1-8

「これはすごい」


 薬屋に着いた私は庭に咲く満開の桜の木を見上げて思わず声を上げた。森ではまだ気配しかなかった春がタイム村では盛りとなっていた。しかもこれは花だけが先に咲く珍しい品種の桜だ。


「あっ、綺麗でしょ? 遥か東方の国にある珍しい木なんだって。ここにいた薬師、黒鳶くろとび婆さん、の更に前の前の前~の代の薬師が東方の生まれだったらしいよ」


 毎年のことで見慣れているのだろう。てんは満開の桜の木を横目で見ながら薬屋の扉を開ける。


「キシセツソウ、どこに置く?」

「えっ?」


 桜に見とれていた私は天の言葉に一瞬反応が遅れる。


「あっ、できれば日に当たらないところで……って、うわっ」


 薬屋の中に入った瞬間、失礼ながら思わず顔を顰めてしまった。先代の黒鳶さんという薬師が亡くなってから誰も管理をしてこなかったのだろう。そこらじゅうが埃だらけだった。

 しかも必要な時に必要な薬草を勝手に探し出して使っていたのだろう。ところどころ棚や瓶が乱雑になっているところもある。


「え~っと、とりあえず片付けようかな」


 あぁ、何でこんなことになってしまったんだろう。どんどん山小屋が遠くなっていく気がする。とは言え、片付けないことにはキシセツソウを置くスペースがない。

 とりあえず窓を開けて空気を入れ替える。幸い庭の井戸は使えたし、掃除道具も揃っていた。天も急ぎの依頼がないとのことで手伝ってくれた。


「まぁ、こんなものかな」


 天と二人で黙々と作業すること一時間ちょっと。薬草を保管できる程度には片付いた薬屋を見回して私は天に声をかける。


「やった~」

「手伝ってくれてありがとう。助かったわ」

「……?」


 私では手の届かない高い棚や重い薬瓶を重点的に掃除してくれた天にお礼を言う。と、天がキョトンとした顔で私を見つめているのに気が付いた。どうしたのだろうと見つめ返してしまった私を見て、天がいきなり笑い出す。


「えっ? ちょっと何?」

「だってお礼を言うのはこっちの方なのに君がお礼を言うから」

「あっ」

「君、本当にお人好しなんだね」


 失礼な! でも天の言うとおりだ。お礼を言うのは私じゃない!


「別に! キシセツソウが置けないと帰れないから掃除しただけだから!」


 あぁ、なんだこの返し。子どもか!

 思わず出た言葉の稚拙さに自分で自分に呆れる。それは天も同じだったようで。


「子どもかよ!」


 わかっとるわ!


「私はもう戻るから! キシセツソウはそっちの棚。使えなくなっている薬草はそこ。後で捨てておいて。それと、素人の手には負えない薬草は棚の一番上に置いたから。新しい薬師が来るまで触らないこと!」


 天に出会ってから調子が狂いっぱなしだ。これ以上、おせっかいを焼いてしまう前にさっさと山小屋へ戻ろう。伝えるべきことだけ一方的に話して、薬屋を出て行こうとした時。


月白つきしろちゃん! まだいる?」


 息を切らせて薬屋に飛び込んできたのはあんず亭のももさんだった。


「桃さん、どうしたんですか?」

亜麻あまが店で倒れたの! 月白ちゃん、お願い! 一緒に来て!」

「亜麻さんって? あの、どういうことです?」


 話が見えない私は続いた桃さんの言葉に青褪めた。


刈安かりやすが採ってきたハルノトウを食べたら、急に泡をふいて倒れたって!」


 やっぱりハルノトウじゃなかった。あんず亭に刈安さんが持ってきた籠を見た時、おかしいと思っていたのに。そこまで考えてハッとする。


「桃さん、あんず亭にある籠は?」

「夕ごはんに出そうと思って調理場においたまま」


 桃さんの答えに一旦胸を撫で下ろす。


「天、亜麻さんと言う方のお店の場所はわかる?」

「もちろん」

「じゃあ、天は私を案内して! 桃さん、すぐにあんず亭に戻って籠の中身を持ってきてください。一つ残らずです。絶対に食べないように! それから男手が必要です。松葉まつばさんを連れてきてください」

「わかったよ」


 薬屋を出ると私と天は亜麻さんの店へ、桃さんはあんず亭へと走り出す。

 天に連れられてやってきたのは貸本屋だった。今にも崩れ落ちそうな本棚をすり抜けて店の奥へと向かう。カウンターの後ろの扉を抜けると小さなキッチンとテーブルがあった。その床に倒れている若い男性が一人。彼が亜麻さんだろう。

 ひょろりとした長身で年齢は二十代半ば。刈安さんと同じくらい。子どもや年配の方ではなかったことにホッとしたのも束の間。隣で泣きながら名前を呼ぶ苅安さんの声に一切反応していないことに嫌な汗が流れる。

 駆け寄ったものの干し草色のフワフワしたくせっ毛に隠れて顔色が見えない。慌てて髪の毛をかき分けると青白い顔が見えた。固く閉じた目はピクリとも動かない。でも、彼の口元に耳を寄せると微かに呼吸音が聴こえた。そのことにまた少しホッとする。

 視線を変えてテーブルを見れば食べかけの天ぷらが散らばっている。手近な一つを取り上げて衣をはぎ取る。そこには予想どおりの物があった。


「やっぱり」

「ハルノトウは亜麻の好物なの。たくさん採れたから昼ごはんにって持ってきて、そしたら」


 私の姿を見てそこまで言うと苅安さんは俯いてしまう。


「苅安さん、天ぷらを食べたのは何時ですか?」

「えっ? 何時? えぇっと、ここに来た時に十二時の鐘が鳴っていたから、多分そのくらい」


 戸惑いながら答える苅安さんの言葉に壁の時計を確認する。もうすぐ一時。まずい、時間がない。


「天、桶に水をいっぱい汲んできて。それと……」

「わかった!」


 必要なものを一方的に羅列する私の言葉に天は何も聞かずにうなずいて部屋を飛び出す。


「苅安さん、ハルノトウを他にあげた人は?」

「ううん。桃姉ももねえと亜麻のところだけ。ねぇ、一体、何が起きているの?」

「説明はあとでします! とりあえず今は亜麻さんに声を掛け続けてください!」


 それから一時間後。


「ううっ……」


 水浸しの亜麻さんの口からうめき声がもれた。


「亜麻!」


 刈安さんの呼びかけに亜麻さんの目がうっすらと開く。何か言いかけた亜麻さんの言葉をそっと遮る。


「今は話さない方がいいです。無理に吐かせたので喉が傷ついているはずです。刈安さん、亜麻さんの体を拭いて着替えを。天、ありがとう」

「もう大丈夫なのか?」

「安心はできないけれど、山場は越えたはず」

「よかった~」


 私の言葉に水浸しの天が床にへたり込む。私も隣にへたり込んだ。知識として対処法は知っていたものの実践は初めてだった。さっきまでは無我夢中だったけれど、亜麻さんの意識が戻ったら急に腰が抜けてしまった。

 駆けつけてくれた松葉さんが亜麻さんを二階の寝室に運んでくれる。その後を着替えとタオルを持った刈安さんと桃さんが付き添っていく。私と天も体を起こすと後に続いた。

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