神様。私××たいよ。

真田あゆ

episode.1

1年前。私は死にたかった。過去の話ができるんだから、勿論死ななかった。死にたい、辛い、苦しい、そんな感情はすべてを諦めたくなるほどに重たいもので到底一人で持てるものではない。かと言って、誰かと一緒に背負うこともまた、難しい。


3歳からピアノを習っていた。練習はいつもきつくて辛かった。母もピアノを習っていて、家では母がピアノの先生だった。ピアノをやらなければ人と遊んではいけない。呼吸をするように弾け。と、母はいつもいった。しかし所詮は小学生。遊びたい盛である。だから、私はいつも練習をサボっていた。でも、年に1度だけあ発表会は好きだった。私が弾くとみんなが喜んで、褒めてくれた。みんな花束やお菓子をくれたし、大好きな幼馴染とも会える数少ない機会だった。その発表会のために歳を増すにつれ少しずつ頑張れるようになっていった。頑張ればみんなに褒められた。それは私に何にも代えがたいほどの喜びを与えた。だけど、私は怠慢だった。発表会が近づくまでほんの少しも頑張りやしなかった。いつもサボって本ばかり読んでいた。そうすると母はいつも怒ってピアノの前に座らせた。ちゃんと弾かないと、脇腹を殴った。それでも弾けないと、髪をつかんで私を外に出した。外に出すのは冬だろうと、どれだけ寒かろうと関係なかった。上着もきずに、部屋着のまま出された。だから私はいつも母を恐れていた。母は手が思うように動かない人だった。日頃の生活に支障はないが、ピアノを弾くには致命傷だった。そのせいもあるのだろうが、母は私に期待をかけた。先生方は私に母よりも大きな期待を寄せてくれた。誰よりも時間を割いて私が発表会の華となるようにしてくれた。貴方は頭がいいからできる、とよくいってくれた。でも、それが年々重石となった。私は怖かった。ひたすらに怯えていた。何に怯えていたのかはわからないけど、怯えていたことはたしかで、逃げ出したいとばかり思っていた。


だから、逃げだした。


中学3年の夏、発表会を間近に控えたある日。私はその日までずっと体調を崩し、寝込んでいた。ずっとベットに寝転び薬を飲むか、スマホをいじるか、本を読むか、ゲームをするかという怠惰な日々を一週間ほど送っていた。母にはそれが、体調が悪いのは治って、ただピアノをひきたくないからやっていることだと思ったのだろう。その日、母は家に帰ってきてすぐに私の部屋に来た。私の部屋には扉がなく廊下の様子が丸見えの部屋だった。母は、怒りの形相で廊下を歩き、部屋に入ってくるやいなや枕元の充電器を抜いた。そして、私からスマホを奪おうとした。その時の私は体調よりもメンタルを崩していて、唯一の心のささえと言っても過言ではないのがスマホだった。だから私は必死に取り返した。母に馬乗りになられて、そんなに死にたいなら殺して私も死んでやる。と言われながら必死にスマホを取り返して外に出た。ずっと寝込んでいたとは思えないほど身体は軽やかに動いた。坂を下って、人がいそうな家のチャイムを鳴らした。追ってくることはわかっていたから、匿ってもらいたかったのだ。でも、世の中そう上手く行くものではないから中々人は出てくれなかった。2軒ほどチャイムを鳴らしたが音沙汰がなかったため私は大通りのそばにある公民館に走った。公民館の裏手に座り込んで、必死で取り返したスマホを取り出し、耳に当てた。そう、その時私は通話中だったのだ。母と揉み合いになる前から話しており、母が帰ってきたということで一度黙ったのだ。恐怖に震えながら、名前を呼び事の経緯を話すと、その人はすでに警察に通報してくれていた。しかし、当人からかけ直してくれと言われたと教えてくれた。すぐさま私は通話を切り、110の番号を押した。かけるのは初めてのことだった。夏の生ぬるい風も寒く感じた。心のなかで"はやく"と唱え続けた。直ぐに警察の人は出てくれた。事の経緯を話すと近くのパトカーを向かわせてくれるとのことだった。しかし、私の家はなかなかに辺鄙な場所にあるため15分ほどかかると言われてしまった。15分の間私は警察の人と出来事について詳しく話していた。その間も私はひたすら"はやく"と唱え続けた。ずっと父や祖母から電話がかかってきたからだ。母からもかかってきたが、すぐさまブロックした。父と祖母もブロックしたが、探し回っていることはわかったので心底恐怖を感じていた。車が近くを通るたびに怯え、曲がり角だから減速していたことも、かの有名な犬がたくさん出てくる映画の悪役のように、舐め回すように車から探されているように私は思えた。パトカーが近くに来たという知らせを聞いたときは少し安心した反面、姿が見えないせいで怖いままだった。

ようやくパトカーが姿を表すと、中からふたりの男の警察官がでてきた。警察官の人は話し中の警察官の人と話させてほしいといったので、私はスマホを渡した。その間にもう一人の人は、私をパトカーの中に乗せ、震える私に"もう大丈夫"と繰り返した。少し私が落ち着いてきたところで、名前や住所、事の経緯を聞かれた。私はそれでも大通りを気にしながら答えた。すると、2台ほどのパトカーが遅れて到着した。中から女の警察官が1人と男の警察官が3人降りてきた。女の警察官の人がついてからは、その人が私のそばにいてくれた。その間に他の人は話し合い、私を一度警察署に連れて行くという話をまとめた。ちょうどそのタイミングで1台の車が公民館のロータリーにやってきた。私はそれを見つけてまた、震えた。そう、その車は母の車であった。見慣れたその車に震えていると、警察官の方が分散した。2人程の警察官が母の方へ行った。私は母と入れ替わりのように、警察署へ向かった。ちらりと窓から見えた母の顔はやはり怖かった。私は、警察官の人が話し合っているタイミングで先程の人と通話を繋ぎ直した。その人は、あのときの私にとって安定剤のようだったからだ。話すわけでもなく、ただ繋いだ。

警察署までの道のりを辿るのは2度目だった。1度目は迷子の犬を届けるためだった。2度目があるとは思わなかったし、その理由がこのようなことになるとはもっと思っていなかった。2度目の道のりは、1度目よりも短かった。

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