーに捕獲されてしまえば、盲目にされようとどうしようと、どこにも違いなんかありはしない。決して訪れるはずのないグレート・ロードを、暗闇と孤独の独房の中で待たされている間に、冒険者は結局、餓死することになる。
まあ、その点ではダリュアは一流の戦士と言ってもよかった。彼の使っていた武器は何だと思う?
石だよ。石。ダリュアは百発百中の腕を誇る石投げ師だったんだ。腕のわずか一振りで、三つの石をそれぞれ違った的に当てることさえできた。彼は狙った獲物の急所を決して外さなかったし、獲物のわずかな息遣いさえも聞き逃すことはなかった。相手がパワービルダーだろうが、空を飛ぶ鳥だろうが、ダリュアの石つぶては見逃しはしなかったな。わたしたちが貧乏な冒険旅行の間に飢え死にしなかったのは、ひとえに彼のこの技のお陰と言ってもよいだろうな。
ダリュアなら、いまでは映画スターになっている。ええと、あったあった、これがパンフレットだ。この中央に映っているのが彼だ。彼はいま、自分を主演にして映画を取らせている。この映画会社は彼の持ち物なんだ。自分の映画会社の作品に自分で出演しているんだから、二重の意味で彼はもうけているわけだ。彼の名誉のために一言だけ付け加えておくが、彼の役者としての演技も素晴らしいものだよ。
おや、何だって、彼を知っている?
それはよかった。どうかこれからも彼の活躍を応援してやって欲しいな。彼はそれだけの価値のある男だから。
まあ本当のことを言えば、彼のためにこの映画会社を手に入れることにしたのは、わたしの考えだったんだ。
三人の中で一番好きだったのは、僧侶役のマリアだな。結婚を申しこんだが断られたんだ。わたしは。実に残念だったよ。あれほどの女性はもう二度とは見つからないだろうなあ。
僧侶というのは交感能力者を示す。ああ、わからないかな、つまり、洞窟の意識との交感のことだ。生命洞窟っていうのは、それ自体が独立した自意識というものを持っている。機械の意識、洞窟の意識だな。まあ自意識とは言っても、生命洞窟がまだ小さいうちには、実に単純な生存アルゴリズムしか持っていない。これは人間の持つ生存本能に相当する。人が近づけば脅えて入り口をすぐに閉ざすし、危害を加えられればマイクロ波の全周波数帯に響くようにと、泣きわめく。そうこうしているうちに、本来ならばグレート・ロード配下のパトロール隊が飛んで来るという寸法だ。洞窟の赤ん坊。赤ん坊の洞窟。そういうわけだ。
やがてこいつが、人が立ったまま侵入できるほどに大きく成長した時点では、生命洞窟は相当な知性と自我を持つようになる。その図体の大きさに比例して、使用できる知性素子の数が増える仕組みなんだ。一度そこまで成長すると、生命洞窟は侵入者を狙って罠をしかけるようになる。もはや子供じゃないってことだ。自分を守るためには、あらゆる手段を使う。そしてその手段の多くは、非常に暴力的なものとなる。
これが冒険者にとって、いかに致命的なことかは理解できるね?
冒険者の相手は、単純で無目的な動きをする自動機械から、地理に詳しく、かつ統合した動きのできる相手へと変わる。その結果は、パワービルダーたちによる冒険者の袋叩きだ。どんなに強い戦士役がついていても、こうなれば勝ち目はない。みんな揃って、独房の中で、決してやって来ない釈放の日を待つだけとなる。もちろん、食事なんて上等なものは、無し、だ。
そこで重要になるのが機械知性との交感能力だ。腕の良い僧侶は洞窟の通信経路に強制的に割りこみ、その人工知性心理学的な働きにより、生命洞窟にある考えを吹きこむことができるんだ。つまり、ここにいるのは侵入者だが、それでもとても友好的な侵入者なのだ、とね。まあ、そこまでいかなくても、単純に洞窟の通信を混乱させるだけでも十分と言えるな。センサー情報をごまかしてこちらの位置を見失わせたり、向かってくる作業ロボットの動きを凍結したり、あるいは間違った場所へパワーローダーを誘導したりといった具合だ。
僧侶の能力は、人工知性に対する催眠術の一種だと、彼女は説明していた。むろん実際にはそれが何を意味しているのか、わたしには一度も判った試しは無い。そもそも人工知性に、どうして心理学みたいな学問が通用するのかも、わたしには理解できていない。
まあそれでも大事なのは、それが実際に役に立つのかどうかってことだ。
そうだろ?
その点では、彼女の腕は見事だったよ。どんなに獰猛な生命洞窟でも、彼女が触れたあとは、従順な犬同然だ。残念ながら、パワービルダーの中には生命洞窟の命令から自立して動いているやつがいるから、彼女一人だけでどうこうなる話じゃなかったけどね。洞窟探検の基本はチームワークだ。生命洞窟相手に一人きりで戦うのは、目をつぶって集団闘技場で戦うのに等しい。背中を守る者がいなければ長くは戦えない。よっぽど運が良くなければ、暗い洞窟の奥から一人で生きて戻ってこれるものじゃない。
ううむ。彼女は僧侶としては一流の腕を持っていたから、ある高級官僚に絡んだ事件に巻きこまれなければ、冒険者にまで身を落とすこともなかっただろうな。そうでなければ腕の良い人工知性心理学者というものは、どこでもひどく不足しているのだから、職にあぶれるはずがない。教育というよりはむしろ才能の分野なのだよ。人工知性を操作するのは。
しかしまあ、つきつめてみれば、彼女も欲深だったということだろうな。
最初にわたしが言ったことを覚えているかい?
冒険者には二種類のタイプがあるってことを。貪欲なものとロマンチスト。彼女は後者の方だ。極めつけのロマンチスト。彼女は自分の理想をかなえるための資金稼ぎに、冒険者をやっていたんだ。夢に人生をかけると、よく人はいうが、実際に人生そのものを賭けるのは容易なことではない。それには大変な勇気が必要だ。彼女にはそれがあった。ああ、それは確かだ。
いまかい?
彼女の正確な居場所を明かすわけにはいかないが、東の方の小さな修道院に住んでいるとだけは言っておこう。あのことがあって以来、彼女は神への道に目覚めてしまってね。今じゃ本物の尼僧というわけだ。結婚を断られたのはそういうことさ。
彼女の教えはこういうものだ。もし、貴方が恵まれない立場にあると思うならば、見方を変えてその境遇の中に神の意志を見つけなさい、とね。すべては神の試練、それゆえに、試練そのものの中にこそ解決の糸口がある。確かにその通りだ。彼女はそれを実践している。
彼女の株はわたしが大事に保管しているんだ。今では大分膨らんだがね。毎年、その十分の一を教会に寄付するように依頼されているんだが、それ以上に我が社は業績を上げている。つまるところ、彼女は金持ちになる一方だ。教会がその信者にいつも告げている通りに、金持ちは天国に入れないというのが本当ならば、彼女のために別の天国を買ってやるつもりだよ。わたしは。
魔術師のイーニックはその昔、大学で教えていたとの噂があった男さ。フィードブレイン教育機を使用できたほどだから、まあいわゆる天才中の天才ってやつだが、酒で身を持ち崩したっていうお決まりのパターンだ。もしそうでなければ、どこの大学でも、教授にまで上りつめた人間をそう簡単には手放しはしない。極限まで訓練された人間の脳は、生体融合演算機の重要なパーツの一つだから。捨てるにはあまりにも惜しい。教授の死体でさえも、それなりに利用価値があるといえば、その重要性がわかって貰えるかな?
それでもイーニックが放り出されたのは、彼が重症のアルコール中毒になっていたことを示している。酒を飲んだ人間が、規則を破って生体融合演算機に入ったりすれば、ホスト役である演算機までアルコールの影響を受ける。そうした生体融合の結果は、往々にして致命的なものに終わる。恐ろしく高価な生体融合演算機が、アルコールで変性した、ただのタンパク質の塊に化けるんだ。その損失は、いかに寛大な大学評議会でも許容できるものではない。
まあ、わたしがこうして喋っていることの大部分は、彼の知識の受け売りってやつだね。実を言えば、生体融合原理も、分子コンピュータの構成も、うろ覚えでしかないんだ。それもまた仕方がないな。わたしは実務家であって、研究者じゃないのだから。
ああ、魔術師ってのは、正しくは洞窟工学者を意味する。魔術師がいないパーティは、切ってはならないパワーラインを切断したり、踏んではならない特殊な場所をうかつにも踏んでしまったりと、いろいろと厄介な問題が持ち上がることが多いんだ。生命洞窟というのは、本来は人間が中に入るものではないのだから、思ったよりも危険なものが、これも驚くべきぞんざいさで放り出してあるんだ。最悪の場合、そういったドジの中には、生命洞窟の大爆発なんかも含まれるから、魔術師の役目はとてつもなく重要なものと言える。
彼はいまではまた大学に戻っているよ。教授の権利を買い戻してやったんだ。頭蓋骨に埋めこむクラップ端末と一緒にな。生体融合演算機だって、ムラスゴ洞窟から出たばかりの新品を買って、彼につけてやったんだから、大学側だってこの取り引きには満足だろう。むろん、恐ろしく高かったよ。まあ、彼の持ち株の半分と引き換えだから、こちらは別に損はしていないがね。
気が向いたら彼の大学を探してごらん。イーニックのやつもお喋りな男だから、客を迎えるのは大喜びだろうよ。ただし、いまではアルコールから遠ざかっているようだから、酒を手土産にするのだけは止めたほうがいいな。
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