第42話 愛という餌

 あれから二日が経ったが、松葉が返事を寄越すことはなかった。

 ……珍しくハズレ、か。まぁ、あんな良い子ちゃんに手が汚せるとは思ってないけど。むしろ河口が「何でもする忠犬」だと言っていたのが不思議なくらいだ。あいつは松葉のどこを見てそう思ったのだろう。


 と、そんな事を考えていると生徒会室のドアが開かれた。ノックもせずに入るってことは……今井か瀬戸かな。


「おう、おつか_______…………松葉?」

「…………」


 そこには今井でも瀬戸でもなく、気まずそうに視線を泳がせる松葉がいた。

 ……噂をすればなんとやら、だな。


「……どうぞ?ソファに腰掛けて下さい」


 私はわざと猫被りをして話しかけた。松葉は一瞬驚いたような顔をしたが、少し迷いつつも言われるがままソファへ腰掛けた。


「コーヒーは飲めますか?無理ならミルクティーでも」

「いや……いい」

「そうですか」

「……橘」


 松葉はぎゅっと拳を握りしめながら私の名を呼んだ。


「今日俺が来たのは……あの日の返事をしに来たからだ」

「ええ、分かってますよ。で?入るんですか?」

「…………無理だ……。人を傷付けるなんて、俺には出来ない……!」


 俯いて唇を噛みしめる松葉。

 あーあ……やっぱりな。そう言うと思ってたよ。こいつが他人を傷付けられるわけがなかったんだ。こういう奴はこっち側とは無縁なんだから。まあでも、ちゃんと返事をしに来るなんて相変わらず律儀な奴だ。











「……最初は、そう思ってた」


 けど、と松葉は真っ直ぐ私の目を見つめた。


「もし断ったら……橘は俺に失望する……。そんなの……堪えられないだろ……!」

「……だから?」

「…………」

「私の道具になれるんですか?」

「………………ああ……なれる。橘が俺のそばにいてくれるなら……俺を頼りにしてくれるなら……いくらでも手が汚せる……!」

「本当に?仲の良い霧野すら傷付くかもしれないんですよ?あなたにそれが出来ますか?」

「できる」


 強く言いきった松葉に少し驚く。霧野の名前を出せば動揺すると思っていたが……もはやあいつのことも気にならないほど決心してるのか?


「……今井の事が好きな訳じゃないって聞いた時……キスされた時……すげぇ嬉しかった……。もしかしたら、って……希望を持ったんだ……。……橘」


 松葉は軽く身を乗り出して私の手を強く握った。


「復讐が終わったら捨てられたっていい。もう道具としてでもいいから……俺を愛してくれ……!」


 私に愛されたいから誰かを傷付ける、なんて。そんな奴は初めて見た。今井も瀬戸も他の奴らも。全員他人を傷付けることを楽しむ奴らだったからそれが普通だと思っていた。だけど松葉は愛されたいから手を汚すんだ。

 ……馬鹿馬鹿しい、と思えないのは私自身が「愛」という理由で手を汚しているからだろうか。


「…………なら、証明しろ」

「……え?」


 私は松葉の頬に手を添え、小さく笑った。

 理由が理由だからな。無条件で入れるわけにはいかない。


「私の為なら何でも出来るってことだよな?だったら……それを証明してくれよ」

「ど、どうやって……」

「誰でもいい、部員に怪我を負わせろ。ただそれだけだ」

「っ、!?」


 なんで、と震える松葉に優しく笑いかける。


「しばらくは試合ないんだろ?な?私の道具になってよ」



 _____それがお前に出来たら、好きなだけ愛してやるよ。



 そう囁くと松葉は肩を震わせた。

 さあ、どうする?お前は私の為に友達を傷付けられるのか?


「楽しみにしてるぞ」




 ◆    ◆    ◆




「松葉さん」


 酷く暗い表情を浮かべながら出てきた松葉さんを引き留める。私達がいるとは思っていなかったのか、松葉さんは驚いたように目を丸くして足を止めた。


「大丈夫ですか?顔色が優れないようですけど……」

「……別に……平気だ」

「そうは見えないけれど……ねえ?聡」

「……俺を巻き込むなよ……」


 たまたま一緒にいた聡に話を振ると嫌な顔をされてしまった。

 もう……一緒になって二人の会話を聞いていたくせに無関係でいようなんてズルい子だわ。朝陽ほどじゃないけれど、聡もそこそこ良い性格してるわよね。


「で、どうするんですか?部員を怪我させるらしいですが……」

「どうって……。…………やるしか、ねぇだろ……」


 ……あらまあ、酷い顔。とてもできそうにないけれど?


「でも……あなたにできるんですか?の、一番苦手そうなのに」


 あまりにも酷い様子に、揶揄いと憐れみを込めて言うと松葉さんはキッと私達を睨んで口を開いた。


「…………お前らはできんのか?」

「もちろん、余裕でできますよ。ね?聡」

「だから何で俺を巻き込むんだよ!」

「はあ?自分だけまともなフリ?そういうのどうかと思うわよ」

「……はあ……。まあ、別にやろうと思えばやれるけど……んなこと、メリットがなきゃやらねーだろ。普通」

「メリット……」


 その瞬間、松葉さんの目つきが変わった気がした。


「俺が生徒会に入らなかったのも、特にメリットが無かったからだし」

「まあ、聡からすればそうでしょうね」

「お前は何のメリットがあって入ったんだよ?」


 聡にそう聞かれて少しだけ考える。

 生徒会にいると目立つし周りから支持される。けれどだからといって好き勝手できるわけではないし、美琴ちゃんの性格上自業自得のやらかしを揉み消してくれるわけでもない。

 聡の思っている通り、生徒会に入って復讐を手伝うのはあまりメリットがないかもしれない。けれど……。


「復讐が面白そうっていうのもあるけれど……一番は彼女に魅了されたから、かしら」

「魅了?」

「彼女のそばにいると心地良いのよね。美琴ちゃんのことが大好きだから何でもできるのよ」


 本当不思議な子だわ。こんな気持ちになったのは初めてかもしれない。


「……お前もなのか?」

「え?」

「お前も橘に、できたら愛してやるよって言われたのか?」


 ……はあ、なるほど?


「……別に何も言われてないですよ。けどあの子は愛してくれてる。わざわざ言うまでもないと思っているからでしょう」

「え……」

「わざわざ「愛」なんて餌を作るってことは……あなた、美琴ちゃんに信用されてないんじゃないんですか?」

「んだと……?」


 クスッと笑うと松葉さんは不快そうに眉をひそめた。

 きっと美琴ちゃんも無条件で入れるのは無理だと思ったんでしょうね。例え壊れていても、私達と違って道徳がイカれてるわけではないから。


「それか期待されてないのかも。結局、彼女からのご褒美が無ければ何もできないんでしょう?なら止めておいた方がいいかもしれないですね」


 あなたがもし手を汚せば、もう戻りたくても戻れないでしょうから。……なんて、そこまでは口には出さなかったけれど。


「…………なら……橘に認めてもらえるようなことをすりゃいいんだろ」

「あら、本当にやるんですか?相当美琴ちゃんのことが好きなんですね」

「それはお前もだろ」

「ふふ……そうですね」


 ニコリと笑うと松葉さんは私を睨みつつ教室へ戻って行った。


「本当……依存した人間って怖いわね。愛されたいから誰かを傷付けるなんて発想、私にはできる気がしないわ」

「お前らは「面白そうだからやる」が基本だもんな」

「だから、自分はまともって言い方するのやめなさい!あなたも同じ穴のムジナでしょうに!」

「う……、……はい」


 まったく、聡はいつも「自分は関係ないです」って顔するんだから。そういうところはちゃんと治してほしいわ。

 ……まあ、そんなことより。


「美琴ちゃん、入るわよ」


 ノックしてから生徒会に入る。美琴ちゃんは軽く返事して書類を確認し続けた。

 まるでさっきまでの会話が嘘みたいに何でもない顔をしてるけれど………松葉さんに興味がないのかしら。


「仕事お疲れ様。どう?松葉さんは」

「どうって……」


 美琴ちゃんは私の問いに面倒くさそうにため息を吐いた。


「一応動機は与えたが……あの様子でできるとは思えないな。期待はしてない」

「あら、意外ね」

「あ?」

「期待してないのに餌を与えたの?美琴ちゃんにしては珍しいわね」


 短い間だけれど、傍で見ていれば彼女の人となりが分かってきた。

 美琴ちゃんは「無駄」を嫌う。自分にとって得にならないことには労力を使わないし、どうせ無駄だと分かっていることに対して行動を起こすこともない。

 そんな美琴ちゃんが松葉さんに餌を与えたのは、それなりの期待や得があってのことだと思っていたのだけれど……。


「…………」


 美琴ちゃんは自分で不思議そうな顔をしながら少し考え込んだ。


「……まあ……私の本性を知られたからには仲間に入れて黙っといてもらわないと困るからな」

「へえ……」


 美琴ちゃんならいくらでも口止めできそうだけれど……なんて、野暮なことは言わないでおきましょうか。楽しければそれでいいもの。ねえ?


「(さあて……松葉さんはどこまでやってくれるのかしら?)」

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