十四之巻、いまをときめく人気の花魁が俺のねえちゃん!?

 時は昼八つ(二時過ぎ)。明るい仲之町なかのちょう|通りにはまだ、華やいだにぎわいはない。のきを並べる引き手茶屋でも、時はゆったりと流れている。


 黒ずくめの金兵衛きんべえは、大きすぎる編み笠で顔を隠した来夜らいやの手を引いて、そのうちのひとつのすだれを払った。


「よくいらしった」


 二人を女将おかみが笑顔で迎える。「花魁おいらんが、奥でお待ちでござんすよ」


 女将にも話が通っているらしい。禿かむろの手を握って、店先に腰掛けていた振袖新造・はぎは、頬を上気させて、


「金さん、マルニンの旦那様、よう来てくんなすった。花魁もほんに楽しみにしていなんすからはよう早う」


 と袖を引く。


 女将おかみの後ろについて一歩一歩、奥のふすまへと近付きながら、編み笠片手に来夜の胸は高鳴る。後ろで、金兵衛の袖にすがるようにして、萩が小声でささやいているのが聞こえた。


「金さん、昨日はほんに申し訳ねえ。わっちの言葉になぞ、皆耳も貸してくれんせんでな。結局なんの役にも立てんせんで。わっちはもう情けのうて情けのうて」


「もういい、もういい、お萩ちゃん。おれぁな、お萩ちゃんが味方してくれたってぇだけでも存分に嬉しいのよ」


 金兵衛の甘い声は、振り返らずとも、でれっとした顔が目に見える。来夜としては自分にも落ち度があるから怒るわけにもいかず、俺のこんな大切なときまでのろけやがって、とむっとした。


 女将おかみが中の宴小町うたげこまちに声をかけ、襖を引く。来夜は迷わず飛び込んだ――つもりだったが、興奮と緊張にはばまれて、その足下あしもとはどこかおぼつかない。


 目の前に、豪奢ごうしゃな打ち掛け姿の宴小町が座っている。結い上げた髪にかんざしが映える。だがそれらの輝きさえ忘れさせるほど、彼女には匂い立つ気高さと美しさがあった。来夜の目には、左右に控えるふたりの新造と、もうひとりの禿かむろの姿は目に入らない。第一声、なんと呼びかけようかと声を詰まらせていると、花魁の方から呼びかけてくれた。


「マルニンの旦那様?」


「うん、来夜です」


 思わず堅くなる来夜の背中をたたいて、腰をかがめた金兵衛が耳元でこっそりささやいた。「緊張するなよ、旦那。美人の前で敬語になるのは男のサガだけど」


 その軽口も、今日ばかりはありがたい。来夜はいささかほっとして、


「ねえちゃんなの? 雪花せっかさん?」


 宴小町は何か言いかけて口を閉じた。すぐ後ろに正座した、三十近い番頭新造が、


「花魁」


 と小声で促す。


 今すぐにでも抱きしめられたい来夜は、一歩一歩花魁の方へ歩を進めてゆく。


 宴小町が両手を伸ばした。


「来夜さん」


「ねえちゃんなんでしょ、違うの?」


 あと数歩の距離を、たまらず来夜は駆け出して、倒れ込むように花魁の胸に顔をうずめた。


「わ、子供ガキの特権」


 思わずつぶやいた金兵衛の背を、萩が小突く。


 宴小町がやさしく、来夜の長い髪に指をすべらす。来夜は顔を上げて、はっとした。宴小町はこの上もなく、哀しい顔をしていた。


「来夜さん、ごめんなんし。期待させるようなことをしてしまって」


「違うの? 俺、弟じゃないの?」


 宴小町は目を伏せうつむく。「わちきの弟は七年前に、ここからは遠い弘国こうのくにで死なんしたのじゃ。でもわちきはその死に顔を見てんせん、国からのふみに伝え聞いただけゆえ」


「死んじゃったの!?」


 来夜は息を呑む。萩も思わず口元を押さえ、もうひとりの振袖新造も目を見開いた。番頭新造だけは、苦しげに目をそらした。


「あの子は病がちでの、だけどわちきが都へ来るのと引き替えに、ようやっと薬を買えるようになりんしたから、もう病も治ったろうと信じていたのじゃが」


 来夜はちょっと泣きそうになりながら、宴小町の白い首筋を見上げていた。


「来夜さんが、でぇぶ年上のあねさんをお探しと聞きんしたとき、わちきはもしやと夢のようなことを考えてしまいいした。ふみをもろうたはとうの昔、間違えではあるめえかとうたごうて、一縷いちるの望みにかけてうてみんしたが――やはりわちきの愚かな夢でございいした」


と、首を垂れてうなだれる。「ほんにごめんなんし、来夜さん、ごめんなんし」


あやまんないで、そんな謝んないでよ、花魁おいらん


 来夜は慌てて、宴小町の肩を両手で支え、顔を上げてもらおうとする。「花魁は何も悪くないよ。俺だって弟と生き別れたって話だけで、なんの証拠もないまま会いに来たんだ。ね」


 来夜の言葉に、宴小町は少しだけ微笑んだ。「お姉さん、早うみつかるとようすね。わちきもくるわの中からお祈りしていいすよ」


「うん! ありがと」


 と笑顔を見せてから、ふと来夜は哀しくなった。花魁はもう二度と、弟に会うことは出来ないのだ。


「あのね、弟のこと思い出して淋しくなったら俺を呼びだしていいからね。今日みたいに、お萩さんから金兵衛に言いつけてね。そしたらいつでも、お忍びで会いに来てあげるから。俺を弟と思ってね」


 宴小町のあかい唇に微笑みが戻った。「そんな気遣ってくんなすって、来夜さん、ほんにおありがとうございいす」


 と、また来夜の髪を撫でる。来夜が思わずにぃっと笑ったとき、後ろで女将が明るい声を出した。


「それじゃあ皆様、お食事と致しましょうか」


「おう、そうしてくんねえ」


 女将を振り返り景気良い返事をしてから、来夜は宴小町に笑いかけた。


「今日はつれぇこと思い出させちまったからな、そのびと思って、心ゆくまで食っていってくんねえ。俺は客じゃなくて弟なんだから、気遣いなんかよしてくんなよ!」


 と、気前のいいところを見せる。


「お言葉に甘えて」


 と花魁も笑った。


「女将さん、豪勢に頼むよ。花魁を元気づけるんだから。金に糸目はつけないぜ」


「はいはい、承知いたしました」


 座敷から下がり、厨房へ声をかける女将の背中を見て、金兵衛はにや~っとした。「昼間っから豪勢だぜ。うへへ、ついてるなあ」


「ようなんしたね。旦那様についてきて」


 と、萩までがからかった。

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