2-8

 翌朝。


「じゃあ、薬師協会に向かおう。さくらさんから場所は聞いておいたから大丈夫」

「うん。ありがとう」

「それじゃ、はい」


 私から少し目を逸らしててんが手を差し出す。一瞬ためらってから、でも、ついおずおずと私も手を差し出してしまう。その手を天がしっかりと握って、そのまま薬師協会に向かう。


「はい。手続きは以上です。薬師試験は明日九時からです。開始の三十分前までにはこちらにいらしてください」

「あの、今日受けることなんて」

「無理です」

「ですよねぇ」


 あわよくば今日のうちに試験が受けられたらと思ったのだけれど、さすがに無理か。むしろ明日受けられるのだからラッキーと思うべきだろう。

 黄丹おうにさんも丁子ちょうじ先生も薬師試験の日程までは知らず。片道二日だし、確認の手紙をだすくらいならダメ元で行ってしまえということで来たから無駄足になる可能性は十二分にあった。

 

 聞けばバードックの薬師協会では希望者がいれば一人でも試験してくれるとのこと。ありがたい話だけれど、裏を返せばそれだけ薬師の需要があるということでもある。薬師試験は筆記と面接があり、今回は受験者が私一人なので十二時前には終わるとのことだった。結果は当日十四時に薬師協会で発表。当日に結果がわかるのもありがたい。

 薬師協会で手続きと試験の説明を受けると時計の針は十二時を回っていた。近くに見つけた食堂で昼ごはんを済ませて、私はぶどう亭に戻って試験勉強、天はタイム村で受けた買い物の依頼をすることにしたのだけれど。


「はい」

「ん?」


 食堂を出て差し出された手に首を傾げる。だって、買い出しに行くんだよね?


「あっ、大丈夫だよ。ぶどう亭の場所ならわかるし」

「俺の買い出しもそっちなの。ほら、行くよ」


 いや、ぶどう亭の周りは宿屋ばかりで他の店なんてなかったはず。言いかけた私の言葉を無視して、天は私の手を握るとさっさと歩き出す。その温かさに結局私はまた何も言えず。


「それじゃ、夜ごはんまでには戻るから一緒に食べよ」


 ぶどう亭に着くとそう言って天はあっさり行ってしまった。その姿を見送りながら私は苦笑いする。思った通り、天はしっかり来た道を戻っている。

 天の姿が見えなくなったところで、とりあえず私も自分の部屋に向かう。特にやることもないので、銀朱ぎんしゅから渡されたノートを眺める。天には試験勉強と言ったけれど、学校に通っていた訳でもない私には教科書も参考書もない。そもそも試験勉強というのも町をふらつく危険を避けて部屋に籠っていたかったからだけで、ただの方便だ。それに。


「アンドロイドは無理でしょ」


 自分以外に誰もいない部屋で、今まで言えなかった言葉がポロリと零れ落ちる。知識とか、年齢とか、そういう問題以前に私は人間ではない。親もいなければ身元を証明するものもない。なんなら月白という名前すら天の付けた偽名だ。万が一、試験に合格したところで王国が認めるような資格を貰えるわけがない。


「そもそも知識的にも無理だろうけれど」


 きちんと薬師の勉強をしていない私がなれるほど薬師は甘い資格ではない。

 でも、薬師試験に落ちれば当然薬師にはなれない。薬師になれなければ黄丹さんも別の薬師を探すだろう。そして新しい薬師がくれば私は山小屋に戻れる。

 元から長くはいられない場所だとわかっていた。つい長居をしてしまったけれど、そろそろ潮時だろう。こんな場所まで来てしまったのは予想外だったけれど、いいきっかけができたとむしろ喜ぶ展開のはずだ。薬師試験に落ちた方が話はスムーズだし都合がいい。

 そう、そのはずなのだけれど。理屈ではわかっているのに黄丹おうにさんや丁子ちょうじ先生、タイム村の人たちの顔がちらつく。


「がっかり、させたくないなぁ」


 誰もいない部屋に本音が一つポロリと零れ落ちる。

 ふと自分の右手を見つめる。まだ温かさが残っている気がする。さっき見送った背中が思い出される。わざわざ一緒にきてくれたお人好し。いつも私を信じてくれる空色の真っすぐな目。


「人間だったらよかったなぁ」


 言っても仕方のない願いがポロリとまた一つ零れ落ちる。


「何言ってんだか」


 誰もいない部屋で思わず苦笑する。

 どうしようもできないことだ。娘の身代わりといって勝手に造られて、娘が現れたら勝手に捨てられて。結局、私ができることなんて、誰にも見つからずに朽ち果てることだけ。

 頭ではわかっているのに銀朱ぎんしゅから渡されたノートに目を落とす。今までも繰り返し読んだノートだけれど、初めから一つ一つしっかりとなぞるように読み込む。

 しばらくして天がぶどう亭に戻ってきて夜ごはんを食べた後も部屋に戻ってノートを読んだ。夜遅くまで。それこそ一字一句全部覚えるくらい必死に。

 私には教科書も参考書もない。このノートしかないから。アンドロイドには無理だってわかっているけれど、でもそうしたかった。仕方ないとわかっているけれど、悪あがきせずにいられなかった。

 やっぱりもう少しあの村にいたかった。

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