第206話 監獄


第049日―Y3



彼女もう一人のナイアのタリスマンは、聖なる輝きを放った。聖具の保持者が倒されるのを見過ごすことは出来ない」


そう厳しい表情で告げてきたアレルを、ナイアは一瞥した。

しかしそのまま彼を無視して、戦いを続行しようとした。

アレルは仕方なくといった雰囲気の中、腰の剣を抜いた。

ナイアは目をぎらつかせながら、アレルに言葉を掛けた。


「へぇ……偽者に味方して、あたしとやろうってのかい?」

「君と戦いたくはない。しかしこのまま戦い続けて、もし片方に万一の事があれば、それは1/2の確率で本物の勇者が殺された事になる」

「甘く見られたもんだねぇ。あたしは勇者。偽者なんかに遅れを取るわけ無いだろ?」

「それは君が本物だった時の話だ」


アレルの言葉を聞いたナイアは、後ろに飛び退いた。


「そうかい。残念だけど一緒に行動するのは、ここまでにしておこう」

「いきなり何を言い出すんだ?」

「元々、今までの勇者は皆一人で魔王を倒してきた。勇者二人で魔王城に乗り込んだりしたから、こんなややこしい事で悩まなきゃいけなくなっているのさ」


そう告げるとナイアは、油断なく使い魔達を周囲に集めた。

そしてアレル達に背中を見せる事無く、広間の出口へと慎重に移動を始めた。


「待ってくれ、ナイア!」


慌てて駆け寄ろうとしたアレルに、ナイアが剣を突き付けた。


「よく考えたら、偽者が聖なる輝き放つタリスマン持っているんだ。聖剣持っていても、あんたが本物かどうか、分からないって事だよね」


ナイアは冷たい笑みを浮かべると、そのまま広間を出て行った。



魔力の感知網を展開しつつ、広間から退出したナイアの心中しんちゅうは複雑だった。

自身の偽者と共に広間に残ったアレル達の事が、気にならないかと言えば嘘になる。

しかし彼女は幼少期の修羅の体験から、無条件には人を信ずる事が出来なくなっていた。



毎日にこやかな笑顔を向けてくれていたはずの使用人達。

彼らは帝国とその後ろ盾を受けたライバル達から使嗾しそう(※そそのかされる事)され、簡単にナイアの家族を裏切った。

僅かばかりのお金と引き換えに、彼らはナイアの家族を皆殺しにして、彼女の幸せだった世界を完全に破壊した。

そんな彼らを、今度はナイアがその場で皆殺しにした。


帝国歴代の皇帝達から、高度な自治を認められていたはずの自由都市連合。

連合内で指導的地位を得ていた五大名家間で、陰湿な権力争いが発生した。

そこに帝国が介入した。


五大名家の一角、ソードフィッシュ家の屋敷は、こうして焼け落ちた。

血と人体が焼け焦げた時にのみに発せられる異様な臭気が、鼻をつく。

名状し難い感情が全身を駆け抜け、幼さゆえにその意味も分からないまま、ナイアは、ただ立ち尽くしていた。

ふいに何者かが背後から近付いてきた。

振り向くとそこには長身痩躯、眼光鋭い壮年の男が立っていた。

身に着けているのは帝国の制式軽装鎧!


ナイアは一言も発する事無く、その男に向けて、手にしていた毒刃を突き出した。

しかしその刃は、気が付くと手の中から弾き飛ばされていた。

彼女は素早く地面に散らばる瓦礫の一つを手に取り、男に殴りかかった。

男の身体がゆらりと揺れた次の瞬間、ナイアは男に片手で拘束されていた。

ナイアはまだ自由が残されていた口を使って、男の二の腕に嚙みついた。

肉に歯が食い込む確かな感触と、口いっぱいに広がる人間の熱い血液の鉄臭い味!


「キース様!」


男の連れが、慌てた感じで駆け寄って来ようとするのを、男は目線で制した。


「俺は大丈夫だ」

「しかし!」

「ここは俺に任せろ」


ナイアに二の腕を噛み裂かれ、血をしたたらせたまま、男は平然とした様子でナイアに視線を向けてきた。


「ソードフィッシュ家には、確か今年5歳になる娘がいたな」


ナイアは噛みついたまま、憎悪のこもった目を男に返した。

男の目が優しくなった。


「これほどまでの試練にさらされてなお、お前の牙はまだ折れてはいない」


そして男がナイアに顔を寄せてきてささやいた。


「しかしまだまだ未熟だ。お前の牙、俺が極限まで研いでやる。その牙を今後どう使うかはお前次第だ……」


こうしてキースは、ナイアを自身の家へと連れて帰った。

キースが自分の事を、どう皇帝にとりなしたのかは分からない。

ソードフィッシュ家を没落に追い込んだ他の“四大”名家の連中を、どう言いくるめたのかも分からない。

ただ一つだけ確かだったのは、キースの家に連れてこられて1年間。

ナイアは一言も発さなかった事。

キースの一人娘で同世代のハーミル、それに皇帝の娘でやはり同世代のノルンが、どんなに拒絶しても自分にまとわりついてきた事。

彼女達の純真さが、自分の心を闇から引きずり上げてくれた事。

キースは言葉通り、自分の牙を極限まで研いでくれた事。

そしてその牙の使い道を、全て自分にゆだねてくれた事……


「結局、最後に信じる事が出来るのは、キースが研いでくれたこの“牙”だけって話だね」


少しばかり自嘲の笑みをこぼして、ナイアはらしくない回想を切り上げた。


「ま、アレル達も馬鹿じゃない。あたしの偽者に、むざむざやられたりはしないだろう。それにまあ、魔王エンリルさえ倒してしまえば、あとはどうにでもなるだろうさ」


そう考えたナイアは気持ちを切り替え、魔王城玉座の間に至る道を探りながら、移動を開始した。

何層か下りて行くうちに、ナイアの中の勇者としての力が、玉座の間が近い事を告げてきた。


しかし……


「おかしい」


ナイアは、今日何度目になるのか、数えるのもうんざりしてきた違和感と共につぶやいた。

不思議な事に、あの広間を出てからここまで、全く敵と遭遇しないのだ。

遭遇しないどころか、彼女の魔力による感知網の届く範囲に、敵の影すら引っ掛からない。


「なんだか、罠の臭いしかしないねぇ……」


ナイアは使い魔達を前後に配置し、慎重に進んで行った。

1時間後、彼女はついに、魔王城最深部に到達した。

彼女の眼前に、高さ10mはあろうかと思われる、壮麗な装飾を施された巨大な扉が聳え立っていた。

この扉の向こうが、玉座の間のはず。


「魔王エンリルは……?」


あっけなく玉座の間の前まで辿り着けてしまった事、そして魔王はおろか、敵影すら見当たらない現状に、ナイアは少し困惑した。


伝承では、魔王は常に、“扉のこちら側”で勇者を迎え撃ってきた。

魔王にとって致命的な弱点となり得る、黒い水晶のある“扉の向こう側”で勇者を迎え撃った例は皆無。


「まあ、なんにせよ、ここまで来たら、この扉開けるしかないんだけどね」


ナイアは、慎重に玉座の間へと通ずる扉に手を触れた。

瞬間、彼女の視界がグニャリと曲がった。


「!?」


気付くとナイアは、魔王城に入ってすぐの場所に転移していた。


「一体、何が?」


一瞬混乱したナイアであったが、すぐにある推測に辿たどり着いた。



―――扉そのものに転移のトラップを仕込んで、勇者が魔王城の玉座に入れないように細工をほどこした?



「ゴールを通せんぼしているって事は、スタート地点はどうなっているんだい?」


彼女は一旦、魔王城の外へ出ようと試みた。


しかし……


「……やっぱり、そうくるか」


入る時、易々と開いたはずの魔王城の内と外とを隔てる扉は、今や固く閉ざされていた。

ナイアは全ての使い魔達を召喚した。

そして彼等に、全力で扉の封印を破るように命じた。

同時に、自身も魔力を錬成し、扉の封印を破ろうと試みた。

1時間以上にわたって続けられた試みは、全て徒労に終わった。

どうやら魔王城の外へと通ずる扉は、魔力では無い、何か別の力により封印されているようであった。


ナイアは魔王エンリルが、霊晶石を大量に保持しているらしい事を思い出した。

銀色のドラゴン程の強者でさえ、魔王エンリルの霊晶石を使用した封印を自力では破れなかった。


まさかこの扉の封印も、玉座の間の扉のトラップも、霊晶石或いは霊力が絡んでいる?


「つまりあたしら勇者は、この魔王城って名前の巨大な監獄に、閉じ込められたってわけだね……」


ともかくここはアレル達と再合流して、善後策を協議した方が良さそうだ。



ナイアは慎重に、アレル達と別れた広間を目指して進みだした。


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