第101話 丹後を制圧したと思ったら大事件発生、三好長慶と伊勢貞孝が宴の最中に殺されたって?!

 さて、但馬の山名四天王のなかで島津についた三名、垣屋続成、八木豊信、太田垣輝延の所領は安堵した。


そして、山名祐豊が直轄していた地域については山名豊定を当主としてかつぎあげつつ実質上島津が直轄し、当然ながら接収した生野銀山は石見銀山同様に朝廷に御料所として寄進し、俺はその管理者として銀山運営を行い採掘されたものの一部を朝廷へ寄進することで俺の寄進の負担を減らしつつ銀山への攻撃をしづらくしている。


「どうせ朝廷や国府の運営に銀は必要だしな。

 こうしておいたほうが管理も楽だ」


 生野銀山は石見銀山に比べれば地味だが埋蔵量も多く豊臣秀吉はこの銀山を重要な資金源にしていた。


 この時代は当然ながら全国的な警察機構はないが、国府に設置している侍所はそれに近いことを行っている。



 普段は主に大都市の巡回警備をしているが野盗により村や街道の馬借などが襲われるような事例があればそういったものの討伐も行っている。


 略奪乱妨取りのたぐいは一時的にはメリットはあっても結局山賊野盗になるものを増やすから治安維持を考えればやはりなるべくなくしていきたいものではある。


 他人から奪うほうが楽だと思った人間は真面目に働かなくなるからな。


 封建制というのはこういう治安維持については、領主の権利とかが絡んで面倒なことになるのが欠点ではあると思う。


 そして備前や播磨に影響力を持っていた浦上宗景が宇喜多直家により降伏に追い込まれ、元は尼子に従っていた宇野政頼も降伏したため備前と西播磨はほぼ島津の勢力下に入った。


 播磨には赤松晴政・赤松義祐や別所安治、丹波には波多野晴通などがいるが彼等は三好長慶との緩衝役としていまは手を出すつもりはない。


「さてと次は丹後の一色か」


 丹後の一色氏は足利氏の一門で本来は三河国吉良荘一色が本領であった。


 建武の新政で足利尊氏が後醍醐天皇の建武政権から離反し、京都を追い出されたときに九州落ちに従い、足利尊氏が多々良浜の戦いで勝利して上洛した後も九州の統治のために太宰府に残ったが足利幕府内での兄弟の対立や九州における南朝の勢力の大きさにより負け続きのため今川了俊が派遣される事になった。


 その後若狭、丹後、三河の守護になったりもしたが応仁の乱で西軍についたため東軍の細川や若狭武田が優位になると、丹後一国を維持するのが精一杯かつその丹後守護職を奪われる場合もあったりと衰退が激しい状況であったが現在の当主一色義幸が一色の当主になると丹後の守護職を若狭武田から取り戻し、丹後の支配はそれなりに順調に行われていたとされるが、実際は石川氏、小倉氏などが国の奉行として、丹後国を三分割して支配していたことからその残り火は消えていない。


 俺は毛利元就と小早川隆景を呼び調略を指示する。


「丹後は守護代延永はともかく石川氏、小倉氏などは調略に応じそうな気がするのでな。

 彼等の調略を頼むぞ、無論所領は安堵する」


「かしこまりました」


「我らにおまかせください」


 この二人ならちゃんとやってくれるだろう。


 彼等を下がらせたあと軍師である角隈石宗や補佐役の岩切善信、見習いの川田義朗などを呼び出して俺はいう。


「そろそろ家久と勝頼に戦の経験も積ませてやらんといかんし、丹後に逃げ出した山名を旗頭に先に攻め込まれるのも面白くない。

 今回は俺も出るぞ」


「かしこまりました。

 では戦の準備に取り掛かりましょう」


「うむ、播磨・但馬・因幡・美作・備前などの国人などに通達などを頼む」


 今回は播磨・但馬・因幡・美作・備前などの国人と島津直轄地の武家衆1万ほどで丹後に攻め入る。


 尼子との戦いでは月山富田城を封じ込めるために俺は山口から状況を確認しつつ指示をだすことに専念していたので戦闘には直接加わってない、陶との決戦の時は俺が総大将をやったけどな。


 毛利や宇喜多の調略によって与謝郡亀島城主の石川浄雲斎いしかわじょううんさいや与謝郡幾地城主の石川秀門いしかわひでかど、与謝郡宮津城主の小倉播磨守おぐらはりまのかみなどは調略に応じてきた。


 石川秀門は当人もしくは息子が五右衛門ではないかと言われている人物だな。


 それにより宮津などの一色と延永の支配地域を除いて丹後はほぼ島津の勢力下に入った。


「では、兵を進めよう」


 一色義幸いっしきよしゆきらもなんとか兵をかき集めては見たもののその数は2000ほど。


 むしろよく集めたほうだ。


「ふむ一当てして崩すか。

 家久、勝頼一番槍の栄誉はどちらが得られるかな?」


「無論私でございます、兄上」


「否、今こそ私の力をお見せする時でございます」


「では、その言葉が偽りでないことを示してみせよ」


「はい!」「おまかせください!」


 さて、そもそも戦力で5倍ほどの差があるのだからそう簡単には負けないはずだが、油断は禁物だ。


 だが若狭の武田などとは長年敵対している関係で援軍も望めないにも関わらず一色軍はそれなりによく戦った。


 とは言え戦力差を覆すには至らず一色義幸とその息子の義道、義清などは最終的には降伏し、山名祐豊も降伏するに至った。


「一色義幸殿には隠居していただきましょう」


「……かしこまりました」


 そして家久・勝頼ともに地侍の首をちゃんと取ってきた。


「うむ、よくやったなお前たち」


「はい!」「このくらいは出来ねば武士の名折れです」


 その後いつものように一色義道を名目上の当主としてかつぎあげ実際は島津が直轄するという方式だ。


 宮津は日本三景の天橋立があるが港湾都市としても重要な場所であるので当然直轄領にする。


 そして俺は伊集院忠朗に相談をしてみた。


「そろそろ居城を姫路に移すか?」


「それも良いかもしれませぬな。

 尤も姫山の城を大きくする必要はございましょうな」


「うむ、そうかもしれんな」


 俺は小寺政職と小寺官兵衛に姫路城の増強を指示しながら山口から姫路に本拠地を移した。


「この方が赤松なんかの動きもわかりやすいしいいだろうしな」


 山口から姫路へ移動し山陽道を姫路を経由するようにしたりなどしている時に事件は起こった。


 京の伊勢貞孝の邸宅に三好長慶を招いての酒宴が行われていたのだが、そこを公方衆が襲って両者を討ち取ったというのだ。


「公方による謀反が発生し、三好長慶殿と伊勢貞孝殿、さらにはその子の貞良殿が公方の手の者によってうたれただと?」


「はい、京の都は蜂の巣をつついたように混乱しております」


「まあ、そうだろうな……」


 それにしても将軍足利義輝は執念深いと聞いたが酒宴中を襲わせるとはな、しかも天文20年(1551年)には失敗しているのだが。


「こいつは荒れるな、間違いなく」


 長慶を殺された三好一族が当然黙ってるわけはないだろうが、三好一族の中でも内紛が起きるかもな。

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