第44話 俺の愛しい、
「生徒会室ってどこか分かります?」
「む、向こうです!」
「マジ?ありがとー!」
愛想良く笑ってお礼を言えば、女子達は顔を赤らめて盛り上がった。その光景に苦笑いを零しつつ目的の場所へ向かう。
「(あーあ、またやっちまった)」
もう二度とサービスしないと決めていたのに、と池ヶ谷は深くため息をついた。生徒会室に行くまで一体何人の女子に声を掛けられ行く手を阻まれただろう。自分が女子にモテることは分かっているが、それでもあまりの声の掛けられように少し苛立ちを覚えていた。それに対して、らしくないな……と自分でも思い返す。
しかしどんなにうんざりしていても、サービス精神旺盛な自分に酔いしれているところもあった。
「(イケメンで優しいなんて……完璧過ぎだろ、俺)」
髪をかき上げながら頭に『彼女』を思い浮かべる。美しい黒髪にルビーのような瞳。彼女のことを思うだけで胸が満たされた。
「(雫は「彼氏くらいいる」なんて言ってたけど……どんな男と付き合ってようが俺より良い男なんていなくね?話したら俺のほうがいいって思うだろ)」
そんな根拠のない思惑を胸に階段を昇っていく。
本当であれば来年入学してから会おうと思っていたのだが、我慢できずに会いに来てしまったのだ。もちろん、入学前に好印象を与えておきたかったという下心もあるのだが。
「えーっと……ここが生徒会室……だよな?」
立ち止まってドアの上に書かれている「生徒会室」の文字をまじまじと見つめて呟く。
「……まあ、間違ってたら謝りゃいいだけか」
ノックをしてから「失礼します」と声をかけてドアを開けると。
「…………え?」
「……あ」
「_______は?」
______例の彼女と見知らぬ男子生徒が抱き合っていた。
池ヶ谷はその光景が信じられないあまり、つい後退りして目を疑った。もしかして部屋を間違えたのかともう一度ドアの上の文字を見たが相変わらず「生徒会室」と書かれている。
「……松葉さん、今日はここまでです。また明日に」
「えっ……で、でも、」
「また明日。……な?」
「う……。…………分かった」
独特の空気感にたじろぐ池ヶ谷。どう見ても口を挟めるような状況ではなかった。しかし『彼女』……橘美琴は文化祭の時と同じ笑みを浮かべて振り返った。
「ごめんなさい。取り込み中だったもので……」
「え、あ……い、いや、こっちこそ……なんかすいません……」
「いえいえ。生徒会に何かご用があるのでしょう?お気になさらずそちらのソファーにおかけください」
「はい……」
気まずさを感じながらも言われた通り座ると、その間に男子生徒は気まずそうに出ていった。ドアが閉まる瞬間、その男子生徒と目が合った気がして眉を顰める。何だか睨まれていたような……とも思ったが多分気のせいだと頭を振った。
そうこうしている間に美琴は優しい笑みのまま向かいのソファーに腰かけていた。
「どうぞ。紅茶でよろしかったでしょうか?」
「は、はい。ありがとうございます……」
差し出された紅茶を一口飲む。緊張からか味はあまりしなかった。
「それで、ご用件は_____……ああ、その前にお名前をお伺いしないといけませんね」
「あ、えっと……池ヶ谷昌介です」
「……池ヶ谷昌介」
池ヶ谷の名を咀嚼するように呟く美琴。伏せられた瞳の中にはドス黒くドロドロとしたものが渦巻いている。しかし、好きな女性を前に緊張で縮み上がっている池ヶ谷に気付けるはずもなかった。
美琴は胸に渦巻く感情をかき消すようにニコリと笑い、手元の紅茶をそっとテーブルに置いた。
「素敵なお名前ですね。私はここ、篠崎高校の生徒会長を務めています、橘美琴と申します。それで、ご用件は?」
「用件……」
あなたに会いに来た、そう言おうとして詰まる。池ヶ谷の頭の中は先程の光景でいっぱいだった。さっきのは彼氏なのか?一体何をしていたのか?そんな疑問ばかりが頭を埋め尽くす。
彼氏がいても関係ない、なんて豪語していたが、いざそういった場面に直面すると情けないことに尻込みしてしまったのだ。
「え、っと……その……さ、さっきの男とは……どういう関係なのかなって……」
「どういう関係って……」
池ヶ谷の問いに美琴は困ったように眉を下げる。
「どうしてそんなことを?」
「ど、どうしてって……」
そりゃそうだ、とどこかで納得している自分がいた。何故会ったばかりの男にプライベートの話をしなければならないのか。そんな簡単なことは流石の池ヶ谷でも分かる。
「き、気になって……?」
上手い理由が思い付かなくてありきたりな言葉が口から
それに対して美琴は少し悩みつつも口を開いた。
「まあ、彼氏というか……見たままの関係というか……?」
「そ、そうっすよね!何言ってんだろ、俺……!」
はは、と自虐するように笑う。
「……けど、別れるかもしれない」
「…………え?」
ふと、美琴が目を潤ませながら小さく呟いた。予想外の言葉に驚いて顔を上げると、美琴の瞳には涙が滲んでいた。まばたきをすれば、涙の粒はまるで真珠のように頬を伝って落ちていく。
その光景に池ヶ谷は見惚れてしまった。しかし好きな女性が泣いているという状況であることを思い出し、慌てて声を掛けた。
「だっ、大丈夫っすか!?」
「っ……ごめんなさい……泣くつもりなんかなかったのに…………」
「気にしないでください。その……それより、別れるって……?」
「……最近、あの人と上手くいってないの」
美琴はポケットからハンカチを取り出して目元を拭う。しかしとめどなく流れる涙を止めることはできない。
「喧嘩やすれ違いが増えてきて……彼と親密な関係になってる女子もいるみたいで……ずっとつらくて……」
「じゃあ、さっきのは……?」
「仲直りをしてたの。本当はもっと言いたいことがあったんだけど……それを言ったら、きっとまた喧嘩になっちゃうから……」
「そんな……」
「こんなに好きなのに……すごく苦しいの……。もう別れるしかないのかな……」
「美琴さん……」
ハンカチに顔を埋めて泣き続ける美琴。池ヶ谷はその肩にそっと手を置いた。肩を震わせて泣く健気な美琴の姿に胸を痛めると同時にホッとしたような安堵の気持ちが芽生える。
そうか、あの男とは上手くいってないんだ。俺が優しくすれば好きになってくれるかも。
今度はそんな希望が頭を埋め尽くす。
「絶対別れたほうがいいっすよ」
池ヶ谷ははっきりと言いきった。
「美琴さんがそこまで想ってるのに、それに応えないなんて男として最低っすよ!あいつは絶対美琴さんを幸せにできない!」
「……池ヶ谷くん……」
「美琴さんを泣かせるような男、こっぴどく振っちゃえばいいじゃん!」
そしてあわよくば俺と______なんて気持ちは咄嗟に呑み込んだ。彼女の涙があまりに美し過ぎて言葉をかけることも
美琴は池ヶ谷の言葉に少しの間ポカンとしていたが、ハッと我に返ると彼の手をそっと握って「ありがとう」とお礼を言葉を述べた。
「……私ったら、初めて会った人にベラベラ喋って泣いて……ごめんなさいね」
「い、いえ!急に来た俺が悪いんで!!」
「それで、結局ご用というのは……?」
「えっ!?え、えーと……」
結局話が初めに戻ってしまい、池ヶ谷は焦りながらも言葉を
素直に目的を話してしまおうか?しかしいくら彼女が弱っているからといって性急に事を進めると引かれてしまう可能性もある。ここは無難な理由にしておいたほうがいいだろうか。
池ヶ谷は少しの間うんうんと唸っていたが、やっと理由を思い付いたのか冷や汗をかきながら顔を上げた。
「じ、実はこの学校から推薦を貰ってて……どんな学校なのか様子を見に来たっていうか……」
「ああ、なるほど!そういうことでしたか!そうとは知らずおもてなしできず……本当にすみません」
「いやいや、ほんとに気にしなくて大丈夫なんで!!」
申し訳なさそうに頭を下げる彼女に慌てる池ヶ谷。
これが雫相手ならば、無様にオロオロすることなく冗談の一つでも口にして場を和ませていただろう。惚れた相手だというだけでこんなにも変わってしまうものなのか、と池ヶ谷は心の中でため息を吐いた。
「ほんとすいません……もう行くんで」
「え?もう、ですか?」
「様子見に来ただけなんで!それに……」
「それに?」
「……せ、生徒会長さんと話せたんで……」
ぎこちない笑顔を浮かべつつそう伝えると、美琴は一瞬驚いたように目を丸くしたあと嬉しそうな笑みを浮かべた。その笑みにまた胸が高鳴る。
「私も池ヶ谷くんと話せて良かったです。来年、是非……いえ、絶対ここに来てくださいね。待ってますから」
「は、はい!もちろん!」
だらしない顔をしながら生徒会室を出て行く彼の背中を笑顔で見つめる美琴。
彼女の言葉の意味も、その笑顔の裏に隠された感情も、池ヶ谷は何一つ、一切気付かない。
「クソ野郎が……絶対に来年殺してやる……」
美琴がどんな気持ちで接していたか……その真意を知るのはずっと先のことだ。
◆ ◆ ◆
「……はあ」
男は耳元のイヤホンを外すと窓の外を眺めてため息を吐いた。
「まさか池ヶ谷が美琴さんと接触するとはな。全く……短気すぎる。一年くらい大人しく待てないのか?……君もそう思うだろう?」
そう言いつつも、男_______林道誠也は池ヶ谷の気持ちが分からないわけでもなかった。
恋焦がれている人に一刻も早く会いたいという感情は至って普通のものだ。恋をしている人間にとって一年という年月はあまりにも長く退屈な時間だろう。居ても立っても居られず突っ走ってしまうのも無理はない。
________しかし。
「知っているだろう?池ヶ谷と違って俺はちゃんと待てる男なんだ。あと一年間……その日が来るその時までゆっくり過ごすさ」
林道は楽しそうに視界に映る黒髪に目を細めた。
_____『君』がいつかその瞳に映す光景は一体どんなものだろう。それを想像するだけでとても心が踊る。
「おやすみ、俺の愛しい駒鳥」
その名前の意味なんて誰も知らなくていい。……そう、君以外は。
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