第九話 この体温はぬるま湯のようで2ー親子愛の芽生え




 連れ去られた場所は真っ暗い。恐らく山の中にある屋敷だ。

 弓は意識を取り戻すと、辺りを窺って状況把握に努めた。

 まだ縛られてはいないけれど、下手に動き回れば危険な気がした。

 化け物には化け物を宛がおうと、弓はそっとランドセルからコンパクトミラーを開いた。粉雪がいつも、何かあれば此処へ繋げて助けを強請っておけと言っていた。得に存の周りをうろつくようになってからは、念入りに口を酸っぱくされて言われていた。

 鏡の主には代金は事前に払ってあるから助けを求めるように、との言葉も事前に聞いていたので改めて鏡の中に声をかける。


「黄金さま、黄金さま」

『まあ、粉雪様の愛娘かしら。そんな可愛らしい窓から顔を出すなんて、よっぽど今が危ないんですのね』


 蜘蛛の巣が鏡越しに映れば美しい女性が徐々に見えてくる。女性は化粧直しをしながら、ぱちんとアイメイクをし続ける。


『お前は存様の縁者でもありますわね? でしたら早い解決法を教えてあげる。存様の縁者は糸で繋がっているの。指先に傷をつけておきなさい』

「糸? 父様は赤い糸を持っていたわ」

『ならお前にも何か違う色の糸があるはずよ、お前の縁者たちには連絡しておきますわ、あとは助けをお待ちなさい』


 遠回しに言わず直接的に言って欲しかった弓だが、直接的に言われれば何となく、意識しすぎて糸が現れない気がしている。

 小型のソーイングセットを取り出せば、弓は針で刺し指先に赤い血を垂らし、考え込む。糸を意識する。簡単には出てこないので、この場は諦める。

 弓はコンパクトミラーをランドセルにしまい込む。しっかりと落とさないようにランドセルの奥へと入れておく。

 意識の取り戻していない周りに居る子供達を起こした方がいいのか悩んだが、此処は下手に起こさない方がいいと弓は企てる。

 そうっと部屋を出ようと床を這いつくばり、辿り着いたドアらしきドアノブに手を伸ばすと、ぎいいと古い扉独特の音を立てて開いた。


「早く父様のもとに帰りたいの、早く、早く帰して……」


 産まれて初めて味わう恐怖に弓は怯えながらも、歯を食いしばって立ち上がり、そうっと部屋を出て行く。廊下は暗いが、二階にいるのだと判る。窓を見れば空はどんよりと曇っていて、森の中。だとしたらやはり、山の中だ。

 これから先をどうしようと弓が考えていれば、窓ガラスに映る男。刹那振り向けば、喉元を抑えられ空中に衝き上げられる。

 虚空を足が泳ぎ、必死に抵抗する弓。


「さアて、お楽しみの時間は聡明なお嬢サンからにしまショウ。赤いのと、青いの、何方が良い?」

「……っかは!」


 喉から酸素が驚くほど出ていく、体が苦しい。喉が熱くて痛い。

 弓は生まれて初めて死を意識し、脳裏に過った父親に涙が溢れる。

 一目会いたかった、あの赤い糸に助けて貰いたかったと、涙の雫がこぼれ落ちた刹那、弓の体にぶおんと青い糸が広がる。

 青い糸は男から弓を引き離し、弓の周りで浮かびながら発光する。

指先から滴るのは赤い糸ではなく、血液の代わりに糸が繋がり、青い糸をぶおんぶおんと弓の周りで男から守るような動きを見せている。

 父親と同じ能力だと弓は喜べば、男を青い糸で囲う。だが男には何も起こらず。男は糸を千切った。


「なんで……」

「お嬢サン、面白いネエ、私と此処で暮らしてみまセン?」

「嫌よ、ボクはみんなと暮らしたいッ。だらしないけど美しすぎるとうさまに、世話焼きのアルテミス。料理の美味しい疾風とがいい!」

「お嬢サン、そんな……ならやっぱり、予定通りで。貴方はきっと、青いのが似合います」


 男は弓に手を伸ばす、刹那、窓ガラスから足が割り込んできて、窓ガラスを蹴破りながら存が現れる。

 弓から少し離れていた窓ガラスは飛び散り、存は弓の存在を見つけると疾風を呼ぶ。


「おじゃまします。他にもいるようだ、行ってこい」

「アルテミスに任せてる、一階から僕たちは行く! 弓をしっかり守ってやれ! お前の御姫様だろ!」

「そうだな、随分安っぽい劇に呼ばれたようだが、うちのお姫様の出演料は貰わないとな、怪人マントさんよ」


 存は眼に怒りを点すと、男へガラスを蹴破った足から流血している血を使い、そのまま糸をしめ縄へと仕上げていく。

「お通りください……どうぞ、地獄までッ」

 しめ縄へ仕上げると、太くてでかい存在でもって男へ嬲りかかった。

 足を蹴るように浮かせば、赤いしめ縄は重い動作で男を叩きつけようとする。弓はその間に、存の後ろへと駆け寄る。


(やっぱり父様は世界一美しくて強いんだ)


 弓は状況を忘れながら存の様子に見惚れる。

 存と男は肉弾戦で争い、やがて男が弓を狙う仕草に釣られた存。その隙を見て男は存の首元を掴み、腹部へ腕で貫いた。

 獰猛な動きに悲鳴をあげた弓の五月蠅さに、男は嗤い存を一階へとたたき落とした。

 階段を崩す程の力で叩きつけられ、存は血反吐を吐き、その場に蹲る。

 アルテミスと疾風はやっと屋敷の鍵をこじ開け、全身から流血している致命傷の存へと駆け寄る。


「存! くっそ、アルテミス、存を守れ!」

「嫌ですよ、オレも向かいます! 死なば諸共でしょう、オレたちは運命共同体みたいなものでしょう!? 冷たいですよ今更突き放すのは!」


 アルテミスは黒剣を振りかざし、男へ斬りかかる。疾風は肉弾戦で男に襲い掛かる。

 それでも男はひょいひょいと逃げながらも余裕そうである。

 悔しくなったり青ざめたりした弓は、一階へ飛び降り、青い糸でクッション代わりに衝撃を和らげて存の元へ駆け寄る。


「死んだら、死んだらいやああ、とうさまああ!」

「はは、お前、お父さんじゃなくて父様って呼び方が馴染んでるのか。……そっか、おれは親だもんな……」

「とうさま、とうさましっかりして!」

「大丈夫、弓のことならあの二人が守ってくれる。おれはお前より価値がないから、いいんだ。お前が生きるならこれが正しい」

「とうさま……?」


 存の体は震えている。体温はどんどん冷たくなっている事実に気付けば弓は一気に驚く。

 存は体を震えさせ、弓へと破顔した。

「おれは大丈夫、怖くないよ。死んでも大丈夫。怖くないんだ、本当だ、弓」


 存はぶるぶる震えながら弓へ告げている。

 常日頃、弓は存の口癖を知っている。表に出ている言葉の裏が本音だと。

 存はきっととても怖いのだろう恐ろしいのだろう、それでも自分の為にと弓は一気に眼から涙をぼろぼろと落とした。


(いやだ)


(やめて)


(奪わないで)


(嫌なの大好きなの!)


 弓は本能的に、青い糸を揺らめかす。

 青い糸を揺らめかせれば、青い糸は存を包み込んだ。

 繭のように存を包み込めば、弓は大きく泣き叫ぶ。


「絶対嫌! 父様に価値がないわけがないの!」


 弓の大きな叫びによって、存を包んでいた青い糸はぶちぶちっとはち切れ、存の体に神聖の輝きが灯る。

 存の体は青く発光し、傷が癒えている。存は男へ腕を向ける。

 男は流石に疾風たちとの格闘をしながら存へ意識する行いはできないようで。


「弓、お前……いや、それどころじゃないか。……昔から、あの怪人を追い払うには、〝紫〟が一番いいんだ、昔から紫は魔除けなんだ」

「父様はあの人が誰だか判るの?」

「わかる。とても、おれたちの色が効くのも。弓、おれの糸に絡ませて。あの男を狙うんだ。あの男だけだよ、いいな」

「……ッうん!」


 存は弓を抱きかかえると、弓の腕を一緒に男へ向けて。ふおんと床に垂れていた存の血液で赤い糸を生み出せば、弓も指先から青い糸を絡ませていく。次第にそれは紫色のしめ縄へとなっていく。

 弓と存は、二人で人差し指を男に向け。


「さあ――! お通りください」


 存の合図で、紫のしめ縄は男に飛びつき。ぐるんと巻き、リボンのように結ばれれば、男は飛び散った。


 いや、血液も仮面もない。消え去ったのだ。魔性を消し去った。


「なんだ弓、あの力!?」

「わ、わかんないの、ボクも無我夢中で!」

「親子の連係プレーじゃねえかよ!」


 疾風の言葉に、弓は存と顔を見合わせ、弓は存に抱きつく。


「父様、父様あ!」

「……頑張ったな、弓。有難う」


 存の言葉は、初めて父親らしい褒め言葉で。弓は心からの破顔を浮かべた。

 同級生達は気絶したままだったので、そのまま疾風に送って貰い、夢だったのだと騙すこととした。

 弓にとってでさえ辛い非日常を、思い出さなくて済むならば、出来ればそうしてあげたい弓だったのだ。






「さて参ったな。あの情報は、本当に。心からの親切で天狗にあげるつもりだったんだ。切り札として」

 眺めていた悪魔は、一同の暴れによって潰れた屋敷の中を歩き、ぼろぼろの廃墟を見つめる。


「あれは、生命の糸。死人をも生き返らせる糸だ。中々珍しい。ずるいよ、完全に予定外さ! なんて美味しそうな魂なんだ! なるほど、存の魂は面白い物を呼び寄せる」

 悪魔は瓦礫に触れた手をぱんぱんっと払いながら、家具に腰掛ける。家具へと腰掛ければ、アルテミスがやってくる。


「なんですか、こっちは疲れてるんですよ。事件の後片付けで手一杯だ、見てください、手首もひりひり真っ赤」

「やあ、そんなに邪険にしなくてもいいんじゃないかな。君の待ち望んでいた情報だよ」


 悪魔の言葉でアルテミスの雰囲気はがらりと変わる。

 悪魔は遠くの空を見て、嵐の予感がした。


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