第十八話 人間が好きで、大嫌いだったー随分と無茶をする



 疾風は荒れていた。神無月はとうに越えているのに、獣を喰らい、がつがつと理性なく故郷の山をうろついていた。

 人々は疾風の姿を目視できず、疾風もまた姿を現そうとしない。意識的に現す行為は出来るのに疾風は避けていた。兎や鼠、鹿を貪り、血をべったりと虚空や喉元。腹に垂らしていた。

 血肉を幾ら食っても、喉が渇く、何かが渇く。何を得れば乾きが満たされるのか、疾風には判らなかった。


「これはまた壮絶な匂いだな」


 いつもの多重の声。存を見つけるときに契約した悪魔の声だった。

 声だけの存在に、疾風はぎょろりと目玉で当たりを窺い、飢餓状態の獣じみた声で唸る。


「天狗は確か僧でもなかったかな? 生臭だな」

「……何しに来た」


 疾風の声は茫然としていて力がわいていない。何も力も生命力も込められていない声だった。

 あのとき、疾風はどうして否定できなかったのか判らなかった。大事だと思うし、守りたい。幸福にしたい。でもそれはかつての親友への気持ちだったからだと言われれば否定できなかった。

 改めて親友と存が別人だと思い知る。仲の詰め方など判らない。親友ではないのなら、もうわからないと疾風は空しかった。


「大丈夫だ、疾風。気に入らなければ、存を親友の形にしてしまえばいいんだ。かつての君の友とまったく同じ形にしてしまえばいい」

「おなじ、かた、ち」

「そうだとも。君の好きな形にくりぬいてしまえばいい、クッキーのように」


 悪魔の言葉に疾風はぽかんとした後に、口元をべっとりと血で濡らしたままにたりと嗤った。



 存は寝付けなかった。疾風がいなくなってからの数日、どうして傷付く言葉を与えたのか、自分でも自分が許せなかった。

 疾風は何があろうと守り続けてくれていたのは事実であったのに、へそをまげたのは勝手なことだ。自分本位の考えだ、と存は朝焼けを眺めながら思案した。

 あれから、二週間ほど経つ。ご飯が気に入らないからでもなく、家事が大変だからでもなく。一人分減った空間が寂しくて、存は寝付けない頭で窓を眺めた。


「……おれは、何を望んだんだ」


 存は自分自身がどんどん掴めなくなっていく。アルテミスに大事だと言われたときは暖かくなったのに、疾風に大事だと最後に言われたときは胸が締め付けられた。

 疾風の感覚を理解してやりたい気持ちと一緒に、壊してやりたい傷つけてやりたいそのうえで己を刻みたい気持ちになった。

 まるで破壊衝動だ、と存は顔を顰めて欠伸を殺す。

 ゆっくりとベランダに近づき、かららと扉を開けば出てみる。

 ベランダに出れば、道路の方に疾風の姿が見え、疾風は存へ壊れた笑みを浮かべた。

 ぞっとした思いに存は小首傾げ、疾風の名前を告げようとすれば、朝焼けを背に疾風は飛んで近づき。そうっと存の頬に手を伸ばして、何か唱えている。


「なあ、戻ってくれよ」


 疾風の声に理性はなく。疾風は涙じみた声に、悔しさを込めていた。

 疾風の手が触れると頭がふわふわとしてく。何か頭に靄がかかっていく。ぽやんとした頭で存は疾風を見つめていると、部屋の扉が開く音が響いた。


「存さん! !? 疾風さん、どうしたんですか! 魔性に染まっている!」

「ま、しょう」

「存さん、とりあえず此方に! 今の疾風さんは多分危険です、よくない物に染まっている!」


 アルテミスは存を引っ張り、部屋に慌てて戻せば扉を閉め鍵をかけ。カーテンを閉め切ってから、存の頬をぺしぺしと叩く。幾度も叩かれているうちに、存はアルテミスの腕の中でぽやんと意識を取り戻した。


「あの人何かに唆されてます、魔性の気配がします」

「魔性って、なんだ」

「悪魔の欲の力です。普段は疾風さんって五月蠅いほどに神様に愛されていて、神様の気のほうが強いんですよ、加護を受けているんです。でも、一切しない今」

「悪い疾風ってこと、か?」

「そうです、格ゲーのツーピーカラーみたいなものです。今までの疾風さんと同じだと思わないでください、此処はまずいな……粉雪さんに連絡とれるかな」


 アルテミスはスマホを起動すれば慌ててメッセージアプリにて粉雪に連絡を取る。粉雪といえば、弓の母親の名だ。何故連絡が取り合えるのかと驚いている存へ、アルテミスは「後で!」と示し弓を抱える。

 弓はすやすやと眠っていて、アルテミスが抱えれば寝顔はあどけなかった。アルテミスに存はついていき、一緒にエレベーターではなく階段から下りて下に着けば目の前に疾風がいる。

 疾風はにたらにたらと嗤っていて、瞳が狂気じみた光を点していた。


「おいで、存。お前をちゃんと作り替えてやるよ」


 疾風の言葉は多重に響き、ぼわんぼわんと広がっていけば気付けば一同は雪山にいた。

 疾風の故郷の山が雪に吹雪かれている様子で、疾風はにこにこと一同を見つめる。


「まずいな、雪雲で雷が呼べない」

「この前みたいに炎は出せないのか」

「あの魔力はきっちり葉月にお返ししたんですよ、キスしたときに。貰っておけばよかった!」


 アルテミスは黒剣を異空間から抜き出せば、疾風へ斬りかかる。弓のことは存へ預けて、存を隠すような動きで疾風を狙い打つが、疾風は楽しげに錫杖を振りかざし。山に纏わり付く雪が氷柱となり、アルテミスを狙っていく。


「あーもう、何処かで見た光景ですねえ! オレは氷に縁がありすぎる!」


 黒剣でアルテミスが氷を弾いていき、氷柱がひたすらアルテミスにじゃれついていく。アルテミスは氷柱の相手で必死だった。

 その間に疾風はアルテミスを氷柱に任せて、存へ手を伸ばす。


「さあ、こい。おいで」

「疾風……だめだ、今の疾風は駄目だ」

「どうして」

「今のお前を受け入れたら、お前は永遠に戻ってきてくれない気がする」

「……戻ってこないのは、お前の方だろう、存」


 悲痛な呼びかけに、疾風の思いの大きさを知る。疾風にとってどれほど、その親友が大事だったかを思い知り。存は改めて、じわじわと苛立ちが滲んでいく。


「そんなお前嫌だよ」

「どうして。どうして。お前を幸せにするんだ、お前の幸せを見届けるんだ、それにはお前は要らない。お前たちは、要らない」

「滅茶苦茶じゃねえか、言ってる言葉! お前はどうしたいんだ!」

「……あの頃に、戻りたいんだ」


 存はいつも、言葉の裏で物事を判断していた。しかし、今の疾風は正直判らなかった。

 疾風の本音のような気もするし、疾風にとって拒否したい願いのような気もした。

 その一瞬の惑いにつけいろうと、疾風は存へ向かって。錫杖の切っ先を刺し抜こうとした。


 刹那。


「勝手に押しかけて置いてよく言うわ、ヤンデレ天狗」


 びゅおっとひときわ強い吹雪が巻き起こり、疾風と存の間に女性が現れる。粉雪だ。

 久しぶりの再会のはずなのに、存に負けず劣らず美貌と老いの鈍さに、存は思わずこんな状況だというのに見惚れた。

 存を振り返りにこりと暖かな眼で頬笑んだ後に、粉雪は疾風を蹴り飛ばし遠くへ飛ばした。


「大丈夫ですか、お前様」

「……粉雪。お前……人間じゃ、なかったのか」

「騙していてごめんなさい。私は雪女の一族です、ずっとお前様を見守っておりました、自殺しようとしたあの日から」


 粉雪は端的に事情を説明すれば粉雪は疾風と戦い続ける。疾風と粉雪は体術で互いにいなしながら、氷柱を向け合っている。

 やがて頃合いを見たアルテミスが、詠唱を唱え、疾風が粉雪との戦いに夢中になってる合間に一同を山小屋へと送り込んだ。

 一瞬でのワープに疾風は取り残されることとなる――山小屋に着けば、存は弓へ布団をかけてやる。弓は魘されているが暖かい呼吸で眠っている。

 存は改めて粉雪を見つめる。


「どうしてずっと……」

「どうしてばかりね。判りませんか? お前様が大事だからですよ」


 またしても響く大事という言葉。

 存はそうか、としっかり認める。この言葉が好きなのだと。今まで身に染みたことのない言葉は存にしっかりと根付いていく。


「お前たちの、大事、は……好きだ」


 存は長年何か、「大事」な存在を作る行為ができなかった。その度に信じられない人生観が襲い、誰を責めることもできず。自分すらも手放し、誰をも見棄ててきた。

 ここに居る人は手放せない。疾風も本当は手放せない人だ。だからこそ、その親友とやらが嫌いなのだ。自分より大事そうだったから。


 存は少しだけ、欠けた人間性が埋まる感覚へ、身が震え口元を押さえた。

 粉雪は存の様子へ驚き、長年自分が出来なかった行為をアルテミスと弓、疾風ができたのだと実感できれば存を抱き寄せそっと抱きしめて頭を撫でるのだった。




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