夜曲

切野糸

第1話

 大学受験で志望校に落ちて、見事浪人デビューの僕は、今年から一人暮らしすることになった。

 工場と線路に囲まれたこのアパートは若干うるさいけど、慣れたら結構居心地いいと感じた自分が居た。

 三階にあるワンルームの部屋は僕に丁度いい大きさだが、一人で家具の少ない部屋の真ん中に佇むと、何だか広すぎる。

 隣の住民には、一度も会ったこともないし、引っ越した頃に、まず挨拶するほうがいいかなと迷ったが、結局なにもせずに一ヶ月に立った。

 二階に住んでいるのは、就職したばかりの新米サラリーマンらしい、そして一階に住んでいるのは、見た目相当チャラいな若い男。

 部屋の壁は薄いせいか、隣のしゃべり声もちゃんと聞き取れる。右手に住んでるフリーターはいつも夜になってから出かけて、そして朝になったら彼女は訪ねに来て、二人の笑い声は朝のニュース番組でも抑えないぐらい明るいだった。

 この環境には特に不満がないが、唯一言うと、ベランダーの眺めはあまり綺麗ではない。

 そしてまだ自分のやりたいことを、はっきり出来ない自分が居て、常に不安になるが、重い教科書を開ける以外、なんも考えてたくない。

 三月から実家に離れた塾を通うことになってから、すこし頑張れるように気がしたが、僕は人間との交際は苦手で、友達は殆どいないし、家族ともあまり連絡を取らない。

 朝になると出かけるし、夜になると部屋に戻る。毎日この繰り返し。

 時々達成感はひとつもないという虚しさに包まれ、頭が空っぽな日もあった。

 そういう生活から数ヶ月、塾に通うある日、教室変更のおかけて高校時代の同級生に出会った。

「なんだ! 同じビルじゃないか!」

「おお、章吾じゃない?」

 同じ高校だとしても、皆の進路はそれぞれ違うんだ。加藤章吾は中学からのおさなじみで、普通に仲が良かった。けど彼は大学の進学に興味が一切ないため、専門学校に入学することになった。パッと頭を上げると、確かに入口のとこに、4~6Fは違う学校とちゃんと書いてある。

「何? ここの塾通ってるんだ、早く教えてくれよ、全然会ってないしメール送っても返事こないぞ!」

「すまん、塾の変更は今年からだから……」

「へえ、そうなんだ」章吾はにやっと笑い、手元のボストンバックを肩に掛けた:「清人はやっぱ大学に編入したいか? 大変そうじゃない、そっち」

「まあ、慣れたらなんとも思わないけど、章吾は?」

「グラフィックデザインだ、今はもういくつのホームページメンテナンスの仕事をやってるし、卒業したらパソコン系の仕事がやりたいなっと。ウェブデザイナーとかな」

 パソコンがあまり使わない僕にとって、章吾の話はまるで英語でしゃべるようだ。ちょっと苦笑いで「難しいな」と返事したら、章吾の目は細くなり、声も高くなった。

「そうだね、清人、WORDの使い方すらいまいち分からないもんな! 今でもそう?」

「もちろん……特にそっち関係の勉強もやってないし」

「一日中嫌いの科目ばっか書いたり読んだりのが、俺にとっては地獄だけど、キヨは偉い。俺感心するよ」

「それは言い過ぎ」

 久々の再会で僕の心の中の雲が少し晴れるような気がする。けど一階の入口でしゃべるのがちょっと目たちすぎる。僕はさり気なく腕時計を見て、もう四時だ、次のレッスンが始まる。

「ごめん章吾、僕もう行かなきゃ」

「いいよ気にしなくて、俺だって人と待ち合わせしてるからさ」

「彼女か」

「お前相変わらずこんなことだけ鋭いな」

 だけは余計だろうかだけは。文句を言う余裕もなく、担任教師はもうすでに俺の後ろに通りかかり、「ごめん、僕もう入らなきゃ」

 章吾が気にせずに僕に手を振り、するとほぼ同時に、後ろのエレベーターからスラリーとした女性が出てきた、章吾より年上に見えるが、二人は会話を交じり始め、僕もそのまま勉強室に戻り、このことを忘れた。

 夜になり、部屋に戻ると、やはり静かすぎる。

 だから僕は何時の間に、家に帰ったらすぐテレビを付ける習慣があった。

 あまりベランダーでタバコを吸うのもあれだけど、僕は部屋から出て、三階の階段に座り込み、タバコに火をつけ、雲の隙間に零れた薄暗い月と星の光を見つめながらタバコに火をつけた。

 十時、二階の住人が戻った。

 十一時、右部屋の大学生は彼女を連れて出かけた、階段に座っている僕はちょっと邪魔になった。

 十二時になり、左部屋の人はまだ戻らない。

 あの人だけ一回も外であったことがないし、男か女かすら分からない。

 でもその部屋の電気はいつも遅くまでついているのを見たことがある。もしかしたら、僕みたいな寂しがり屋じゃないかと。

 一時半、何故かまだ眠くない。深夜番組にそろそろ飽きた僕は、教科書ではなく、今朝古本屋さんで買った山田悠介の文庫本を読み始め、いつの間に深い眠りに入った。

 何時間が立ったんだろう、カーテンの隙間から差し込んだ青い光が気持ちいい。まだ空が暗いし、室内も若干涼しい。

 でも僕を起こしたのは、この光ではない。

「なんだよ……この騒音……」

 ベッドの横にある壁の向こうから、かすかな振動音がした。携帯を目覚ましかわりにするよくある音だ。しかし持ち主は完全に自覚がなく、逆に僕を起こした。

 一旦起きたら眠れなくなるというのは僕の癖、瞼を閉じてまた寝ようと頑張ってもなかなか眠りに辿りつかない。朦朧とした意識と戦いながら、僕は思わず手元の目覚まし時計に手を伸ばした。

「マジで……」まだ六時。

 それにしても、隣の住民随分起きるのが早いなと疑いもなく思った。

 アルバイトかな? 苦労してるな……少し乾いた目を揉み、喉もカラカラだ。起きようとしてもまだ動きたくない。僕はそのまま体をヒックリ返して、その振動音を止まるのを待ってみた。したら音が本当に止まった。代わりに着メロみたいな曲が流れてきた。

 それはとても穏やかで、どこか聞いたことあるようなメロディでありながらも、不思議な言語で歌われた曲。

 少しつづ懐かしく思うのは何故なんだろう。でも名前はどうしても思い出せない。

 いきなり音が切られた。もう向こうの人が目が覚めたんだろうと、家具にぶつかる音が聞こえてきた、次はシャワーの音。間もなく鍵の閉める音も聞こえてきて、隣のヤツが出かけた。

 結局僕はやはり眠れなくなってしまった。たださっきのメロディーを忘れないから、サビの部分だけ鼻歌で覚えて、ずっと振り替えしていた。

「そういえばいつもどこでご飯食べるの?」

「え? まあ、このビルに屋上あるでしょう」

「そこ?! 寒くねぇお前?」章吾は顎が落ちそうな顔で不思議のように僕を睨んだ。

「あっでも慣れたら意外とそんな寒くないかも、本当」

「おかしいなどころだけ変わってないな~」沿う言ってる章吾の隣に、また先日の女の子が来た。

「こんにちわ~章吾の友達ですか?」いかにもスポーツ風な格好している彼女は明るく挨拶してくれた:

「アサミです! よろしくお願いします」

 僕は一瞬、手の動きすら止まった。

 言葉の中から違和感を感じたが、そのことは口にしなかった。

「同じクラスのヤツだ、気にしない」章吾は親指で軽くあさみの方に指して:「うるさいけどな」

「ひどいよ、いいこと言わないね!」

「初めまして、僕大沢清人です。章吾とは高校の同級生でー」

「知ってますよ~」

 その妙なイントネーションが僕に不思議な感じを与えたのか、じっくり見ると、あさみの顔立ちはきりっとしてて、めったにない鋭い女性顔だ。

「じゃ今度どっかメシでも行く? 久しぶり会ってないし、キヨのヤツ今まさしくニートになりきってるぞ、たまにも引きこもり状態から社会復帰させないとな!」

「私も行っていい?」あさみは僕らの間に座ってた:「どうせならカラオケも行きたいな~」

「カラオケが得意なの?」

「私上手いよ! 十八番はね、WAXの赤い糸、知ってる?」

「いや……」僕は頭を掻いた、本当は今の流行曲はなんも知らないから、正直言い、音痴だし。でも曲の話になると、僕は思わず毎朝聞いたあの古風な曲を思い出した。

「あさみさんって結構曲とかは詳しいの?」

「そうよ、何か?」

「いや、この前テレビで聞いたんだけど、結構いい曲だなっと思ってたが、名前が知らないから……」

「歌ってみ?」

「歌詞が分からない」思うけど、歌詞は多分中国語になってるじゃないかと。でもメロディだけなら、まだかすかなに覚えている、思い出しながら、僕は中途半端に歌を鼻歌でしてみた、したら不思議と、アサミも途中から合わせてくれて、後半分になると、もうほぼ彼女だけ歌っているのがやっと気がした。

「なんだ、アサミ知ってるじゃないか」

「この前買ったCDの中に入ってるんだもん、平原綾香がカバーしたヤツ」

 意外と新曲? 僕はそう聞くと、アサミが頭を振り、

「違うよ、蘇州夜曲っていうの、名前は中国ぽいでしょうね、多分元々中国の歌じゃないかな~好きなら今度貸してあげるよ、清人君だっけ?」

「キヨっていいよ、章吾みたいに」

「わかった、じゃ、キヨ君に貸すね、もしかしたら音楽の趣味、私と似てるんじゃない?」

 そうかな? 僕は笑顔で答えを誤魔化した。コンビニで買ったカレーパンはもうすでに完食した章吾は牛乳を進み、さり気なく僕に訊いた:

「何? 昔、流行ものに興味ないのにな」

「嫌、未だに興味もないけど、ただ何て言うかね、すごく懐かしい」

「懐かしい? 中国の曲に?」

「いいんじゃない、そこまで考えなくても」

 そう言った僕に、章吾の目が逸らした。

 まもなくアサミは同じ階に上がった女の子声を掛けられ、僕らに手を振いながら、隣の教室に入った。

「でもアイツ、熱心でしょう?」

「なんかわからないけど、付き合ってんの」僕軽く章吾の肩を叩いた、したら彼は苦笑いして:

「そんな」「キヨまだ気づいてないのか」

「知ってるよ、けど惚れたらどうしょうもないじゃん」

「よく言うね」ゲラゲラと、章吾は大口開けて笑い始めた、表情は多少寂しげに。

 雨が止んだあとに、空気が澄んだ。最近タバコをやめようと思い始めのも、いつから忘れられそうだ。料理も出来ない僕は、やはり外食と弁当が多い。午後になると、食料の調達に行おうと思って、階段を下りるうちに、一階のメールボックスで何か音が聞こえた気がする。

 すると階段の隙間に、髪の長い女性が見かけた。僕は自然に自分の歩くペースを早くした。

 普通に買い物帰りみたいだが、まるで僕が出るのを待つように、一階の女性は動かない。もしかしたら、ご近所付き合いが苦手な人かもしれない。

 僕も神経質しすぎだな……自分を責めたあと、僕は自転車の駐車場に曲がり、したら外の階段からダダダと走り出して、すぐドアを開けて入ってしまった。

 結局隣の住人の正体が分からなかったまま、僕は隣の駅隣駅まで自転車で走った。

 いつも西口しか回らないが、探したい本は見つけなくて、もしかしたら、東口の古本屋さんにあるかもしれないと考え、走ったことのない道から探索し始めた。

 次々に目の前に現れる小道の果てには、鮮やかなアジア風の商店街。奇妙な香辛料の香りが漂っている中、僕はそれにそそぎ、路の奥に迷い込んだ。

 中華、タイ、べトナム、韓国料理の店が溢れる街の裏に、古董屋さんが一軒、僕の視線が惹かれた。

 灰に被られたガラスの中に、アンティークなデスクランプや、青い色彩で龍や山水など絵かかれた花瓶などが飾られている。特に目立つのは、店頭左側に飾られた一枚、年代古そうな油絵。

 絵の中に二つ編みの少女が居る。緑色と白い花柄のチャイナードレスに身を包み、穏やかな表情で頭を少し傾いている、両手のひらで優しく包んでいるのはレスで飾れられた傘。絵のタッチは特に上手ともいえないが、少女の顔が生き生きしていて、瞳の中に幸せ溢れるように見える。僕はジーと見てるうちに、油絵の下にあるタイトルを気づいた。

 『姑娘(グウ・ニャン)』

 意味が分からない。一応中国語寄りと判断。暫くそこに立つと、心地いい風が吹いてきた。僕は飽きることなく、何度も何度もこの絵を見続け、そして不思議なことに、隣に住んでいる、見たことのない住人の顔が、何故かこの絵と重なった。

 次の週、僕は章吾の処へ行くと、アサミに止められ、彼女は微笑んでながら一枚のCDを渡してくれた。

「キヨくん、これでしょうね?」

「ああ、多分そう。ありがとう! 帰ったら聞いてみるわ」

「あ、そうだ、それにね、この曲についてインターネットで色々調べたけど、結局中国の曲じゃないみたいだね」

「え?」

「日本人が書いたのよ、あのスキヤキソングの人」

「上を向いて歩こうってヤツ?」

「そうそうそう!」「本当は、中国ぽく書きたいんじゃないかな? 其の曲をね?」

 僕は一瞬、アサミの言葉から何かまったく関係ないことと繋がった気が。

「オンニ!」

 急に、見慣れない女子の三人組が騒ぎながらこっちに近ついてきた。僕の存在を忘れたように、アサミは彼女達の方に振り向き、会話を始める。

 章吾は、どう考えているんだろう。僕は無性にそれについて聞きたくなった。

 『お金はまだ足りる? 勉強は順調?』

「まあまあ行けるよ、心配しなくても」

 母との電話が終わり、僕は今朝もらったCDのジャケットを見つめた。

 もう思い出した、聞かなくても、自分の薄い執着の理由が分かった。

 これは中学の頃、知能障害に掛かったおばあちゃんが、逝く前に歌い続けた曲だ。

 正直言い、いくら大好きとは言え、あの時のおばあちゃんは怖かった。

 最初はただ部屋の中にウロウロしただけが、段々記憶が失い始めたとともに、家に対する記憶もなくしてしまい、いつも『家に帰らせてください』と言い振り返した。そして病徴が徐々にエスカレートになっていき、おばあちゃんは僕だけじゃなく、家族全員の顔も覚えなくなった。

 『どちら様ですか?』

 『あなたの孫だよ、おばあちゃん。』

 そういう会話は一日中、十回二十回も振り返さなきゃいけない。本当は治らない病気と家族が皆知っているのに、父が医者に『いつ死ぬのですか?』と聞く場面を見た僕は、やはり衝撃的だった。

 あの頃のおばあちゃんは、唯一落ち着く時は、窓の外を覗きながら、ただひとつ自分の覚えている曲を歌ってた時だ。

 君がみ胸に 抱かれ聞くのは 夢の舟歌 鳥の歌。

 僕の記憶の中に、これしか覚えていなかった。けれども、曲の始めだけを振り替えしているせいか、どうしてもこのメロディが忘れられない。そして、夕日を眺めるおばあちゃんの儚い目が詠み返る。

 そろそろ洗濯物を干そう。CDプレーヤに今朝貰ったヤツを入れ、僕はベランダーの窓を開け、洗い立ての服を一枚一枚と広げ、ハンガーに掛ける。

 流れ始めた夜曲が切なく美しく、時間がゆったりとしている。

 隣の旅人も、この曲が聞こえるのかな。そして、この曲にどんな思いを抱いているのだろうか。

 目を閉じると、まぶたの裏に、あの小さな古董屋さんで見た油絵が浮かび上がる。

 二つ編みの少女は船に乗って、水上の両側に梅の木がずらりと並んでいた。激しい風が来るたび、花びらが舞いあがり、少女の髪に落ちる。

 その花びらを取ってあげるのは誰だろう。

 干し物が終わったあと、僕がベランダーの手すりでタバコを二本吸った、次に左の部屋から窓を開ける音聞こえた。

 それがしばらくしても、締めていなかった。

 いつものように5階で章吾達と食事する待ち合わせをしたら、階段で喧嘩の声が聞こえてきた。

 しゃべり方の激しいアサミだ。

「そんなこと何で事前に教えてくれないの?」

「別に知っても知らなくても大して変わんないじゃん」

 僕は堂々に五階に入れなかった。男女の修羅場はこういうことだと知りつづ、扉の後ろに立つしかない。

「韓国で彼氏いるくせに」「最悪だ」

 章吾の言葉を聞いた途端、僕はずっと無視しようとした事実は、なんて簡単に明かされてしまった。

「それはどこが悪いのよ!」

「よく言えるなお前」

 そして僕の目の前のドアが開けられた、章吾は僕の隣に通りすがり、一秒も足らずが彼の目にあった。まるで親とデパートで離れたような迷子の目だ。

 こんな時はどう対処するかは、もちろん僕には経験がない。開けられた扉の向こうには、すっかり気力を失ったアサミが僕を見ていた。

「大丈夫か?」僕はそれ以外、まだセリフと何もひとつ浮かばない。

「すんごい、遠い人を愛するのじゃなくて、近くにいる人に愛されたいという気持ち、あなたが分かる?」

 共感を求めようと、アサミはしぶしぶと僕に聞き、

「ごめん、そんなこと、僕は一切分かろうともしないから」僕は目を逸らし:「何故名前はアサミかとずっと聞きたかった。それはあなたの名前なんかじゃないでしょう」

 彼女が口を聞かなくなり、涙を零した。

 どうせなら、もっと誠実に向き合えばいいのに。何かをまねしようとしている、それで幸せになろうと思っている。頑張ろうとしないうえに、諦める理由を他人に押す。

 それでやっと気が付いたのは、周りにいっぱい居た、僕達と似て、またちょっと違う人たちの存在を。

 そして自分から何時の間に、彼らをずっと見下ろしていることも。

 もしかして彼らが自分のいるべき世界では、また他に違う外来者にとっても見下ろししているから、特に罪悪感とか湧かないはずが。

 でもこの違和感と切なさは、どこから生まれたのか、僕はそれの答えに苦しむ。

 ここぽいファッションをして、ここの若者みたいなしゃべり方をして、ここのすべてに詳しいたとしても、「異邦人」の匂いは消せない。

 そして消したように自慢げに言てるヤツは、また違う臭みが出てくる。

 なんでそこまでしようとする、ぼくには分からない。

 そんな一ヶ月後、隣の女性が引っ越した。

 トランクを持っている彼女の姿を、やっと自分の目に見えたが、それは渋谷でよく現れそうな日焼けの酷く、髪がグジャグジャのギャルだ。果たして彼女の元々はどんな顔していたのかは、これから確認するチャンスもないだろう。

 『待って、今すぐ降りる。』と駐車場のほうに叫んでいる彼女の一言は、外国人とは思えない綺麗な発音だ。ドアをあげようとした僕と目が合った彼女は、微笑もうとしそうだが、結局なにもせずに、頭を下げ、恥ずかしそうに僕の隣からスッと通っていた。

 それから隣の部屋は、ずっと空っぽだ。

 彼女のメールボックスに、一枚のハガキが届いた。それは金色と赤い紙で書かれた不思議な鳥の絵だ。僕は勝手にそれを持って帰って、適当に窓辺に飾った。

 そしていつの間に、駅の前の古董屋さんが潰れた。予想通りなことだが、何故かちょっと寂しい。

 もっと早く知ったら、その油絵でも貰おうかなと一瞬真剣に考えた自分が居た。

 章吾とは、もう会うことがなかった。もしかして韓国でも追いかけっていたじゃないかと冗談半分に推測した。でもそこまでしても好きでたまらないというのもなんかいいことだ。国籍や人種などの障害を所詮星座や血液型の違いとは同じレベルくらいなことだと思っているのだろう、きっと。

 誰にとっても、大したことじゃないになれるのならいいけど。

 そして僕はバイトを始めた。すこしでも人間と触れ合うがあればいいなと思うからだ。

 自分と中身が似たような人間も、まったく違う人間も。

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