40. 春休み、櫻子と過ごすとある1日

 3月24日。待ちに待った、櫻子と約束したおうちデートの日!

お気に入りの緑のワンピースを着て、宿題を持って、櫻子のおうちへ向かう。引っ越し作業も終わっているので、今日は可愛さ重視!

 櫻子のおうちについて、インターホンを鳴らす。

「琴葉です。」

『はーい。』

 櫻子が扉を開けてくれる。

 今日の櫻子は、黒地にアザミ色の花柄のふわふわなワンピース! 綺麗な黒髪は金のバレッタで留められている。可愛い! 

 胸元には2人のお揃いのネックレス。もちろん、私の胸元にも。

「いらっしゃい。暖かい日ね。今からハーブティー淹れるけれど、あったかいのと冷たいのどっち?」

「じゃあ、冷たいのでお願いします。階段登ってきたから暑くて。」

「ふふ。わかったわ。ソファーでくつろいでて。」

「はーい。」

 この前のバレンタインでチョコパーティーをしたリビング。部屋は相変わらずきれいに片付いている。先生は激務のはずなのにどうしてこんなに綺麗に出来るのか。

 ガスコンロに火をつける音がチチチチチと鳴る。

「今からお湯沸かすの。待っててね。」

 カサカサと乾いた音。お茶の葉っぱを出しているのかな。

 カチャ。ガスコンロの火を消す音。

 ジャー。ポットにお湯を注いでるね。爽やかな香りがしてきた!

 ほどなくして、櫻子が氷の入ったガラスのカップを2つとガラスのポットを持ってやってきた。ガラスのポットにはミントともう一つ何かのハーブが澄んだ黄緑色のお茶に浮いている。

「お待たせ。ミントとレモングラスのハーブティーよ。リフレッシュ効果と、集中力がよくなるんですって。」

「爽やかな香りですね。色も綺麗!」

 櫻子がカップにハーブティーを注いでくれる。

「耐熱ガラスだからこういう淹れ方しても大丈夫なはず……。」

 ガラスのカップに注がれたハーブティーは初夏の草原を思わせる澄んだ黄緑色に満たされる。

「これ、緑茶ですか?」

「ええ、緑茶をベースにミントとレモングラスを混ぜてるの。貴女は宿題やりに来てるわけだから、目にも綺麗でスッキリした味のお茶にしてみたの。」

「美味しいです! 真夏に飲んでも美味しそうですね!」

「本当は夏向けのレシピなの。でも、勉強しながら飲むならこれが一番かなって。お昼ご飯も食べるけど、どんな食事でも合いそうだし。たくさん淹れたから遠慮なく飲んでね。」

「疲れた頭に沁みそうです。そうだ、お昼ごはんどうします?」

「またスーパーに買いだしに行くのも楽しいけれど、時間がもったいないから、今回は私が買っておいたわ。インスタントのスープと、パスタと混ぜるだけのソースと、出来合いのサラダくらいだけれど。」

「充分ですよ! 後で食費半分は払いますね。」

「払うって言っても、せいぜい数百円にしかならないから今回はおごりでいいわよ? そんな程度の額を貴女に払わせるのも逆に申し訳ないわ。それに私のストックにするつもりで味何種類か買ってるから。」

「そう、ですか。」

「ぶっちゃけ時間重視でインスタント食品ばっかりだからその時間で貴女がたくさん宿題進めてくれる方が嬉しいわ。早く終わればその分2人で過ごせるでしょう?」

「そこは先生の立場なんですね……。」

「宿題やりに行きたいって言ったのは琴葉でしょう? それなら私は集中できる環境と時間を整えるのを最優先するわ。私達は恋人だけど、琴葉が卒業するまでは私は先生だってこと、忘れないで、ね?」

 小さくだけど櫻子が迫ってくる。クリスマスのデートでは「先生」と呼ばないでと言っていたけれど、立場そのものは忘れないで、ってことね。真面目な櫻子らしいよ。でもそうは言っておきながら迫ってくるのはズルいです! 言ってることとやってることがちょっとずれてませんか櫻子先生!

「こ、これで集中って。」

「ん?」

 櫻子が首をかしげてる。わかっててやってる気がしてきたぞ!

「な、何でもないです! 早くご飯食べて宿題やりましょう!!!」

 逃げておかないと宿題どころではなくなってしまう。100パーセント先生モードじゃない櫻子ってこういう時は厄介だ!

「ふふ……。パスタのソースとスープ持ってくるわ。選んで。」

 櫻子が小さく笑いながら台所に向かい、パスタのソースとスープを持ってくる。

 パスタのソースはタラコとバジルとボンゴレビアンコ。スープはジャガイモポタージュとコーンクリームとカボチャのスープ。

「タラコとジャガイモでお願いします。」

 櫻子に選んだものを渡す。

「お湯は沸かしてあるからすぐに出てくるわ。」

「なら、櫻子のそばで見てたいです。宿題広げるのもあれですし。」

 そういってガスコンロの前に立つ櫻子のそばに立つ。

 パスタが沸き立つ鍋と、しれっと用意されていたのかウィンナーと目玉焼きが乗ったフライパンを前に、櫻子にくっつく。

「1人でカップラーメンとか待つのって長く感じますけど、2人ならあっと言う間ですよね。」

「そうね。こうしてると、琴葉と同棲してるみたい。」

「同棲したら、私がご飯作りますよ。櫻子のほうが、きっと忙しいから。」

「実際、こういうご飯が続くこともあるの。年下に甘えるのもどうかと思ってしまうけれど、作ってもらえたら甘えちゃいそう。」

 まだ、私は櫻子から甘える対象じゃないって思われてるの。そう聞いた時、私はもやもやしてきた。

「年下、ですけど……。」

 ため息が出てしまう。一回りも年下なのは事実だけど、私だけが甘えて良くて櫻子は私に甘えちゃ駄目なのはおかしいよ。櫻子、私に甘えてよ。

 そのときピピピピと音が鳴る。パスタの湯で時間を測るタイマーの音だ。

「茹であがったみたいですよ。」

 櫻子にご飯を作ってもらっているのに、ぎこちない返事になってしまう。

「琴葉……?」

「なんでも、ないです。」

 重たくなる空気の中、食事を盛り付ける。

「いただきます。」

 パスタとサラダ、スープ、ウィンナーと目玉焼きを頬張る。美味しいけれど、つまんない。

「琴葉……どうしたの? さっきから、怒ってるの? 私、何かした?」

「怒ってるというかなんて言うか……。でも不満です。」

「私が不快なことを言ってしまったのなら謝るわ。」

「謝らなくて、良いんですけど。というか不快とも違うし。」

「……うーん。」

 ぎこちない空気は続く。

「私、琴葉にもっと甘えて欲しいの。だからこうしてご飯も作ったし。……私、何を間違えたの……?」

「そこだよ! 櫻子!」

「……え?」

「櫻子が私に甘えて欲しい。それと一緒で、私だって櫻子に甘えて欲しい! 年下だからとか関係ない! 櫻子はきっと先生で大人だからそう思ってるんだろうし私が生徒で子どもなのは事実だけど! でも! 恋人だったらそんなの関係ないでしょ!? 私が出来ることなら櫻子の力になりたいし、櫻子に甘えて欲しい! 年上年下って、私ばっかり甘えてるのは違うと思う! 櫻子だって甘えてよ!」

 気が付けば力いっぱい叫んでいた。涙も出てる。櫻子には、私はまだ子どもだと思われてるんだ。そりゃそうだけど。事実だけど。

 沈黙が場を満たす。こんな時に泣くなんて。私はなんて情けないのか。

「……ごめんなさい。」

 櫻子、謝らなくていいのに。駄々こねて、謝るのは、私のほうなのに。

 私の顔に柔らかい布が当たる。ハンカチ……かな。

 顔を上げると、櫻子が私の涙をハンカチで優しく拭ってくれている。このハンカチもあのラベンダーの香り。

「貴女は私を、ずっと藤枝先生と呼んでて、私が先生って呼ばないでって、怒っちゃったわよね。今……私は貴女を子ども扱いしていた。貴女が怒るのも当たり前よね。……琴葉。私は琴葉の恋人で、琴葉は私の恋人なんだから。……琴葉だけが甘えて、私が琴葉に甘えないのは、おかしいわよね。」

「……櫻子。」

「だから、琴葉。……私を、抱きしめてくれる?」

「……もちろん、です。」

 そっと櫻子を抱きしめる。櫻子は私の肩に顔をうずめる。

「……ファンデーションとか付いちゃったら、ごめんなさい。」

「……普通に洗濯できる服なので。」

「……なら、お言葉に甘えて。……私は確かに琴葉より一回りは大人で先生。それにずっと囚われてた。私が貴女を守らなくちゃ。導かなくちゃ。先生、大人としては当たり前の仕事だけど。……でも。学校の外では。琴葉は私の恋人。私が琴葉に甘えるのだって、当たり前。どうして、こんなことに気づけなかったの。」

 肩がじんわり濡れてくる。これは、櫻子の涙。

「……櫻子。少し、失礼しますよ。」

 抱きしめている櫻子を一旦離す。櫻子の瞳にも涙が湧いている。

 脇に置いていたポシェットからハンカチを取り出し、櫻子の涙をぬぐう。

 マスカラやアイシャドウなのか、ハンカチにラメを含んだ染みが付く。

「……メイクで汚れちゃうわ。」

「構いません。」

 涙を左右両方拭き終わると、櫻子から少し離れる。

 櫻子の顔をしっかり見るために。

「櫻子。」

「はい、琴葉。」

「私はまだ子どもで、生徒で。頼りないです。でも、だからといって私だけが櫻子に甘えるのはおかしいし、もやもやします。……あ、今、私の気持ち、わかりました。……悔しいんです。櫻子は私を助けて甘やかしてくれるけれど、私からは何もできなくて。」

「何もできない、は言い過ぎよ。告白の時は可愛いブックカバーを作ってくれたし、初めてのデートでは可愛い服を選んでくれたし、バレンタインは美味しいチョコを作ってくれたし。」

「……そうでした。でも、私はもっと櫻子のためになりたくて、櫻子を楽させてあげたいんです。……だから。」

 私はもう一度櫻子を抱きしめて、その耳に囁く。

「もっと、私に甘えてください。年下だからとか、言わないでください。」

 櫻子はぎゅっと抱き返して来る。

「……はい。琴葉。今は、私を抱きしめてて。そのまま私に囁いて。」

「何を、ですか?」

 わかってるけど聞き返しちゃえ。今までの仕返しです。

「もう。……琴葉の口から聞きたいの。」

 櫻子が口ごもる。

「……今の、琴葉の気持ちを。……私のこと……好き……?」

「……大好きですよ。誰よりも。世界の誰よりも。……愛してます。櫻子。」

「……ありがとう。琴葉。……愛してるわ。……もう一つ甘えさせて。」

「……なんでしょう。」

「キス、して。この唇に。」

「……欲しがりさん、です。」

 櫻子に優しく口づける。舌で櫻子のそれを撫でていく。櫻子の柔らかい唇を味わうように、そっとついばむ。

 甘く、愛しく。私の櫻子。

 唇を離して櫻子を見つめる。

 学校にいるときからは想像もつかないくらい、ふにゃふにゃに蕩けてうっとりした櫻子はあまりにも艶っぽくて、私はまた櫻子をぎゅっと抱きしめて、その濡れた唇にキスをした。

 結局、ずっと櫻子を抱きしめていたので、お昼ご飯は冷めてしまって温めなおす羽目になってしまった。でも、どんよりした気持ちで食べるよりも、温めなおしたのを櫻子と寄り添って食べる方が絶対に美味しかった。

 宿題は結局予定していた量をこなしきれそうになくなってしまったけれどそれでも良いのだ。

 櫻子が甘えてくれるようになったのだから。

 卒業まであと1年。3年生も、櫻子と幸せに過ごせますように。……もちろん、周りにバレないように。

 絶対に離さない。繋いだ手と寄せ合っている身体から伝わるぬくもりを。

 窓の外から見える、芽吹きはじめた若葉と華やぎはじめた桜が、私と櫻子を祝福してくれているようだった。

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