第1話

 部屋を出ても、人っ子一人いない。

 どういうこと? ここは病院じゃないの? だったら看護師の一人ぐらい見えてもいいと思うんだけど。


 廊下は一面赤いカーペット。壁には誰かよく分からない人の肖像画が飾られていて、自分が出た扉と似たような扉がいくつかあった。

 入ろうと思ったけど、もしかしたら自分と同じ病室なのかも……そう思うと入る気がしなかった。


「えー……下に行かないとダメ?」


 あまりこの状態で下には行きたくないんだけど……仕方ない。

 背に腹は代えられないもの。最悪誰かに担いでもらえば問題はなし。

 そう思って、廊下の先にある階段を下っていく。

 すると、今度は徐々に人が増えてきた。

 内装も徐々に豪華そうなものから馴染み深いものへ。白い廊下に白い壁紙。

 ソファーが壁際にいくつも並べられていて、慌ただしく歩く人やじっと深刻そうに座っている人もいて様々。


 な、なんか余計に声をかけづらい場所に来ちゃったような気がしてならない。

 どこかに暇そうにしている人はいないかな?


(それにしても、病院っていうのは間違いじゃないみたい)


 どこか設備が古くて昔の西洋風な部分は感じるけど、この匂いと景色と設備は病院そのものだ。

 考えうるに、上は富裕層が使うVIPの病室で、下が主に一般的な病院って感じ?

 今じゃ珍しいぐらいに組み分けをしているね。こんなにあからさまな営利は初めて見た。


(って、そんなことより……)


 とりあえず、暇そうな人を探さなきゃ。

 受付でも行けば誰か教えてくれるかな?

 その時だった―――


『誰か! 誰かユラン様を……ッ!』


 受付近くからそんな声が聞えてきた。

 それだけで病院内が慌ただしくなる。


『おい、今は院長がいないぞ!?』

『他の教授達も今は手術中なのに……』

『誰でもいいから先生を呼んできてくれ!』


 白衣を着た看護師や医者らしき人達がどっかに行ってしまう。

 横を通り過ぎていった際の顔が尋常じゃないぐらい焦っていた。


「急患……?」


 そう思った時、ふと自然と足がそっちへ向かってしまった。

 そして、声のする場所へ足を進めると大勢の人だかりができている。

 私は人混みを分けてなんとか状況を確認しようとした。

 すると、そこには担架に乗せられてやってきた一人の青年の姿があった。


 綺麗な金髪。それでいて、見惚れるような美しい顔立ち。

 美青年というのは、きっとこういう人のことを言うんだと思う。


 ただし―――


(腹部の刺傷……誰かに刺されたのね)


 ……って、そんなことを悠長に考えている暇はない!

 何を考えているのこの人達!?


「どうしてすぐに止血をしないの!?」


 私は慌てて駆け寄った。

 なんか大きな剣を持った人達が傍にいるけど、私は気にしない。


「あ、あなたは……どうしてここに!?」


 白衣を着た人が私を見て驚いている。

 私がどうこうって言う前に、まずはこの人の止血をしなさいよ!


「布!」

「えっ?」

「早く布を持ってきて!」


 私は声をかけてきた医者に指示をした。

 黙って人のことを聞くより、目の前の怪我人をなんとかするべきでしょ!? 誰がこんなこと教えてるの!?

 もしかして、あの人は研修生?

 ううん、今はそんなことどうでもいい……っていうより、遅い!


「そこの人、ナイフ貸して!」


 剣を持っている人に話しかける。

 すると、戸惑ったように腰に携えてきた剣を……って、でかい! ナイフでいいのにナイフで! あと、どうしてそんなに大きな剣を持っているの!? 職質されたらお終いじゃない!

 とりあえず、切れるものならなんでもいい。私はすぐさま自分の袖に切り傷を与えて破った。


(傷は腹部と肺で二か所……)


 私は破いた袖を傷口に突っ込んだ。

 筋肉の収縮のせいで、袖が引き寄せられているような感覚に陥った。


『ねぇ、あの子……?』

『もしかしてルビア嬢じゃないの?』

『まさか、あの青年を玩具にして遊ぼうとしているんじゃ……』


 周囲からそんな声が聞えてくる。

 そんなことを話していないで早く医者を呼んできてよ! 本当に!


「ルビア嬢、一体何を……」


 横にいる剣を持っていた人が声をかけてくる。


「止血よ、止血! あなた達が止血もしないで連れて来るから私がしているんでしょ!?」


 逆にこれだけ血を流してこの人は生きているものだ。

 入り口からここまで流れている血を見ただけで、どれだけ失ってきたのかが分かる。

 きっと、近くにいたからまだ助かっているんだと思う。

 でなければ、この人はとっくに死んでいる。


「はっ……はっ……」


 ふと、青年の息遣いが荒くなっているのに気づく。


(しまった、怒鳴っていたせいで見逃してしまった……ッ!)


 Tension Pneumothorax(緊張性気胸)。

 空気が胸腔内から抜け出せず、胸腔内圧が生じて呼吸困難を引き起こす現象。

 肺を刺されたせいで彼の胸部の内圧が上昇してしまっている。


「だ、大丈夫なんでしょうか……!? なんか様子がおかしく!」

「分かってる!」


 こんな危険なことを見逃してしまったのは私の落ち度。

 対処するには……ッ!


「布、持ってきました!」

「それよりも、ペンみたいなの持ってない!?」

「え、えぇ……羽根ペンなら」

「早くそれを渡して!」


 私は現れた研修生? らしき人から羽根ペンをもらうと、先を折ってさっきの剣で尖らせる。


「こ、こら! 何をするんですか!?」


 そして—――


(あばらの下を切る!)


 あばらの下を切ることによって内部に溜まった空気を出す。

 これで肺や心血管の圧迫が解除されて危険な状態から脱出できるはずなんだけど……!


「…………」


 青年の呼吸がゆっくりと安定し始めた。

 どうやらショック状態からは抜け出したみたいね。

 かといって、まったく安心できるような状況じゃない。


「う、嘘……」

「落ち、ついた……?」


 横にいる剣を持っていた人と研修生の人らしき人が驚く。

 ……大学やここではこんなことも教わらないの? っていうより、呆けている場合じゃないでしょ。

 早く医者が来て今すぐ手術しないと、この青年は間に合わな―――


「おいっ、患者はどこにいる!?」


 その時、人混みの中から白衣を着た男の人がやって来た。

 見る限り若そうな人。だけど、さっきの人達みたいに研修生のような空気は感じなかった。

 多分、この人がちゃんとした医者。


(よかった……って、いたっ!)


 安心してしまったからか、自分のあばらが折れていることを思い出した。

 大声も出して無茶して体を動かしたから痛みがぶり返してる……ッ!

 ま、まずい……これ、意識が……飛び、そう……。


「どうしてここにルビア嬢が? いや、それよりもこの処置は……」


 若い医者の声が徐々に薄っすらとなってきた。

 ……だけど、もうちょっとだけ頑張って私の体。


「肺と腹部が刺されて、今、ちょうど、止血が終わって……緊張性気胸を起こして……いた、ので……応急処置を……」

「ッ!? どうしてあなたみたいな子供が処置を!? い、いえ……今はそんなことを気にしている場合ではありませんね」


 報告が終わって、ようやく心の底から安心した。

 すると、全身の力が抜けていくような感覚に襲われた。

 あぁ、これは分かる―――


「ありがとうございます、ルビア嬢。適切な処置に感謝を!」


 ―――その言葉を最後に、私の意識は途絶えてしまった。

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