第239話 再臨


第055日―4



ハーミルはジュノに剣を突き付けたまま、抑揚の無い冷たい声で告げた。


「ジュノ。かつて仲間だったよしみで、この場で命までは奪わない。投降しなさい」


しかしジュノは肩口からおびただしい量の血液を噴出させながらも、能面のように無表情なまま、ゆらゆらと揺れながら立ち上がった。


ハーミルはジュノの様子に、激しい違和感を抱いた。


「……ジュノ?」


一瞬首を傾げたハーミルは、ふいに背後から迫る異常な殺気を感じて横に跳んだ。



―――ドゴォォン!



次の瞬間、先程までハーミルがいた場所が、轟音と共に不可視の力でえぐられていた。


ハーミルの背後10m程の所に、【彼女】が立っていた。

【彼女】は機械仕掛けの人形のような動きで、右手を振り上げた。

ハーミルが【彼女】の攻撃に身構えたわずかな隙に、ジュノは切り落とされた左手に走り寄り、それを拾い上げた。




ナイアはシャナと合流し、ヒエロン、そしてナブーと激しく渡り合っていた。

ノルンはいまだ意識朦朧としたままのカケルと、宝珠を奪われ、ピクリとも動かなくなってしまったメイとをかばうように、守護の結界を展開していた。

そしてハーミルは【彼女】の次の攻撃に備えていた。




誰にも妨害される事無く、ジュノは素早く切り飛ばされた自身の左腕へと駆け寄る事が出来た。

彼女は、自身の切り落とされた左のてのひらに握り込まれていたメイの宝珠を、残された右手でもぎ取った。

そしてそれを自分の額に押し当てた。



―――ぎゃああああぁぁぁぁぁ!



ジュノが背中をらせて絶叫した。

戦っていた者達も一斉に手を止め、思わず振り返るほどの、魂まで凍らせるかの如く凄まじいまでの叫び声。

そして彼女の身体を突き抜けるようにして閃光がほとばしった。



何か得体の知れない、異様な雰囲気が周囲を包み込み始めた。



その場に居合わせた人々の背筋を、戦慄が駆け抜けた。

敵も味方も含めて、全ての人々がほうけたように立ち尽くしてしまっていた。


やがて閃光が収まった時、ジュノがつぶやくように口を開いた。


「ようやく、帰って来たぞ」


いつの間にか、斬り落とされたはずの彼女の左腕は元通りになっていた。

ジュノの額には、禍々しいオーラを放つ黒い宝珠が顕現していた。

彼女は不可思議な輝きに包まれたまま、中空へと浮き上がった。


呆然自失の状態に陥っている人々の中から、ヒエロンがフラフラと進み出た。

歓喜とも恍惚とも取れる表情を浮かべたヒエロンはジュノに近付き、そしてひさまずいた。


しゅよ、この日を心待ちにしておりました。さあ今こそ我等を、あるべき姿の世界にお導き下さい」


ジュノ?の右の唇の端が跳ね上がった。


「ヒエロンと申したな。お前の望み通り、この世界をあるべき姿に戻そうぞ」


ジュノ?が右手を高々と掲げた。

そこに光球が顕現した。


「ふむ……まだ万全とはほど遠い、か……」


ジュノ?は、自身が顕現した光球を眺めて独り言ひとりごちた。

その時、事態の推移を呆然と見守っていた人々の中で、ナイアがいち早く自分を取り戻した。

彼女は自身のタリスマンの力を解放し、温存していた残り全ての使い魔達を召喚した。

そして使い魔達にジュノ?を攻撃するよう命じると、自身は素早く、まだ呆然と立ち尽くしているノルンの方へ駆け寄った。


「ノルン、しっかりしな!」


数度揺さぶられ、ノルンがハッとしたようにナイアの方を見た。


「勇者ナイア……今、一体何が起こっているのだ?」


ナイアはジュノ?の方に視線を向けながら言葉を返した。


「分からないけれど、多分、相当まずい事態だよ。皆を集めて撤退するんだ」


一方、シャナもナイアとほぼ同時に自分を取り戻していた。

彼女は自身の精霊としての力を使用して、まだ呆然としている帝国側の調査団の人々を、ノルンの近くへと次々と運び集めた。

そして自身もノルンとナイアの傍に駆け寄った。


「ノルン様。カケルは?」


ノルンが困惑したような表情になった。


「見ての通りだ。傷は癒えているはずだが、意識がまだはっきりせぬ」


ノルンの言葉通り、カケルは、完全には気を失っていないものの、こちらの呼びかけに上手く答えられる状況では無くなっていた。

シャナはカケルの様子を確認すると、険しい表情になった。


「恐らく、霊力を失い過ぎている」


ナイアが鋭く問い掛けた。


「カケルなら、あいつジュノ?に対抗出来るんだろ? どうすればカケルを起こせる?」


シャナは険しい表情のまま言葉を返した。


「霊力が補充されれば、カケルは活力を取り戻すはず。ただ……」

「ただ……?」


シャナがジュノ?に視線を向けた。


「恐らく“アレジュノ?”が、この辺りの霊力を全て自分に従えようとしている」


ナイアも釣られるようにして、ジュノ?に視線を向けた。

ジュノ?はまるでナイアの知る守護者の如く、不可視の力でナイアの使い魔達を次々と斃していた。


「アレは、一体何者なんだい?」

「アレはもうジュノじゃない。かといって、まだ完全には復活出来ていないはず。カケルなら……救世主なら、再びアレを封印出来る」

「とりあえずこの場からは撤退しよう。あたしが殿しんがり務めるから、早くこの闘技場から出るんだ!」

「私も……私も残るわ。カケルをお願い」


声の方に視線を向けると、ようやく自分を取り戻したハーミルが立ち上がっていた。


「待って!」


シャナは、【ジュノだった何者か】の方へ向かおうとしたナイアとハーミルに声を掛けた。


「私が、救世主に力を与える」


シャナは横たわるカケルの方に身をかがめると、カケルの唇に自分の唇を重ねた。

そして想いを込めて、自身の生命力を吹き込んだ。


「シャ、シャナ!?」


ハーミルが狼狽した声を上げる中、シャナとカケルを柔らかい光が包み込んだ。




……

…………

優しい何かに包まれて、意識が次第に明瞭になっていく。

同時にぼやけていた視界いっぱいに、シャナの顔が広がっている事に気が付いた。

僕はそのまま、シャナに問い掛けた。


「こ、ここは……?」


シャナの顔には安堵の表情が浮かんでいた。


「救世主、良かった」


その時になって、僕はシャナの身体が半分けている事に気が付いた。


「シャナ、もしかして……?」


頬を染めたシャナがうなずいた。


「私の半分をあなたに与えた。残りの半分が必要になるなら、いつでも言って」


僕は立ち上がり、辺りを見渡した。

少し向こうで、不思議な光に包まれて中空に浮かぶジュノが、ナイアの使い魔達と“霊力を使用して”戦っているのが見えた。

僕は直ちに光球を顕現した。


「シャナ。皆を連れて早く逃げて!」

「それは、私以外の誰かの役目」


静かに、そして力強くそう口にしたシャナは、僕の隣に寄り添うように立った。

僕はシャナにちらりと視線を向けた後、傍に立つナイアとハーミルに声を掛けた。


「ノルン様達を連れて、急いでこの場を離れて。翡翠の谷には、帝国の軍営に通じる転移門がまだあるはず」


ノルン様が切羽詰まったような声を上げた。


「カケル! メイは……メイは、どうしよう?」


ノルン様の視線の先に、メイが横たわっていた。


「メ、メイ!?」


僕は身をかがめ、メイの状態を確認した。

彼女は顔面蒼白のまま、荒い息をついていた。

額には、何かを引きちぎられたような傷跡が残っている。


心の動揺を一生懸命に抑え込みながら、とにかくたずねてみた。


「何があったのですか?」

「メイが私の危機を感知して、転移してきたのだ。しかしジュノが、メイの宝珠を無理矢理奪い、あのような姿に……」


彼女の言葉に、僕は強い衝撃を受けた。。

ナイアが声を掛けてきた。


「メイの事は任せな。帝国だろうが、魔王だろうが、あたしが指一本触れさせないさ」


今はナイアに頼るしかない。

僕はナイアに頭を下げた。

そして改めて、【ジュノだった何者か】に向けてゆっくりと歩き出した。

シャナが僕の後に続いた。



僕達に気付いたのだろう。

【ジュノだった何者か】がこちらに視線を向けてきた。

彼女の顔に不敵な笑みが浮かんだ。


「異世界人に精霊の娘……お前達との宿縁しゅくえん(※前世から持ち越された切っても切り離せない関係性)、この地で断ち切ってくれようぞ」



時を越え、再び僕達は対峙した。



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