挿話集

Ex. 葉櫻の追想 華やぐ櫻花

 あの子……清永さんが初めて、図書室を訪れた日のこと。


「あの…。」

 昼食後のお昼休み。図書室の窓から見える桜には若葉が映える。

 カウンターに座る私に、一人の女生徒が声をかけてきた。

 顔だけはすぐに思い出せた。この子は昨日の授業で私の顔をじっと見てきた子だ。

「あら。ええと……。ごめんなさいね。この時期は一気にたくさんの生徒の顔と名前を覚えなくてはいけなくて……ちょっと待って。」

 間違えては失礼だが、この時期は一度に三百人前後の顔と名前を覚える必要があり、流石にすぐには頭の辞書から名前を出せない。

 思い出して。印象的な子だったでしょう。

 思い出すために目の前の女の子の顔をじっと見る。胸くらいまでの黒髪。校則違反でメイクしてくる子もいるけど、この子はそんなのいらないくらい綺麗で血色のいい肌と頬。カッターシャツのボタンは一番上まできれいに留められている。ちょっと小柄よね。女の子は恥ずかしいのか目を逸らしてくる。私の顔はじっと見てきたくせに自分が見られると照れるのね。可愛らしいわ。

 そもそも何組の子だったかしら。

 昨日は……2年5組と6組とで古文、1組と2組と3組で現代文の授業をして……、ああ、この子がいたのは現代文の授業だったから……ええと……2年3組の子ね。

 そうだわ! 清永さん!

「うーん……。ああ、思い出せたわ! 貴女は2年3組の清永さんね?」

「はい、2年3組の清永琴葉です。この時期の先生って大変なんですね……。」

「良かった! 今日の授業で私の顔をじっと見てたから、印象に残ってて。でもまだ覚えが合ってるか自信が無くて。」

 私がそういうと、途端に清永さんが慌てふためき始めたうえ、彼女の顔がみるみる上気していく。

「ああああっ!! もう!」

 しまった! 私、清永さんの思い出したくないことをほじくり返してしまったかしら!?

「ああっ! ごめんなさい! 貴女の思い出したくないことを言ってしまって!」

「なんで藤枝先生が謝るんですか! 変なのは先生の顔を見つめてた私のほうですう!!!」

 やっぱり気にしてたのね…。……でも。

「私、貴女のこと変だとは思ってないわよ?」

「……え?」

 清永さんが落ち着いてくれたみたい。今がチャンスだわ!

「しっかり私の方を見て授業聞いてくれたんでしょ? それのどこが変なの?」

「あの……。」

 清永さんは私から目を逸らしたまま。もしかして何か別の理由でもあったのかしら。

 でも、問い詰めるとまた取り乱しそうだし、野暮なことはやめておきましょう。

「それに。図書室に来てくれて嬉しいわ。私が授業で入ってるクラスでは、図書室の話もしてるんだけれど、実際に来てくれたのは貴女が初めてよ。貴女、本が好きなの?」

 この子、本、好きなのかしら。だったら、どんな本を読むのかしら。

「本は……中学までは読んでましたけど、高校入ってから忙しすぎて全然読まなくなって。藤枝先生から図書室の案内されて、どんな本があるのかな、って気になったんです。」

「やっぱり、進学校だと忙しくて図書室に来る余裕も無いということなのかしら。ここ、割と豪華な品揃えなのよ? 公立高校には珍しくCDまで持ってて。まあ、クラシック系と伝統芸能……落語とか能とかね、しか無いけれど。」

「え、そうなんですか。」

 清永さんがこちらを向いてくれた。表情も明るくなってきた。良い感じよ!

「清永さんはどんな本が好きなの?」

「えーと……。雑多過ぎて自分でもよくわからないというか……。とりあえず、青い鳥文庫はすっごい読んでました。あとはその……文庫本で表紙が可愛いやつ……。」

「表紙買いね。最近のは本当に可愛いのが多いわよね。清永さんは割となんでも読みそうね。それならいっそ、私の趣味でオススメしちゃおうかしら。」

 こら、個人の趣味を出さないの。

「え、藤枝先生の好きな本ですか!?」

 食いついた! 清永さん急に目がキラキラしてきたわよ!?

 ……あ、しまった。清永さんごめんなさい。

「……と思ったけど、よくよく考えたらここの図書室には、私の一番好きな本は無かったわね……。ごめんなさい。新しく本を買うときに一緒に入れておくわ。」

「そんなこと出来るんですか。流石図書室の先生です。先生の好きな本がどんななのか楽しみです!」

「うふふ。入ったらまた教えるわね! ……ねえ、教室にそろそろ戻ったほうがいいんじゃないかしら? もうあと5分くらいしかないわよ?」

「うわぁ。もうそんな時間! ありがとうございます。遅刻するところでした。それでは、また来ますね!」

 清永さんは急いで戻っていった。

 廊下は走っちゃ駄目よー。

 ……彼女、最初はあんなにおどおどしてたのに、好きな本の話をしたら……、あら、私の好きな本に食いついてから明るくなったような気がする。

 また来ますね! 彼女は間違いなくそう言ってたわ。

 うふふ! なんだか可愛い子だったわね。

 今年は、楽しい1年になりそうね…。

 とりあえず良いところに異動できたみたい。

 これからもよろしくね、清永さん。



 3ヶ月後……。

 夏休み直前の7月。

 ある日の現代文の授業後。

「清永さん、少しいいかしら?」

「なんでしょう?」

「あのとき言ってた、私の好きな本、図書室に入ったわよ。」

「本当ですか! お昼休みに図書室行きますね!」

「ふふ。待ってるわ。」


 同日。お昼休み。

 私は昼食を急いで食べて図書室へ向かう。

 昼休みも図書室にいようと思うと早食いになってしまうけれど、図書室に行くと言ってくれた子がいるなら、私は頑張れる。

 図書室と職員室の往復は少し大変だけれど、良い運動にもなるし、私は本と図書室が好きだから苦にはならない。


 図書室に着いたわ。あら、もう清永さん着いてるじゃない!

「清永さん!」

「藤枝先生!」

「お待たせしてごめんなさいね。」

「いえいえ、先生もお昼ごはん急いで食べたとかだったら申し訳ないです。」

「そんなことないわ。さあ、入りましょう?」

 清永さんと一緒に図書室に入り、新着図書を置いたテーブルに案内する。

 この新着図書の案内板、ボロボロだったから作り直したのよね。

 私の大好きな本、清永さんは気に入ってくれるかしら。

 私はテーブルから一冊の文庫本を手に取り、清永さんに手渡す。

 『木漏れ日書林の日記帳 屋久杉木陰は優しく佇む 』

「これ、何年か前から刊行されてるシリーズものなの。今出てる分は全部揃えたわ。表紙も可愛いし読みやすいし、何より読んだらほっこりすること間違いなしよ。新刊が出たら随時入れるわ。」

 前に聞いた趣味の感じだと、きっと気に入ってくれると思うんだけど……。

 この本、私も個人で表紙買いしたけど、登場人物に悪い人がほとんどいなくて、読んでると暖かい気持ちになって癒されるのよね。

「可愛いです! 早速借りていきます!」

 良かった! 大成功! 貴女と趣味が合いそうで嬉しい!

「うふふ。貴女に気に入ってもらえて嬉しいわ! じゃあ貸し出し手続きをするわね。」

 私はカウンターに入り、貸し出し手続きをして本を清永さんに渡す。

「ありがとうございます。読んだら感想言いますね!」

「うふふ。楽しみにしてるわ!」

 授業中は生徒にナメられるから、あまり笑わないようにして厳しい先生を演じてる。

 それは本当の私とはかけ離れた演技だからすごく疲れちゃう。

 でも……図書室で貴女と話していると、そんな仮面は外れちゃうから幸せだわ。

 ずっと貴女と話していたい。

 お昼休みが終わる5分前に、私は清永さんに教室へ戻るように促した。

 私も急がなくちゃ。次は……5組で古文の授業ね。



<後書き>-------

(2022/11/04 追記)

 藤枝先生についてようやく深く描写できました。

 もっと授業風景を本編で描写できれば良いのですが力及ばず……。

 藤枝先生の設定で「顔が可愛いと生徒にナメられるから毒舌キャラなだけで演技するのは結構しんどい。」というのがあり、ようやく日の目を見られました。

(毒舌ではなく笑わないという設定になりましたが)

 可愛い美人の女性の先生って、めっちゃ人気になるかナメられるかのほぼ2択だと思うのは私だけでしょうか。

 (実はその辺の経験は『貴女に捧ぐ夜恋歌』で活かしてたりします。)

 藤枝先生はナメられたのがトラウマになって今のような笑わないキャラになった、という過去もあったり。

(本編でここまで描写する余裕無さそうなのでここで出してみる)


 本編では琴葉の一人称なので琴葉サイドの心象がメインになりがちですが、こうして藤枝先生の一人称で書く回も閑話として出せたらと思います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る