第15話 水の精霊

 川に近づくにつれて、心を潤してくれるような水の音が辺りに響く。思わず駆け寄りたくなってしまう涼やかな音だ。


 実際に走ると木の根っこあたりに躓いて転ぶのは目に見えているので、我慢しておいた。


「どうしてここに連れてきたの?」

「この世界を信じて感謝をする――、今の君には難しい。この場所なら安全だ。ここで……この世界を感じてほしい」

「……私に昨日も今日も付き合っていて大丈夫なの?」

「ああ、両親も理解してくれている」

「そっか」


 彼と一緒に大きな石に並んで座った。


 静かな森の中のあちこちから鳥のさえずりが聞こえる。見上げると小さな白い花が咲いていて、そんな花木に囲まれていた。


 この世界……か。元の世界との違いがないと郷愁を感じてしまう。


 レイモンドが軽く杖を動かして、合わせるように水面が揺れた。


 どこからか、鳥とは違う鳴き声が聞こえた気がする。鈴の音のような……コオロギやマツムシのような昆虫かな。

 だんだんと大きくなって――、まるでオーケストラのようだ。


 え……と、怖いんだけど。


 助けを求めるようにレイモンドを見ると、彼の手の上には――、


「ち……蝶々?」


 青い鱗粉を撒き散らしながら、青く光る何かが羽をひらひらと揺らして飛んでいる。


「水の精霊だよ。君に存在を認めてほしいようだ。姿は通常見せないけどね」


 ひらりひらりと、どこからか幾千と飛んでくる。


 人間とは違う存在なんだと感じる。クリオネに羽が生えた生物のようだ。宇宙人のように目はくりっとして……でも感情は読み取れない。

 昆虫に近いようにも思える。


「善も悪もない存在。でも自分たちの力を後ろめたさを持って使ってほしくはない、それくらいの意思は持っているよ。この世界を愛し、愛されるためにいる子たちだ」


 青い光が周囲を満たしていく。撒き散らされた鱗粉が、そこかしこに舞っている。


「いつだってそこにある。彼らの祝福が」


 レイモンドが私の両手を持つと、器のような形にした。


「水をここに」


 精霊に話しかけるような声音に、青い鱗粉が集まり……水に変化した。


「すごい……飲めるの?」

「はは、飲んでみたらいいよ。もっと水をとお願いしてみて」


 甲高い笑い声のような音を出す精霊に、夢を見ているような気分で声をかけてみる。


「水……飲んでみたいな。もっと欲しいな」


 突然、精霊がわちゃわちゃと手の中に直接集まってきた。


「わ、わ、わ……」


 彼らが飛び立つと、手の中には並々と水が注がれている。


「の……飲んでいい?」

「もちろんだよ。そのために精霊たちは君の手に集まったんだ」


 そっか……飲まないと逆に失礼になっちゃうかも。


 一口飲むだけで清涼感が体を満たしていく。なぜか、この世界の住人に近づけた気がした。


「冷たくて美味しい」

「だって。よかったね、精霊さん」

「あ、ありがとう」


 お礼の言葉に呼応するように、また音が大きくなる。


「この鱗粉のような……精霊さんの残り香? を集めて魔法を使うの?」

「ああ。今、君も使っただろう?」

「え……」

「水が欲しいってお願いして、手の中に水が現れた。立派な魔法だ」

「そ……」


 そうなのか。そういえば幼児でも使えるんだっけ。そっか……小さい子はこうやって使うのか。


「精霊が直接君の手の中に来たのは……さっき魔女さんに触れられたからかもしれないけどね。突然この世界に現れた君への興味なのかもしれないし、両方かもしれない」

「どうして姿を見せてくれたんだろう」

「それも同じ理由かな。安心できるこの地にいて、魔女さんと会っていた君に存在を認めてほしかったのかもしれない。君への信頼と……同情?」

「同情はなんだかなー……」

「彼らの思いは分からないよ。でも、ここに来れば姿を見せてくれると思っていた。見ることができれば、信じられるからね」

「レイモンドも……何度も見たことがあるの?」

「最近はなかったかな。……昔ね」


 昔……ストレスか何かを抱えていた頃かな。魔女さんに見せてもらったのかもしれない。

 ……魔女さんのせいで余計なことを考えちゃうなぁ。白髪混じりのレイモンドとか、想像したくないんだけど。


「もう少し他の精霊にも姿を現してもらおうかな。本当は小さな頃から当たり前にある存在として見なくても信じられるんだけど……君には難しいだろうから」


 そう言って立ち上がると、座る私に手を差し出した。


 この世界についてはまだよく分からない。でも……彼が連れていってくれる場所なら行ってみたいと思いながら手を重ねた。

 

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