俺がここに堕ちたわけ(後編)

 そうだな、次へ進むまえに少しばかり歴史をおさらいしてみよう。

 お互いに皆殺しや吸収を繰り返した結果、グレート・ロードたちは最後の代になると、同盟関係で結ばれた五つの家系へと落ち着いた。

 最大の富を誇る商人であるビーンズ家、生体工学に優れたブッドバッド家、機械工学の権威とも言えるスラマー家、同盟と法律を司るバスタル家、そして最後がカーナート家だ。この五つの家だけで、地上、地下、海中、宇宙のすべてを支配していた。天国と地獄を除くすべてをだ。

 いや、もしかしたらグレート・ロードたちは地獄も支配していたかもしれん。特にカナート家は。

 そう、問題のカーナート家だ。

 このカーナート家は他のグレート・ロードたちとは一味違う。

 カーナート家は戦いを職業とするグレート・ロードだったんだ。グレート・ロードの依頼により他のグレート・ロードを攻撃する。場合によっては、二つの家に雇われたカーナート家の兵士同士が戦ったこともあると記録には残っている。どうだい。とんでも無い話だろう。

 警備ロボットの胸についていたのはその紋章だったわけだ。

 これがどういうことかわかるか?

 そうとも、おれたちが潜りこんでしまったダンジョンは、カーナート家のダンジョンだったわけだ。

 そもそもカーナート家というものは、警備ロボットなんか一度も所持したことはない。戦士の家系なんだ。やわな警備ロボットなんかお呼びじゃない。

 ここから導き出される結論は一つ。

 そうとも。おれの目の前に転がっているものは、見た目はともかく警備ロボットなんかじゃ決してないってことだ。

 では何かって?

 こいつは、すべての武装を剥ぎ取られて警備ロボットに偽装された、カーナート家の汎用戦闘歩兵だ。

 基本となる模擬人体フレームの設計は完成された技術で、どのグレート・ロードでも同じものを使っている。警備ロボットも戦闘ロボットも裸にひん剥けばどこにも違いは無いものなんだ。紋章を触っていなければ、おれも騙されていたところだったな。

 ああ、カーナート。カーナート。最強のグレート・ロードにして最悪のグレート・ロード。冷酷にして残虐。恐怖の源にして死に神の友。

 カーナート家は戦いの中に産まれ、戦いの中に生き、戦いの中に滅んだ。

 おれたちが入りこんだのは普通のダンジョンなぞではあり得なかった。このダンジョンこそは無限に戦闘ロボットを産み出す戦闘用生産工場洞窟。

 その目的は死と破壊。

 グレート・ロード時代の悪夢であり、伝説に語り伝えられる死の使いだ。

 グレート・ロード時代から残されている知識ポッドに、それに関する専門用語が一つだけ残っている。


 カーナートの地獄穴。


 彼らはそう呼んでいたんだ。

 おれたちの周囲を取り巻く壁の向こうには、無数の殺戮の悪鬼ども、カーナートの皆殺し軍団が待ち構えているのに違いなかった。

 ダンジョンの奥深くへと、宝物を求めて降りつづけるこの見知らぬ連中と共にいながら、おれは必死で考えつづけた。

 何についてだって?

 おれたちがはまりこんじまった、この泥沼の状況についてだ。

 カーナート家はグレート・ロードたちの五大同盟関係が崩壊したとき、真っ先に滅ぼされた家だ。

 一番恐れられていたからこそ、最初に攻撃される理屈だ。カーナート家は敵となった他の四大家に大きな被害を与えたが、最初の奇襲で機動戦力の配置に遅れをとったことが致命傷となり、ついに劣勢を挽回するには至らなかった。

 クローン移植により永遠の命を誇っていたカーナート本人、そしてそれに付随する三十四の属家と二十八の同盟部族が最初の三日間で地上と小惑星帯の上から消え去った。

 そしてグレート・ロード=カーナートは滅び去る前に、ある一つの命令をだした。全惑星周波帯に載せて。それはただ一言だけ。こうだ。


 殺せ!


 カーナート家に属する戦闘ダンジョンは、この命令を忠実に守った。すべての生命を殺すのだ。動くものすべてを破壊するのだ。動くものを産み出すすべてを破壊するのだ。

 ダンジョンの知性は人工知性だ。それは人間とは異なる見方、異なる考え方をする。

 あるものは、手持ちの戦闘ロボットのすべてを無差別殺戮へと送り出した。あるものはさらに地下へと潜り、自らを巨大化させようとした。またあるものは、次のダンジョンへと成長する種を作り、増殖を計った。すべては破壊のために。そのためにだ。

 残されたグレート・ロードたちは全力を尽くして、カーナートの地獄穴を見つけだして片っ端から破壊した。一つでも見逃せば、いつの日にか、カーナートの戦闘ロボット軍団と戦わねばならなくなる。海中も地下も、小惑星帯も、あらゆる手段を尽くして徹底的に捜索された。どんな小さな戦闘機械も見つかり次第に破壊された。カーナートの紋章のついたすべてのものが、大地から洗い流されたのだ。

 だがたった一つだけ、残っていたらしい。ここに。いま。死への渇望を秘めたまま、カーナートの地獄穴が、普通のダンジョンのふりをして。


 そこまで考えてやっと、このダンジョンの意図が理解できた。

 ひとたびカーナート家の残した地獄穴と正体が知れてしまえば、他のグレート・ロードたちが黙ってはいない。グレート・ロードならば、たとえ命のやり取りをしている最中でも、一時休戦してカーナートの地獄穴を破壊するほうを選ぶだろう。それほどカーナートの地獄穴は恐れられていた。

 さてここで、カーナートの地獄穴の側に立って考えてみよう。周囲はみな敵だ。それも自分より強力な敵だ。戦力の質では優っているが、いかんせん量の点で決定的に負けている。では取るべき策はといえば一つしかない。偽装だ。普通のダンジョンの振りをして、正体がばれるその日まで、じっと力を貯え続けるしかない。


 このダンジョンは知らないのだ。すでにグレート・ロードたちの時代が過ぎ去ったことを。

 今では戦闘ダンジョンに対抗できるだけの武力を持った者が、この地上には存在しないことを。

 地上の金属資源の全てはグレート・ロード戦の間に奪われ、使い尽くされ、枯渇した。それとほぼ同時期に、小惑星帯上の金属鉱山との連絡網は失われてしまった。

 今ではグレート・ロードたちの知識の一部だけはかろうじて残っているものの、それを再現できるだけの金属資源は地上のどこにも存在しない。どのような科学技術も、それを支える金属資源がなければ使いようがないのだ。

 その通り。カーナートの地獄穴の活動を抑えているのはひとえに、まだ周囲にグレート・ロードが存在しているという、ダンジョン側の勝手な思いこみだけなのだ。

 もしこの戦闘ダンジョンが地上の状況を正しく理解すればどうなるだろう?

 自分こそがこの世界の王なのだという事実に気がつけば。

 殺せ! それがカーナートの命令だ。

 ダンジョンの内部で生産され、蓄積され続けた戦闘ロボットのすべては地上に解き放たれるだろう。そして今度こそ確実に世界は滅ぶ。

 遥か過去に消え去った、たった一人のグレート・ロードのために。

 死神と呼ばれたカーナートの意志の下に。

 鍵となったのは保存カプセルだと、おれは気がついた。グレート・ロードの最後の時代に創造された技術だ。話には聞いていたが本当に存在していたとは知らなかった。

 特殊な反エントロピー樹脂を使って密封された戦闘ダンジョンの種子は、悠久の時の間を眠りの内に過ごした。そして数十年前のある日、太陽エネルギーを吸収して目覚めたそれは、アイシャン街を見下ろす山の斜面に取りついたのだろう。他のグレート・ロードに見つからないように、地上との最小限の接触を保ち、金属鉱脈を静かに咀嚼しながら、ただひたすら待ったのだ。


 目覚めの時を。

 破壊の時を。


 そして今や、自分が世界中で最も力ある存在となっていることを知らぬまま、それは必死の偽装を続けている。

 今、おれたちはその体内にいる。その認識とともに冷たい氷の感触がおれの身体を貫いた。危険の予感だ。死の感触だ。自分が避けようのない罠に落ちこんでしまい、もっと悪いことに、いままさに罠の口は閉じようとしているのだ。すべての人類の運命を巻きこんだままで。

 ダンジョンが地上の状態に気づくまで、あとどのくらいの時間があるのだろう?

 いまやこのダンジョンが人の目を逃れて、静かに地中に隠れ潜むときは終わったのだ。アイシャン街の人々がその幕を引いたのだ。なんということだ。彼らは地獄の釜の蓋を開けてしまったことをまだ知らない。

 ダンジョンはすでに地上の状態を探査し始めているに違いない。予期される最終戦争のために全力で情報を集めているはずだ。

 電波を使った通信網が、高度な産業を維持できる限界より遥かに少ないことには、すでに気づいているのか?

 軌道上の攻撃衛星のすべてが消滅していることに気づくのにはどれぐらいかかる?

 蜂ほどの大きさの偵察ロボットはすでに放ったあとなのだろうか?

 最初の侵入者であるおれたちだけは無事に街に帰して貰えるかも知れない。未だ戦うには早すぎるとダンジョンが思っている限りは。そうして冒険者たちは騙されたまま帰って、アイシャン街の評議会に伝えるのだ。極めて豊かなダンジョンです。慎重に扱った方が良いでしょう、と。

 続いておれは自分の発見を評議会に伝えることを考えてみた。あれはカーナート家の地獄穴です。直ちに破壊しなくてはなりません。当然、評議会は調査の上、おれの発見を確認するだろう。

 だが、そんなことを確認してどうなる?

 グレート・ロードの時代の武器技術は、いまや存在しないのだ。知識はあっても、それを実現できるだけの金属資源がない。

 評議会が軍隊を送りこめば、戦闘ダンジョンは計画を繰り上げて、手持ちの戦闘ロボットを一気に放出するだろう。

 火薬式の銃で、亜音速で移動する全面装甲された戦闘ロボットをどうやって倒す?

 自動照準式プラズマライフルや空間破砕置換砲に硬化ガラスの戦車でどうやって対抗する?

 駄目だ。勝てるわけが無い。

 では何も言わずに街を去るか。そうすればさらに数週間は命を長らえることができるかも知れない。だが、ひとたびカーナートの地獄穴がその扉を開き、殺戮の悪魔どもを地上に送り出せば、たとえ地球の裏側に逃げたとしてもやがては狩り出されて殺される。一切の誇張なしで、カーナートの悪鬼にはそれだけの力がある。完全装備したカーナートの傭兵ロボットは、それ一体だけで無抵抗な小国一つぐらいならば優に破壊できるものなのだ。

 今から思えばおれがそうやって悩んだのもわずかな時間に過ぎない。だがそのときのおれには永遠の間とも思えた。

 いや、本物の永遠ってやつはここに来て初めて知ったがね。当時はそう思えたものなのさ。

 逃げるもならず、進むもならず、おれは解決しようのないジレンマに悩んだ。そうしているうちにひょいと、とんでもない考えが浮かんだ。このダンジョンを破壊する方法がたった一つだけあることに気づいてしまったんだ。それは破壊的な手段であり、致命的な行動でもあった。悩む暇はそう無かったが、考えた挙げ句、おれは決心した。いま、ここで、この戦闘ダンジョンを破壊しておかねばならないと。そうしなければ、人類は滅亡することになる。

 このことについて仲間と相談しようとは露とも考えなかった。ダンジョンはおれたちの会話に、高感度センサーを使って聞き耳を立てているに違いなかったし、相談する暇も、他の冒険者の意見を考慮している余裕も無かった。相談なんかすれば、きっとやつらはおれを止めるに決まっている。全てはおれが一人で秘密裏にやらなくてはならないことだ。

 いや、そのときは本気でこう考えもしたんだ。神さま、どうかダンジョンがおれの心を読みませんようにってな。

 こら、笑うんじゃない。グレート・ロードが読心装置を発明しなかったなんて、どの知識ポッドにも書いていないんだからな。用心するに越したことはなかろう?

 そうだな。おれはなかばはやけくそで、なかばは貴い使命を背負った気分で、ダンジョンの奥へと進んだ。

 なあに。娑婆に守らねばならない者なんかは残していなかったさ。まあ、これが自分の子供の未来を守るためだとか、愛する妻のためだとかだったら、きっともっと気が楽だったろうな。

 しかしそのときのおれにあったのは、ほかに選択しようのない状況そのものだけだった。

 空中に投げ上げたコインの、表と裏を当てるギャンブルがあるだろう?

 あれの表だけのコインをつかんじまったような気分だったな。ついでに言えば、そのコインを握ったままのおれに、どこかの悪党が銃を押しつけて、裏と言えと強制しているようなものだった。

 どのみち、逃げても逃げきれるものでないならば、あとは単に意地の問題だけということになる。

 おれはずっと前から決めていたのさ。死ぬときは前のめりに死んでやるってな。

 おれの相手は、その昔、この地上を支配していた五大グレート・ロードの一人、死神と恐れられたカーナートだ。戦う相手としては申し分なし。これ以上の大物はちょいと見当たらないだろう。

 そうやって開き直ってみると、おれは自分が存外に気分が良いことに気がついた。

 最後のグレート・ロードを殺したと歴史に残っているのは英雄シャンダルだ。だが、本当の意味で最後のグレート・ロードを殺すのは、このおれ。歴史に名も残らないただの冒険者なのだ。


 はははは。なんとも素敵な状況だね。神様ってのは、意外と粋な計らいをしてくださる。


 そうしてやけっぱちのおれと、その他の何も知らない冒険者たちは、ついに最後の部屋へとたどりついた。途中に置いてあった宝物を無視してまでも、真っ先にこの部屋に来たのはそれなりのわけがある。

 そこはダンジョンの最深部なのだ。深い岩盤の中へとつねに拡張を続けているダンジョンの最も奥には、岩盤破砕機がある。そのちょうど裏手に当たるのがこの部屋なのだ。その重要性ゆえに最も警戒が厳重な場所であり、そして冒険者たちの求めるものが置いてある場所でもある。


 素粒子融合コア。


 このダンジョンの心臓に相当する部屋の、防護ガラスで囲まれた中央で輝いているのがそれだ。見た目は青く輝く宝石、しかしその実体はスタン・フィールドに囲まれた素粒子融合の場なのだ。

 その青い輝きの中で素粒子は生まれ変わり、質量を失い、最後に莫大なエネルギーへと転換する。エネルギーに変わり切れなかった残りの部分は、目にも見えない触ることさえできないニュートリノと、人体を含む物質そのものにとって極めて有害なパラス=クラン・クラクォークへと変化する。

 そうさ。核分裂物質なんかこれに比べたら冷えた粘土みたいな存在だ。こいつは複雑な副素粒子交換プロセスを通じて、真空エネルギーの一部を解放する装置なんだ。それは変化する全体に比べるとほんのわずかな分量なんだが、それでも山一つを丸ごと蒸発させてしまうだけの力がある。

 そうだ。ついにあんたにも判ったようだな。アイシャン街壊滅の裏にあった理由が。おれがここに堕ちた理由が。

 いかにカーナート家の戦闘ダンジョンとは言え、自分の腹の中で核爆発が起こるんだ。耐えられるものじゃないさ。ましてやこいつは融合コアの爆発だ。その爆発の威力は凄まじいの一言に尽きる。

 そうとも、人間には破壊不可能なダンジョンの壁の裏に、無数に蓄えられているはずの戦闘ロボットでさえ、この爆発を免れることはできはしない。全ての悪の種は一瞬にして蒸発し、その余波はダンジョンから吹き出してアイシャン街をも破滅に導くだろう。

 おれは想像のなかのその光景にごくりと生唾を飲みこむと、そっと他の冒険者たちから離れた。

 彼らが夢中になっているのは、この部屋の奥に設置されている金庫だ。ダンジョンはより上階層にある普通の倉庫には保管できないような、極めて高価な生産物をそこに納めて置く。

 この場所は放射能だらけだからな。まともな神経の持ち主なら、足を踏みこもうとは考えないものなのさ。素粒子偏向重畳フィールドガラスの保護があってさえも、周囲は放射能の嵐となる。ここでそうだな、十分間も日光浴をすれば、まずまともな子供が作れない身体になるのは間違いないな。

 このおれもそうだが、冒険者なんて手合いはどこかぶっ飛んだ連中ばかりだから。こういった危険は、わかっちゃいるが無視している。

 まあそういうわけで、このダンジョン最深部の部屋は、冒険者にとって一番に危険な場所であり、また最も魅力的な場所でもあるのだ。

 部屋の奥にでんと構えている大きな金庫を見て、他のメンバーが歓声を上げた。周囲にモンスターの危険がないことを確かめると、彼らはてんでばらばらに金庫のほうへと駆け出した。

 おれには彼らの心の声が聞こえたような気がしたな。やっほう。お宝だ。お宝だ。他じゃ百年かけても拝めないお宝の山だ。そんな声だったな。

 おれは少しばかり歩調を落として、彼らの後についていった。

 これはダンジョンが行った偽装の最終段階なんだ。このときのためにわざわざ生産しておいた贅沢品を、おれたちに渡して自分の街へと持って帰らせる。そうすれば街の人間は喜び、ダンジョンへのアプローチはより慎重になる。中に入る冒険者たちは制限され、正体がばれる確率は最少のところまで減少する。カーナートのダンジョンにとっては理想的な状況だ。

 だがそのためには、この融合コアの部屋を少なくとも一度は冒険者たちに通過させねばならない。ダンジョンにとってこの瞬間は、人間に例えるならば、自分の心臓を他人に預けるのにも等しいものだ。

 おれの目に、右手に続くガラス壁の奥で、青く輝いている素粒子融合コアが見えた。さあ、ここが正念場だ。素粒子融合コアこそはダンジョンの唯一の急所である。おれの想像が正しければ、おれたちの一挙手一挙動を、ダンジョンは機械の目を凝らして、じっと見つめているに違いない。

 おれは呼吸を計りながら、何気ない足取りでもう一歩、融合コアに近づいた。

 偽装はばれているのか。この侵入者は果たして自分の正体に気づいているのか。ダンジョンの人工知性のそんな考えがおれには見えるような気がした。

 このダンジョンはブラックスターの胸のマークが絵では無く、浮き彫りに作り上げられた一枚の金属板であることを知らなかった。カーナートの戦闘ダンジョンは、今までに一度も警備ロボットというものを持ったことがないからだ。化けようとする相手のことをよく知らなければ、騙し通すのは無理というもの。

 とはいえ、これは仕方が無いことである。その製品である戦闘ロボット一体だけで、警備ロボット数百体に相当する戦力に当たるのに、わざわざ警備ロボットを持つ必要がどこにある?

 そう考えれば、ブラックスターもどきのあのロボットこそは、ダンジョンが仕掛けた偽装のもっとも弱い部分なのだ。それにおれは接触している。

 人工知性のメタ・ニューロン論理に取っては、黒と判定する一ミリ手前というところか。

 きっとおれの意図はばれている。このダンジョンはおれが何をしようとしているのか知っている。そんな想像が俺をおじけづかせた。いますぐにでも、殺し屋たちがこの部屋に送りこまれてくるに違いない。おれは汗でじっとりと濡れた手をズボンにこすりつけた。

 ああ、この一見なんの変哲もない壁の向こうでは、戦闘ロボットがずらりと並んで、出番を待っているのだろうか?

 カーナートの悪鬼どもがオイルのよだれを滴らせて、獲物への攻撃命令を待っているのだろうか?

 それでも、できるかぎり何げない風を装って、おれは歩き続けた。恐怖に屈したそのときに、人間は弱くなる。おれはそのことを経験で知っている。

 素粒子融合コアを守っているのは偏重場ガラスだ。こいつは素粒子放射を偏向させる働きを持つ特殊な力場を組みこんだガラスだ。しかし強度の点では普通のガラスと同じと考えて良い。圧縮金属のバエリタイト合金でできている曲がりん棒ならば、簡単に割ることができるはずだ。

 おれは心の中で、これから行わねばならないことを確認した。できる限り素粒子融合コアの近くにまで行き、ダンジョンがおれの意図を悟る前に素早く偏重場ガラスを砕き割り、目にも止まらぬ速度で素粒子融合コアに曲がりん棒を叩きこむ。

 おれが何をしようとしているのかに気づけば、その瞬間にダンジョンは偽装をかなぐり捨てて、手持ちの戦闘ロボットどもを送りこんで来るだろう。そうなれば太古の機械の装備と電子回路の素早さにかなうような人間はいない。数秒でおれたち全員は死体へと変わるだろう。


 いや、そのときのおれの心に迷いがなかったと言えば、嘘になるだろう。

 もしおれの推論が間違っていて、このダンジョンがカーナートの地獄穴なんかじゃなく、ただのダンジョンだったとすれば、おれは大変なことをしてしまうことになる。

 素粒子融合コアの爆発は、ダンジョンを吹き飛ばすだけじゃない。おそらくはアイシャン街までも巻きこむだろう。そうおれは確信していた。

 今までに一度だけだが、素粒子融合コアの爆発の跡を見たことがある。おれはそのとき船に乗っていて、大きな湖を渡っている最中だった。船頭が湖の底を指差して、これが爆発の跡だと言った。おれが濁った水の中に目を凝らして、何も見えないと言うと、船頭は笑って教えてくれた。おれたちが浮かんでいる湖こそが、その爆発の跡なんだとな。

 グレートロードたちでさえ、お互い同士の戦争に素粒子コアの爆発を使うことを禁じていた。

 こう言えばその凄さを理解して貰えるかな?

 彼らは巨大融合コア爆弾を使うことにより、惑星がまっぷたつに割れることを恐れたんだ。


 恐くなかったかって?


 そりゃあ、自分が死ぬことを思うと恐かったさ。だけどまあ、冒険者ってやつはダンジョンに一歩足を踏み入れた瞬間から、己の死に対するそれなりの覚悟はできているものだ。人は誰でもみな死ぬ。それが早いか、遅いのかの違いだけだ。そのときのおれは、ついに自分の番が来た、とまあそう考えていたな。それに融合コアのもたらす死は一瞬で終わる。少なくとも痛みを感じる暇はないとおれは考えていた。ダンジョンのこの一点に数百万度の大火球が生じるんだ。痛みを感じるための神経なんか、あっと言う間もなく蒸発してしまうさ。

 ガラス壁の向こうに見える、青く輝く素粒子融合コアがだんだんと近づいてきた。そしてついに、それがおれの横に並ぶ瞬間がやってきた。


 今だ!


 おれは右腕に持った曲がりん棒を強く握り締め、素早く体を反転させた。それから渾身の力をこめて、目の前のガラス壁目掛けて曲がりん棒を叩きつけた。

 鈍い音とともに、曲がりん棒が弾き返されて、おれの手がじんと痺れた。

 くそっ。なんて分厚いガラスなんだ。そうおれは毒づいたね。今までいろんなダンジョンを見て来たが、ここのガラスは特別に分厚かった。それはつまり裏を返せば、融合コアの活動が特に盛んだって証拠だ。

 いや、実を言えば、それを知って少しばかりほっとしたんだ。このダンジョンが普通のものとは違うことの、これは良い証拠だった。

 おれがガラス壁に二撃目を食らわせたときには、音に驚いた他の冒険者たちも、何が起きているのかに気づいた。彼らはこう思ったんだ。このおれが発狂して、自分たちを道連れに自殺をしようとしていると。

 三回続けて殴りつけ、ようやくガラス壁に細い割れ目が入ったときに、彼らが飛びかかって来た。

 ああ、もちろん、説明している暇なんてないさ。おれは曲がりん棒を振ると、魔術師のこめかみに横殴りに叩きつけた。まずいことに、手加減している余裕もなかった。昨日の友は今日の敵。たぶん魔術師の野郎は頭蓋骨陥没を起こしたと思う。即死さ。そいつが膝から先に床に崩れ落ちると、今度は僧侶と盗賊が二人いっぺんに飛びついてきた。おれはやつらを振り払おうと体を回し、そして見たんだ。

 部屋の向こう側の壁が大きく開き、全身に禍禍しい刺を突き出した黒い人影がいくつも走り出て来たのを。カーナートの悪鬼どもだとおれは気づいた。おれの考えは間違ってはいなかった。このダンジョンはカーナートの地獄穴。無限に自動殺戮兵器を生み出す恐怖の巣窟だったんだ。

 問題には正解したわけだけど、うれしくはなかったな。正解の報いは死だからだ。

 凄い数だったな。あんなに多くのロボットを見たのははじめてだ。そいつらは素早い動きで、たちまちにして部屋の中を埋め尽くした。最初に飛び出て来た悪鬼が、射撃位置につくと武器のついた腕を上げた。その腕の先端から真っ赤なプラズマビームが放たれ、素晴らしい正確さで、おれの体の中心を貫いた。

 いや、正しくはそうじゃない。やつらの武器が撃ちぬいたのは、おれにしがみついたまま、周囲で何が進行しているのかもまだ理解していない僧侶の体だった。

 彼女の体にぽっかりと焼け焦げた穴が開き、絶叫がおれの耳を打った。それまで必死の形相でおれにしがみついていた盗賊が手を離すと、周囲の状況を見て凍りついた。それからやつは部屋の入り口めがけて一目散に走り出した。

 無駄だった、とだけ言っておこう。稲妻の速度で考える戦闘ロボット相手に、改造もされていない人間がかなうわけもない。

 無数のビームが飛び、部屋全体が赤の色に染まった。プラズマビームが赤く見えるということは、そのビームが高度に収束されているということだ。ビーム本体から漏れ出るエネルギーが少ないからこそ、ビームは赤く見える。

 いくつかのことが同時に起きた。エネルギーが集中した盗賊の体が膨れ上がり、嫌な音を立てて爆発した。割れ目の入っていたガラス壁がプラズマビームのあおりを食らって崩壊した。ついに絶命した女僧侶がおれの体から滑り落ちた。

 彼女の死に顔を見て、おれはぞっとしたのを覚えている。その苦悶の表情の中に厳然として存在していたのは、絶対的な死だった。そしてそれは、これからすべての人々に公平に配られるはずのものでもあった。王様にも乞食にも、男にも女にも、年寄にも子供にも、分け隔てなく平等に、しかもできる限り素早く与えられる。決して待たせはしないし、受け取ることを拒否することもできない。


 そしておれはここで、地上に生きるすべての人々の命を賭けて、死に神とのゲームを行っている。


 ゲームの趨勢はきわめて不利。こちらの武器は曲がりん棒一本、相手は高性能の戦闘ロボットが無数。そいつらがプラズマキャノンを構えて、おれの心臓にぴたりと狙いをつけている。奇跡の一つや二つじゃ、この状況が逆転しそうには見えなかったな。

 幸運なことに、ブラズマビームの影響を受けたのはガラス壁だけじゃなかった。周囲の環境に敏感な素粒子融合コアが、ビームからの二次輻射を受けて一気に輝きを強めた。プラズマビームと血の赤で染まった部屋が、今度は融合コアの放つ強くて青い光に満たされた。あまりの強烈な光に、おれはその一瞬なにも見えなくなった。

 プラズマビームが掠めただけでも、融合コアは誘爆を起こす。その事実に気づいて、やつらは射撃を中止した。

 まあ今までに融合コアの近くでビーム兵器を撃ったやつはいなかっただろうからな。ダンジョンでも知らないことはあるって証拠だ。さあそうなると、このあと使えるのは白兵戦用の武器だけだ。


 チャンスだ!

 視力を取り戻したおれは、砕け散ったガラス壁を乗り越えて、素粒子融合コアへと全力で駆けた。そうはさせじと、おれの背後に悪鬼どもの無数の足音が迫った。

 どちらが速かったかって?

 それはもちろんやつらさ。だがおれのほうがやつらよりも、融合コアに近い場所にいた。そういうわけで、おれはやつらより早く融合コアへとたどり着き、錯綜した力場の渦の中へと体ごと飛びこんだ。

 こうなればカーナートの悪鬼どもも遠慮などはしていられない。素粒子融合コアの近くでプラズマビームを撃つのは致命的だが、麻痺ビーム程度ならば大丈夫に違いない。そうダンジョンは決断を下した。

 いやいや、おれは麻痺ビームなんて知らない。麻痺ビームなんてものが存在することを知ったのはそのときが初めてだ。実を言えば、それが麻痺ビームだったのかどうかも確信はない。後でそうだろうと聞かされただけなんだ。

 おれが知っているのは、いきなりおれの体から感覚が消え、全身が硬直したってことだけだ。おれは立ったままで、微動だにしない肉でできた彫像と化したんだ。そうそう、腕まくらをしてうたた寝をしてしまい、目覚めたときに自分の痺れた腕が、まるで他人の腕のように感じることがあるだろう? あれのでっかいやつだ。

 この死のゲームのゴール、青く輝く融合コアは目の前だってのに、おれの体はぴくりとも動かない。右手に曲がりん棒を握りしめたままで、おれは歯噛みした。

 やつらの足音がすぐそばまで迫り、そしておれの体を穏やかな衝撃が走った。それは鈍い音を立ててながらおれの背中にぶつかると、そのまま何もないかのように体を突き抜けた。そうだとも。その武器はおれの骨をバターかなんかのように切り裂きながら貫いたんだ。おれの胸が裂け、その中から鈍い振動音をたてる鋭く尖った金属が突き出した。てらてらと光る何かの赤い液体にまみれた肉の塊がその先に刺さっているのが、いまだ硬直したままのおれの目の中に飛びこんできた。

 すぐに理解が訪れた。そいつはおれの心臓だ!

 おれは心の中で悲鳴を上げた。カーナートの悪鬼の使う超振動槍が、おれの体を引き裂き、おれの心臓を打ち抜いたのだ。

 死の痙攣が起こり、痺れているくせに堪え難いほどの強烈な苦悶がおれを貫いた。狭まりゆく視界の中で、おれは自分の右腕が前に延びるのを見た。いきなり腕の感覚だけが舞い戻った。

 それまで麻痺光線なんて浴びたことがなかったから、知らないのも当然だったな。おれの腕の変異した神経組織は、麻痺光線に対して抵抗性があるってことなんだ。ここの上の連中に聞いた話だから、このことに間違いはないはずだ。

 おれの腕は麻痺光線の束縛から放たれると、今までに何万回も練習した動きを忠実になぞっていった。しっかりと握り締めた曲がりん棒を前に突き出し、そして引き戻す。その動きの素早さには、電子回路でも反応することはできなかった。

 磁場の中を金属棒が横切るときの、ぬるりとした抵抗の感触の中に、曲がりん棒の鉤状になった先端が融合コアの力場に突っこむがつんという衝撃が加わった。

 金属原子をたらふく食らって、融合コアの青い宝石が膨れ上がる。すべてを破壊する素粒子放射の高熱の輝きがおれを包み、さらにカーナートの悪鬼どもを包みこんだ。ダンジョン全体が破滅の予感にうち震えた。

 素粒子爆発がおれの体を消滅させる寸前、おれはたしかに自分の顔が微笑みを浮かべているのを感じ取った。




 だが、それだけじゃあ無い。

 あんたも体験したろう?


 天使たちは暗黒の中を堕ちてゆくおれの周りを取り巻くと、おれの体を計り、おれの心を計り、おれの魂を計った。おれの罪を論じ、おれの罰を論じた。

 おれの行為の結果として、おれは無数の人々を殺してしまった。

 名前も覚えていない冒険者たち、見も知らぬアイシャン街の住人たち。爆発によって巻き散らされた放射能による未来の死者たちの分までも勘定に入れた。

 だがおれはまた同時に、無数の人々とその人々の未来を救った。顔も知らぬ人々を、彼らからの感謝の言葉を聞くことも無く、ただ救った。

 天秤はバランスし、そして傾いた。おれには天国に入る資格がある。だが人殺しは天国には入れない。人殺しは地獄に堕ちるべきである。だが地獄はおれにはふさわしくない。おれは名も無き救世主。


 そうさ、確かに救世主そのものだったんだ。


 ここはいい所だよ。酒もある。食い物もある。おまけに悪魔どもが囚人に行う日課の拷問は、おれたちに限っては免除されている。

 そうそう、あんた、どう思う?

 果たしてロボットというものは地獄に堕ちるものだろうか?

 戦闘ロボットが魂を持っているとすればの話だが。

 あの爆発で死んだカーナートの悪鬼どもはいったいどこに行ったのだろう?

 そう言えばどことなく、あの悪魔どもはカーナート家の戦闘ロボットに似ているな。頭の上に突き出た角は超センサーの詰まった触角だし、手にした刺又は、高速振動槍によく似てる。背中の翼と来たら、これはもう反重力フィールド発生膜にそっくりだ。

 もしそうだとすれば、おれはまだカーナートの地獄穴の中に捕らえられているのかも知れないなあ。

 そう言えば、あんたもおれと似たようなものだったな。まだまだ釈放の日は遠いというのは本当らしい。最後の審判の日とやらは、どうやらずいぶんと先の話らしいから。まあ、その日が来るまで、ここで仲良くやっていこうじゃないか。

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