第21話 ロートパゴス(3/4)

「リクラフルスは、セルダニアを攻撃する口実を求めている」


ファティマの口から、穏やかでない事実が告げられた。


――空腹のままでは聞いていられない。

アーヴィンはファティマの言葉を真剣な面持ちで聞きながら、冷めきった肉詰めドルマの皿に手を伸ばし、ナイフで小さく切り分け始めた。


「私は王――兄のアティークから、そう聞かされた。真偽はわからない。王家の女が他国に嫁ぐのは、国の安寧あんねいのため。タシトゥールは盟約が破棄され、二国間の争いに巻き込まれることを恐れた」


「王家の船が直接セルダニアに向かわなかったのは、イージェプタが真正しんせいの中立国だったからか」


そう言って小さく切り分けた肉詰めドルマを口に含むと、アーヴィンの咀嚼そしゃくが一瞬止まった。

冷めてはいるが、パセリやニンニクなどの香辛料がよく利いている。


「それもある。あとは、イージェプタの国内で起こった事は、国際問題に問われても、タシトゥールのうかがい知ることではない、と建前を守るため。たとえ王女がリクラフルスに攫われても、タシトゥールは言われたことはやったまで、と」


「……つまり君はもともと、セルダニアに引き渡されるつもりがなかったのか」


「セルダニアでもリクラフルスでも、王家の娘が引き渡されていれば、こちらは言いつけを守ったぞ、という建前が欲しかっただけ。私がどちらに行こうとも、兄には関心がなかった」


「王族の娘のわりに、ずいぶん粗雑な扱いをされてるように思えるが」


「王家に生まれた娘は、そういう運命だと常々聞かされてきた。私たちが奴隷や家臣たちに大切に育てられてるのは、このためだから」


「……立派な心意気で」


ファティマの模範的な回答に、呆れとも感心ともつかないニュアンスで、アーヴィンが答えた。


「タシトゥールの王族は、そもそも人柱ひとばしらまつりごとで何かが起こった時に、国民の不満を受け止め、代表で責任を取るための立場、それが王家。良いことばかりなわけがない。悪いことがあった時には、国民のたまった鬱憤うっぷんのはけ口になることの方が、主な存在理由」


「そんな意識を持って王宮で暮らしてるなら、大した統治者だ」


パプリカの肉詰めドルマの方は、玉ねぎや胡椒などが含まれ味が変えてあった。

蒸した葡萄の葉で牛肉を包んだものは、葡萄の爽やかな酸味と少しの渋みが口の中で後を引く。

朝から食べるには手の込んだ料理に、アーヴィンは顔を曇らせる。

隣のクリスは二人の会話に入る隙を見いだせず、黙って肉詰めドルマを頬張っていた。


「ロータスの樹は、昔はトゥアレグ族が管理していた」


ファティマは肉詰めドルマを食べる二人を正面に見ながら、一度喉を潤すように紅茶チャイを口に含んだ。


「トゥアレグ族は、今の私たち王家の、大元の部族。王族になったのは一部だけど、王家ではないトゥアレグ族は今でも奥地にいて、王室との関係も深い」


砂糖も入れずに冷めた紅茶チャイを無心で飲むファティマに気付き、クリスは竈に置いていた下段の薬缶ケトルを持ってきた。


「タシトゥール王家の男たちは、王や側近の務めを終えると、ジェルバ島メニンクスに移って、ロータスの樹の世話に余生を費やす。門外不出の植物だから、王族しか近寄ることが許されない」


少年はファティマの空けたグラスを黙って受け取ると、濃く抽出された紅茶チャイを少量入れた後、薬缶ケトルの白湯を注いだ。

グラスを受け取った彼女は、クリスの顔を見て目元を緩ませる。


「ロータスの実がないと、私たちの輿入れは完遂しない。無いままセルダニアに行っても、意味がない。身代わりは、時間稼ぎのつもりだった」


「その実はあの商人が言ってた、き、……言っていたことに関係してるのか?」


アーヴィンは『鋸歯きょしの子宮』と言おうとしたが、ファティマの横に立つクリスを意識し、明言を避けた。

その単語を十歳に満たない少年に聞かせて、どういうことだと聞かれると、こちらが説明に困ると判断したのだ。


「効果はわからない。聞かされてたのは、ロータスの実を王家の娘たちが食べることによって、婚姻が完了すると」


「……それがないと君は『結婚』できない、ってことか」


「そう、みたい」


ずっと話し通しだったファティマに気遣い、クリスは彼女の皿に盛られた肉詰めの隣に、パンエキメッキとチーズを置いて食べるように促す。


「そのロータスの樹を直接に見に行ったところで、どうなるんだ。たとえ君が島に行けたとして、実を採取できるかは別だろう」


アーヴィンは千切ったパンエキメッキを口に含み、冷めた紅茶チャイで流し込む。

話し続けて食べる隙がないファティマを、心配そうにうかがうクリスを見て、溜息をついた。


「私は……自分の役目を全うしたい。王家の秘蔵と言われるロータスが、どんなふうにできているか、この目で見たかった」


「使命というより、興味本位で抜け出したようにも聞こえるが」


「王宮の外に出られるのは、生涯でこの婚礼の一度限りだと思っていたから。ロータスの実を取りに行ったと言えば、後で捕まっても大目に見てもらえるかと思ってた」


「ずいぶん甘い考えだな。もともと必要とされていたものが、今回用意されなかったと言うことは、産地の不作だの事情があるんだろ」


「……わかってる。私は、王家が大切に育ててきた樹を、一目見たかった……」


ファティマは肩を落として絞り出すように呟くと、クリスの手によって注がれた紅茶チャイの、赤褐色の揺らぎを静かに眺めていた。


「……ロータスの樹は、神話の中でしか語られていない伝説の木だ。本当にあるものなら、ぜひお目にかかりたいものだが」


王族どうこうの話は置いておいて、個人の素直な感想を吐くと、アーヴィンは宙を仰いだ。


「お願いします……。私を、ジェルバ島メニンクスまで連れて行って、ください」


「……俺が?」


アーヴィンが顔をしかめてファティマを見ると、彼女は真剣な面持ちで口を開く。


「身代金の交渉ができないから、赤字なんでしょう? ロータスの実が手に入ったらアーヴィンにあげる。それを売るなり、増やすなりしていいから」


「どうやって見つけるつもりだ。君だってジェルバ島に行ったことがないんだろう。王家の秘蔵で隠してたものなら、すぐに見られるもんじゃないだろ」


真っ当な意見をぶつけられ、ファティマは唇を噛んで押し黙る。


「不確定要素が多すぎて、交渉にならない。無謀な駆け引きは、なんの利益も産まない」


アーヴィンはポットに手を伸ばすと、自分の空いたグラスに紅茶を注ぐ。


「王宮の中で大切に育てられてきたお姫さまに、世間の何たるかを今更いたところで、どうにもならないが。俺たち庶民は今日、明日を生き延びることで必死なんだ。自分たちの生活と安全が保障された政治体制さえ整えば、王家の存続には関心ない」


きつめの口調で言い切ると、グラスに口を付けた。

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