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落ちる

 ある何もない夜だった。私は新装されたオフィスの廊下を歩いていた。二階建てのこぢんまりとした、住宅街の端に肩身の狭そうに建っている、しかしまるで新築のようなオフィス。一年ほど前、古くボロボロだった建物を土地で一発当てた社長が改装したのだ。

 その時は廊下に敷かれた美しい白タイルに反射する蛍光灯の眩しさに文句を言うこともあったが、時間と共に慣れてしまった。

 カツカツと革靴がタイルを叩く音に若干の心地よさを覚えていると、向かっていた社長室から人が出てきた。当然、彼は社長だった。

「社長!ご報告があります!」

 思わずそう声をかけてしまった私に彼は温かく答えてくれた。

「そうか。しかしこの時間ともなれば君も早く帰りたいだろう。歩きながら話をしてくれないか?」

 はい、と返事をした私は立ち止まり、社長が隣に来るのを待ってから一緒に歩きながら報告を始めた。この報告は本題とは関係性が薄いのだが、報告の内容、そして社長の物語を丸ごと省略してしまっては話の繋がりが見えてこなくなる。ここは要約だけを話すことにしよう。


 社長は元々このしがない広告代理店で、わずか十数人の従業員と共に、よく分からないマイナーな物の広告を作っていた。時には汚い背後のある商品の詐欺じみた広告も作った。その影響でガサを入れられて取引先が一気になくなり倒産しかかったこともあった。しかしその時に社長が持っていた別荘が土地の値上がりに伴って大きな資産となり、それを売り払った資金が会社に注入されたことで会社は難局を乗り切った。それから社長は土地投資に金を割き始め、今では広告の仕事をしなくてもいいほどの儲けを出していた。それでも先の事件から学習したこと、つまり一つの事業に傾注することの危険性に注意を払い、広告の仕事も共に続けていた。

 だがどんな事業にも従業員が必要だ。そこでオフィスの隅で腐っていた私が土地管理の仕事に抜擢された。とは言ってもやるのは草むしりや芝生刈りではなく、土地の権利書を整頓しほどよく価格の上がった土地を売却して儲けを出すこと、要するに株式投資と同じだ。趣味でそういった事を前々からやっていた私にとってこれほどの天職は他になく、会社の大黒柱となって専用の土地管理課室で二時間ほど働き、後は新聞を読んでのんびりと過ごせる日が続いた。

 そして報告というのは、土地価格についてだった。それまでずっと上がり調子だった土地価格が落ち始め、最悪の場合を想定すると一部の田舎の土地——何故かは知らないが利便性も何もない土地の価格でさえ当時は高騰していたのだ——が二束三文になる可能性があることを社長に伝えていた。考えすぎだとは思ったのだが、これほどの仕事場がなくなるのは私にとって非常に大きい損失だったので一応社長に報告した上で実用性のない土地は売却するつもりだった。


「なるほど……。しかしだね、それはどこか、旧財閥系の不動産屋の工作ではないのかね?」

 二階から階段を降りつつ報告を聞き終わった社長はそう疑ってきた。

「そ、その可能性は考慮しておりませんでしたが……しかし、現状でそういった大きな動きは確認されていません。兎に角どこの土地も価格が下落しているのです。」

「それなら一層、どこの土地も持っている旧財閥系の工作の可能性が高いだろう。動きなんてダミー会社を通じていくらでも誤魔化せるのだからね。」

「それはそうですが、リスクであることに変わりは……」

「黙りなさい。君のような臆病者は土地管理課にふさわしくない。君に任せているといつ大手の陰謀に嵌って足元を掬われるか——」

 社長の声が叫び声に変わり、下に落ちていった。慌てて足元を見ると、社長のいた場所にタイル一枚分、ぽっかりと穴が開いている。

 穴からは何とも言えない不気味な臭いの風がそよ風のように吹いていた。「社長ーーー!大丈夫ですかーーー!」と穴に叫んだがその声がただ反響してくるのみで返事はなかった。

 私は逃げた。その暗闇が余りにも怖かったのだ。社長を助けることなど到底考えられなかった。ただただ目の前で起きたことが信じられず、家に駆けこんで酒を呷り気絶するように眠った。


 翌日になって分かったことだが、社長は私が社長室へ向かおうと席を立つ数分前に心臓発作を起こし社長室の机で亡くなっていたらしい。事件性がなかったためか警察はこの件に介入せず、通夜も葬式もつつがなく終わった。

 次期社長が決まるまでの空白期間にいくつかの土地を売却したせいで新社長には随分とどやされたが、一ヶ月もしないうちに売り払った土地の価格が二束三文、いや二束一文と言えるほどの大暴落を見せてからは再び社の英雄の位置に返り咲いた。今でも結構な給料を貰っている。ただ、私も定年が迫ってきたし、貯金も安心できる額ではないから、老後をどう過ごすか考えなくては……

 ああ、話が逸れてしまった。

 ただ、私が心配しているのは老後のさらに先だ。話によれば、暗闇と静寂の中に取り残されればどれほど拷問に耐性のある人間であっても一日で気が狂ってしまうらしい。つまりその中に放り込まれることほど辛い拷問はないということだ。死者が落ち、拷問を受ける場所……君にもなんとなく分かっただろう。私はあの暗闇が地獄に思えてならないんだ。如何せん、私も社長がやっていた汚い行為に色々と加担してしまったのだから、地獄に落ちることは避けがたいだろう。

 君には想像できるか?あの暗闇、何もない空間、何とも言えない不気味な……強いて言うなら腐った唾液のような臭い。そこに落ちて終わりのない永久を過ごす恐怖が……

 君も覚悟をしておいた方がいい。土地への投資をやめてから、またこの会社は汚い仕事にも手を付け始めたんだからね。

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