第240話 重荷


第055日―5



僕は【ジュノだった何者か】にゆっくりと歩み寄って行く途中で、表現し難い違和感に捕らわれた。



ヒエロン達の様子がおかしい?



ヒエロンはひざまずき、【ジュノだった何者か】を恍惚とした表情であおぎ見ている。

ナブーや【彼女】も、ほうけたように立ち尽くしている。

ヒエロンに随行してきた調査団の面々の内、まだ生き残っている者達も同様に、呆然と立ち尽くしている。

そして彼等全員から何かが立ちのぼり、それが【ジュノだった何者か】へと次々に流れ込んでいく。


シャナがささやいてきた。


「彼等はアレに魅入られている。生命力を吸われている」


僕は【ジュノだった何者か】を睨みつけた。


「お前は何者だ? ジュノをどうした?」


中空から僕達を見下ろしている【ジュノだった何者か】が、不敵な笑みを浮かべたまま言葉を返してきた。


「何者か、じゃと? もうわかっておるくせに」

「まさか……? でもお前は、封印されているはずだ」

「封印じゃと? 超越者を完全に封じ込める事が出来るなど、思い上がった考え方じゃ」


【ジュノだった何者か】は、自分ジュノの身体に視線を巡らせながら言葉を繋いだ。


「この娘は力を渇望しておった。狂おしい程にな。その強い想いが私の再臨を可能にしたのじゃ。安心せよ。この娘の魂は、私の中で完全に消滅させた。創造主たる私の一部になれたのだ。この娘も本望ほんもうであろう」

「何!?」


思わず気色けしきばんでしまった僕の服の裾を、シャナがそっと引いた。


「アレの本体は、まだ『彼方かなたの地』に封印されているはず。アレはその“影”に過ぎない。ジュノの心の隙をついて、この世界に這い出そうともがいているだけ。ジュノはきっと、まだ消えてはいない」


僕達の会話が聞こえたのだろう。

【ジュノだった何者か】がフンと鼻を鳴らした。


「精霊の娘よ。私を単なる“影”だなどと甘く見ていると、後悔するぞ?」


【ジュノだった何者か】が手に持つ大剣を構え直した。

そして凄まじい勢いで、僕とシャナ目掛けて襲い掛かって来た。

僕は霊力の盾を展開してその攻撃を防ごうとして……


え?


大剣の攻撃を受け止めたはずの霊力の盾が、なぜかきしみながら削られていく。

いや、これは削られているのではなく、吸われている!?


背中をゾクリと冷たい感覚が駆け抜け、僕は反射的に後ろに飛び退いた。

【ジュノだった何者か】が愉快そうな表情になった。


「フフフ、なかなか面白い大剣であろう?」


【ジュノだった何者か】は、手に持つ大剣を見せびらかすように掲げて見せてきた。


「お前も見覚えがあろう? 私が力を付与し、ゼラムが使っていた大剣じゃ。これで斬られた時、傷口から霊力が漏出し続けたであろう? しかしこの大剣の真の力は、漏出させたその霊力を我が物にする事にある」


自然に顔が強張っていく。



つまり攻撃にせよ防御にせよ、僕が霊力を使用すれば、それは全てあいつの力のかてにされてしまう?



【ジュノだった何者か】が、あざけるような雰囲気になった。


「それにしても獣人とは、つくづく愚かな存在じゃ。セリエもゼラムも一見、お前の味方のような顔をしておったが、結局私の再臨を助けてくれたのだからな」

「何の話だ?」

「分からぬのか? なぜ私の手にこの大剣がある? ゼラムがお前との思い出とやらに流されて持ち帰ったこの大剣を、娘のセリエがお前への劣情に流され、エレシュやポポロの目をあざむいてまで、この地に封じてくれたからこそ、私が今、これを手にすることが出来たのじゃ」

「違う。セリエは! ゼラムさんは! 僕の事を忘れないでいてくれたからこそ……」

「そうじゃ。そしてそれこそが、私に勝利をもたらすのじゃ」

「お前に決して勝利は訪れない!」

「救世主! アレの言葉に惑わされてはいけない!」


しかしシャナの静止は間に合わず、僕の感情の高まりに呼応するかの如く、周囲に展開していた僕の霊力全てが四方に向けて、爆発的に広がった、

それは周囲全てを破壊……する事無く、全て【ジュノだった何者か】が振るった大剣へと吸収され消滅した。

【ジュノだった何者か】の身体が、膨大な量の霊力を得て、不可思議な紫のオーラに包まれ、輝き始めた。

対して僕の方は、膨大な霊力を失った代償か、急速に身体の力が抜けるのを感じ、思わず膝をついてしまった。


「救世主!」


シャナが僕を助け起こしてくれた。



霊力での攻撃は、相手を利するだけだ……



少し冷静になった僕は、シャナに声を掛けた。


「シャナ。みんなは退避出来たかな?」

「全員、この闘技場からは出て行った」


僕は目を閉じ、全身に竜気を巡らせた。

周囲に、金色こんじきに渦巻く大地の精霊達が集まってきた。

僕達の様子を眺めていた【ジュノだった何者か】が、小馬鹿にしたような顔になった。


「精霊の力に頼るか。負け犬が負け犬の力を借りていかほどの事が出来るのか、見物みものじゃな」


そして自身の周囲で呆然とたたずむヒエロン達に、さとすように語り掛けた。


「さあ、あの者達を討ち、私の再臨のにえとせよ」


ヒエロンが、ナブーが、【彼女】が、そして、ヒエロンに随行してきた調査団の生き残り達が、それぞれ何かに憑かれたような表情のまま、僕とシャナに襲い掛かってきた。


彼等が殺到してくる寸前、突風が吹き抜けた。



―――ゴオオォォ……



シャナの精霊の力により、僕とシャナは闘技場の外、翡翠の谷へと瞬時に移動していた。

直後、僕は周囲に渦巻く大地の精霊達に向けて叫んだ。


「闘技場をつぶして!」



―――ゴゴゴゴゴ……



恐ろしい轟音と共に、まず闘技場と翡翠の谷との間に開かれていた回廊が崩れ去った。

そしてその奥、闘技場の方向から、耳をつんざくような破壊音が響いてきた。

ここ翡翠の谷の天井からも、パラパラと土煙が舞い落ちてくる。

全身を芯から揺さぶる鳴動は、十数秒間継続した。


やがて静寂が戻って来た


身構えたまま少し待ったけれど、【ジュノだった何者か】やヒエロン達が転移して追ってくる雰囲気は感じられなかった。


「……斃せた……のかな?」


この程度で斃せる相手ではない。


そう感じてはいたけれど、僕は一応霊力を展開し、闘技場の状況を探ってみた。

闘技場は完全につぶされていた。

岩石や瓦礫に挟まれたヒエロンに随行してきた調査団の面々が血まみれになって、息絶えているのが“視えた”。

覚悟の上実行した結果とは言え、“視えた”姿は、事前の想像を遥かに上回る強烈な罪悪感で僕を責め立てた。


「殺してしまった……」


小刻みに震える手に、シャナの小さく白い手がそっと重ねられた。


「あなたは自分を責めるべきではない。どうしても責めたいなら、その重荷は私も背負う」

「シャナ……」

「とにかく一度戻りましょう」


彼女が指さす方向には、僕がこの地に至るために設置した転移門が、変わらずそこに存在していた。




僕とシャナが転移門を通り抜けて戻った皇帝ガイウスの軍営は、大混乱に陥っていた。


上空を無数のドラゴンが舞い、その噴き出す炎が地上を焼き払っていた。

そしてそこかしこで、モンスターの群れが兵士達に襲い掛かっていた。

転移門のすぐ近くで、ハーミルが次々と襲い掛かって来るモンスターを斬り伏せているのが見えた。

僕は慌てて彼女に駆け寄った。


「ハーミル!」

「カケル、無事だったのね?」

「何が起こっている?」

「分からないわ。私達が戻ったら、既にこの有様よ」

「ナイアさんやノルン様達は?」

「陛下の幕舎で防戦に当たっているはずよ」


この場をハーミルに任せた僕とシャナは、直ちに皇帝ガイウスの幕舎へと向かった。

幕舎の前では、ナイアが生き残っている数少ない使い魔達を駆使しつつ、押し寄せるモンスターの群れと戦っていた。


「ナイアさん!」

「カケルかい? 丁度良い所に帰って来てくれたね」

「状況は?」

「状況も何も、見ての通りさ。恐らくこれもヒエロン達の作戦の一環だろうね」

「ノルン様やアレル達、それにその……メイは?」


ナイアが不敵に微笑ほほんだ。


「安心しな。皆、幕舎の中さ。あたしが守りについているんだ。今この周辺で、この幕舎の中より安全な場所は存在しないさ」


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