第6話 薩摩水軍の長にして倭寇の主は叔父の島津尚久

 さて、薩摩は九州の最南端で周りはほとんど海だ、日本に一番最初に現生人類が渡ってきたのは4万年ほど前に台湾からカヌーを用いて琉球経由の後に九州へ上陸した可能性が高く、これは氷河期に樺太経由の凍りついた海を歩いて北海道へ渡るよりも古いらしい。


 そして戦国時代における薩摩は漁業や琉球との交易も盛んだが、その傍ら明との密貿易や海賊行為も行っている。


 薩摩の主要な港は坊津ぼうのつで、ここは天然の良港の九州西南端の港町。


 この港の歴史はとても古く、奈良時代頃の遣唐使などがここに寄港して補給を行ったりもしたらしい。


 天正15年(1587年)に島津氏が敵対的な態度を取っていた国人の頴娃氏を排除し、鹿児島湾の出入り口に位置する港町の山川を掌握すると、相対的に坊津の地位は低下したが、坊津港は幕府の抜荷取締り、簡単に言えば密貿易の取締の厳重化命令に応じて藩が実質的統制に乗り出す享保期(1716年頃)まではその賑わいは廃れず大陸からの船も往来していたようだ。


 そして13世紀に発生した倭寇の拠点としても用いられ、遣明船の寄港地としても用いられている。


 それから、鉄砲やキリスト教が一番最初に伝わったのもここだ。


 1549年にフランシスコ・ザビエルが日本でまず最初に上陸したのは坊津だから、そこで殺してしまうのもありかもな。


 そしてこの時期は大内氏による明に対する勘合貿易は復活しているが、少し前の大永3年(1523年)に細川氏と大内氏がそれぞれ明に派遣した朝貢使節がいろいろな理由で揉めて殺人事件に発展し、勘合貿易は一時途絶していた。


 そうなると武装交易商人よる密貿易が盛んになる、この時代の後期倭寇と呼ばれる存在だな。


 そして薩摩島津の中でその長をやっているのが叔父上の島津尚久、もっとも叔父上と言っても俺とは2歳年上でしか無いんだが、叔父上は元服も済んでるし、天文6年(1537年)の叔父上が7歳の時には父上の軍勢の供として従軍もしているし、天文8年(1539年)の市来攻めにも戦場に赴いてるえらい人だ。


 俺たちから見れば尚久叔父上は実戦経験がある頼れるアニキ分と言った感じだな。


 薩摩の水軍はたぶんあまり聞いたことが無い人間が多いだろうし、村上水軍や九鬼水軍のような軍事的な活躍をした存在というより、琉球や南方との交易などに従事していた面のほうが大きいのも事実だが。


 俺は港に赴いてその叔父上に話を聞いていた。


「叔父上、その船を使って何処かから穀物を、買い付けてくるということはできぬでしょうか?」


 叔父上は腕を組んで唸っている。


「我々は薩州の守護であるのになぜわざわざよそから、穀物を買う必要がある?」


 俺は少し考えてから言う。


「薩摩は田畑の作れる土地は少ないですが、 穀物を買い付けることができれば養える人間も増えます。

 そうすれば私掠を行うにせよ交易を行うにせよ、戦を行うにせよ有利になります」


「ふむ、そう言われてみればそうかも知れぬな。

 仕入れることができるとすれば広州の市場などで可能であると思うが」


「お祖父様に許可を頂いて、叔父上に広州に向かっていただくことが可能でしたらその時は是非お願いできますでしょうか」


「うむ、任せておくが良い」


 せっかくの国際的港町があるのにそれを生かさないのはもったいない。


 無論まずは飯の確保が最優先だが、博多や堺のような交易のための重要な拠点である坊津を発展させるのも重要な課題であるな。


 海軍力さえつければ博多や堺の貿易船を襲うことも可能になるだろう。

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