エルンスト・オーケルベリの蒐集譚

並白 スズネ

はじめに

 私の名前はエルンスト・オーケルベリ、世界を放浪する吟遊詩人だ。これを読んでいる諸君らが私の存在を知らないのは無理もない。私はこれまでの詩人としてのキャリアで何十度と名前を変えてきて、この「エルンスト・オーケルベリ」は昨夜、フランスのとある田舎道で野宿しているときに生まれた。夜空を喰らわんばかりの黄色の満月に、フランスに帰化したとあるドイツ人画家の作品が連想されたことに奇妙な運命を感じ、その画家から名前を頂戴した。

 諸君らは今こう思ったのではないか、私が全く無名の詩人で出版社に取り扱ってもらえないために名前を次々と変えているのだ、と。それは断じて異なる。私はそんな詐欺師まがいのことはしない。私の詩集は出せば飛ぶように売れ、世界各国で翻訳されている。国によっては教科書にも採用されているのだとか。もしかすると知らず知らずのうちに諸君らは私の詩を口ずさんでいるかもしれない。それに私は名前が何度も変わる詩人として巷では有名らしい。それでも諸君らが気付かないとしたら、諸君らの注意不足としか言いようがない。ともかく、私はいわゆる富裕層に属する人間なのだ。自慢じゃないが、世界各国に別荘をいくつも所有している。

 では、私は昨夜、なぜ野宿をしていたのか。その答えは至極簡単なことで、創作のため、リアリティを追求するためだ。野で生活する者の心、群生する草花と夜空の群青さの交わる色模様、そよぐ風たちの温度と強さを克明に言葉で再現しようと思ったら、身を以て体感するのが一番だろう。体験の大切さなど過去の偉大な芸術家たちが説いてきて、私のような青二才の創作論など二番煎じならいいとこで、ゴミクズを舐める方がマシと思える没個性的なものだ。だから、私の創作論はこの辺にしておこう。

 そんな私でも唯一知覚できないのが音なのだ。私は幼い頃の自業自得で聴覚を失ってしまった。諸君らは詩人にとって聴覚が死滅していることは致命的ではないかと思っただろうし、詩人を志した矢先に耳を失い、絶望した過去の私も思っただろうが、案外そうでもない。人間とは失った機能を補完しようとする生き物で、耳の代わりに目や肌、舌に鼻の感覚が野生の獣の如く鋭敏になっていった。そして、言葉を操る能力にも恵まれて、結果的に詩人となったわけだが、あんなふざけた事故を起こした幼き自分を許せるはずもなく。音への渇望は今でも満たされることはない。

 とはいえ、肉体器官的としての耳を失ったのだが、私は代替品としての奇妙な「耳」を手にした。今回は、そんな私の「耳」たちが聴きとった、現代の科学で捉えらない地球上の奇妙な語りを諸君らに共有しようと思った次第だ。その語りは「耳」それぞれの体験であり、感情や意志があり、私はそれを尊重して分かりやすいように構成と文体を整え、題を添えるだけで、一切の私情も作為も挟まないことをここに誓おう。諸君らはそれ存分に楽しんでくれればいい。そして、ここまで言えば、賢明な諸君らは私の「耳」の正体におおよそ察しがついているだろう。

ところで、私の文体が喋り口調なことには気づいただろうか。そう、これは聞き書きの形式で書かれている。では、誰が私の話を聞いて眼前の羊皮紙に書き起こしているのか、それが「耳」の正体なのでは無いのか。それは不正解だが、間違いとも断言できない。今私の前にいるこれ人間のようなもの—仮に「ヘルメス」と名付けよう—は私と「耳」をつなぐ神経のような存在だ。時には、私の声を他の誰かの「耳」に届ける役割も果たしてくれる。他にも便利な機能があるのだが、このくらいにしておこうかな……。詳しく聞きたければ諸君らが実際に私に出会ったときにでも教えてあげよう。

まぁ、楽しんでくれたまえ。

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