26. 初めてのデートの約束と、もう一つの初めて

「日曜日に……栄都で?」

「はい。栄都公園のクリスマスマーケットとか、服屋さんとかに、2人で行きませんか?」

 栄都とは、この辺りを代表する繁華街である。

 駅の周りにデパートやビルが立ち並び、大きな広場(これが栄都公園)もある。

 私のお目当ては、その栄都公園で毎年12月に開催されているクリスマスマーケットだ。

 栄都公園に大きなクリスマスツリーやイルミネーションが飾られ、その周りにドイツやオーストリアの雑貨のお店や、シュトーレン、チキン、暖かいシチューなどの食べ物の屋台が並ぶ。

「つまり、初デートね?」

「その通りです……。」

 いざ言われると照れてしまいます。

「うふふ。日曜日はお休みだから行けるわよ。何時からにしましょうか。」

「わあ! 嬉しいです! 楽しみです! ここから栄都ってちょっと遠いですよね。11時くらいに栄都駅の地下噴水広場で待ち合わせして、そこからお昼食べて、地下街やデパート見て、夕方からクリスマスマーケット、でいかがですか?」

「貴女に任せるわ。そういうの、貴女の方が詳しそうだもの。」

「去年、SNSでクリスマスマーケットを知って、ずっと行ってみたかったんです! 一人でも行こうと思ってましたけど、こういうところって……カップルがいっぱいいるじゃないですか。」

「まあ。デートの定番コースというわけね。ふふふ。おめかししていくわ。私服の貴女を見るのも楽しみね。」

 藤枝先生、学校にいるときよりもさらに可愛くなってくるって言うんですか。

 そんな貴女の隣で歩くというなら、私も可愛くならなくちゃ。

「綺麗な先生と一緒! 何着ていこうかな。やっぱりお化粧もしてみる……?」

「お化粧、ねえ。……貴女は無くても可愛いと思うの。……お化粧、慣れないと難しいわよ?」

「……実はしたことないです。そもそも、学校は禁止じゃないですか。」

「実際、肌に負担がかかるのよね。それは置いといて。

 たぶんだけれど、理由としては、どこまでのお化粧は良くてどこからは派手過ぎてダメ、って線引きが難しいから一律禁止にしてる、という所だと思うわ。

 後はお化粧できない子、体質もだけど、経済的な場合もあるわね、そんな子がいじめられるのを防止するとか。

 話が逸れたけど、貴女はお化粧しなくても可愛いわよ。

 必要な時が来たら、その時は私が教えてあげるわ。」

「じゃあ、今はそのままの私で行きます。お化粧教えてもらうのも楽しみになりましたけど!」

「お化粧を教えるのは卒業したら、ね。うふふ。」

「はい!」

 初デートの約束と、卒業してからのお約束が出来ました。

「ねえ、琴葉。」

「なんでしょうか。」

「恋人なら……したいでしょう? こ…こ。」

 藤枝先生は、自らのローズピンクの唇を指さして、私を見つめて囁く。

 その目はまるで誘うかのように潤んでいる。

「……良いの、ですか……?」

「……貴女が、したいのなら……ね。」

「……したいです。貴女と……。」

「うふふ……。じゃあ……もらっちゃうわね。琴葉の唇……。」

 藤枝先生は私の顎を少し持ち上げ、目を閉じてローズピンクの唇を私の唇に重ねる。

 初めてのキスは、優しくて、甘くて、柔らかくて、とろけそうで、まるで砂糖菓子みたいだった。

 どのくらい唇を重ねていたのかはよくわからない。

 藤枝先生が唇を離し、私を見つめる。

「あの、あの……私、初めて、でした……。」

「まあ。貴女のファーストキスが私だなんて。……可愛いわ。琴葉。」

「藤枝先生の唇、柔らかくて……とろけちゃいそうでした……。」

「貴女の唇もよ。……幸せだわ。こんなキス、誰かに見られたらおしまいだから学校では出来ないわ。今日みたいに貴女を遅くまで学校にいさせる手も、何度もは使えないし。貴女のご家族にもご迷惑でしょうし。……しばらくはお預けよ。」

「……じゃあ……もう一回、キスしてくれますか……。」

「欲しがりさんね?」

 藤枝先生はまた唇にキスをしてくれた。

 私の顔を両手で包んで、さっきよりもなんだか私を感じているようで。

 次にこんな蕩けるようなキスができるのはいつになるのか、わからない。

 だから私は、もし今日の帰りに死んじゃっても悔いがないくらいに、藤枝先生を自分自身の全てで感じる。

 藤枝先生が唇を離す。しかし私の顔を包む両手はそのままで、目はうっとりとしたように私を見つめている。

「……これで満足、かしら……?」

 さっきまで私の唇を塞いでいた、ローズピンクの濡れた唇が私に囁く。

 それは、朝露を湛えた赤い薔薇の花のようだった。

「……はい。私、幸せ……です。」

「私も、貴女とこうして図書室、私達の特別な場所で過ごせることが幸せよ。

 ああ、ずっとこうしていたいわ……。」

「……私、一つだけ後悔してることがあるんです。

 明日がアンサンブルコンテスト本番だから、本当は早く帰って支度するべきなんですけど、……まさか、貴女とこんな風に過ごせるなんて、思ってませんでしたので……。

 帰りたくないです。」

「私も帰りたくないし、貴女を離したくないわ。でも……。」

 藤枝先生は図書室の壁にかかった時計に目を向ける。

 私も先生の視線を追うように時計に目を向ける。

 時計は20時頃を指していた。

「明日がアンサンブルコンテストでなくても、もうそろそろ用務員さんが鍵を閉めに来るわ。

 他の残業してる先生達も、もう帰り始める頃よ。」

 藤枝先生が椅子ごと少し前に出てきて私に近づいて来る。

 そして私を抱き寄せて囁く。

「明後日、また2人きりで過ごしましょう。もう私と貴女は、恋人なんだから……。明後日、良い話が聞けるのも楽しみにしてる。

 今日は…2人とも帰りましょう?

 校門までは送るから。」

「……はい。」

 藤枝先生に諭され、私は帰り支度を始める。

 さっき出したスマートフォンを鞄にしまおうとして、私はあることに気が付いた。

 プレゼント! ブックカバー! すっかり忘れてた!

「藤枝先生、帰る前に一つだけ。……ごめんなさい、緊張して度忘れしていました。

 告白のプレゼント……です。」

 プレゼントのラッピング封筒を藤枝先生に渡す。

「まあ、ありがとう。忘れてたなんて、うふふ、貴女らしいわ。あれだけ緊張してたものねぇ。今、開けていい?」

「私らしいってどういう意味ですか。もちろんです。」

「初々しくて可愛いのよ。それじゃあ。……まあ! ブックカバー!」

「手作りです。拙いですが。高いものは用意できないし、ブックカバーだったらいつも持っててもおかしくないかな、って。」

「この桜模様、可愛い! ここも作ったのね? 大切にするわ。」

「嬉しいです! あ、洗濯もできるように作ったつもりですので。そう簡単には桜模様は取れないと思いますよ。」

「使い込んでボロボロになったら、その時は貴女に直してもらおうかしら。うふふ、もちろん大切に使ったうえで、よ?」

 そんなにボロボロになるまで私達は一緒にいられるのかな。

 いや、どこまででも、いつまででも、私は藤枝先生と一緒にいたい。

 そのためにも、私は卒業するまで、藤枝先生が恋人だということを隠さなくちゃ。

「ボロボロになる頃には、私は一体何歳になってるのでしょうか。何をしてるのでしょうか。」

「さあねえ。さて、そろそろ帰りましょう? 私はロッカーに荷物を取りに行って職員用通用口から出るから、そのまま昇降口で待ってて。」

「わかりました。」

 藤枝先生と図書室を出て、藤枝先生は図書室に施錠して、一旦別れる。

 昇降口でローファーを履いて、待つ。

 程なくして藤枝先生が来た。紺色のコートと水色のマフラー、灰色の手袋、そして黒のショートブーツがよく似合っている。

「お待たせ。行きましょう。」

「あの、その、手……繋ぎませんか? 暗いから、見られてもわからないと思います。」

「うふふ、そうね。職員用通用口は反対側で他の先生はこっち側には来ないし正門からは出ないし、この暗さならそうね、じゃあ……。」

藤枝先生と手を繋いで歩きだす。私も手袋をしているけれど、手袋越しでも藤枝先生と繋がっている。 

 昇降口から校門まで、毎日通っているけれど、走っているわけでもないのに到着が早く感じた。

 あ、自転車置き場に着いちゃった。

 ああ、もう校門に着いちゃう。あ、着いちゃった。

「私が車通勤なら、家まで送ってあげられるのに。」

「それはそれで目立つような気がします……。あ、車通勤じゃなかったんですね。」

「ええ。運転はできるけど、お金がかかるから必要な時だけ家のを使わせてもらってるの。」

「そんなにお金かかるんですか?」

「車って結構お金かかるのよ? 本体だけじゃなくてガソリンも今高いし保険にも入らないといけないし税金も取られるし。まあその辺は親御さんに聞いた方が早いわ。私もいい年だから、そろそろ実家を出ることを考えてお金を貯めてるのもあるの。」

「実家暮らしだったんですか。」

「ええ。親からはそろそろ結婚するか一人暮らしかしなさいって言われてしまってるけどね。」

「……結婚、ですか。」

 その言葉を聞いた瞬間、私の心がずしんと重くなる。

 藤枝先生、やっぱり結婚して誰か私ではない人のものになってしまうのですか。

「そのつもりだったわ。前まではね。」

 私は顎をくいと持ち上げられて抱き寄せられた。

「……私は貴女の恋人、だから貴女を置いて結婚なんてしたくないわ。」

「……それは。」

「明後日、いい結果が聞けるのを楽しみにしてるわ。……気をつけて帰って。」

「……はい。それでは。……さようなら。」

 藤枝先生が私から離れる。私は自転車に乗る。

 しばらく見つめあったあと、私は自転車を走らせて帰路についた。


 家に着いたのは21時少し前だった。

 遅くなると親には言ってあったけれど、流石に遅すぎると文句を言われた。

 そんな文句も聞いてすぐ忘れてしまうくらいに私は幸せでいっぱいだった。

 さあ、晩御飯を食べてお風呂に入って、明日の支度をしなくちゃ。




 翌日。

 アンサンブルコンテスト会場へ向かうバスの中にて。

 和泉千利と坂本塔輔とうすけが話している。

「なあ和泉。」

「なんだ?」

「清永、いいことでもあったのか? あいつ、あんな笑い方だったか?」

「坂本、お前もなんだかんだ琴葉のことよく見てるな。」

「別に。あいつには世話になってるし。ただ今日は桁違いに嬉しそうに見えるからなんかあったのかと。」

「あったんだろうなあ。たぶん、今日は最高のパフォーマンスをしてくれるさ、きっと。」

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