ゼダの紋章 第3幕 ライザーの戦い

永井 文治朗

序章

 「女皇戦争」の帰趨きすうを決定的にした人物たちで最もその功績が後世に正しく伝わらなかったのがライゼル・ヴァンフォート伯爵だった。

 皇室政治顧問、元老院議員にして希代きたいの財政家というレッテルを貼られたこの人物こそ女皇戦争の裏方として暗躍した恐るべき能吏のうりだった・・・などという事自体が信じがたい話だとなっている。

 皮肉な話としてライゼル伯はディーン・エクセイルの編纂した偽典史において二人登場する。

 剣聖マガールと剣聖エドナの例を引き合いに出すまでもなく、実際に二人存在したわけではない。

 革命直前のパルムから逃亡・・・その実、「夜逃げ」したライゼル伯の消息は其処そこで途絶えるが、ベリア共和国建国に尽力じんりょくし、「国父こくふ」とたたえられる天才政治家ライザー・タッスルフォートがかわりに登場する。

 本人自身の健康上の理由で短命に終わらざるをえななかったアリアス・レンセン政権と違い、精力的に70余歳まで国の中枢ちゅうすうにない続けた「国父こくふ」ライザーはメルヒン統一を成し遂げたかつての剣聖エリンにも為し得なかったベリア半島統一国家建国を実現する。

 以降の中原史はベリア共和国、ゼダ共和国、フェリオ連邦共和国の三国史の時代を迎え、文明の進歩による様々な衝突を繰り返しつつも、三国は平和的かつゆるやかな変遷へんせんを歩むことになるのだ。

 ある者はライザーを「奇跡の人」だと呼んだ。

 ある者は「ベリアの悪魔」と呼んだ。

 そして、なんといってもライザーの死に際し、国民達の要望によりライザーが心血を注いだベリア共和国首都エリンシアではなく法都ミロア(ミロア法皇国は既に解体)にて法皇主催で大葬儀が執り行われ、その模様はラジオ中継でエウロペア全土に報道された。

 主催した法皇はナファドから代替わりしたミシェル4世だった。

 ベリア共和国民が国父こくふとしてたたえたライザーはエウロペアの民にとっても誇るべき存在だった。

 皮肉にもライザーことライゼル伯の祖国民たちだけが、ゼダ元伯爵の手腕を正当に評価出来なかったのだ。

 当時の人々がライザーを愛したのはなによりは気さくなその人柄ゆえだった。

 人々の愛した娯楽たる騎士手合い評論の第一人者。

 それ以上に天下万民てんかばんみんのいのちのための政治の実現者。

 結局のところ、ライザーの後継者たちはその後200年間でエウロペア各地に数多に出現したが、出来の悪い模倣者もほうしゃたちばかりだった。

 それは無理もない話なのかも知れない。

 社会構造の最小単位である「家」の存続に苦心惨憺くしんさんたんしたライゼル伯だからこそ最大単位たる「国」の運営で手腕を遺憾いかんなく発揮はっきしただけの話だとライザー本人はなんどもうそぶいた。

 そして、相手の痛いところにつけ込む病的に厄介な性分で、その実それで一番痛い目を見ているのがライザー本人だったから、彼に破滅させられた人々も「いずれはヤツもこっち側にちてくる」と思ったからこそ命を取ろうなどとは思わなかった。

 大体、なんのかんので最後の救済策を用意している周到さに崖っぷちギリギリで皆いのちを拾っていた。

 生活の安定にほっと一息つくと、ライゼル本人がそうなっても一向に構わないという形に落ち着いていたのだと述懐じゅっかいする。

 なんにせよ、「貴族殺しのライゼル」の悪名は結果的にみたら極めて穏便なだった。

 「家」の存続のため死力を尽くした人々は社会の中枢ちゅうすうにそれなりの地位を得ることになったし、運悪く破滅した結果地方にトバされて、そこで領主として領地経営の頭となり、革命後は「知事」となった人々はパルムでの都暮らしを懐かしく思い返しながら、子孫に後を譲ったのちはのんびり余生を過ごしたのだった。

 そして、たいていの人々が後になってライゼルに感謝した。

 「6月革命」の嵐が吹き荒れたパルムでは遙かに安泰な地位にあった大貴族のほとんどがギロチンの悪夢で家族もろとも命絶たれた。

 その暴力的なまでの方法と比べたらライゼル本人の人柄が滲み出る救済策だった。

 そして、当時の社会において誰よりもライゼル・ヴァンフォート伯爵の手腕、頭脳、人柄を認めていたのがエウロペア絶対防衛圏の最高司令官『剣皇ディーン』であり、その義父トワント・エクセイルだった。


「はー、ティルト。まさか特記6号の話と龍虫戦争以上に驚かされるとは思わなかったよ」とセオドリック・ファードランド教授はあきれ返った。「我が家がビリー・ローナンと繋がっていただなんてね」

 法都ミロアでの調査にパルムを発つ立つ直前にファードランド家を再訪問したティルトは国立国会図書館で集めてきた資料を並べた。

「先生からご実家のファードランド家が法曹界では有名だというお話を伺っていましたので、古い家系図で調べた結果ですよ。ローナン判事は娘ばかりでしたのでローナン本家は娘婿とその後裔とが今現在も継承されていますが、次女の嫁ぎ先がファードランド旧男爵家でした。どうも弁護士をされていたようですね」

「そうそう、ローナン家は今も有名だよ。ウチとは比較になんないほどの法曹界の名門一族。しかし元男爵家なのに弁護士とはまたどういうことだろう?」

(だから、センセイの実家もローナンの分家筋だっていってるでしょうが)とティルトはあやうく言いかけた。

 セオドリックは若い野心家だと思われているのに、自身と身内とを過小評価するクセが骨身に染み付いているらしい。

 そのせいか、この気さくで議論好きで自分の専門外の論述にもアレルギー反応を引き起こさず、知見を発揮する御仁に対して本気で「鼻持ちならない」という印象を持つ人物はこの世でたった一人しかおらず、ティルトは現時点では会っていない。

「おそらくは“貴族殺しのライゼル”による温情政策“名門子弟救済措置制度”の結果でしょう。革命後の社会の中枢はその政策の結果、生じた数多のジェントリ(郷士)たちが占めることになりました。改めて指摘するまでもなく、“貴族殺し”というのは比喩表現で、その実、多芸多才な没落貴族の徒弟たちをその才覚に合った安定地位に据えることで、各家庭や公立貴族学校での英才教育を無駄にしまいという話でした」

「考えてみたら破産させておいて、端から掬い上げるっていう凄い政策だよね。今でいうマッチポンプ?」

 火を付けた張本人が率先して消火に尽力する。

 200年前のライゼル本人が聞いたらあまりに的確すぎてショックを受け、この人物らしく閉口するだろう。

「むしろ、爵位なんてものがあるから人間が小さく纏まって守りに入ってしまうとか考えていたのではないでしょうかね」と言ってティルトとセオドリックはひとしきり笑い転げた。

 因果は応報する。

 この物語の最後でティルトのご先祖サマが判明するが、その人物の名を聞いてティルトは顔面蒼白となる。

 つくづくこの一族は自分の足許だけは確認するのが最後になるのだ。

「なんにせよ、汲々と足掻かせておいて才能を極限下で引き出し、適正に見合った進路を用意する。まさに皇室政治顧問の手腕の見せ所だったのでしょうね。財政の逼迫は革命前の女皇国も下級貴族たちも頭の痛い問題で、なによりライゼル伯自身がそうであり、盟友ビリー・ローナンとてまたしかりでしたから」

 学費に苦慮するビリーはダリオ、カルロスと貴族学校首席の座を争い、勝ち抜いてエルシニエ大学への奨学金進学を果たし、卒業後に法曹界の門をこじあけた。

「爵位は取り上げられるが子孫は安泰・・・だったってことだよね。ボクのケースを考えてみたらば」

「いまの世にも掃いて捨てるほどいるんでしょうね、ライゼル伯に救われた人々の末裔たちが」

 6月革命において大貴族家のほとんどが消滅した。

 革命戦争の戦勝者陣営となったレオハート・ヴェローム家は現在も変わらず続く国王家だ。

 ただし、共和制ゼダでは象徴国王でしかなく名誉職だが現在も続いている。

 カロリファル家はトゥドゥールの戦没により無嗣断絶した。

 サイエス家は民衆によって叩き壊され、その最後の一人がギロチン刑死した。

 メイヨール家はそもそも名称だけ残った空白の公爵家だった。

 最大貴族の四大公爵家でその惨憺たる有様だったから、その他の門閥貴族などはもっと悲惨な末路だった。

 そして肝心のヴァンフォート伯爵家は一家総出で逐電した。

 文字通り「一族郎党を引き連れてパルムから退去した」という徹底ぶりだとされる。

 ライゼル伯は様々な理由で巷間の人気が高かっただけに、「ライゼル伯を散々に酷使した挙げ句に責任だけ押しつけ追い詰めた輩ども許すまじ」として在パルムの門閥貴族たちは民衆たちから執拗に恨まれた。

 その結果が6月革命での凄惨なる血祭りだった。

「そういえば先生はホテル・シンクレアってご存じですか?」

「ああ、グループのホテルを国内外での出張先でよく利用しているよ。確か本店がアルマスだよね」

 セオドリック・ファードラントは自宅居間にTVを置いていたがスポーツ観戦以外は好まない。

 アンナマリーも番組を選んで観ている。

 それでもホテル・シンクレアを知っているのはTVCMがあまりにも有名だったからだ。

「ええ、実はボクの母が結婚前に働いていました。それでパルムから骨董品の買い付けに来るオヤジと知り合って親密になったんだとか」

「それはそれは・・・だけど、世間話で終えるつもりはないよね?」

「ええ、エクセイル家の家祖がシンクレア。そして中興の粗たるギルバート・エクセイル公爵がエルシニエ大学の創立者で女皇国5番目の公爵家。そこまでは突き止めましたが、同じ名前持つホテル・シンクレアグループの経営者一族を辿ったら意外な人物に突き当たったのです」

「もったいぶるなよ、意外な人物ってマサカ、エクセイル家でもなかろうに」

「勿論違いましたよ。辿ってみたらパトリシア・ベルゴール女侯爵でした」

「えっ、《13人委員会》発足時メンバーの一人?」

「この女性も食わせ物なんですよ。なにしろアラウネ事件が起きるより前に侯爵位を棄てちゃって民間ホテルの経営者に鞍替えしていたのですから」

「財政的に行き詰まる前に?」

「いいえ、ベルゴール家は財政的に行き詰まるどころか門閥貴族の中でも潤沢な資金持つ辣腕経営者一族ですよ。なにしろ、ベルシティ銀行やヴェローム銀行の株式も大量に保有していましたし、そもそも“パトリック・リーナ”誕生を仕掛けたのも彼女です。ベルゴール家は当時のベルシティの保有株数では5本の指に入る。その彼女が筆頭株主たるリーナ家の娘の縁談として入局間もないパトリック・フェルベールを推挙したんです」

「それが結果的にはメリエル皇女の養い親となったか・・・なんだかキナくさいな」

「実際問題、万事それで上手く行った。経営陣とオーナーサイドの対立は何処の企業でも避けられなかったものですが、筆頭株主にして経営陣最高責任者という例は創業者一族でもない限りそうはありません。革命当時のパトリック・リーナが銀行内では“総帥”と呼ばれていたのも頷ける話です」

 ティルトの話し方のクセをすっかり摑んでいたセオドリックはそれが重大な事実告知の前置きだとすっかり理解していた。

「それで何処まで調べたんだね?」

「母のコネでどうにかベルゴール家の末裔の方にお会いできないものかと尋ねてみたら、なんと会ってくれるというので、つい先日パルムに住むホテル・シンクレアグループの会長であるパトリック・ベルゴール氏にお会いしてきました。彼もエルシニエ大学経営学部の同窓生でしたのでその誼で。人のウワサには聞いている法史学のファードランド教授が後援している学生調査に協力したいと。その上で教授もあちらの教授も揃ってお得様なのでくれぐれもよろしくお伝えしてくれと言伝てられました」

 あちらの教授というのはおそらくは恩師のことだ。

 その師弟関係の不仲まで有名だとしたら今後とてもバツが悪いとセオドリックは苦笑した。

「いやいやそうかそんなに広まっていたとはね。それにしても、ベルゴール家の現当主はパトリックというのか・・・まぁ、中興の祖がパトリシアなのだから男性名でパトリックねぇ」

「パトリック氏とお会いしたら一目で真相がわかりましたよ。なにしろパトリック・ベルゴール氏はパトリック・リーナ氏とうり二つでしたから」

「なんだって」と驚愕したセオドリックはティルトがそそくさと二枚並べた写真を見比べて驚愕した。

 カラーとモノクロの違いはあるものの、其処に写っている人物に血縁関係がないとは思えないほど酷似していたのだ。

「それでお伺いしたところ真相を話して頂けました。実際のところは一族の恥でもなんでもない話でして、すべてはパトリック・リーナの愛妻セシリア・リーナ夫人の夭折が原因だったのです」

「うん、セシリア夫人がパトリック氏の実子後継者を産まないまま夭折したというのはこれまでの話にも出てきたことだよね」

「ただ、その後がいけなかった。“総帥”と呼ばれたパトリック氏は後添えを迎えることを断固として拒否したのです。困ったのはベルシティ銀行の大株主達です。《鉄の睾丸》パトリック・リーナを一代限りで終わらせてなるものかとあの手この手で奔走したのですが、頑なに首を縦に振らない。それでついにたまりかねたパトリシア・ベルゴール嬢が“アタシだったら文句ないでしょ。子供がいようがセシリアの後添えになんかならないわよ”とパトリック・リーナに関係を迫った結果、無事に後継者たる子供が産まれたというわけです」

「それって無事なのか?」とセオドリックは呆れ果てた。「つまり、パトリックとパトリシアの子供が現在のパトリック氏のご先祖ということか・・・なんだか名前が大渋滞しているが」

 ティルトは柔らかく微笑して先を続けた。

「そもそもパトリシア嬢も訳あって結構なお年まで未婚でしたからベルゴール一族内でもやきもきしていたらしいのです。ベルゴール侯爵家も皇分家筋ですもの。爵位を放り出したのは他の門閥貴族たちへの当てつけ。なによりパトリシア嬢の大本命がローレンツ公だった。そのローレンツ公の排除に門閥貴族たちがよってたかって謀略の限りを尽くした。そこまで人を憎むものなのかとパトリシア嬢も人間不信に陥り、ローレンツ公がアリョーネ陛下への失恋と同時に失脚し、パトリシア嬢も傷心の身だったわけです」とティルトは当時のパトリシア嬢の心中を察して苦い顔をした。「だから余計に貞淑な夫たるパトリック・リーナに心惹かれたんでしょうね。彼は理想的な入り婿でしたから」

 セオドリックはむぅんと考え込んだ。

「しかし、だとすると余計におかしいな?なんでまた侯爵家を放り出してホテルオーナーに鞍替えしたんだろう?門閥貴族の一員としてローレンツ公を後援しなかったことが逆に不可解だよ。潤沢な資金に恵まれた侯爵家ならばそれだけの発言力はあっただろうし、窮乏した公爵家を財政的に支援することも・・・」

 その一言にティルトの脳裏に天啓のひらめきが走った。

 ある男の傍若無人によりカロリファル公爵家、ヴァンフォート伯爵家は財政的に追い詰められていく。

 そして、ライゼル・ヴァンフォートの妻はメリッサ・モナース。

 モナース家も革命前のパルムでは爵位こそない皇分家筋の資産家一族だったが、ライゼルの夜逃げに便乗してパルムを逃げなければならないほどに逼迫することになった。

 そのモナース家はモナース商会を経て、ベリアにあるモナースグループとなっている。

 ベリア共和国首都エリンシアに本拠地を置く巨大財閥だ。

 なにしろ、巨大な国土のベリア国内でモナースと無縁でなどいられる筈がない。

 ありとあらゆる産業に息が掛かっていた。

 それこそ、トイレ紙から地下鉄、各レストランに卸される食材など、多民族国家たるベリアにおいてモナースは事細かに配慮し、各民族の生活習慣にあったサービスを提供していた。

 政界のタッスルフォート家に対し、財界のモナース家。

 エウロペア三国において最も勢い盛んなベリア共和国は二つの家に支えられていた。

 それこそ、彼等の居た以前に誰が統治していたかの想像が難しくなるほどだった。

 そこまで成功したモナース家がパルムでは倒産寸前に追い込まれていた。

「正確には侯爵家を放り出したのは表向きの話です。とある貴人たちのセーフハウスとしてアルマス前線基地の様子が見える場所にあらかじめホテルを建てておいた。それをパトリシア・ベルゴールが取り仕切るために現地に赴いていた。それも《13人委員会》の計画通りでした。そして、龍虫戦争が始まって以降は絶対防衛戦線の仮設庁舎兼幹部級の仮宅として《ホテル・シンクレア》が機能していたのです。そしてホテルの名称たる『シンクレア』もそのことにエクセイル家が一枚噛んでいた証です。ベルゴール氏から一枚の写真をお借りしてきました」

 借りたのではなくコピーだとセオドリックは思ったが、視線をやった後に思わず二度見してしまった。

 そして、慌ててアンナマリー夫人を呼んだ。

「おーいアンナぁ、ティルトがまたとんでもないものを掘り出してきたぞぉ」

 ティルトが指摘した人類絶対防衛戦線の幹部たち。

 そして、其処に穏やかな微笑みと共に巨漢の老人と並んで写った老夫婦こそがティルトの言う“とある貴人たち”の正体だった。

 ちなみにこの幕において実質的な主人公となるライゼル伯もバツの悪そうな顔をしてはしっこに写っていた。

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