エピローグ 答え合わせ

「ういー」


「飲み過ぎだぞ、常識的に考えて」


「聞いてくれ、兄弟。オレは本当に生きていると言えるのか? どんどんゴールから遠ざかっている気がする。俺は男になる為に衛兵隊に入った……自分の人生を犠牲にしてまで、俺は戦ったんだ」


「俺には何が必要なんだ?俺は廃墟で戦う事で、これだけ生きていると感じることは無ェ……あすこならいつでも死ねる。でも明日死んで何が残るんだ? 俺には――」


「よし、兄弟、もっと飲むべきだ。お前は哲学を始めているだろ、常識的に考えて」


 「カラン」と扉に付けられたベルがなる。ラグ・アンド・ボーンズの2号店、ドーナツ屋を改造したこの店は、ウララと一人の少年が切り盛りしていた。 


「いらっしゃいませでっす!」


 キシキシと重量にその義足をきしませて、ウララは新しく扉をくぐったお客の注文を取りに行った。しかし、それはお客ではなく、見慣れたいつもの人たちだった。


「ステラさん!お久しぶりでっす!」


「元気そうで何よりね」

「おっす、邪魔するでー?」


 白い息を吐いてウララに挨拶したのは、衛兵隊のステラとネリーだった。ネリーは大きなブリーフケースを抱えて、店の中を見回す。この店にいるはずの、フユを探すためだった。


「ありゃ、フユはどこいった?」


 ウララは赤い宝石が飾られた指輪のはめられた手で、上を指さす。

 彼は二階にいるようだった。


「カミさんだけ働かしてホンマ。ウララちゃんの代わりにしばいたろか?」


「えー!だめでっす!」


「フフ、ごめんね、ちょっと上がらせてもらうわね」


 吹き込む雪を追い返すようにして二号店の扉をしめた二人は、そのまま木造の階段を上る。


「しかしなかなか顔合わせずらいなぁ?」


「そうね、あれだけ大見得切ったのに、ネリーも私も普通に生き残ったからね」


「生きるっちゅうことは、恥を重ねるっちゅうことなんかな?」


「……きっとそうね」


 二人が上がった先には、小さな部屋があった。


 部屋の中央にはちゃぶ台があり、ヴォルフを湯たんぽみたいに抱えて端末を操作しているフユの姿があった。


「オラ!フユ!ウララちゃんだけ働かせてカワイソ―やろが!」

「そうよ、アルバイトくらい雇ったら?」


「それが、ウララがイヤがるんですよね……」


「……こいつ本気で殴ったろうか?」

「なんでですか?!」


「これは重症ね。さて、今日は話があってきました。ネリー、あれを」


「ほいよ」


 ブリーフケースを開いたネリーはいくつもの書類を取り出した。

 何枚もの衛星地図、何かの暗号、そして記録が部屋の中央にあったちゃぶ台の上に並べられた。


「やはり貴方の推測は正しかったわ。世界には他にも無数のアガルタが存在する」


「最悪なことに、関東地方にあったのは全体で見れは中規模のアガルタやった。10の18乗の規模のそいつは、ユーラシア大陸に1基と、太平洋を越えたはるか東のアメリカ大陸の東西2基やな」


「私たちはこれをエクサ・アガルタと名付けました。今のところ沈黙を保っているけど、いつ目覚めるか、全くわからない状況ね」


「うわぁ……まさか行けって言いませんよね?」


「そのまさかなんだけど?」


「えー勘弁してくださいよ……」


「あなたが行かなくても、私たちは多分行くけど?」


「それが最大の脅しになるってわかって言ってますよね?」


「あらあら?」


「ま、説得が長くなりそうやし、茶でも入れるか」


 ネリーはカップボードとポットを探し出し、持ってきた茶筒からお気に入りのお茶をカップに入れて淹れだした。


「なんか普通にお茶うけとか食器とかの位置がバレてる!」


「元SASなめんな?」


「特殊部隊はクッキーを探すためにその技術を使わないと思います」


「そもそもこの情報って、どこからでてきたんです?衛星とかみんな死んでるのに」


「ほら、アレよアレ、酉武遊園地で見つけたワークステーション」


「アレからですか……」


「どうやら、最後のアガルタは、他のアガルタに干渉しないように改変の範囲を注意深く選定していたみたいね」


「いやー、えらく解析に時間かかったで」


「なるほど」

「ワン!」


「……そういえば、ヒトはどうなりました?」


「なんともなってないわね。私たちが使える道具は基本的にヒトも使えるし、技能移植のアンプルだって、同じ科学的な理屈に基づいている以上、ヒトモノ共通だもの」


「ですか」


「そうよ」


「あの大騒ぎは一体何だったんでしょうかね…‥何が合ってて、何が間違ってるのかさっぱりです」


「不正解だからといって、それが無意味なわけじゃないわよ。逆もしかり」


「正解に意味が有るわけでもない?」


「そう。」


「結局物事は決定と結果からなるシステムで回ってる物でしかないわ。たまに感覚的に正義といえたり、悪と言える結果を吐き出すけど……」


「言葉によって世界が区切られていなかった頃、世界には『意味』も無ければ『無意味』もなかったはずよね」


「ええ、わかります。身をもって体験しましたから」


「……ステラさん、心って何か解ります?」


「これまた難題を持ち出してきたわね。殴ったら忘れてくれる?」


「最近ステラさんが僕に遠慮がない……」


「冗談よ。さて、心ね、科学では語れない分野だから、哲学的に語るとしましょう」


「……どうしたの?そんな目を丸くして」


「いえ、とある人が、もっと聞くべき人に気付いていなかったんだなぁと」


「……? まあ、いいわ。続けるわね。そうね、今日は仏教的に話してみましょう」


「特に仏教において、心は煩悩や苦悩を発生させるものとして研究と思惟の対象となっていたの。この世の苦痛を取り除くには、その元を断てっていう考えね。」


「特に苦悩を発生させるのは、心の中でも知恵の部分と思われていたわ。だから今日はステラ先生がそのお話をしましょう」


「わーぱちぱち」


 フユはヴォルフの手を使って拍手をする。眉をひそめ、とても迷惑そうだ。


「人は生まれた時、赤子の時には世界を区別する言葉を持ちません。皿の上に載ったリンゴを両親が指さしてそれをリンゴと言ったとしましょう」


「しかし赤子の耳に届くのはリンゴという音のみです」


「そもそも、上にある、という事自体事象を切り離さないとね」


「皿の」「上に」「ある」「リンゴ」


「彼にとっては、リンゴと皿の境界線すら定かではないでしょう?」


「事象の境界線が溶け合った混沌。その中から一つのリンゴを取り出す行為。これがすべての始まりね」


「やっぱり画像生成AIの挙動に似ていますね」


「そうなのよ」


「本来この世界に実体として存在しないものすら区別する行為。その最初の『理解』は何処から来たのか? それを得る、たった一つのやり方が『知恵』というわけね」


「仏教では、言葉を用いない最初のやり方。それこそが『知恵』であり、人がその身におさめた、人の心の本質と見ていたわ」


「なるほど、用途だったり、価値だったりで次第に定まっていったんでしょうね」


「そうね、きっと知恵はすぐに生まれたものじゃない。人の欲求に沿って世界を区別していって、人同士伝え合って、世界への理解を深めていったはずよ」


「きっとその中でも『私と他者』、『自己と世界』、『私と私でないモノ』こういったものの理解が、まず最初だったんじゃないかしら?」


「きっと僕らが最初に行った、もっとも原始的な、はじまりの分別ですね」


「そうね、そして一度手に入れたらもう手放せないモノでもあるわ」


「私と他者の分別を手放すことは、否定では決してたどり着けないわ」


「全てを無いと否定しても、否定したあなたが残るから」


「……もしかして」


「どうしたの?フユ君」


「いや、ネクロマンシーが成し得たのは、その最後の一押しなのかなって」


「最後に残った、『否定したあなた』つまり、自我を消す?」


「そうです、アンデッドがヒトと違って唯一可能なのは、『死の体験』を繰り返せることです。何度も、何度も、何度も」


「仏教徒のアンデッドは、再生槽の利用費がやたら高くつきそうね」


「確かに」


「区別をやめ、思考を止め、ただ黙って純粋な意識としてそこにあり続ける」


「全ての分別が溶け、全てが溶けあうというのはつまり自我の崩壊ですね」


「一滴のしずくが大海に落ち交じり合うように、風に砕かれる木の葉のように、世界が私となった時、その時、何によって何を見るのか? 彼岸へと完全に行き着いたもの達、白いなれ果てはそう言う存在なのかしら」


「どうでしょう? 区別が無いなら返す言葉をもちません」


「その通りね。」


「他者は、私の問いかけに、答えを返してくるもの。しかし、その境界を失ったからと言って、孤独になるわけではないわ」


「ありのままをみとめる。ただそれだけの事だもの」


 はっとした様子のフユ、しかしその表情はネリーの言葉で崩れた。


「茶が入ったでー」


「ありがとう、ネリー」

「どうもです、ネリーさん」


「あんさんら、よくそんな口からポンポン出まかせでてくるなぁ?」


「そう?慣れよ」


 あまりにも身近にいた人から「答え」らしきものを知ってしまった。

 しかしこれを知ったとしても、いまさら僕に何ができるわけでもない。

 僕にできることは、目の前にある一杯のお茶を飲むことくらいだ。


 思うに、何かを「知る」ということで、何かができるとしたら……。

 それは花の香りを楽しむためくらいにしか役に立たない。


 そして、きっとそれでいいのだ。

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