◆1ー2
やがて北側の砦まで辿りつくと、現場は既に阿鼻叫喚の様を呈していた。
音も無く風を切り、巨大な翼と牛ほどの体を持つ
「うわあああっ!!」
狙われた不幸な兵士が鋭い爪で身体を貫かれ、そのまま城壁の下へ落ちた。飛び去った影は上空を旋回し、再び襲いかかってくる。
「怯むな! もっと火を増やせ! 奴等は光を恐れる!」
北の砦を守る軍長の声に従い、次々と松明に火が灯される。頼りない明りではあったが、闇夜を飛ぶ敵の姿を映し出すことが出来た。
身体は滑らかな曲線を描いているが、皮膚はごつごつとした黒い鱗で覆われている。目は闇を固めたような黒であるにも関わらず爛々と輝き、手足の先の爪は鋭く、乱杭歯の並ぶ口からは涎が垂れている。体の数倍はある巨大な翼を羽ばたかせ、顔の回りの角と冠翼を見せ付けるように掲げながら、悠々と宙から地面を睥睨していた。
三十年前、銀月の無くなった夜より、エルゼールカはこの恐ろしい生物――竜の襲撃に曝されて来た。本来人とは相容れず、世界を構成する自然の顕現であるとされ、遠き大陸では神よりも信奉されているそれが、何故執拗にこの国に襲いかかってくるのか、誰も知らない。世界を読み解くことを己に課す魔操師達が、女王の命によって集められ、様々な推論や憶測を上げているが、未だ結論は出ていない。
解っているのは、三十年前――最初の襲撃の時にだけ現れた、小山ほどの巨大な黒竜が、眷属であろう数多の黒い飛竜を従え、エルゼールカを襲ったこと。それから、この国の闇夜を、飛竜達が脅かし続けていること。そして、これを撃退しなければ国が滅ぶのだという厳然たる事実だけだった。
「状況は!」
騒ぎに駆け込んできたジェラルドが叫ぶ。北砦長を始めとした兵士達の顔に、僅かな安堵が浮かんだ。厳しく取っつき難い上官ではあるが、こういう事態に頼りになるのもまた事実なのだ。
「三匹! 小型の飛竜です!」
「街を守るのが先決だ! 魔操砲、光弾用意! 目標、城上空!」
「はっ!!」
命令に従い、大人が数人でやっと抱えあげられる大きさの輝く金属筒が、市街地に向けられる。魔操師が開発した、世界を書き換える文字を込めた弾を撃ちだす武器だ。神の奇跡も、竜の恵みも与えられなかったこの国で作り上げられた貴重な武器であり、対竜戦の切り札であった。
その威力は何度も食らった竜達も知っているらしく、一定の距離を保ちながら旋回し、ぎちぎちと歯を鳴らして威嚇音を放っている。しかしやがて一匹が痺れを切らしたのか、果敢に城壁に向けて突撃してきた。兵士達が怯えて伏せ、或いは砲を守ろうとする中、ジェラルドは城壁の縁ぎりぎりまで駆け寄る。迫りくる異形に全く怯むことなく、腰の短銃を左手で抜いた。
「失せろ、羽蟲がッ!」
パァン! と軽い音が響き、銃身から火花が散る。そこから飛び出した鉛弾は、今まさに顎を開こうとしていた飛竜の左目に飛んだ。鉄の礫に、「破裂」と「推進」を書き込まれた、これも小型化された魔操砲の一種だ。
「ギィッ!!」
目に異物が飛び込んだ衝撃と痛みに、竜は堪らず悲鳴を上げて、空中で翼を羽ばたかせて動きを止めた。とても致命傷にはならないが、効果は充分。飛竜は宙に浮かんだまま身体を丸め、己の爪でがりがりと目を擦り、却って傷を増やしているようだった。
そのままよろよろと城壁の外へ飛んでいく竜を捨て置き、ジェラルドは銃を仕舞う。装填数は一発の上、弾込めに時間がかかり過ぎるので、もう役には立たない。
「準備できましたっ!」
そこで、魔操砲の照準を確認していた兵士から声が上がり、ジェラルドは、銃とは逆側に下げているサーベルを右手で抜き放ち、空へ向けて構え、振り下ろして叫ぶ。
「撃てぇッ!!」
声と共に、風を切るような軽い音を立てて、魔操砲から「強烈な光」が刻み込まれた弾が打ち出される。目標は竜では無く、市街地、もっと言うなら街の中心部に聳え立つ城の尖塔だ。光の弾は緩やかに飛び、ふわふわと落ちてきて、塔の先に触れるか触れないかという瞬間――パアン! と弾けて、まるで昼日中のような輝きを放った。
「ギャアアアアアッ!!」
今まさに市街地に侵入しようとしていた飛竜達が光に目を焼かれ、悲鳴を上げて逃げ惑う。夜闇の中に生きる黒竜達にとって、光は忌み嫌うものであるらしく、攻撃力がない光弾でも足止めが出来るのだ。しかも市街地に異変を知らせ、住民の避難を促すことが出来る。
僅かな弛緩の空気が兵士達に流れる間もなく、矢継ぎ早にジェラルドから命令が飛ぶ。
「第二弾装填、弓兵準備! 急げ!」
「は、はっ!!」
弓を番えた兵士達が城壁の縁に次々と並び立つ。空では光に照らされた飛竜達が苦しみながらも、街から離れたことによって回復したのか、旋回して再び向かってこようとしている。
「将軍!」
「まだだ!」
鳥や馬とは比べ物にならないほどの速度でぐんぐんと迫ってくる竜に、砦長から縋るような示唆が入るが、ジェラルドは動かない。サーベルを天高く掲げ、期を待ち続ける。
「構え!」
ジェラルドの声に、弓兵達が立ち上がる。弦を思い切り引き絞り、ただ命令を待つのみ。
威嚇の呼吸音をあげながら迫りくる竜が、今にも城壁へ突っ込まんとした瞬間、ジェラルドは叫ぶ。
「撃て――ッ!!」
空気を切り裂き飛ぶ矢が、次々と飛竜達に飛来する。殆どは鱗に阻まれたものの、翼の柔い皮膜にはかなりの数が突き刺さった。甲高い悲鳴を上げて、飛べなくなった竜が地面に落ちていく。
「やったぞ! う、うわあああっ!?」
血気盛んな若い兵士の快哉が、すぐに悲鳴へと変わる。翼をばたつかせた飛竜のうち一匹が、目測を誤り城壁の上へと仰向けに落ちてきたのだ。辺りの兵士が慌てて逃げ出し、騒然となる。
「ギイイイッ!! ギイイイイ!!」
矢に蹂躙された翼をのたうち回せ、苦しみもがく竜は、それでも人への怒りを忘れてはいないらしく、迂闊に近づこうとする兵士を爪で薙ぎ払う。皆、槍や斧を構えはするものの、遠巻きにしたまま近づけない中、ジェラルドが前に進み出た。
「しょ、将軍!」
制止は聞かず、だん、と一度だけの踏み込みで、竜との距離を詰める。がむしゃらに振り回される爪と翼を掻い潜り、牛ほどもある巨大な身体の上に飛び上がり、喉笛を踏みつけた。
「グギィ!」
「――言葉も通じん羽蟲共が」
竜を見下ろす、僅かに眇められた瞳には、一片の慈悲も篭められていない。
「我等が女王陛下の街に、身の程知らずにも襲い掛かった罪。その身で贖え」
踵にぐりっと力を込めてから、腰に下げていた明り石――光の術式が付与された簡易灯――を空いている手で掴んで毟り取る。その手を何の躊躇いもなく、がちがちと歯の鳴る竜の口にどぶっ、と叩き込んだ。
「ギィ!? グエエエエッ!!?」
おう、と僅かなどよめきが兵士達の中から起こる。気道を塞がれた苦しさからか竜はもがき続け、がじがじとジェラルドの腕を噛み続けているのだが、彼はそのままずぼりと腕を引き抜いた。当然牙によって、二の腕から手首まで、衣服ごとぼろぼろに切り裂かれる。しかし彼は痛みなど感じていないかのように、己の血と竜の涎で汚れた左手を、サーベルを持った右手に添え、くるりと逆手に構える。
ぞんっ! と音を立てて、刃が竜の喉笛を貫いた。
「グィイエアアアアアア!!」
痛みからであろう悲鳴が上がり、喉から噴き出るものは血ではなく、すえた臭いのする黒い煙だった。その光景の悍ましさに、兵士達が堪らず耳を塞ぎ、目を逸らした。
兵士といえど、彼らは戦争を経験した事も無く、まだ若者も多かった。こんな間近で竜の姿を見た者も今までいなかっただろう。今までの襲撃では、術式砲と弓で追い散らすだけで済んでいたのだ。
ジェラルドとて、竜に直接剣を振るうのは始めてだ。だが、彼の心には怯みも恐れも無い。女王陛下が治めるこの国を脅かすものを、殲滅することしか頭に無い。
何度も、何度も、竜の喉に刃を突き立てる。やがて、十数回目に刃先が、硬いものを捉える。刃を突き刺した瞬間、がちん、と鈍い音がして――傷口から、光が飛び出した。
「ギャアアアアアアアアッ!!」
紛れもない断末魔を上げ、のたうつ飛竜の体が崩れ、風に吹き晒されていく。明り石が破壊された事によって弾けた光の術式で、喉と腹腔を焼かれたのが止めになったようだ。鱗も翼も、見る見るうちに煙のように解け、消えていく。
その身が半分ほどに崩れて減った頃、漸くジェラルドは攻撃の手を止めた。サーベルを目の前に翳し、確認できた汚れと刃零れに眉を顰めてから、一度払い、腰の鞘に収める。左腕から流れる血にも構わぬまま。
敵を倒したことによる快哉が上がっても良い筈だが、兵士達は皆ジェラルドを遠巻きにし、声をかけるのも躊躇っている。光景の凄惨さと、それを齎した将軍の有様に気遅れしてしまっているのだろう。結局、周りの視線に押され、北砦長がおずおずと口を開いた。
「……お、お見事でございます、将軍」
「雑魚の羽蟲だ。見事も何も無い」
「明り石を壊せば閃光が出るとは……良くご存じでしたね」
「いや」
「はっ?」
「こんな効果があるとは知らなかった。少しは効くかと思って、飲みこませただけだ」
あっさりと言い切ったジェラルドの言葉に、砦長以下全員がぽかんと口を開けてしまった。ろくに確証も無いのに、あんな思い切ったことが出来たのかと。
「……何をしている。新手が来ないとは限らん、警戒を続けろ!」
「は、ははっ!!」
少なくない畏れの視線が向かってくるのを何ら気にした風も無く、ただ誰も動かないのが不満であるという声音に、兵士達は慌てて持ち場に戻っていく。ジェラルドはひとつ鼻を鳴らしてから、首に巻いていたスカーフを解くと、歯と片手を使って左腕を止血した。
「い、医者を――」
「痛くは無い。後で治療に行く」
部下の親切を一言で切って捨てると、ジェラルドは改めて闇夜に視界を向けた。
乱杭歯によって抉られた腕は、未だに血が止まらぬ深いものであるはずなのに、彼は眉一つ動かさない。その有様に、部下達の更に畏敬が篭った視線が突き刺さってくるのも、意に介した風を見せない。ただ、敵の残党が居ないか、夜の空を油断無く睨み続けている。
まだ空に残っている光弾の明りのお陰で、視界は良い。油断なく東西南北をぐるりと見回した、その時。
ばさり、という小さくない羽音が耳に届いた。
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