第二十二之巻、あんたが俺のねえちゃんだったなんて!!

「まずいよ、入り口包囲されてる」


 階段の裏からのぞいて、来夜は不安げに舌打ちした。


「来夜、人が来た!」


 ふぁしるが打ち掛けを引っ張り、二人は手近な部屋に飛び込む。とりあえず押入の中に身をひそめると、


「どこだ、どこに逃げた?」


 捕り方たちの声が近付いてくる。唐紙の隙間から覗いていたふぁしるは、部屋に駆け入る亮を見ていた。彼の視線が押入へとそそがれる。目が、合った気がした。


(みつかる!)


ふぁしるはぎゅっと来夜を抱きしめる。


「この部屋にはいないようだ」


 いつも通りの亮の声。


「へい」


 先頭にいた男が振り返り、


「次の間ゆくぞぉ」


 やがて遠ざかってゆく足音。


(助けてくれた……? まさかね)


 腕の中の来夜に目をやる。来夜はそっと、ふぁしるの腕の傷をなぞってから、丸い瞳で見上げた。その目がわずかに琥珀色の光を帯びている。ふぁしるの瞳も、同じ光を放っているはずだった。


(あったかい)


 支える腕に感じる重みとぬくもり。


 みつめあっていたのは一瞬だったのかもしれない。来夜の唇が動いた。


「ねえちゃんなの?」


 ふぁしるは、無言でふところへ手を差し入れた。取り出したのは古びた和紙。勢いあるあの字体で「化石」の二文字。


「君が探しているのは、これの持ち主?」


 来夜は一瞬言葉に詰まった。だが「夜来」の紙を出すより早く、姉の胸に飛び込んでいた。


「うん、そうだ、そうだよ。やっぱりねえちゃんだ!」


 ふぁしるはそれに応えるように、来夜の黒髪を何度も何度も撫でていた。


「なんでもっと早く言ってくんなかったの? 会ってすぐ雪花せっかだよって教えてくれたってよかったじゃん!」


 胸に顔をうずめたまま涙声になる。ふぁしるをねえちゃんと呼ぶことには、意外なほど違和感を感じなかった。


「ごめんね。私、自信がなくて、姉だなんて名乗り挙げても、信じてもらえないんじゃないかって。それに久し振りに都に来たら、来夜は盗み屋として名を馳せていて、前も言ったけど、残忍な子に育ってしまったんじゃないかと思ったり、たくさん不安があって――」


「なんでそんなこと思うんだよ!」


 顔を上げて、来夜は不満そうに頬をふくらます。怒っているというより淋しそうな目で。


「だって、私が小さな来夜を置き去りにしたんだもの。淋しくて、私以上の悪い人間に育ったかも、私のこと恨んでるかもって。考えれば考えるほど、弟には会わない方がいいんじゃないかって思えてきて……」


 打ち明けているうちに、ふぁしるはまた情けなくなってきた。両親と別れて、散々淋しい思いをしたのは自分なのに、なぜ小さな弟にまで同じ思いを……


「ごめんね、ほんとに」


 と、泣き出しそうなふぁしるの頭に、背伸びした来夜が手を乗せた。ちょっとびっくりしているふぁしるに、


「でもねえちゃんは、俺に会って良かったでしょ?」


 ふぁしるは大きく頷く。


「俺もねえちゃんに会えて良かったし、ねえちゃんが天下一の修理屋ですっごく嬉しいよ。自慢の姉貴だ」


 にやっと笑った来夜を、ふぁしるはもう一度強く抱擁した。


「ありがとう」


(来夜も亮も、こんな私に自信をくれるんだね)


 いつも冷たい風の吹き抜けていた胸が、あたたかいものでいっぱいになってゆく。


 夢を叶えたふぁしるはおみさのように修理屋を目指す女の子から見れば、まことにうらやましい境遇にあるにも関わらず満たされることはなかった。修理屋になるため働いて、修理屋になるため学問に励んで野望を勝ち得たのに、夢のために捨てた弟のことを思うと胸はいつも空っぽになった。


「さあふぁしる、ここからどうやって脱出する?」


 ふぁしるの名で呼ばれると、身が引き締まる思いがする。


「そうだな、表の入り口以外に――」


 言いかけて、ふぁしるははたと口を閉ざした。ぱたぱたと足音が近付いてくる。


 唐紙の隙間からのぞいてみれば、禿かむろがひとりきょろきょろしながら小走りに駆けてくる。この部屋にも足を踏み入れて、


「盗み屋さぁん、盗み屋さぁん」


 と小声でふたつ呼びかけた。


 ふぁしるの下から来夜も覗きながら、


「あの子さっきの子だ」


「さっき?」


 来夜は頷く。振袖新造の萩に襖を閉めて、と頼まれた子だ。少女は、


「おっせんなあ」


 と呟いて、座敷から姿を消した。


「あの子、来夜を探していた?」


「多分。お萩さんに頼まれたんだと思う」


「だがもしかしたら罠かもしれない」


 小声で話すうち、さっきの禿かむろがまた戻ってきたのが襖の隙間から見えた。少女に手を引かれて庭から上がり、こちらに近付いてくるのは、全身ずぶぬれの円明まるあきだ。


「円明! 無事だったんだ、どこにいたんだよ、もう!」


「あのおっさん、罠にかかったのか?」


「罠じゃないよ、きっと」


 唐紙を開けようとする来夜を押しとどめ、


「あの禿かむろは、警察にだまされているかもしれない」


「でもずっとここにいても、しょうがないでしょ?」


 言葉と同時に唐紙を開けた。


「盗み屋さん! こんなところにいなんしたか。大分でぇぶ探しいしたえ」


 小さな禿かむろは走り寄り、来夜の手を取った。「早よ逃げんせんと――」


 少女に従い、とりあえず廊下へ走り出る。


「逃げるってどこへ?」


 疑心暗鬼のふぁしるも、後に続く。


はぎ姉さんがきん様と待っていなんすよ。このお店には秘密の抜け道がありんす」


 四人並んで廊下を走る。だが玄関が見えたところで、先頭をゆく少女がはっと足を止めた。


「隠れなんし」


 四人で階段裏に背中をくっつける。


「いねえぞ、どこに消えやがった!」


 どたばた階段を下りながら、むさくるしい先頭の捕り方が、だみ声で息巻いている。二階から五人くらい下りてくるのを、息を詰めて見送る。


 だが最後の一人が、何気なく振り向いてしまった。円明を見てはっと息を呑む。彼が声をあげる前に、円明まるあきは男の鼻先で、ぱん、と手を打つ。相手が目を閉じた瞬間、中指が伸び男の眉間を突いた。


 床にのびた男のふところを探り出す。


「お、こいつけっこう持ってやがる」


「こんなときに巾着あさるな!」


 と、頭をこづくふぁしる。


「置いて行きんすよ!」


 禿かむろはやきもきしている。


 あっという間に捕り方姿に着替えた円明まるあきを最後尾に、四人は再び駆けだした。


 階段の裏に低い木戸があった。禿かむろがそれを開けようとしたとき、


「何をしている?」


 後ろから男の声が掛かった。禿かむろも来夜もふぁしるも凍り付いた。


「修理屋をつかまえやしたんでさぁ。原警部んとこに連れてゆくとこですよ」


 円明まるあきが振り向かずに答えた。


「警部さんは二階にいらしったぞ」


「いや、こっちでようがすよ」


 あまりに自信満々に答えるものだから、声をかけた捕り方は、


「そうか」


 と頷いてしまった。


「二階にマルニンの連中が現れたそうで。手伝いに行っておやんなさい」


「おう」


 男は階段を駆け上がって行く。


「行きやしょ」


 と、進み出て禿かむろの肩をたたいた。少女は木戸を開け、三人を見送る。


 腰をかがめて木戸をくぐると、頭上に板が張られ、月明かりも届かない。暗闇の中、細い道を、土を踏んで進む。


「金兵衛、お萩さん!」


 夜目の利く来夜が走り寄る。


「なんでこんな道があるんで?」


 辺りを見回す円明まるあきに、


「大切なお客さんをお守りするためで御座んすよ」


 と萩の返事が返ってきた。


 萩を先頭に、金兵衛、来夜、ふぁしる、円明まるあきと列になって、細い道を手探りで進んだ。ぐるりと回って裏通りに出られるようだ。


 わずかに月明かりの差し込む、出口間近まで来て、その列は不意に止まった。


「お萩、どこへ行きんす?」


 四十がらみの女の声には、どすが利いている。


「この道を使うと思いいしたよ」


「どうぞ通しておくんなんし。金様は大事なお客様でありんす」


 萩は遣り手に頭を下げた。


「だけどね、幡屋まんやの旦那様は、もっと大切なお方なんすよ。その方の体や物を盗むようなお人じゃあ見逃すことなど出来んせん。さあお萩、おとなしく――」


 言葉途中で、遣り手はぐらりと後ろに倒れた。来夜の指が彼女の眉間を突いたのだ。


「旦那!」


 金兵衛が悲鳴を上げた。「そんなことしたら、お萩ちゃんはこの店にいられなくなっちまう!」


「わっちのことは構いいせんで、早よお逃げなんし!」


 萩が四人を追い立てる。


「お萩ちゃん――」


 言いたいことがあふれて言葉にならず、金兵衛は目に涙を溜め唇を震わせている。


「早よ」


 その背を萩はやさしくたたいた。


 来夜に袖を引っ張られ後ろからはふぁしるにケツを蹴られて、金兵衛は振り返り振り返りしながら、月明りがぼんやりと照らす裏道に出た。


「お萩さん、ご恩は後日たっぷり返させて頂くから、楽しみに待ってなよ!」


 真っ暗な秘密通路に向かい、来夜が小声で叫ぶ。


「ありがとう、マルニンの旦那様。どなたもご無事で」


 通路の入り口で、萩は手を振り続けていた。




・~・~・~・~・~・~



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