空の青さを知る頃には
野村絽麻子
1
認識として、カーテンに区切られた空間とそこに鎮座するベッドの上はとても狭いのに、それでも僕は手足を持て余す。ひとりだ。ずっと。いや、現実には違うんだけど。
病院の廊下はいつでも誰かが歩いているし、隣の病室に入っていく看護師さんの押すカートの車輪の音と、リハビリしてるおじいさんと理学療法士さんの声と、誰かの脚に着けられた血栓防止のマッサージ機の稼働音。咳払い。ため息。寝言。そんなものにあふれているはずなのに、僕にはどうしようもなく孤独感が募るのだ。せめて窓が見える位置なら良かったのに。
「栗原くん、栗原マコトくん、検温のお時間です」
そう言いながら既にカーテンを捲って、看護師さんの姿が現れる。ベッドの上に散乱した「ことわざ・慣用句辞典」と「謎解き探偵事件簿」を見て少し笑ってから体温計を僕に手渡して挟むように促す。
「気分はどうかな?」
「えっと、普通です」
「血圧測りますね」
体温計を挟んでいるのとは反対の腕に、ふかふかしたビニールのパーツを巻き付ける。
「マコトくんのお母さん、次はいつ来るって?」
「明後日です」
「そっかぁ。楽しみだね」
ピピピピと体温計が鳴る。
「うん。血圧体温異常なし」
血圧を測る機械が膨らんで僕の腕を締め付ける。僕はそれが苦手だけれどもう六年生なので、ちょっとメガネをかけ直したりなんかしながら、なんて事ない顔でやり過ごす。
看護師さんは素早く点滴の量をチェックすると、一時間後くらいにまた来ると言い残してカーテンの隙間から外に出ていった。また静かになって、それで僕は何となく洟をすすってからまた本に手を伸ばす。
この病院に入院してから十日ほど経つ。
ひと通り治療も済んで、あとは状態が安定すれば退院出来るってことらしい。
仕事があるので毎日は来られないお母さんは、いつも申し訳なさそうな顔で謝るけれど、その辺の事情は僕も理解してるから逆にそんなに謝らないで欲しいと思う。もしかしたらお母さんは母子家庭になってしまった事を謝ってるのかも知れないとはたまに思う。でもそれこそ仕方ないことなので、それは「杞憂」と言うものだ。
さっき読んだ「ことわざ・慣用句辞典」に出てきた「杞憂」が正しく使えた気がして、僕は少しだけ嬉しい気持ちになる。でも、それを伝える相手が側にいないことは、やっぱり寂しいものなのだった。
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