第2話 カナンバブル


『カナンバブル』は、カナンという約束された聖なる土地の、勇敢な虎という意味で名付けられた。


 カナンバブルを率いているのは首領である17歳のザイードだ。銀髪の美丈夫で、切れ長な目が印象的な少年である。ザイードの母はスラムでも有名な美人だったが、父は不明らしい。スラムに流れ着いた時点で身ごもっていたそうだから、きっと訳ありなのだろう。そして、美人過ぎたせいか、横暴な金持ちに捕らえられてしまった。そのため、ザイードは幼くして身寄りを無くし、孤独に生き延びてきた人だった。


 ちなみに、俺は父も母もスラムの住人だ。どちらも天へ召されてしまったけれど……などとぼんやり考えているのには訳がある。

 俺たちは首領に助けてもらったわけだが、捕まったことに対しての説教が終わらないのだ。床に膝を付いて座る俺たちは、椅子に座る首領から見下ろされている。


「アキム、お前ちゃんと聞け」


 ダンっと、ザイードが床を踏みならした。

 振動で俺の体がちょっと浮いたよ。なんて恐ろしい脚力なんだ。

 

 ザイードがイライラしたように足を小刻みに揺らす。その振動でピアスも揺れている。

 あのピアスは、元はザイードの母の魔法道具だったペンダントを彼がピアスに加工したのだ。この魔法道具は魔力がたまると菱形の台座の真ん中に宝石のような輝きをもつ石が出来る。それを外して対象物に投げつけると爆発を起こすのだ。女性が身を守るための目くらましや、逃げる突破口を開くにはぴったりの魔法道具である。ただし、ザイードの魔力量は膨大すぎるので、彼が使うと大爆発を起こして建物の壁など簡単に壊せてしまうが。

 ちなみに、先ほど助けに来てくれたときも、この魔法道具で壁を爆破している。


「き、聞いてますって」


 へらへらと苦笑いを繰り出すと、ザイードの眉間にしわが寄った。


「じゃあ、今、俺が何を言ってたか、言え」

「……ええと……」


 まずい。なんにも聞いてませんでしたとは言えないけど、全然関係ないこと言っても絶対殴られる!


「あ、あの! 俺もアキムも、その、足がしびれてて、ちょーっと、話が頭に入りにくいっていうか」


 ラジットが助け舟とばかりに口を開いた。

 ありがとう、相棒よ。そして、お前も話を聞いてなかったんだな。


「……ったく、お前らなぁ。危機感が足りねえんだよ。特にアキム!」

「はい、すみませんでした!」

「お前は自分の立場をもっとよく考えろ。外に出るときは誰かと一緒に行けと命令しただろうが」

「おっしゃるとおりです!」

「じゃあ、なぜ一人で市場へ行った」


 ぐっと喉が詰まる。正確には帰り道に市場を通っただけなのだが……。


「言えないってことは、勝手に癒しの力を使ったのか?」


 隣のラジットも俺を非難がましい目で見てきた。


「……答えたくないです」


 ――ガンッ


 目の前に星が散る。次いで頬が猛烈に熱くなった。

 ザイードに殴られたのだ。じんわりと口の中に鉄の味が広がる。


「答えたも同然だろ。なぜ力を使った。癒しの力はカナンバブルおれのものだ。お前が勝手に使っていいものじゃない」

「まぁ落ち着け、ザイード。こいつだってそれは分かってる。それでも使ったのなら理由があるはずだ。まずはそれを聞こう」


 ザイードをなだめるように声をかけたのは、側近であるダイヤンだった。ザイードよりも背が高く体格が良いので、一見するとダイヤンが首領だと勘違いするものも多い。


「チッ、分かった。アキム、これ以上殴られたくなかったら大人しく言え」


 ザイードが不服そうにしながらも、聞く姿勢を取った。

 殴られるのは覚悟してたから良いのだが、このままでは説教は長引くばかり。一緒に叱られているラジットにも申し訳なく思えてくる。


 俺は仕方ないとため息をつきつつ、詳細を話した。


 知り合いの少女の父親が、怪我をして働けなくなったのだ。そのせいで暮らしに困窮し、少女が娼館に売られそうだと泣きついてきた。まだ八歳の少女だ。

 もちろん、俺は娼館で働く人々を卑下するつもりはない。だって労働の形だ。カナンバブルのメンバーの親のなかには、娼館で働いている人もいるし。金がなければ生きられない。仕方ないって分かってる。

 でも……行きたくないと泣く少女を見て、俺は無視することが出来なかった。彼女の母は俺が幼い頃、困窮しているときに食べ物を分けてくれたから。自分たちもそこまで裕福ではなかったにもかかわらずだ。だけど、助けてくれた少女の母はある日、酔っ払いに殺されてしまった。だからこそ、少女の母に返すはずだった恩を、少女に返そうと思った。

 少女が娼館に売らそうになっているのは、父親が働けなくなったから。ならば、父親がまた働けるようになれば良い。


「つまり、その少女の父親の怪我を治したんだな。顔は見られてないか?」


 ダイヤンが心配そうに聞いてくる。


「大丈夫だと思います。父親が寝ているときに力を使ったので」

「少女にも力はバレていないか」

「それは……たぶん?」

「なんで疑問形なんだ」

「えぇと、治す代わりに絶対に内緒なって約束したんで」


 一瞬、沈黙が訪れた。


「アキム! それはバレてないとは言わねえんだよ!」


 耳をつんざくようなザイードの怒声が響いたのだった。



 この後、罰として外出禁止令が出て、アジト内の掃除を全部押しつけられた。一人で全部とか人でなしすぎる。

 ザイードはこんな風に暴力的だったり、癒しの力を自分のものだと発言したりと、傍若無人で理不尽だ。だが、我らが首領とみんなが認めている。それにはちゃんと理由があるのだ。


 身寄りのない子どもや、虐待で家にいられない子どもなど、居場所のない奴らがカナンバブルのメンバーだ。活動資金のために危険を冒すことも多いので、首領であるザイードが認めたやつしか正式メンバーにはなれないが。みんなで助け合って生き延びることを理念としているので、メンバーにはなれない幼い子や女性などは庇護対象である。

 今のところ、ただの悪ガキ集団がちょっと組織化した程度という認識しかされていないけれど。現実は厳しいってやつである。


 いずれは自分たちの王国を作ることがカナンバブルの最終目標だ。理不尽に奪われない、弱くても生きられる、そんな国。今のシェヘラ王国では不可能なことだから。




 ***


 翌日、俺が罰としてアジトを掃除をしてると来客があった。客が来ているのに掃除は出来ないので、奥に引っ込むが、つい気になってドアの隙間からのぞくことにした。


 客はかなり身なりが良い。よく見るとカンドゥーラ(膝丈のシャツのような形状)には同系の色で刺繍が細やかに入っていた。


「わたしはトゥルキス商会のカマルと申します」

「商人がどうしてここに? 見ての通り殺風景な部屋だ、あんたが欲しがるようなものはここには無いと思うが」


 ザイードが様子見の嫌味を繰り出す。相手は裕福な商人だが、ザイードは偉そうな態度を崩さない。


「いえ、折り入って頼みたいことがあるのです」


 ザイードの態度に嫌な表情をすることもなく、カマルとやらは頭を下げた。

 金持ちの、しかも大人が、首領相手とはいえスラムの住人に頭を下げるなんて驚きだ。首領と一緒に話を聞いていたダイヤンは目を見開いている。


「ふん、相当困っているようだな。いいだろう、聞いてやる」

「本当ですか?」

「ただし、頼みを引き受けるかは別だ」

「それで構いません」


 カマルはほっとした様子で話し始めた。


 娘が誘拐されたが、役人に言っても賄賂が渡っているのか動かない。自分で調べようにも商人である自分には限界がある。だから、この辺りを仕切っているカナンバブルに相談に来たというわけだった。


「断る」


 ザイードの返事は早かった。


「ど、どうして?」

「役人にもっと多額の賄賂を渡せばいいだろ。あんたの身なりを見る限り、それくらいの金はどうとでもなるはずだ」

「で、ですが、こうしてる間にも娘は怖い思いをしているんです。今さら役人に賄賂を渡して動かすなんて時間がかかりすぎる」


 まぁ、確かに。役人は腰が重い奴らばかりだからなと、俺はドアの隙間でうんうんと頷く。


「娘が大事なら身代金でも持って犯人のところへさっさと行けばいい」

「それが、なぜか身代金の要求がないのです」

「はぁ?」


 そこでやっと、ザイードは少し身を乗り出した。少しは興味を持ったようだ。


「身代金の要求があれば動きようがあります。でも、ないんです。『娘は預かった、無事に帰して欲しくば大ごとにはするな』という手紙が届いたっきり。だから犯人も分かりませんし、わたしも動きようがなくて……困り果ててここに来たんです」

「なるほどな」


 ザイードが顎に手を当てて考えている。

 

 ザイードが依頼を渋るのは、相手が豪商だからだろう。己の母を奪ったのも豪商だった。商人というものに良いイメージがないのだ。それに加えて、金も使用人もたくさん抱えているくせに、娘を守れなかったこの親が悪いとも思っていそうだ。


「首領、さらわれたのはまだ5歳の女の子ですよ」


 このままでは話がすすまないと思ったのか、ダイヤンがザイードに進言する。言外に可哀想ではないですかと滲ませて。


「……チッ、分かった。その依頼受けてやる。報酬は前金で半分、残りは娘を助け出せたら貰う。それでいいか」

「は、はい。ありがとうございます!」


 カマルは深々と頭を下げて礼を言っていた。




 依頼人から詳細な話を聞き出したあとは、こちらの仕事だ。カナンバブルは荒事が得意な連中がそろってはいるが、情報を集めるのが得意なものもいる。皆それぞれ自分の得意分野を生かして動いているのだ。


「まずは娘の居場所を探せ。その次は犯人の狙いだ」


 ザイードが適材適所にメンバーの割り振りを行っていく。伝がある者はそれを使って情報収集、ないものは手当たり次第に怪しいところを探すことになった。


「おい、アキム。覗いてるのは分かってるぞ」


 突如、ザイードに名前を呼ばれて心臓が飛び出るかと思った。


「な、なんでしょうか」

「お前は留守番だ」

「えっ! 俺も探したいです!」

「ダメだ」


 顔を見ることもなくダメって言われた。


「罰なら依頼後にやりますから。俺だってカナンバブルの一員です。依頼があれば働きたい」

「誰が働くなと言った。お前には当日の現場で働いてもらう」

「え、現場に連れてってくれるんすか」

「あぁ、娘が怪我してるかもしれないだろ」


 ザイードが何でも無いことのように言った。

 でもそれってさ……ザイードも依頼人の娘のことをめちゃくちゃ心配してるってことじゃん。そう思い至ると、思わず顔がにやけてしまう。


 素直じゃないなぁ、我らが王様は。


「な、なんだお前ら。ニヤニヤとこっちを見やがって!」


 その後、自分の発言の意味に気付いたザイードが暴れたので、みんなどこかしらに怪我を負うはめになった。それもまた俺たちの愛すべき日常である。


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