魔石と王子と探索屋

浅川瀬流

王子の脱走

「はぁ……やってらんねぇ……」

 ミンスは机に突っ伏した。その丸い机の上にはなにやらたくさんの資料が広げられていたが、彼はそんなことおかまいなしである。


「ちょっと、ミンス様。やる気出してください」

 そう注意したのは、そばに立っていたライムートだ。ミンスの護衛騎士である彼は頑丈がんじょうな防具に身を包み、腰には剣をたずさえている。

 ライムートは大きなため息をつくと、ミンスの対面に腰を下ろした。こめかみに指を当て、疲れ切った様子だ。


 ミンスはそんな彼をチラッと見やる。

 護衛なのに何しれっと座ってんだ、こいつは。

 ライムートのすねを軽くってみると、「いたっ」という小さな声が二人しかいない室内に響いた。


「……なあ」

 ミンスがのんびりと声を出す。

 脚をさすっていたライムートは座ったままの状態で背筋を伸ばした。

「はい、なんでしょう」

「なんでライムート一人なわけ? あとの二人はどうしたんだよ」

 護衛騎士に加え、今日は側仕そばづかえにも会っていない。兄上たちの周りには、これでもかというほど人が群がっているのに。この差はなんだ。


「そんなの決まってます。ミンス様が手に負えないからですよ」

 ライムートは即答し、肩をすくめた。

 体を起こして腕を組んだミンスは、その言葉を反芻はんすうするように何度もうなずく。なるほどなるほど。


「え、なんか納得されてますけど、あなたが原因なんですよ?」

 主人の様子に目を細めたあと、ライムートは再びため息をついた。

「わかってるよ。で、ライムートが残ってる理由は?」

「俺があなたより強いからです」

 これまた即答。

 はっ、とミンスは鼻で笑った。

「自信満々だな」


「ええ、だってミンス様に負けたことないですから」

 ライムートはミンスより三つ上の二十歳。訓練校では、年上の訓練生や騎士たちを次々と打ち負かしてきた。剣術だけでなく、頭も良いし、魔法の使い方にもけている。


 ミンスはこんな態度をとっているが、そんなライムートのことをなんだかんだ尊敬していた。本人には口がさけても言わないが。

 そういうミンス自身も、同世代の騎士たちよりずっと強い。そのため、彼よりも強い者が護衛にならなければ意味がない、というわけだ。


「ほら、早く続きしますよ」

 そう言ってライムートは散らばった紙を丁寧に集める。机の上で紙束をトントンッとそろえると、眼鏡を押し上げるような仕草しぐさをし、キリッとした瞳を向けてきた。知的でしょ、とでも言いたげな顔だ。


「いいですか、この国の王子たるもの、人の名前を覚えてください」

 騎士ではなくもはや教師と化した彼を、ミンスはあきれた表情で見つめた。椅子を前後にゆらしながら「最、難、関、だな」とこたえる。


「しっかりしてください。折角せっかくこうして似顔絵も描いていただいたんだから。えーまず、この間王宮に来た薬師の名前は?」

 えっと……ミンスは目を閉じて首を傾げた。とりあえず考える風をよそおう。まあライムートにはミンスが思い出そうとしていないことなんてお見通しだろう。様子をうかがうために片目を開けると、彼は何度目かもわからないため息をついた。


「フォルスターです。はい、次、ゼリン様と一緒に植物研究をしている学者は?」

 ミンスが再び考える体制をとろうとすると、ライムートはそれをはばむかのように勢い良く言葉を発した。

「ドルチェイルです! はい、次! マーズレン様の婚約者は?」

「あーなんだっけなぁ……たしか、マなんとかだよな。頭文字が同じだからそこだけ覚えたぞ」


 得意顔をするミンスに、ライムートはあっけにとられて固まる。ミンスがまた脛を蹴ると、ハッと意識を取り戻した。

「はぁ……もう嫌だ。なんでそんなに名前覚えられないんですか。せめてお兄様の婚約者だけは覚えましょうよ。マリアーヌです!」

 名前がズラッと書かれている用紙を、ミンスの顔に突き付けた。


 紙を受け取ったミンスは、不快なものを見たかのように顔をゆがめる。本を読むのも書類を読むのもあまり得意ではないのだ。文字を見えなくするためそれを丁寧に折り畳み、ライムートにさっと返した。

「直接関わるわけじゃない相手を覚えろという方が無理だ」

 腕だけでなく脚も組んだミンスは無理無理と大げさに首を振る。


「お兄様が結婚したらこれから何度も顔合わせるじゃないですか!」

 ライムートが身を乗り出して批判すると、ミンスは目を丸くし、「たしかに」とあっさり認めた。

 この王子は本当に人に興味がない。

「名前はまあ……とりあえずおいておくとして。地理いきましょう、地理」

 ライムートは紙束から地図を取り出し、机に置く。

 簡素な地図だな、とミンスは心の中で嫌味っぽくつぶやいた。


「えー、この国には五つの街があります。どこがどこだかわかりますか?」

 ライムートの問いに対し、ミンスは一つひとつ指をさしながら間髪かんぱつをいれずに回答していく。

 フーデルフォン、ギルドア、コリード、シャルドネ、バイス。

 淡々たんたんと街の名をあげるミンスに、ライムートは目を見張った。


「す、すごいです、ミンス様! 覚えられるじゃないですか!」

 盛大な拍手をしてきた。

 こんなことぐらいで何をそんなに喜んでいるんだ。

 はぁと息を吐き出したあと、ミンスはニヤリと笑い、口を開く。

「旅商人が色々教えてくれるからな」


 それまで拍手をしていたライムートは、ミンスの発言にピタリと手をとめ、言葉を繰り返す。

「旅、商、人……?」

「脱走したときに街を回れるだろ?」

 そんなミンスに、ライムートは「なるほど……?」と笑顔を向けた。その笑顔の奥には炎が見えるような気がする。メラメラとした真っ赤な炎だ。


「最近はだんだん短時間で捕まえられるようになってきましたから、街を散策さんさくする時間なんてもうないですよ?」

「そうだな、俺ももっと長時間逃げられるように頑張るわ」

 ミンスはそう投げやりに告げると、おもむろに椅子から立ち上がり、長椅子に寝転がった。

 相変わらず固い。そうだ、ふかふかのやつを探しに行こう。次なる脱走目的を思い付いたミンスは、頃合いをさぐることにした。


「ミンス様、もう休憩ですか?」

「おう、ライムートも寝てていいぞ」

「今、護衛騎士が俺一人なのに、寝るわけないじゃないですか」

 ライムートはあきれたようにこぼすと、机に突っ伏した。その瞬間を狙い、ミンスは声を出す。


氷結ひょうけつ


 すると、ライムートは一瞬で氷づけになった。固まったまま動かないのを確認し、ミンスはすぐさま長椅子付近の窓を開ける。窓枠に脚を乗せ、勢いよく植木に飛び移ったとき、氷がパリンッと割れる音がした。


 早すぎだろ。

 ミンスが思わず振り返ると、ライムートの手の上では炎がゆらめいている。でも、こんな王宮で火の魔法なんざ使えない。

 そんなことわかっています、というようにライムートは笑った。怒ると謎に笑顔になるのだ。ミンスはあわてて樹から降り、庭園内に入っていく。


風爆ふうばく!」


 ライムートが大声で叫ぶと、ミンスの目の前で爆発が起こった。ミンスはその衝撃で尻もちをつく。ライムートはその隙に窓から華麗かれいに飛び降りた。

「逃がしませんよっ!」

「……! 氷陣ひょうじん!」

 追いかけてくる優秀な護衛を阻止するため、ミンスは辺り一面を氷つかせた。


 全速力のライムートは滑って思いっきり転ぶ。そのあまりに情けない転びように、ミンスはふき出した。

「くははっ、かっこわるいぞー」

 立ち上がろうともがくライムート。ミンスは盛大にあおりながら、街中へと逃げていった。

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