第138話 閑話:その頃のヨーロッパ情勢など
さて、この頃のヨーロッパは少々複雑な状況であった。
この当時世界最大の版図を持つスペインはスペイン王フェリペ2世の妻であり、イングランド国教会に連なるプロテスタントに対する過酷な迫害から、ブラッディ・メアリーと呼ばれた、イングランド女王メアリー1世がイングランドを治めていたが、メアリー1世は1556年に夫フェリペの要請により、1557年にフランスとの戦争に参戦し、大陸に唯一残されていた領土カレーを失う結果を招いてしまった。
その彼女が1558年に死去するまでイングランドの共同王でもあったため、スペインとイングランドとの関係は悪くなかったのだが、敬虔なカトリックである彼は、その後継者でありプロテスタントである義妹エリザベス1世を異端者であり、違法なイングランド統治者であると見なしていた。
フェリペ2世はエリザベスを打倒して、カトリックであり、かつイングランド王位継承権者である前スコットランド女王メアリー・スチュアートを王位に就けようとする勢力を支持していた。
だが、メアリーを幽閉していたエリザベスが1587年に彼女を処刑したために阻止されてしまい、また、スペインの船がイングランドの私掠船に襲われたため、フェリペ2世はイングランド女王エリザベス1世に海賊行為を取り締まるよう申し入れた。
だが、エリザベス1世は聞き入れるどころか、私掠許可証を大々的に発行し、海賊行為に加担していたことも、英西関係を悪化させていた。
またネーデルラント(後のオランダ)はスペインの支配下に入っていたが、フェリペ2世の要求を拒み始めるようになり、新たな課税を否決し、スペイン軍の撤退を求めるなどをしたりなどで、こちらとも関係が悪化していた。
もう一方における海上帝国たるポルトガルは1385年にスペインから独立し16世紀にはホルムズ、ゴア、マラッカに拠点を築いて最大版図を築いていた。
だが日本に鉄砲を持ち込んだ後、イエズス会のザビエル等が上陸した時に皆殺しにされ、王直と組んでいた者も捕らえ殺され、マカオからも追放され中国など東アジアへの足がかりを失っていた。
明ではキリスト教は邪教とされたため、キリスト教徒は弾圧されポルトガル人宣教師・それと組んでいた倭寇である交易商人・キリスト教徒であるマカオなどを不法占拠していたポルトガル人やキリスト教徒になっていた明人などは捕らえられた後は様々な拷問で仲間の情報を吐かされ、見せしめとして九族まで処刑されるに至った。
これによりカトリックにとっては東アジアは悪魔が住まう魔界とされたのだった。
本来であればポルトガルはマカオでの中国・朝鮮・日本人の奴隷貿易でかなり儲けたのであったが。
さらにポルトガルは全世界に広大な植民地を獲得したが、人口と経済力の限界を越えた拡張とインド洋の香料貿易のバブル崩壊によって香辛料の売値が大きく下がったことで貿易そのものも衰退していた。
後の1588年に英仏海峡で行われたアルマダの海戦でイングランドがスペインの無敵艦隊を撃破すると、海上貿易の覇者もイングランドやネーデルランドに移動していくことになる。
フィリピンに関しては1543年にルイ・ロペス・デ・ビリャロボス率いるスペイン船団がサマール島とレイテ島に到着したが、敵意を見せる先住民に島を追い出され、飢えと難破に見舞われ、ロペス・デ・ビリャロボスは島への入植と探検をあきらめた。
このときにこの島々がフェリペ2世にちなみフェリペナス諸島と命名されたのが「フィリピン」の国名の由来となっている。
史実では1565年にミゲル・ロペス・デ・レガスピ遠征隊がメキシコからセブ島に到着し占領しその後長い間の支配に至る植民基地を作っている。
この頃のオスマン帝国は最盛期であり黒海周辺からカスピ海西岸・ギリシャ近辺・シリアからエジプト紅海方面・アルジェリア近辺などなど地中海の覇者であった。
だが1571年に行われたレパントの海戦でのオスマン帝国海軍と教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍による海戦で敗れて、その後は拡大は停止し凋落の道を歩んでいくことになる。
イタリアは主要な通商路が地中海からトルコ経由であったものが大西洋に移ってしまったことで、経済危機に見舞われていた。
イタリア戦争によりスペインなどの外国勢力に敗れ、ミラノ公国やナポリ王国は併合され、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、フィレンツェ共和国等はなんとか生き延びたが、弱体化していった。
そして宗教改革の広まりと教皇の軍隊の敗北により、教皇権の権威は失われ、カトリック教会もまたひどく弱まった。
カトリック教会は宗教改革の波及を防ぐために、スペイン国王兼神聖ローマ帝国皇帝カール5世やその後継者たちの戦争を支持しなんとか波及を防いでいた。
ヨーロッパにおける宗教改革は1517年のルターによるにカトリック教会へ対する抗議が始まりとされるが、1562年にフランスではヴァシーでのユグノー虐殺事件が契機となり、カトリックとプロテスタントによる大規模な内乱状態になっている。
またアメリカ大陸におけるイエズス会の宣教活動はスペインとポルトガルの奴隷商人の利害と干渉した。イエズス会はネイティブ・アメリカンの権利を主張し、奴隷制に抗議していたからだ。
だが、これは人道的な理由というより信徒を増やして金を出させることができなくなるという利害の対立によるものである。
イエズス会員はキリスト教徒になったインディオを他部族やヨーロッパの奴隷商人の襲撃から守るため、ブラジルとパラグアイに「保護統治地」をつくったがスペインとポルトガルの奴隷商人およびそこから利権を得る政府高官に目障りであったため、のちにポルトガルからイエズス会への迫害が始まることになる。
そのためにもイエズス会にとってフィリピンの確保は急務になっていた。
スペインにとってもトルデシリャス条約に抵触せずに香料を産出する場所の確保は急務であってそういった意味では利害が一致していたとも言える。
後のプロイセンやオーストリアのもととなる神聖ローマ帝国はこの時期はイタリアに宗主権を主張しつつも、実際の版図はもはやドイツ語圏及びその周辺に限られヴェネツィアへの遠征も失敗など弱体化は目に見えて現れていた。
ロシアは数多くいるルーシ諸公の一人に過ぎなかった、モスクワ大公のイヴァン3世がツァーリ(皇帝)の称号を名乗り、その支配領域はロシア・ツァーリ国と自称するようになった。
そして雷帝とよばれたイヴァン4世がモンゴル諸国の征服を行いポーランド・リトアニア共和国との戦争状態に入っていた。
この頃のロシアはヨーロッパの一員とは認められていなかったのである。
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