相対するは、銀月に狂った女

◆5-1

 最果ての島とも呼ばれる、エルゼールカに一番近い国は、南へ海を越えた先に在る大陸の、北半分を有するカラドリウス神聖皇国である。

 しかし現在、当然であるがエルゼールカとカラドリウスを繋ぐ定期船はその運行を中止している。大陸に上陸するには、かなり東に大回りして、カラドリウスと国境を挟んだナシプ国へと向かわなければならなかった。

 ジェラルドも長い船旅の後、ナシプ国の玄関口である港町カーヴェに辿りついた。

 ナシプ国は商人の国とも呼ばれ、王政は無く、財力を持つ商人達が議会を作り、各国から傭兵達を雇い入れて軍事力を得ている。カラドリウスだけでなく、他の小国や、別大陸の砂漠の国などからも訪れる人々によって、正しく人種の坩堝と言ってもよい国になっていた。

 エルゼールカ人が外国に出ること自体は珍しいが、ナシプでは容姿もあまり目立たない。ジェラルドは特に見咎められる事無く、大陸に降り立つことが出来た。

 大勢の人々で賑わう市場通りを歩きながら、ジェラルドは黙考する。まず、やらねばならないのは、敵方の情報を集める事。

 キュクリア・トラペサというものが如何なる組織なのか、目的は何なのか。皇国の動向も無視できまい。エルゼールカでは手に入れられない知識や情報も、同じ大陸の国ならば得られるかもしれない。

 カーヴェの町は非常に大きく活気もあったが、立ち並ぶ家は木造、道は踏み固められた土がむき出しになっている。それは決して大陸では珍しくなかったが、一般市民の建物まで煉瓦や漆喰造りのエルゼールカと比べると雑然としている。

 勿論、その違いをジェラルドも理解していたが、それをあからさまに誇る事もしない。女王陛下の膝元である国が発展するのは当然の事であり、他の国がそれに遅れを取るのは女王陛下の力が届かないからだと、本気で思っているからだ。

 口に出せば間違いなくこの国の民全てが憤るだろうことを考えながら、ジェラルドは適当な果物屋を見つけ、旅商人と思われる店主に商用共通語――エルゼールカ貴族の必修であり、ジェラルドも貴族位を頂いた時頭に叩き込んだ――で声をかける。

「失礼。これを一つ貰えるか」

「へい、毎度!」

 買った果物の御代として一番小さな宝石粒を一つ渡すと、却って商人は恐縮して色々と話してくれた。

「へぇ、エルゼールカですか。一度商売に行ってみたいもんですが、自分で船でも持たなけりゃあ無理でしょうねぇ」

「そうなのか?」

「北海への航路は、皇国とナシプのお偉いさん達が殆ど牛耳ってますから。お偉いさん達はもっと手を広げたいらしいですが、流石にあっちとドンパチやって勝てるとは思えねぇですし」

「皇国の軍事力は、それほどまでに強いのか?」

 上手く相手からカラドリウスの名が出たため、そこにジェラルドは食いついた。

「そりゃあもう。皇国の神官騎士団に勝てる国なんざ、そうそうねぇでしょう。ちゃんちゃんばらばらやってるうちに、神様の奇跡で黒焦げにされちまいますわ」

 商人の口さがない噂だと差し引いても、無視できない情報だった。神官によって騎士団を作り上げるなど、エルゼールカから見れば想像の埒外だ。神の奇跡を使う者と戦った経験は、ジェラルドにも無い。何より、兵力の差が有りすぎる。

 戦をすれば、エルゼールカは確実に敗北する。解っていたことではあるが、改めて思うと腹立たしさが先に立つ。不機嫌になった客をどう思ったのか、商人は慌てて話題を変えた。

「エルゼールカの女王様っていうのは、やっぱ美しいお方なんですかね?」

「無論だ。あの方より美しいものを俺は知らない」

「へぇえ、そりゃあ一度お目にかかってみたいもんだ」

 その商人の反応を見て、女王陛下拉致の情報は、まだ他国には広まっていないことをジェラルドは確認した。それ以前に、彼らナシプの者達にとってエルゼールカは、半分御伽噺に出てくるような国であるらしい。その後何人かの町人から話を聞いたが、ジェラルドがエルゼールカから来たと名乗ると、一体どのような所なのだと相手に問われる方が多かった。

「キュクリア・トラペサという名前に聞き覚えは?」

「さぁ……皇国語っぽいけど、何かの施設の名前ですかい?」

「それと、夜の闇を飛ぶ黒い羽の生えた蜥蜴を見たことは無いか」

「いやいや、夜に黒い奴が飛んでても見えないでしょう旦那」

 こちらのふたつは、全くと言っていいほど収穫が無かった。キュクリア・トラペサがその身を厳重に隠しているのなら、いっそ大っぴらに情報収集をして相手を釣ってやろうとすらジェラルドは画策していたのだが、なしのつぶてにも程があった。一般の民には全く聞き覚えの無い名前らしく、見当違いの答えが返ってくるだけだった。闇竜については言わずもがなであった。

 燻る思いを胸に、ジェラルドは酒場に向かう。まだ太陽は高かったが、傭兵から話を聞けるかと踏んだのだ。読み通り、仕事の稼ぎをばら撒いている傭兵が何人か、果実酒を酌み交わして騒いでいた。一般の民なら眉を顰めて避けるところだが、ジェラルドは何も気負わずにその一団に近づいた。

「失礼。少し話を聞いても良いか」

「ああ? なんだてめぇは」

 使い込まれた傷だらけの鎧と顔を持つ男達は、一見優男にしか見えないジェラルドの姿を鼻で笑った。使い慣れぬ武器を腰に挿した、金持商人の子供とでも思ったのかもしれない。

「餓鬼がこんなとこでぶらついてんじゃねぇよ。とっとと帰りな」

 あからさまに馬鹿にされた口調であるのに、ジェラルドは気にした風も無い。己に対する侮蔑など、彼にとって涼風にも劣る。彼が許せぬのはただ一つ、女王陛下に対する侮辱だけだ。

 先刻よりやや大きめの宝石を一つ毟り、無造作に木のテーブルに放る。思わずそれを目で追った傭兵達に、淡々とした声音で問うた。

「旅の傭兵ならば、他国へ出入りすることもあるだろう。キュクリア・トラペサと言う名前に聞き覚えは無いか?」

 彼らの商用共通語に、僅かながらの訛りを感じたが故の問いだった。男達は顔を見合わせ、一人は宝石を拾い上げて見詰め、価値を確かめているようだ。やがて一際体の大きい髭面の男に肯き、その男が口を開く。

「どこのお坊ちゃんだい? こんな豪勢な小遣いを、気安く出しちゃいけねぇなぁ」

「質問に対する返答を寄越せ」

「てめぇ! ナマぁ言ってんじゃ――」

 血の気の多い男が、剣の柄に手をかけて立ち上がる。しかしそれは抜く前に、止まらざるを得なかった。

 それよりも早く抜き放たれたサーベルが、ぴたりと。側頭部に剣の腹を触れるか触れないかぎりぎりで、突きつけられていたからだ。

「て、め」

「抜けば耳を落す」

 低い声音に、傭兵達は一様に色めき立ち、己の得物に手をかける。酒場の主人が「揉め事は困るよ、お客さん!」と叫ぶが、髭面の一睨みで黙らされた。

「……質問に答えるのなら、争うつもりはない」

「随分と肝の据わった坊やがいたもんだ。見慣れねぇ面だが、お仲間かい?」

「エルゼールカから来たが、傭兵ではない。答えは?」

 一瞬正式な名乗りを挙げたい気が沸き起こったが、どうにか堪えた。迂闊に貴族位などちらつかせれば、エルゼールカに、ひいては女王陛下の名誉に傷をつけることになってしまうからだ。それぐらいの分別は、ジェラルドも持ち合わせている。

 傭兵達のまとめ役らしい髭面は、仲間に剣を突きつけられているにも関わらず余裕の態度を崩さない。

「ほお、あんな辺境から、ご苦労なこった。そんじゃ、皇国と一戦おっぱじめるって噂ァ、本当なのかい」

「……質問に対する代価は既に払っている筈だが?」

 ぎ、と口の奥で歯を噛み潰す。流石は傭兵、きな臭い情報には耳が早いのだろう。答えるつもりは無いとばかりに、サーベルの柄に力を込める。切っ先が僅かに震え、ひ、とそれを突きつけられたままの男が情けない悲鳴をあげた。髭面の男も決して脅しに屈したわけではないようだが、呆れたように肩を竦めて答えを返した。

「キュクリア、ねぇ。さてな、初めて聞く名だぜ。皇国語らしい響きだが」

「闇夜を飛ぶ黒い羽をもつ蜥蜴のことは?」

「なんだそりゃ。黒い飛竜なら、封折山脈の上を飛んだりすることもあるだろうが、その辺にいるんじゃないかね」

「……あの岳山か」

 呆れたような髭面の声に、肯く。名前だけなら、ジェラルドも聞いた事があった。カラドリウスとナシプの国境に聳え立ち、天然の要害となっている巨大な山脈。大陸の北半分は殆どがこの岳山に囲まれており、現在のカラドリウス皇国の権威が届く限界と言われている。険しい山々とその裾野に広がる樹海の中には、人に追いやられた魔の者達が住まうとされているらしい。

 嘘と判じる様子も無いし、僅かながらの手がかりは得られたので、ジェラルドは剣を引いた。店中に広がっていた緊張感が僅かに緩み、不安そうに様子を見守っていた店主が安堵の息を吐く。

「邪魔をした。礼を言う」

 そう言っただけで踵を返そうとしたが、幾人かの傭兵はその背を忌まわしそうに見遣り、言ってはいけない台詞を吐いてしまった。

「けっ、化け物の国の餓鬼が……」

 かつん。ジェラルドのブーツが、店を出るぎりぎりで止まった。止まってしまった。ぴりっ、と再び張り詰めた空気に、髭面だけが気付いたようだが、遅い。

「――撤回して貰おう」

「あ?」

「今、言った言葉。撤回して貰う」

 振り向いたジェラルドの眦は、きりきりと限界まで吊り上り、禁句を吐いた一人の傭兵を真っ直ぐに捕えていた。あからさまな殺気に傭兵は驚いたようだったが、それで慄いては傭兵家業などやっていられない。

「あぁ!? 何調子くれてんだ、この――」

 パァンッ!!

「う、うわあああああ!!」

 何かが弾けるような音と同時に、男の叫び声。そしてジェラルドの持つ短筒から立ち上る一本の紫煙。

 男は右耳を押さえ、蹲っている。狙いは致命の場所ではなかったが、至近距離で放たれた弾丸が、耳朶を僅かに千切った。数滴の血が床に散っている。

 口々に悲鳴や怒号を上げ、傭兵達は立ち上がるものの、彼が何をしたのか解らないらしく腰が若干引けている。当然であろう、砲という武器自体が大陸では殆ど使われていない。更にこんな小さく、人一人が手元で扱える短銃など、エルゼールカでしか製作できまい。

「て、てめぇ! 一体何を――」

「妙な術式使いやがって、魔操師か!?」

 ぐるりと回りを再び屈強な傭兵達に囲まれながらも、ジェラルドは怯みもせずに蹲る男に大股で近づき、再びサーベルを抜き放った。

「撤回しろ、と言っている」

「ひ、な、何――」

「貴様は今、我等が女王陛下を侮辱する言葉を放った。女王陛下の恩恵を一度も受けていない身ゆえ、命を取ることは許してやる。今ここでその言葉を撤回するのならばな」

「う、う――うひぃ!?」

 僅かに男が身動ぎしたところで、顔すれすれにサーベルが突き立った。ジェラルドの動きには微塵の容赦もない、次は過たずその頭を串刺しにする気だった。

 その狂気すら伺える姿に、歴戦の傭兵達は一様に臆した。戦場で血を浴び合う戦いを行ってきた彼らでも、係わり合いになりたくないものというものは存在する。彼らから見て、ジェラルドの行動も言動も、完全に常軌を逸していた。

「て、撤回する! 撤回します!」

「――良し」

 夢中で言った言葉に満足し、ジェラルドは剣を鞘に収めた。その足ですたすたと奥のカウンターに近づき、すっかりその下で怯えて縮こまっている店主に、「世話をかけた」と大き目の宝石を一個放ると、最早何も言わずに店を出ていってしまった。



 ×××



「だ、大丈夫かい、あんたら……衛士を呼ぶかい?」

 恐る恐る、カウンターの下から顔を出した酒場の主人は、今やすっかり傭兵達に同情的だった。騒ぎを起こした事に関しては彼らにも非があるが、今の様子を見ていればどう見ても彼らが被害者にしか見えない。

「ああ、いらねぇよ。おめぇも怪我ぁ大したことねぇな……糞ッ」

 面子を潰された形になる傭兵達も、息せき切ってジェラルドを追おう、と息巻くものはいなかった。髭面の男が一同を代弁して、忌々しげに語る。

「ああいうのを帝国で見たことあるぜ。八柱教の神官騎士だ。目ン玉おっぴろげてんのにどこも見てねぇような、おっかねぇ連中だ。あいつもそういう手合いと同じ――狂信者ってぇ奴だろうよ」

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