第152話 平伏


8日目―――4



「カケル!」


キマイラが塵も残さず消滅したのを見届けた獣人達が歓声を上げる中、『彼女』が駆け寄ってきた。


「霊力を操る力、完全に取り戻したのだな?」


問われて僕は、改めて自分の右手に視線を向けた。

直後、そこに存在したはずの剣が、溶けるように消え去った。

しかし今しがた、確かに僕があのキマイラを消滅させたという確かな記憶と手ごたえは残っていた。

僕は『彼女』に笑顔を向けてから目を閉じた。

そして右腕にめた腕輪に意識を集中してみた。


しかし……


「あれ?」


再び目を開けた僕は思わず首をひねってしまった。

キマイラを斃す直前、あふれるばかりに感じられた霊力の流れは、この世界に来た当初と同じ、微弱なものへと戻っていた。

そして光球も顕現しない。


「おかしいな?」


『彼女』がいぶかしげに問い掛けてきた。


「どうしたのだ?」

「あ、いや、さっきは光球、呼び出せたんだけどね、今はとても弱い霊力しか展開出来なくなっているみたいなんだ」

「つまり、また制限がかかった状態に戻っているという事か?」

「う~ん、どうもそうみたいだ」

「もしかして、記憶も飛んでいるのか?」

「記憶は残っているよ。急に強力な霊力が使えるようになって、殲滅の力であのキマイラを斃して……」


そこで僕は、先程光球が顕現出来るようになる直前、不可思議な感覚に襲われた事を思い出した。

あの時、獣人達の“想い”がどういう理屈か分からないけれど、僕に流れ込んできて……

もしかすると、あの不可思議な感覚が、一時的に強力な霊力の使用が可能になった現象と関係している?


そんな事を考えていると、『彼女』が声を掛けてきた。


「まあ何はともあれ、キマイラを斃し、無事あそこから脱出出来たのだ。お互いの幸運に感謝しよう」

「そうだね……」


『彼女』の言葉を待つまでも無く、本当に運が良かったとしか言えない。

それもこれも、僕が文字通り“半分殺されかかって”いた時に、キマイラが突然ライオンの頭を失い、あの円形闘技場のような場所の壁に大穴が開いてくれたお陰だ。

あの時、確か『彼女』は意識を失って床に倒れていたけれど……?


僕は『彼女』に聞いてみた。


「結局、あそこで何が起きたんだろう?」

「実は記憶が鮮明では無いのだが、どうやら一時的に殲滅の力を使えたようだ」

「殲滅の力を?」

「うむ。おぼろげだが、光球を顕現する事が出来て、キマイラの頭の一部と闘技場の壁を破壊した事を覚えている。その後、地上で目を覚ますまでの記憶が無い所を見ると、もしかして私は気を失っていたのだろうか?」


あの大穴を通過する時に感じた霊力の残滓は、どうやら『彼女』が壁を破壊した事によるものだったようだ。


「うん。なぜか急に傷が完全に癒えたから、気を失っている君を抱えてあの場所からここへ逃げて来たんだけど……」


僕は手短に、『彼女』を円形闘技場から運び出した経緯とその後について説明した。


「じゃあ君は今、霊力が使用出来るようになっている?」


『彼女』が残念そうな表情で首を横に振った。


「……お前とは違い、今、霊力の流れは全く感じ取ることが出来ない。私の方は、どうやら再び霊力を使用不能になっているようだ」

「じゃあ、なんで一時的に使えるようになったんだろう?」

しゅが情けを懸けて下さったのかも」

「君の神様が?」


彼女がうなずいた。


「前にも話したと思うが、私の霊力は元々、しゅから分け与えられたものだ。我等の窮地に際して、見守って下さっていたしゅが、掛けていた制限を一時的に解除して下さったと考えれば、説明はつく」


あの女神が?

しかし『彼女』には悪いけれど、僕にはどうにも、あの女神がそんな慈悲の心を持ち合わせているとは、とても思えない。

もしそんな慈悲の心を持っているのなら……

セリエは……!


感情がげきしかけて、僕は慌てて深呼吸しながら心を落ち着けた。


そして改めて『彼女』に問い掛けた。


「そう言えば気を失っている君を、地上に運んでくれた獣人がいたと思うんだけど」

「ああ、ゼラムの事だな。彼はまだ地上にいるはずだ。キマイラを斃した事、早く彼にも知らせてやろう」



周囲の獣人達から口々に賛辞の言葉を掛けられながら、僕は『彼女』と共に地上に向かった。



洞窟を出ると、西日が辺りを茜色に染め上げていた。

久し振りに目にする太陽!

そして吹き渡る心地よい風!

あの謎の空間では決して得る事の出来なかった自然の恵みを、少しの間堪能していると、ふいに声を掛けられた。


「カケル殿、よくぞ御無事で」


声の方に視線を向けると、セリエの祖父、ゼラムさんが、人の良さそうな表情を浮かべて立っていた。

彼が深々と頭を下げてきた。


「聞きましたぞ。村を襲ってきたキマイラを返り討ちにして下さったそうで。改めてお礼を申し上げます」


彼の言葉を聞き、その姿を目にした僕は、いたたまれない気持ちになった。

キマイラは斃したけれど、獣人達の家は軒並み壊滅状態。

しかもあのキマイラ、知らなかったとはいえ、結果的に獣人達の村へ誘導する形になってしまったのは、全て僕の責任だ。

加えてセリエの件も報告しないといけない。


涙があふれ出し、僕はその場に手をついて土下座した。


「すみません。あのキマイラ、僕のせいなんです。それに、セリエも……彼女は……僕のせいで……」


頭上でゼラムさんの戸惑ったような声が聞こえた。


「な、何がどうなっておるのです?」

「じ、実は……」


話し出そうとした僕の左肩に、そっと優しい手が置かれた。

顔を上げると、『彼女』が微笑みを浮かべて立っていた。


「カケル。私から話そう」


そして『彼女』は、ゼラムさんに向き直った。


「ゼラムと申したな。私は神都で守護者としてしゅにお仕えする者だ。セリエという娘と、あのキマイラについては、私から説明しよう」

「守護者様!」


ゼラムさんや周囲の獣人達が平伏しようとするのを制して、『彼女』が言葉を続けた。


「あのキマイラは、元々、そなたらの村がある洞窟と隣接した空間に封印されていた。我等はしゅの御意思に従い、キマイラを討伐しようとしたのだが、不測の事態でそなたらの村に迷惑をかけてしまった。その点は申し訳ない」


そう口にした『彼女』は、ゼラムさんとその場にいる獣人達全員に頭を下げた。


「あと、セリエについてだが……」


『彼女』がゼラムさんの反応を確かめるような素振りを見せながら言葉を継いだ。


「神都の禁足地を冒した罪により、しゅ自らが処断された」

「神様が……!」


ゼラムさんは、一瞬絶句した。

表情がくしゃくしゃになり、涙が頬を濡らしていく。

しかし彼はそのまま何の恨み言も口にせず、逆に『彼女』に頭を下げてきた。


「セリエが神様にご迷惑をおかけしまして、まことに申し訳ございませんでした」

「違う! セリエは悪くない!」


僕は立ち上がり、思わず叫んでいた。


「セリエは……!」

「カケル」


『彼女』は僕を優しく制した後、再びゼラムさんに声を掛けた。


「ゼラムよ。確かにしゅはセリエを処断された。しかしあれはもしかすると、しゅが思い違いをなさった可能性がある。私はこれより神都に戻り、今一度、セリエの御処分について、お気持ちを御確認してこようと考えている。慈悲深く全能でいらっしゃるしゅなれば、或いはセリエを復活させて頂けるかもしれぬ」

「えっ?」


僕は驚いて『彼女』の顔に視線を向けた。


『彼女』がそんな事を考えていたとは……

確かに、あの女神が世界の全てを創造したのなら、そして不可能は無く、文字通り“全能”であるならば、死んだセリエを復活させる事も、或いは可能なのかもしれない。

しかし『彼女』は、冥府の災厄を処断して神都に戻ってこい、と命じられていたはずだ。

その命令については、どうするつもりなのだろう?

自分の出した命令も果たさず、単に獣人の少女を生き返らせてくれと頼んでも、あの女神が応じるとは到底思えないのだが。


僕の気持ちを見透かしたかのように、『彼女』が微笑んだ。


「心配するな。私は決してお前を傷付けない。それに、しゅに願いを聞き届けて頂く当てもある」

「……まさか、自分の命と引き換えに、とかそんな事考えてないよね?」


『彼女』には、“主にお詫びする!”とか叫びながら、自分の首を刎ねようとした“前科第145話”がある。

『彼女』が微笑みを浮かべたまま、言葉を返してきた。


「“聞き届けて頂く当て”に関しては、秘密だ。それに……」


『彼女』は一旦言葉を区切り、僕の顔を真っすぐに見つめてきた。


「洞窟を出ればどうするか、自分の意思で決めろと言ってくれたのは、お前では無いか」



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