八代奏太は思う。変な人だなと……

第8話不思議と嘘つき

 いきなり声をかけられた僕は驚き、その場で本をポトっと落としてしまう。 


 一体なんなんだこの人は?


 さっきまで飛び降り自殺をしようとしてたのに、どうして僕なんかに話しかけて来たんだ? 

 気でも変わったのか? 

 尽きない疑問を頭に思い浮かべつつも、僕はあたふたしながら返答する。


「べ、別に普通ですよ。どこにでもあるような、普通の文庫本です」


 普段人と話さない僕は、急な会話イベントで動揺する。

 なんの面白味もない返答。

 だと言うのに、目の前の女子生徒はくすくすと微笑を浮かべる。


「そうなの? でも、私が死のうとしてたのに、それを無視してまで読み始めたじゃん。てことは相当面白いってことじゃないの?」


 なんとも返答に困ることを言って来た。

 確かに僕はこの人の自殺を無視して本を読み始めたけど、別にこの本がものすごく面白いから読んだわけではなく、僕のこれは放課後のルーティーンみたいな感じだし、そもそも自殺を試みようとする人には話しかけたくなかったから無視しただけだ。

 気まずいし、あまり他人と話したことないから、こういう時どうすればいいのかわからない。

 だから僕は、突き放すように割と酷いことを口走る。


「それより、さっきの続きしないんですか?」


 まるで早く死んで欲しいと捉えられてもおかしくない発言。

 聞く人によっては、これだけでメンタルが崩壊するかもしれない言葉を僕は放った。

 だと言うのに、目の前の女子生徒はツーンといじけるようにそっぽを向き。


「しないよ。君のせいで冷めちゃったから」


 自殺出来なかった責任を僕に押し付けてきた。 

 なんだよ冷めたって。仲間内で集まるパーティーに、一人だけあんまり仲良くない奴がきて冷めるとか、そう言った意味合いの冷めるか?

 意味わからん。やっぱり自殺を考えるぐらいの人だから、ちょっとだけ変わってるんだろう。

 なんだか自殺出来なかったのが僕のせいみたいな言い方をされ、ちょっとだけ腹を立て嫌味を言ってみる。


「良かったですね。僕のおかげで寿命が延びて」


 いきなり皮肉を飛ばしてみると、目の前の女性は面白そうに笑う。


「はは、確かに! 君のせいで私の寿命が延びちゃった」


 僕のせいで寿命が延びたとか、多分だけど金輪際聞かないセリフだろうな。

 彼女は面白そうに笑うと、ジトっと僕の目を見て質問してくる。


「ね。きみ、名前は?」


 見ず知らずの綺麗な女子生徒に名前を尋ねられた僕は、何がしたいんだろうと訝しみながらも、渋々名前を名乗る。


「八代奏太です」


「八代奏太君かぁ……。じゃあ奏くんだ!」


 彼女は僕のフルネームを一度口に出すと、恥ずかしい呼び方をして来た。

 なんだ奏くんって。子供じゃないんだから、そんな呼び方はやめてほしい。


「なんですかその呼び方。恥ずかしいんでやめてください」


「えーいいじゃん。奏くんってなんだか可愛いし。それに私ね、妹か弟が欲しかったんだよね」


 彼女は残念そうにしながら、どうでもいい願望を語り始めた。

 というか、可愛いとか弟とか、なんで僕が年下扱いされてるんだ? 

 僕はまだ自分の年齢も学年も打ち明けてないのに、どうして年下のように扱ってくるんだ。


 初対面なのに随分と図々しい人だなってのが、この人に対する第一印象。

 年下扱い、もとい子供扱いに納得のいかない僕は、目の前にいる名前も知らない女子生徒に学年を問う。


「弟って、だいたいあなたは何年生なんですか?」


 尋ねると、彼女はニコニコしながら。


「二年だよ。奏くんは一年生でしょ」


 自分の学年を名乗ると同時に、僕の学年を言い当てた。

 なんで僕の学年がわかったんだ? 

 もしかして超能力者とか? 


 んなわけはない。きっと当てずっぽうで適当に言ったんだ。

 なんだか初対面なのに僕のことを子供扱いしてくるし、相当に舐められてる。

 流石にここまで舐めた態度を取られると、僕もちょっとばかし意地を張りたくなる。

 なので僕は、普段動かさない顔の表情をさらに固定すると、平然と嘘をつく。


「残念、僕は三年生です。だからあなたも敬語を使ってください」


 堂々と虚言を吐くけど、彼女は顔を伏せくすくすと十秒ぐらい笑い始める。それから顔を上げ、屈託の無い笑みで質問してくる。


「そっか、奏くんは三年生なんだ。じゃあさ、三年生の学年主任は誰か分かる?」


 三年生の学年主任? 

 突然のクイズに、一瞬戸惑うが理解する。

 なるほど、確かにこれは三年生にしか解けない問題だ。

 つまりこの人は今、僕を試しているんだ。僕が嘘をついているかどうかを。


 でも残念だったな。僕は学年主任の先生や担任の先生が誰なのか分かるプリントに、きっちりと目を通しているんだ。

 確かあのプリントには、三年の学年主任の名前も載っていた。

 うーんと記憶の渦を泳ぎながら、名前を思い出す。確か始業式でも挨拶をしてた、結構偉い先生だったはず。


 そうだ確か……。


「小林先生……ですか?」


 自信半分で答えを言ってみると、目の前の女子生徒は「おー」と感嘆の声を漏らしながら、パチパチと手を叩く。


「すごいじゃん。なんで知ってるの?」


 なんだか馬鹿にしたような口ぶりの女子生徒に、僕はフッとドヤ顔で返す。


「そりゃ三年生ですから、三年の学人主任ぐらい答えられます。わかったら僕を子供扱いするのはやめてください」


 ふふんとドヤ顔を披露すると、彼女はまたも顔を俯け笑い始める。

 一体何がおかしいんだ。

 ムカついて問いただしてみると、彼女は笑いながら僕の上履きを指差し指摘する。


「じゃあ三年生の奏くんに質問なんだけどさ、なんで奏くんの上履きの紐は青色なの?」


 聞かれて、首をかしげる。上履きの色が一体なんだと言うんだ? 

 目の前にいる女子の意図がつかめず疑問符を頭に浮かべていると、彼女は笑いながら教えてくれる。


「実はね。学年ごとに上履きの紐の色が違うんだよ。一年は青色。二年は黄色。三年は緑色ってね」


 彼女は、この学校の生徒なら知っていて当然であろう常識を喋りだした。

 そ、そうだったのか。他の学年の上履きなんていちいち見ないから、気がつかなかった。

 だったらこの人も……。


 僕は視線を下げ、目の前にいる女子生徒の上履きを確認する。

 確認すると、彼女の上履きにはしっかりと黄色の紐が通されていた。

 本当に先輩だったんだと思った次の瞬間、彼女は僕の頭を撫でて来た。


「いやー奏くんは可愛いなぁ」

 

 よしよしとにやけヅラで頭を触ってくる先輩の行動に、鼓動が早くなる。

 なんだこの人。ここまで距離感が近い人は初めてだ。

 恥ずかしくなった僕は、すぐさま彼女の腕を軽く振り払う。


「やめてください」


「えーいいじゃん、減るもんじゃないし」


「だとしてもです。そうやって気の無い男子に優しくすると、勘違いしそうになるんでやめてください」


「あはは、何それ!」


 ひとしきり楽しそうに笑った彼女は、スクッと立ち上がりグイーと伸びをする。

 気持ちよさそうにグイーと腕を伸ばした彼女は、つま先を僕に向け、期待するような視線を送ってくる。


「ねぇ、また明日もここに来るの?」


「まあ、来ますけど」


「ならさ、明日も来るね!」


 勝手に決めると、彼女は僕の返答も聞かず屋上から出て行ってしまった。

 一体なんだったんだ今の先輩は。

 嵐みたいな時間だったな。


 いきなり知らない先輩が自殺しようとする現場を目撃したかと思ったら、次の瞬間にはものすごい話しかけられて、何故だか明日も会う約束をしてしまった。

 約束というか、一方的な取り決めのような……。


 まあいい。やっと一人になれたんだ。僕は先ほど床に落としてしまった本を拾うと、小説の世界に没入しようとする。

 けれども本の活字は赤黒く塗りつぶされていて、とてもじゃないが読めたものではなかった。


 もうこんな時間か。

 

 夕暮れ空は赤よりも黒の比率が多くなっていて、僕がいつも帰る時間をとっくに超えていた。

 まあいいや。実際、久しぶりに人と話してみて、つまらなかったかと聞かれれば嘘になる。

 子供扱いされて少し腹は立ったけど、それでもすごく嫌だったかと問われると、別にそこまでじゃない。


 そういえばあの人、僕にだけ名前を聞いといて自分は名乗ってない。

 明日にでも聞いてみるか。


 先ほどまでは鬱陶しいと思っていたはずなのに、気づけば僕の心は、あの先輩と会うのを楽しみにしていた。

 僕の人生に一つだけ楽しみが増えると、完全に暗くならないうちに帰宅する。


 家に帰ると、勉強をしてご飯を食べて風呂に入って床に着く。これがいつもの流れなんだけど、今日だけはちょっと違った。お風呂とご飯の、勉強以外の時間、今日出会った女先輩のことを思い出していた。あの不思議な先輩な一体なんなんだと、珍しく他人に興味を抱きつつ床に着くと、小鳥のさえずりが僕を夢から呼び覚ました。

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