十之巻、夜陰に紛れ、奉行所侵入大作戦!(中篇)

「けや木屋の与太郎だったな」


 検索机けんさくきの前に腰を据えた円明まるあきが、下の引き出しを開けて、木片を検索机に並べる。しばらくして「出た」と小声で呟き、手燭てしょくの灯りを近付けた。


しゅくさん、五三三六だ。五番目の箱の、右から三番目の仕切りの中――」


 部屋の奥に木箱が並んでいる。そのうち中央の辺り、五と書いた和紙の貼ってある蓋の下に鍵を差し込み回す。金兵衛が木の蓋を持ち上げ、紐で綴じた袋綴じの書き本を取りだした。


「そう、その三十六ページ目だ」


 金兵衛きんべえが言われたページを開き、粛さんが手燭をかざしてのぞき込む。


「どこかで生きているようですが、ここにはけや木屋本店の住所しか書いてありませんな。勿論与太郎は転出になっています」


 言いながら、一応店の住所を書き留める。


 与太郎の名は、亡き父や、弟妹たちと一緒に載っていた。各人の名の横には、きちんとふりがなが振ってある。


「勘当ってちゃんと届け出してたのか」


 金兵衛が言ったのは、与太郎の名の右上に、朱色で「勘当」の文字があったからだ。


 親が個人的に「お前はもううちの息子じゃない」と言い放って家から追い出す「内証ないしょ勘当」の場合は、奉行所に「久離願きゅうりねがい」を出していないから、戸籍に「勘当」の記載はない。


「ただの傾城けいせい狂いだったんでしょう?」


「やくざもんとは聞いてねえけどなあ」


 久離願を提出するのは、子供のとがが親へ及ぶのを避けるためだ。遊びほうける馬鹿長男を家から追い出し弟に跡を継がせたいだけなら、内証勘当で充分なはずだ。


「籍から抜けること自体が目的だったとか。与太郎は遊女を身請けして、妻として迎えたんですよね、町はずれに家を買ってやるのではなく。けや木屋は、今は小さくなってしまいましたが、百年近く続いている由緒ある名店です。与太郎が花小町をめとると言ったとき、親は何と言ったか」


 都生まれの粛さんは、往時のけや木屋を知っているようだ。


「『けや木屋の名が汚れる、あの女と結婚するのならこの家から出て行ってもらうよ』というわけか」


「与太郎さんもご両親も、喧嘩腰になって、後に引けなくなってしまったのかもしれませんね」


 ――おうよっ、望むところでいっ! 彼女はやむを得ない事情があって、女郎になんかなったんだ、彼女にそんな言い方する親の子なんか、俺、まっぴらだ!


 自分ならそんなふうに、いそいそと荷物をまとめ出すかもしれない、と金兵衛は思い描く。


 ――町の片隅で勝手に住むのは知ったこっちゃないが、籍を入れるのはやめておくれよ、うちの店の名を売り女が名乗ってるのなんか、聞いていられないからね。


 そう言われれば与太郎の方も、


 ――籍は入れるなだと? じゃあ産まれた子はどうなっちまうんだ、俺の子を不幸にするつもりか。


 ――おやまあ! 驚いたね、子供なんて作っていたんかい! 籍を入れるってんならお前さん、本当に勘当するよ、お役人さんに届け出だして。


 ――是非そうしてくんねえ、俺は花小町と生まれた子と、しあせな家庭を作るんだからな。


 ――ふん、お前のような道楽者に家庭など持てやしないよ。


 ――勝手に言ってやがれ! 久離願を出すのを忘れんなよ、あばよ!


 ってんで、後に引けない与太郎は、家を飛び出してしまったかもしれない。


「ねえ、なんで花小町や産まれた女の子の名前が載ってないの?」


 金兵衛を空想から呼び戻したのは、高い声。「与太郎の兄弟のは載ってるよ」


 振り向けば、いつからそこにいたのか、来夜らいやが隣で戸籍をのぞき込んでいる。


「あれ旦那、旦那は見張り番でしょ~?」


 と、いじわるな目をされて、


「つまんないよ、俺ばっかり。ちゃんと爺ちゃんは、気絶のツボをぐいぐい押してきたから、だいじょぶだよ」


 来夜の言った通り、与太郎には弟が二人と妹が一人あったようで、妹は右肩に黒の小文字で嫁出と記されているだけだが、弟たちにはそれぞれ右に続けて妻、長男、次男、の見出しの下に名が書かれている。


「お、見落としてた。何でだ?」


「何言ってんでぃ。勘当された後に、婚姻届を出したんだろ。ガキが生まれたのもそれからなのさ」


 検索机けんさくきの所から円明まるあきが解説する。「別のところに、花小町とガキと戸籍を作ってるはずだ。梅乃屋花小町で検索すれば、分かるかもしれねえ。勘当されて、もうけや木屋などとは名乗ってねえだろうからな」


「成程。あなたはごくまれに冴えてますな――」


しゅくさん、なんだって?」


「いえいえそれで番号は?」


「ちょいと待ちねえ」


 「はなこまち」と木片を並べて少し待つと、検索机の数字がまたぽこぽこと動き始めた。


「五五一三だ」


 粛さんが、五番目の仕切りから台帳を取り出し、十三ページを開く。


 台帳を覗き込んだ三人は、皆一様に口を閉ざした。


「どうした?」


 ただならぬ雰囲気に円明まるあきが声をかける。


「破られてる」


 来夜の呆然とした声が帰ってきた。


「与太郎と花小町の名はあるんですが、子供の名がありません」


 粛さんの説明に、


「何?」


 立ち上がった円明まるあき、ふと障子窓に目をやって、


「しまった、灯りを消せ! 人が来た!」



・~・~・~・~・~・~



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