4-3

「はい、今日の分」


 一緒に朝ごはんを食べたてんが私にカップを差し出す。中にはでろんとした深緑色の物体。煎じたイノチグサだ。


「……ありがとう」


 味覚はとっくに失われているから本当は苦みも感じない。だから嫌でもなんでもないのだけれど、わざと嫌そうな顔をして受け取る。

 湯気がでていないことを確認して一息に飲む。触覚も鈍ってきていて、もうカップを持っても熱さがわからなかった。だから目でみて温度のあたりをつけるしかなかった。

 

「えらい、えらい。はい、あ~んして」


 飲み干したのを確認した天が笑顔で飴玉を摘まんだ手を私に向ける。

 

「もう。自分で食べるからいいよ」

「いいの。ご褒美なんだから。どう効いてる感じする?」


 渋々ながら口を開けると天が綺麗な色の飴玉を一粒口に入れてくれる。周りのお客さんの生暖かい目が痛い。


「うん、少しずつだけど体のだるさも取れてきた」

「よかった」


 そう言って嬉しそうに笑う天。イノチグサを持って帰ってきてから天は薬探しを止めた。泊まりの仕事を引き受けることも止めた。毎朝、私と一緒に朝ごはんを食べて、食後にイノチグサを煎じたお茶を飲むのを確認して、ご褒美といって飴玉をくれる。そして私を薬屋に送ってくれて、帰りは必ず迎えにきてくれる。

 私は毎朝苦いふりをして、毎朝体調が良くなったと嘘をつき続けている。


「じゃあ、また帰りにね」

「うん、ありがとう」


 繋いでいた手を離して天が手を振る。朝送ってくれる時も、夕方迎えに来てくれた時も、天は必ず手を繋ぐ。私も手を繋ぐのが嫌とは言わなくなっていた。天の手の温かさはもうわからなかったけれど、でも天の手は私を安心させてくれた。

 天を見送って私も薬屋に入る。と、そこまでは覚えていたのだけれど、次に気が付いた時には薬屋の入り口で倒れていた。慌てて時計を見ると一時間が過ぎていた。


「とうとう来たか」


 不思議と焦りはなかった。来るべきものが来た。そう思っただけだった。

 薬屋は開けずに銀朱ぎんしゅからもらったノートと次の薬師のために用意しておいた手紙をカウンターに置く。今、薬屋にある薬や、季節ごとに必要な薬、薬を届けている患者さんや村の人の持病をまとめた手紙だ。ないよりはましだろう。

 

 残りの二つの手紙を掴んで薬屋をでる。一通は烏羽からすば宛て。私の回収をお願いする手紙。もう一通はバードック薬師協会の青藍せいらんさん宛て。タイム村へできる限り早めに次の薬師を派遣してくれるようお願いした手紙だ。

 

 郵便屋に寄って手紙をだすと、そのまま村の出口に向かう。あんず亭の部屋はいつこうなってもいいように毎朝整理してからでてきていた。戻る必要はない。

 挨拶をしたい人、お礼を言わないといけない人は山ほどいる。でも、会ったところで何も言えない。全部の非礼を心の中で詫びながら、私は散歩にでも行くような顔でタイム村をでた。

 

 村をでたらすぐに街道から外れる。山小屋のある常盤ときわの森へ行くなら街道沿いに歩くのが一番早いし安全だけれど、それではきっとすぐに天に捕まってしまう。

 烏羽への手紙が王都に届くには一週間以上かかる。それから烏羽たちが山小屋に辿り着くまで更に時間がかかる。時間の余裕はある。急ぐより見つからないように山小屋に向かう方が大切だ。

 

 常盤の森に入ってからもわざと遠回りをした。時々意識が途切れて、目覚める度に流れるはずのない冷や汗を感じた。山小屋へ辿り着く前に停止するわけにはいかない。とはいえ、天に見つかるわけにもいかない。焦る気持ちを抑えながら森の中を歩くこと数日。やっと見慣れた山小屋が見えたときには心底ほっとした。


「ん?」


 近づいてみると山小屋の扉の下に紙きれが挟まっていた。


『これを見たら一度あんず亭に戻って来て』


 元気な字。天の字だった。

 私がいないことに気が付いた天は最初に山小屋へ向かったんだろう。でも、天は山小屋の鍵を持っていない。いつまでも現れない私に一旦村へ戻ることにしたんだろう。

 鍵をあけて山小屋に入り、内側から鍵を閉める。紙もあった場所にそっと戻す。紙がなくなっていたら私が山小屋にいることがバレてしまうからね。


「ごめんね」


 紙を扉の下に差し込みながら、知らぬ間に声がでていた自分に苦笑する。そう言えばバードック薬師協会のあの部屋でも天に謝っていたな。そう考えると今回の声も天には届かないのだなぁ、と申し訳ない気持ちが増した。

 数日ぶりに聞こえた自分の声は奇妙に掠れていて、でも、それが声をだす機能の故障なのか、音を聞く機能の故障なのかわからなかった。

 

 銀朱や黄唐きがらがきちんと私の修理の仕方を残して置いてくれたらよかったのに。

 

 王立研究院が研究を続けていてくれたらよかったのに。

 

 人間だったらよかったのに。

 

 タイム村で薬師として生きたかった。ももさんから料理を習ったり娘らしいこともしてみたかった。刈安かりやすさんに長袖の衣装を作ってもらいたかった。松葉まつばさんにも見て欲しかった。刈安さんと亜麻あまさんの二人が結婚するところとかも見届けたかった。


 天と一緒に生きたかった。


 どれも言っても仕方のないことだ。どうやら私は随分と欲張りになったらしい。バードックの時はもう十分なんて思っていたのにな。

 

 気が付くと視界がかすんでいた。こういう時、人間なら涙を流すんだろう。でもアンドロイドに涙はない。かすんだ視界は涙のせいではなく、見る機能まで故障してきたからだ。

 どうやら神様は思い出を振り返る時間もくれないらしい。本当に神様はアンドロイドにそっけない。

 軋む体を引きずって風呂を目指す。何日も森の中を歩いたせいで泥だらけだ。いくら処分されるだけとはいえ、この格好では回収する烏羽に申し訳ない。せめて綺麗にしておこう。と思ったのに。


 ぐらり。


 私の意思に反して体が左に傾ぐ。そのまま床に倒れたけれど痛みもない。そのまま意識がゆっくりとフェードアウトしていく。

 最後に私が見たのは扉に挟まった小さな紙切れだった。

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