十一之巻、空き巣狙いに遭いにけり(後篇)

「それにしても、悪いときには悪いことが続くもんだ。戸籍台帳、見事に破られてたもんなあ」


 むしろの上にあお向けになったまま暗い天井を見上げて、来夜らいやはため息をついた。


「あれじゃあ、ねえちゃんの居場所分かんねえわけだ」


 金兵衛の言葉にうなずいた来夜は、


「でも」


 と、緊張した面持ちで、闇に沈む天井をにらんだ。「明日、会えるかもしんないんだ。ねえちゃんに」


弟に会いたがっているという宴小町。吉藁の大見世、梅乃屋の花魁というからには、相当な知識と教養を身につけているだろう。しかも見目麗しい。萩たち妹女郎からも慕われているというから、気もやさしいのだろう。


(そんな人が俺のねえちゃん――ずっとずっと会えずにいたねえちゃん……)


 来夜の胸は高鳴った。まさに理想的だ。明日、そんな夢のような再会があるならば、今までの別離も無駄じゃなかった気がする。


「ですが不思議です」


 眉をひそめ、思案顔で問うたのは平粛だ。「雪花さんは学問のために都へ来た。彼女を梅乃屋の宴小町と仮定すれば、弘国こうのくにから来たのですよね」


先を続けようとする粛さんを遮って、金兵衛が舌打ちした。「『梅乃屋宴小町』でも検索して来りゃあよかったな。花小町だけじゃなく」


「そうですね。しかし、けや木屋与太郎は都の人です。こうなると、ふたりが親子だというのは、非常に不自然です」


「じゃあ俺の父ちゃんは与太郎さんじゃあない? 名前を破られた与太郎さんの子は全く別人で、俺以外にも名前を破られた人がいるってこと? それとも」


 と、言いかけた口許くちもとに不安がよぎる。「宴小町はねえちゃんじゃない?」


 口を開きかけた粛より先に、金兵衛が、


「おいおい旦那、分かりやせんぜ。やくざな取り立てから逃れるために、与太郎の奴、つま連れて弘国こうのくにまで逃げたのかもしれない」


「うん、きっとそうだ!」


 がばっと身を起こして、来夜は確信を込めてうなずいた。勢いで拳を畳に打ちつけたと思ったら、寝ている円明まるあきの大事なものだった。


「ぐぎゃっ」


 悲鳴を上げて彼も飛び起きた。まだ思案顔で、何やら考えている粛さんに気付いて、


「だから言ってるだろ。こーゆーなぁ事件好きの亮さんの領分さぁ。警部さんはが好きなんだよな」


 芸術方面の噂には、さすが円明まるあきが詳しい。


「うん、ひそかに絵師の真似事なんかしてんだよ」


 無邪気にからかう来夜に、


「女性に興味のない方ですから、そのくらいの息抜きが無くては」


粛さんはまさかつい昨日、今まで涼快クールな女嫌いで通っていた原亮が気絶した修理屋に堕ちているなどとは、これっぽちも知らない。


「それならば恩を売ってお頭の姉上について調べさせる方法がある」


 珍しく円明まるあきが冴えている。よく寝る男だが、起きていればなかなか賢い。「あたしゃあ、狂歌連に顔を出してるんですが――」


「盗み屋のくせにそんなことやってたのか、おめえさんは」


「金さんなど盗み屋のくせに、廓通いじゃねえですかぃ」


「で、その方法とは」


 粛さんが先をうながす。


「その連に芦屋正三郎あしやしょうざぶろうという男がいやしてね、こいつが版元をやってるんでさあ。だから亮さんにあっしの関係コネで、絵師として紹介してやるって言やあ、それと交換条件にお頭の姉上のこと調べてくれるかも、ってぇ話です」


 しかし紀金兵衛きのきんべえが苦い顔をして水を差す。


「そりゃあ虫がよすぎねぇか? あの原亮が、そんなに易々やすやすとこっちの話に乗るかねぇ。大体その芦屋あしやさんが、亮さんの才を見込んでかってくれるかどうかは、分かんねえんだし」


「そんなの、亮さんが絵師になれようがなれめぇが、あとはこっちの知ったこっちゃねえよ。の才がないってぇなら、本人もあきらめるだろうしな。で、原警部は、うまいんですかぃ?」


 陶円明すえまるあきが来夜に尋ねたのは、暮れ正月や盆などの祭日に、ひそかに都近くの離れで風流な暮らしを楽しむ原亮のもとへ、実は来夜がちょくちょく遊びに出かけているからだ。職務中以外は逮捕されないと知っているから、不敵にも来夜は、亮をからかいに行く。


「亮の? すっっっごい下手」


妙に力がこもっている。「でもねえちゃんのことだもん。円明まるあきの案で行ってみようよ!」


 原警部に近付くことになれば自然危険が増える。だが大切なお頭の姉上捜しとなれば、マルニンの手下三人は目先の危険などかえりみず必死になってしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る