1-5

「うま~い。川魚って臭いが苦手だったんだけど、これ、すげぇ美味い! なんの魔法? 薬師って魔法も使えんの?」

「大袈裟な。香草をふって焼いただけ。それに薬師じゃないって言ってるでしょ」


 昼ごはんは当初の予定どおり川魚にした。私の拙い仕掛けでもとれたから、乾燥させた香草をかけて焼いたのだけれど、どうやらお気に召したらしい。

 幸せそうに魚にかぶりつくてんに呆れた顔で次の串を差し出すとすぐに受け取る。やっぱり少年の食欲は恐ろしい。と、天が手元の魚をじっと見つめて、こちらに返してくる。


「あれ? 焼けてなかった?」

「ううん。君、今朝も食べてなかったよね? 昨日の夜も。もしかして俺、君の分まで食べちゃってた?」


 情けない顔で言う天に、今更かい! と思わず苦笑いしてしまった。昨日はクッキーのストックがそんなになかったし、今朝も材料が一人分しかなかったから天にしか出さなかった。別に私は食べなくても困らないしね。


「ごめん! 俺だけ食っちゃって」


 私の苦笑をどうとったのか、天がますます情けない顔になっていく。全く図々しいんだか、気ぃ使いなんだか。まぁ、魚はたくさん採れたし、二人で食べても大丈夫だろう。


「大丈夫。私も食べるから。それに今朝も先に食べただけだよ」


 そう言って、天に魚を返しながら、別の魚を手に取る。知らぬ間に口をついてでていた後半の嘘は、自分でも何で言ったのかわからなかった。


「本当に?」

「本当。別に嫌なら食べなくてもいいけれど」

「食べる! 食べます!」


 心配そうに問い返した天の姿に少し嬉しいと思った気がしたのは、絶対気のせいだと思う。十年ぶりに人間と出会ったせいで調子がくるっているだけ。ただそれだけのことだ。


「あのさ、聞きづらいんだけどさ」

「だから、聞きづらいなら聞かないで」

「名前、教えてもらってもいい?」


 聞くんかい! っていうか、質問じゃないじゃん! そう心の中でつっこんだ後、返答に詰まった。

 名前……無い。

 かつては紅緋べにひと呼ばれていたけれど、それはすでに私の名前ではない。山小屋で暮らし始めてからはそもそも人に会うことがなかったから名前なんて必要なかった。

 だから、今、私には名前がない。


「駄目? 俺、黙っとけって言うなら誰にも言わない。二人の時しか呼ばないよ。だから」

「天が付けてよ」

「えっ?」


 私の言葉に天が固まった。確かに呼び名がないのは不便だ。でも私には提示できる回答がない。どうせ天と別れるまでの便宜上のものだし、使うのも天だけだ。だったら天の好きにすればいい。と思っただけなんだけれど。


「俺が? 君の名前を? えっ、本当に?」

「あっ、やっぱりいいです」


 なんだろう。なんだか天がすごい喜んでる。すごい誤解をさせた気がする。


「いや! 俺がつける! ちょっと待ってね!」

「いや、だから、結構ですって」

「ちょっと静かにして!」


 えっ、なんで私が怒られるの?

 

「よし! 決めた! 月白つきしろ!」

「月白?」

「うん。月に白で月白。ずっと思ってたんだ。お月様みたいで綺麗な目だなぁって」


 お月様って、私の目が? どんよりした曇り空みたいなこの目が?

 驚き過ぎると何も言えなくなるって初めて知った。


「って、あっ、駄目? 気に入らなかった? えっと、それじゃ」


 黙り込んだ私を見て天が慌てて別の名前を考え始める。


「ううん。月白でいい」

「えっ、いいの? 無理しなくても」

「ありがとう。私には過ぎた名前だけれど」


 苦笑いする私になぜか天が怒ったような顔で言い返す。


「そんなことない! 本当にお月様みたいだし、助けてもらったときには天使か女神かと思った!」

「それは助かった嬉しさのせいじゃ」

「違うって! 本当、後光が差してみえたんだから!」


 いや、だから、それは崖から私越しに空も見えたからでしょうよ。と思いつつ、でも一生懸命に話す天の姿がなんだか嬉しくて私は知らぬ間に笑っていたらしい。


「だから、笑ってないで信じてよ~」


 今度は情けない顔になった天を見てとうとう声を上げて笑ってしまった。


「はいはい、ありがとう。ほら、そろそろ出発しよう」


 私の言葉に不服そうな顔のまま、天は慌てて残りの魚を飲み込んだ。


「ん?」


 焚火も片付けて、さぁ出発、と思ったら、天が私に手を差し出してくる。はて? なんだろう? ってまさか!


「えっ? まだ何か食べる? えっと、クッキーなら少しあるはず」


 少年の食欲は本当に恐ろしい。せっかく背負ったリュックサックを下ろして、念のためにと朝早くに焼いておいたクッキーを取り出そうとすると。


「違うわ! ほら、握手!」

「へっ? 何で?」

「いいから!」


 強引に私の手を握った天はそのまま上下に元気よく振り始める。

 えっ? どうした? さっきの魚に変な毒でも入っていた?


「月白、改めてよろしく。俺は天。崖に落ちた時は人生終わった~って思ったけど、月白に会えたから落ちてよかった!」

「……天、素敵な名前をありがとう。月白です。よろしく。……って、いやいや、良くないし! よろしくって、森を出るまでだし!」


 勢いに乗せられて挨拶してしまったけれど、何言わせてるのよ。たかが森を出るまでだけの付き合いだっていうのに。


「えぇ、つれないなぁ~」

「うるさい! さっさと行くよ! 日が暮れる!」

「まだ、昼じゃん」


 なんだその顔は!

 何が面白いのかニヤニヤしながら言い返してくる天の顔を睨みつける。


「て~ん~!」

「はいっ! すぐ出発します! って、痛~!」


 怪我を忘れて調子よく歩き出した結果、数歩先で蹲る天を無視して、私は先を急ぐことにした。

 結局、森を抜けるには四日かかった。怪我をしていた割にはスムーズだったと思う。その間に天の怪我もほぼ完治したし、森を抜けてしまえば道もあるし、もう迷うことはないだろう。天ともお別れだ。と、思っていたのだけれど。


「お~い! 天! 天なのか!」


 森を抜ける少し前で前方から聞こえてきた声に急いでフードを被る。急いで天から離れようとしたのだけれど。


 ガシッ!

 

 天に腕を強く掴まれた私はその場から動くことができなかった。


「ちょっと!」

 

 文句を言いかけた私は天の顔を見て息を飲んだ。今まで見てきたお調子者はどこへ行ってしまったのか。天は固い表情で私を見つめていた。

 まさか、天は私のことを知っていた? アンドロイドの私を捕まえにきた? 今までのは全部演技だった?

 自分の迂闊さを呪いながら、慌てて天の手を振り払おうする。でも、私の手を掴む天の力が予想外に強くてびくともしない。

 そうこうしているうちに声の主がこちらに近寄ってくる。遠目からも体格の良い男性だということがわかる。天だけでも逃げ出せないでいるのに、ここにもう一人加わったらそれこそ逃げきれない。

 

「月白、ごめん」


 聞こえるか聞こえないかの囁きが私の耳を掠める。その一瞬後で。


松葉まつば! 心配かけてごめん! 森で薬師に会ったんだ! 村に来てくれるって!」


 天は私の腕をしっかり掴んだまま、こちらに向かってくる男性に声を張り上げた。

 その言葉に私は目が点になる。どうやらアンドロイドを捕まえに来たわけではないことだけはわかったけれど、なにそれ? そんなこと一言も言ってないぞ!

 

「本当か! 天、よくやった! ありがとう! 助かるよ!」

「いや、あの、ちょっと」


 天に文句を言う前に松葉さんと呼ばれた男性が目の前に迫る。そして、今度は松葉さんが私の手をがっしりと掴んで上下にぶんぶんと振り始めた。しかも、全然こっちの話を聞いてくれない。

 いやいや、ちょっと待って! そんな話、聞いてないから! 森から出たらまずいんだって!

 私の訴えは全く届かないまま、なぜか私は森とは逆方向、タイム村に続く道を引きずられるように歩き出していた。

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