〇平野くんの自由研究 ~先輩と、ふしぎの世界へ行きました~


 おはようございます。平野です。


 いやあ、いい朝ですね。


 今日は先輩のおうちにお呼ばれしちゃいまして。

 ドキドキ。ワクワク。

 ちょっと朝早いけど、僕、頑張っちゃうぞ!


 そう、あれは一週間前のことでした――



「ねえ、平野くん。お願いがあるんだけど……」


 頼まれていた解析データをお届けしたところ、先輩はちょっと上目遣いで僕におっしゃったのです。

(※注:一部、平野くんヴィジョンによる加工が入っています)


「何ですか、先輩。僕でお力になれるなら、何なりとお申し付けください!」

「うん……、ちょっと、協力してほしい実験があってね」


 そんなことなら、朝めし前ですよ。

 あ、今日は朝ごはんちゃんと食べてきましたけどね。


 先輩、いつも僕に実験のやり方教えてくれて、手伝ってくれて。土日でも、そのためだけにわざわざラボに出て来てくれることだってあるんですから。

 だからお返しに僕ができること、何だってさせていただきます。


 その日は「準備があるから」ってことで、一週間後の今日、また先輩のご自宅に伺うことになったんですけれども。


 実験……。実験って、何なんでしょう。健康な成人男子が必要な実験って。


 僕たちは、生物学バイオロジーをやっているわけですし。

 先輩はとっても研究熱心だし。


 やっぱり突き詰めていくと、生物一個体が作られる過程にも、興味が出てくるものじゃないでしょうか。


 生物というのは、受精卵とよばれるたった一個の細胞が、分裂をくり返して、桑実胚そうじつはい胚盤胞はいばんほうを経て、外胚葉・内胚葉・中胚葉に分かれ、そこから各器官が発生していくわけなんですけども……。

 その一個の受精卵ができるまでにも、たくさんのワンダホーな過程がありますよね?


 先輩がその過程について詳細に調べたいとおっしゃるなら、やぶさかではありません。


 研究の世界って「偶然の産物」なんて受け入れられないから、何度も何度も実験をくり返さなくちゃいけないんですよ。一回ヤッたら終わりじゃないんです。


 だから、今日も朝から実験ってことは、一日で何回も重ねることになると思われます。

 あ、重ねるっていうのは、試行をね。


 条件を変えながら、こう、いろいろと試行錯誤して……。あんなことやそんなことも、試してみたいですね。

 大丈夫です、先輩がご満足いくまで、何度でも実験しましょう。気合と体力は十分です。


 昨日は奮発して、ウナギ食べちゃいました。

 あ、もちろん、スーパーの特売セールのやつですけどね。

 一般的な飲食店が開いている時間に外でゆっくり夜ごはんなんて、僕たちには夢のまた夢ですから。

 基本は毎食カップラーメンです(一日三食とは言っていませんよ)。


 先輩は細胞培養もお上手で、グングン増やしちゃうから、いつも余ったやつを僕の実験用に分けてもらったりしています。

 だから今日は、なんだったら僕の細胞を提供して……あ、染色体半分しかないやつですけど。


 あれ、そんなこと考えてるうちに、もう先輩のマンションに着いちゃいました。

 まだちょっと早いかな……?


 でも、ラボで実験するときはいつも、開始時間より早めに来て器具やら試薬やら準備するものですからね。

 じゃあ、まあ、いいか。いいですよね。


 それでは。

 服装、ヨシ! 髪型、ヨシ! 口臭、ナシ!

 いざ、たのもー!


「おはよう、平野くん。休みの日につき合わせて悪いね」

「いえ! おはようございます、先輩。今日はよろしくお願いします!」


 中へ入ると、クロくんも可愛らしいあいさつをしてくれました。

 先輩が一人暮らしじゃないって知った時はちょっと驚いたけど、こんな可愛い同居人さんなら、いいですね。


「いつも以上に、クマひどいよ? 昨日も遅くまで論文漁ってたんじゃない?」

「い、いえ! じぇんじぇん! ……いや、まあ、ちょっと……調べ物を」


 あ、でも、予備実験とか、予行演習的なのはやってないですからね! 細胞はちゃんと溜め込んでキープしてあります。


「体調はどう? 体力要ることだし、調子良くないなら延期してもいいけど。大丈夫? 今日いけそう?」

「あっ、はい! ぼぼ僕はあのなにをすればよろよろしいでありましょうかっ!?」

「あぁ……、んと、口で説明するのは、難しいなあ……」


 先輩はそう言って、ちょっと迷った後、ブラウスの襟元に手をかけました。

 そして、プツリ、プツリとボタンを外します。

 はわわっ。もう早速ですか!


 ところが先輩はふいに横を向くと、クロくんを抱き上げて、


「じゃあ、クロ。行こうか」


 えっ!? まさか、お相手を務めるのは僕じゃなくてクロくん?

 それとも、僕も途中から参戦すれば良いのでしょうか。異種混合の三つ巴戦!? ど、どうしましょう。そんなマニアックな分野までは勉強していませんでした!


 クロくんが、小さな手を伸ばします。


 あっ! クロくん!? 女性のそんなところに触れるのは、いくらキミでも許されることじゃ――


 もわわわん、と僕の視界はピンクに霞みました。


 はわー。こういうのって、アニメとか漫画の世界だけだと思っていたんですけど。興奮というか、発情すると、本当に目の前ピンクになるものなんですねえぇ。

 あれ? でも、ピンクなのは視野全体じゃなくて……。


 部屋の中に突如発生したピンクの集合体は、先輩とクロくんの向こう側で一定の形態を保っているようです。何か、比重の大きいガスとかなのでしょうか。


 ピンク色に発光するガス……? すみません、僕、化学ばけがくは得意じゃないんです。


 するとクロくんが、自分の体の数倍はありそうな大きな黒い布をひっつかんで、光の中へと飛び込みました。


「えっ!? き、消えた……?」


 反対側をのぞいてみても、クロくんの姿はありません。


「じゃあ、平野くんも入って」


 入る……ってことは、クロくんはこのガスの中にいるのでしょうか?


「クロくんは……クロくんはどこへ行ったんですか? これは一体!?」

「行けばわかるさ」


 そんな……。

 迷わず行けよ、行けばわかるさ。大丈夫、元気はあります。昨日ウナギ食べたから。

 僕はもっと、狭い穴の中に入ると思っていたんですけど……。


「ゆっくりでいいよ。何か身体に異変を感じたら、すぐに知らせてね」


 声に振り向くと、先輩はいつの間にか白衣を着ていて、聴診器、血圧計、それに救急セットまで!?

 え、この中で、どんなハードプレイをするんですか!?


 それとも、お医者さんごっこ?

 じゃあ僕はお返しに、触診で婦人科系のがん検診を――


「遅すぎ! 早く行け」

「ふぎょえっ!?」


 背中に急な衝撃を受けて(おそらく先輩のおみ足です)、僕はピンクの中に頭から突っ込んでいました。


 ……恐る恐る目を開けると、黒いローブのような服を着た青年がこちらを見下ろしています。


「よう、やっと来たか」


 スラリとした長身、銀色に輝く長髪に、彫りの深い顔立ち。ずいぶんと、マニアックなコスプレですね。

 この方は……もしかして、先輩のカレシ氏!? 先輩、オタクさんでいらっしゃったのですか? まあ、研究者なんて半分はその道の人ですけど。


「あ、あの、先輩……この方は、ひぎょあっ!?」


 振り返ると先輩は、ちょうど光の中をくぐって来たところでした。光はそれからすぐに、すうっと霧散したのですが……。

 光が消えたあとに見えた、部屋が! 部屋の様子が! さっきまでと全然違うのです!


 もう一度ぐるりと見まわしてみても、ピンクガスに入る前の先輩のお部屋とは、全く別の場所にいるようです。

 家具もまるっきり変わっているし、内装とか、窓の外の景色まで……!?


 もしかしてさっきのガスは、幻覚を見せるヤヴァいやつだったのでしょうか。


 ということは、このお兄さんも幻覚? アハハ、そうですよねえ~。さっきまで部屋の中に、僕たち以外のいなかったですもんねえ。


「ん? ああ、それ、クロ」


 クロ……?


「え、えええぇっ!? だ……、だって、クロくんって……クロくんって……」

「だーかーら! 『クロ』じゃなくて『クロウ』だっつってんだろ? つーかおせえよ、平野くん」

「しゃ……っ…………」


 …………べっ……、た…………?


 ………………?


 ……



  

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